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2020年2月

2020年2月13日 (木)

20200211報告 鳳来寺山登山 天狗岩から見えた赤い屋根の建物

  

今日は令和2年2月11日。

  

この日の鳳来寺山は、従来の逆コースで登りました。

スタートは、行者越えの駐車場。

そこから東照宮→鷹打場→天狗岩→頂上→本堂→

行者越え駐車場というルート。

  

いつもの本堂前のカエデの木の写真。

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毎回登るといろいろな発見がありますが、

今回は天狗岩から見える建物がどの建物か判明しました。

まずは天狗岩から見える建物の屋根。☟

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下から見たところ。

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この建物の屋根が見えていました。☟

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そして天狗岩の壊れかけた建物が

下から見えることに初めて気がつきました。☟

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2日連続、サルを見かけました。

この日は撮影に成功しました。

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遠くでしたが、しばらくにらみ合いをしていました。

向こうの方が視力はいいのかなと思いつつ。

20200210報告 鳳来寺山登山 新しいバーナー/メジロの交尾

今日は令和2年2月13日。

   

復職が迫ってきました。

当初は2月12日からのスタートでしたが、

2月25日からのスタートに変更されました。

3か月ほど試験期間で、大丈夫となれば、完全復職です。

大丈夫です。身体は拒否反応をしていなくて、

気持ちは楽観的になっています。

充分休めました。

  

治療の一環としてもやってきた登山も、駆け込みです。

3日間連続で登ってきました。

 

2月10日。娘と鳳来寺山登山。

2月11日。奥さんと鳳来寺山登山。

2月12日、1人で大川入山登山。

  

今回は2月10日の報告。

 

鳳来寺山に向かう時に、交差点で前に停まっている車が

気になりました。☟

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レンガ模様が気になりました。

どこのトラックだろうと知りたくなり、左折して次の交差点で

並んだ時に写真撮影をしました。☟

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充分宣伝になっているトラックです。私は興味津々です。

写真には写っていませんが、店名は「タカキベーカリー」とありました。

豊橋市の方に向かって行ったので、豊橋にあるお店かなと推理。

帰宅後調べました。

何と広島県を根拠地にするパン屋さんでした。

タカキベーカリーHP

このトラックは、タカキベーカリーの商品を配送している

タカキ物流サービスの自動車のようです。

  

   

2月10日の定点観察しているカエデの木です。☟

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寒い朝でした。氷を見ました。☟ この冬、私的に初氷かな?

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冬はこうでなくっちゃ。

  

この日のコースは、一般コース。

かさすぎ横の駐車場に車をとめて、階段を本堂まで。

そこから頂上→天狗岩→鷹打場→東照宮→本堂と行って、

階段を下るコースでした。

  

初めて新しいカセットバーナーを使いました。

※参考:ここでも道草 SOTOの「マイクロレギュレーターストーブ」購入(2010年1月24日投稿)

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火力が強く、お湯が早くわきました。

さすが最新モデル。ワクワクしました。

  

  

山の中でサルを見かけました。

メジロも見ました。

メジロには驚きました。

登山道で、おそらくつがいが絡み合ってバタバタしていました。

写真を撮る前に飛び上がってしまいましたが、

森の中でやはり、ぶつかりながら落下していくのを目撃しました。

あれは何をしているんだ。

豊橋市の梅林園でも、つがいが一緒に飛び立って、

空中でぶつかっているのを目撃しています。

ここでも道草 梅林園でメジロの観察(2020年2月8日投稿)

あれが交尾?

