「本物の教養」② かつてなく、「個の力」が問われている
今日は令和2年5月6日。
前記事に引き続いて、
「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より
引用していきます。
日本人が自分の頭で考えないようになったのは、
戦後の復興のやり方に原因があるというのが出口さんの考えです。
日本はアメリカに追いつけ、追い越せと動き出しました。
ルートが見えているということは、どこをどうやって登ればよい
かが分かっているということです。新たに自分の頭で考える必要は
ほとんどありません。余計なことを考えて遠回りでもしてしまった
ら、むしろロスが発生します。つまり、戦後の日本は、自分の頭で
考えることを必要としない、もっと言えば、自分の頭で考えないほ
うが都合がいい社会だったのです。
(51p)
青田買い、終身雇用、年功序列、定年制というワンセットの労働
慣行のなかでは、大学で何を勉強したとか、教養があるとかないと
か、そのようなことは一切問われませんでした。極論すれば個人の
個性や主体性などは、じつはどうでもよかったのです。むしろ、言
われた通りに働く没個性な集団のほうが都合がよかった。そのよう
な社会システムのもとで日本は高度成長を謳歌し、復興を果たして
きたのです。
このように考えてくると、戦後の日本がいかに特殊な社会であっ
たかがよく分かります。半世紀以上も戦争がなく(明治維新から第
2次世界大戦まで戦争の連続でした)、平均実質成長率で約7%と
いう高度成長が40年近くも続き、人口も増え続け、しかも平均寿
命(男性)も50歳そこそこから80歳にまで延びるという夢のよ
うな社会は、世界史のどこを振り返ってもあまり例がありません。
例外中の例外、私たちは「ガラパゴスのなかでガラパゴスの夢を見
ていた」のです。冷戦がとうの昔に終結し、人口が減り始め成長が
止まり、あらゆる指標が頭打ちになったいまの日本こそ、普通の国
に戻ったと言うべきです。
夢の国から普通の国に戻った以上、日本も他の国々と同様、普通
の国としてやっていかなければなりません。世界を見渡せば、グロ
ーバル企業の幹部たちは、みんな必死に勉強し、いろいろなことを
知っていて、自分の頭で考えている、というのが実相です。
(54~55p)
やっぱり日本は「個の時代」になったのです。
もはや企業は守ってくれません。
自分で考えて、未来を生きていかなければなりません。
藤原和博さんはその境目は1997年だと言っていました。
※ここでも道草 「本を読む人だけ」① 「それぞれ一人一人」という時代に変わった(2020年1月7日投稿)
私の年代は両方の雰囲気を体験しているわけです。
昔にとらわれず、かと言って、昔のよいものは残しつつ、
自分を変え、身のまわりを変えていく変革者に
なろうと思えばなれる立場にあると思います。
大事なのは、勉強して、自分で考える。
さらに追い打ちで引用します。
このような状況下で、私たちには教養が求められているのです。
ただたんに物事をたくさん知っておいたほうがいいというのとは
わけが違います。行き詰まりをブレイクスルーするオリジナリテ
ィ、さまざまな相手を惹きつける「面白さ」「人間的魅力」、自
分の頭で考える力など教養の力を全開することが、切実に必要と
されています。戦後このかた、私たちは「みんな一緒に」を好ん
で得意としてきましたが、いまやかつてなく、「個の力」が問わ
れているのです。
「はじめに」で述べたように、私は教養とは人生を豊かにするも
のだと考えています。ですが、日本社会という大きな観点から見
ると、いま教養は、日本人の生き残りのための必要不可欠な条件
になっていると言えるのです。
(57p)
今は新型コロナウイルスのために、
前代未聞のことが起こっているときです。
実は頭の使いどころなのです。
一人一人が頭を使って、何かアイデアを作り、
それを持ち寄るときだと思います。
勤め先が守ってくれるわけではありません。
教師の給料だってどうなるかわかりません。
文科省や教育委員会の指示を待っているだけではダメで、
教師ができることを考え、実行する時だと思います。
「待ち」ではなくて「動」です。
先日、提案が一つ却下されたけど、今日はまた何か考えよう。
コメント