「本物の教養」③ 「人間はそれほど賢い動物ではない」「単純な動物」
今日は令和2年5月7日。
前日の記事に引き続いて、
「人生を面白くする本物の教養」(出口治明著/幻冬舎新書)より
引用していきます。
教養には「知識がある」だけでは不十分で、それに加えて「自分
の頭で考える」ことが不可欠です。しかし、現代の日本人はこれが
不得手です。戦後一貫して「考えない」ほうがむしろすべてうまく
まわる社会システムのもとで生きてきて、その成功体験がしみつい
ているからです。(中略)
講演などで、日本人は自分の頭で考えることが苦手だと話すと、
「いまさらそんなことを言われても、自分は日本の教育で育ってき
た。これからどうすればいいのですか?」と聞かれます。
そうした声には、「今日の皆さんが一番若いのです」と答えてい
ます。「一番若いときに始めましょう」と。たとえば「自分は大学
時代にろくに本を読まないで過ごしてしまった。もう手遅れだ」と
思うくらいなら、今夜から読み始めればいいだけのことです。
いまさらもう遅すぎると努力を放棄する人は、サボる理由を探し
ているだけです。そんなことを考えている時間があれば、一冊でも
本を読んだほうがよほど有益です。人は何歳からでも学ぶことがで
きます。何歳であっても決して遅すぎることはありません。
そもそも神様でない限り、過去を変えることはできず、人間がど
うにかできるのは未来のことだけです。これまで自分の頭で考える
努力をしてこなかったのなら、今夜からそのための努力を始める。
それよりほかには方法がありません。きわめてシンプルな話ではあ
りませんか。
(62p)
「何歳であっても決して遅すぎることはありません」というのを
何歳になっても言い聞かせて、やりたいことをやっていきたいですね。
西日本で長く気候不順が続いていたという「数字」(データ)。
それにより飢饉が発生したという「ファクト」。そこから導かれる、
窮乏に陥った平家が戦力ダウンし、滅んだという「ロジック」。平
家滅亡飢饉説は「数字・ファクト・ロジック」の観点からきわめて
合理的に説明がつくと思います。
(69p)
「ロジック」とは「論理的に語れるもの」という意味のようです。
再び「ロジック」が登場します。
物事の本質は、たいていシンプルなロジックでとらえることがで
きます。なぜなら、人間は本来シンプルな生き物だからです。逆に
言えば、シンプルなロジックで理解できないものは、本質をとらえ
ていない可能性があります。複雑で細かな話は、精緻な議論をして
いるように見えても、意識が枝葉の部分にとどまり、テーマ全体像
(幹)が見えていない場合がほとんどです。
(70p)
「人間は本来シンプルな生き物」が印象に残ります。
さらにこう言っています。
「木を見て森を見ず」という諺があります。一般に「森」の議論は
シンプルなものです。細かくややこしくなるのは「木」や「枝葉」
の話に終始するからです。そもそも人間はそれほど賢い動物ではあ
りません。むしろ単純な動物です。そうした人間がつくっている社
会も、その本質は単純であるはずです。そうであれば、人間社会の
本質は誰でもシンプルに説明できるはずだと私は思うのです。
(70p)
「人間はそれほど賢い動物ではない」「単純な動物」
いいですね、この表現。
ホッとします。
世の中、難しく考えずに、単純に考えましょ。
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