調べました。

  

写真であそぼ! メジロの交尾

このサイトで、素晴らしい写真とともに説明がありました。

  

文章を引用します。

オスがメスを捕らえ交尾が始まると、2羽は一つの団子状態になり、

地上近くまで落ちてきます。

  

写真を1枚だけ転載。

1  

空中で交尾してそのまま登山道に落下していたのを、

私は見たことになります。

いやあ、空中で交尾は初めて知りました。

もう少し詳しく調べてみたい。

  

  

「明日をさがす旅」④ 一刻も早く生徒に読ませたい本です

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

今日、この本は図書館に返します。

  

「著者あとがき」からの引用です。

  

キューバで投獄される可能性があるにもかかわらず、また海に

出れば、大きなうねりや、嵐や、溺死や、サメや、脱脂症状、

飢えといった危険があるにもかかわらず、多くのキューバ人が

今でも(2016年10月)ハバナとフロリダ間の150キロ

をこえようとしています。ピュー研究所の調査によれば、20

15年には43635人のキューバ難民がアメリカにやってき

ました。2016年にはすでに10月の時点で、この人数をこ

えています。

(中略)

イサベルの物語の舞台である1994年には、海をわたろうと

したキューバ難民は、60パーセントくらいが海で命を落とし

ていたと推定されています。

(402p)

  

  

海での死は、推定となってしまうのでしょう。

「世界に知られずに死んでいってしまう」悲劇です。

  

「訳者注」として難民について書かれています。

その文章を引用します。

  

2018年は、国連難民高等弁務官のデータでは、過去70年

間で最も難民の数が多くなっています。戦争や飢餓や迫害など

によって故郷を出なくてはいけなくなった人たちが7080万

人、そのうち国外ににげることを余儀なくされた人たちが25

90万人いるといいます。そして、難民の半数以上は子どもで

す。避難の途中で親とはぐれて一人になってしまった子どもは

2018年だけで11万人以上もいるそうです。難民を生み出

しているのは、シリア、アフガニスタン、南スーダン、ミャン

マー、ソマリアなどです。

本書の著者は、アメリカ合衆国の難民受け入れ数が少ないと書

いていますが、日本はもっと少ない数しか難民認定をしていま

せん。たとえば2015年には27人、2016年には28人、

2017年には20人、2018年には42人といった具合で

す。2018年で言うと、申請した人のたった1パーセントに

もとどかない数です。それは、一つには日本の法務省が、「難

民を助ける」のではなく「難民をとりしまる」ほうに重点をお

いているからです。もう一つには、日本の人々の難民に対する

関心が低い、ということがあげられるでしょう。

(410p)

  

関心を高める仕事は教師ができることです。

やっていきたいです。

復職したら、すぐにでもやりたいです。

  

「明日をさがす旅」の原本は2017年に発刊され、

訳本が発刊されたのは2019年11月15日です。

シリアで起こっていることは、今現在も起こっていることです。

一刻も早く読ませたい本です。

  

「明日をさがす旅」③ フェンスを作るハンガリー/セントルイス号入国拒否

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

  

シリア人で難民のマフムードと家族は

セルビアまでやってきました。

セルビアから、ハンガリー、オーストリアを経由して

ドイツを目指します。

しかし、ハンガリーに入ることは難しかった。

  

ハンガリーが、国境にフェンスを張りめぐらせていたからだ。

フェンスはまだすっかりできあがっていなくて、夜になると、

ハンガリー兵が国境ぞいの地面に高さ4メートルの金属製の

ポールをつき立て、その間に金網を張る作業をけんめいに行

っていた。金網を張り終わると、別のグループがやってきて、

かみそりの刃のようなものがついたワイヤーのコイルを三段

にとりつける。フェンスをのぼることができないようにする

ためだ。

(306p)  

 

高さといい、念の入ったコイルの設置の仕方を見ると、

難民を受け入れないこと意思がわかります。 

 

この点についても「著者あとがき」で次のように書いています。

  

(難民が)EU(欧州連合)にたどり着いたとしても、難民

を望まない国や、莫大な難民の流入に資金的に対応しきれな

い国では、迫害を受けたり、投獄されたりしました。北上し

ていく中東からの難民をしめ出すためのフェンスを最初に築

いたのはハンガリーです。難民を大歓迎していたオーストリ

アでさえ、2016年にはフェンスの建設を開始しています。

(406~407p)

  

  

あまりに難民が多く、慈善による受け入れオーバーをしてしまい、

問題化しています。

日本人にとって、難民問題は身近ではありません。

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち」は、

生徒だけではなく、大人難民問題に関心を持つ

きっかけになる本だと思います。だからお薦めです。

  

 

ドイツからキューバに逃れようとするユダヤ人のヨーゼフの家族。

キューバからアメリカに逃れようとするイサベルの家族、仲間。

シリアからドイツに逃れようとするマフムードの家族。

時代も場所も違うのに、この3つの話はラストで絡み合います。

新聞記事で「圧巻」と表現していましたが、賛成です。

筋については、明かしません。ぜひ、読んでみてください。

勤務校になかったら、ぜひ買ってほしい本です。

  

「著者あとがき」に、フィクションもとになった話を

一部紹介してくれています。

書き留めます。

  

ヨーゼフもイサベルもマフムードも、架空の人物ですが、彼ら

の物語は、実際にあった事実に基づいて書かれています。

  

セントルイス号は実際にあった船で、1939年に937人の

乗客を乗せて、ナチスが支配するドイツから出航しました。乗

客のほとんど全員が、ナチスの手からのがれようとするユダヤ

人難民で、キューバへの入国を認められるはずでした。キュー

バでずっと暮らそうと思っていた人もいるし、アメリカかカナ

ダが入国を認めるまでの間、一時的にキューバにいようと思っ

ていた人もいました。でも、船がキューバに着いてみると、ユ

ダヤ人たちは上陸を許されなかったのです。理由は政治的なも

のでした。難民たちに入国ビザを発行したキューバの高官は、

当時のキューバ大統領フェデリコ・ブルーに嫌われていました。

ブルー大統領はその高官をこまらせるために、ユダヤ人のビザ

をさかのぼって無効としたのです。ハバナにいたナチスの工作

員も、ユダヤ人を締め出そうとして宣伝活動を行い、キューバ

人が難民たちを嫌うように仕向けていました。ナチスが支配す

るドイツは、ユダヤ人を自国から追放したいと思っていました

が、そればかりではなく、難民たちがほかの国から拒否される

ことも歓迎していました。それがナチスにとって、世界中が、

ドイツのユダヤ人に対するやり方にひそかに賛成している証拠

になると思ったからです。

(394~395p)

  

このセントルイス号のお話は映画化もされています。

「さすらいの航海」(1976年 イギリス)

Wikipedia 「さすらいの航海」

T02000283_0200028311963290464 『シネマ de もんど』 ももじろう2号のブログ

  

「著者あとがき」より引用。

   

セントルイス号のユダヤ人は、キューバに入国できず、

ふたたびヨーロッパに戻ります。

イギリス、フランス、ベルギー、オランダの4国がユダヤ人を

受け入れました。しかし、第2次世界大戦が始まり、

ナチスの手が、再びユダヤ人に迫ります。

  

セントルイス号のユダヤ人難民のうち、イギリスに入国を許可

された人たちは幸運でした。ホロコーストをのがれることがで

きたからです。アメリカのホロコースト記念館の推定によれば、

セントルイス号でヨーロッパ大陸にもどったユダヤ人難民62

0人のうち、254人は、ホロコーストの犠牲になって命を落

としました。

(398p)

つづく

2020年2月11日 (火)

「明日をさがす旅」② シリア市民を襲う各軍/ボートで地中海をわたる

 

今日は令和2年2月11日。

  

昨日の記事の続きで、

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

より、印象に残った文章を引用します。

  

次の日の朝、一家はほかの人たちに出会った。

何十人、何百人もの人たちだ。マフムードの一家と同じように、

シリアにある家を捨て、北にあるトルコをめざして歩いてきた

難民たちだ。安全を求めて、マフムードの一家は、その人たち

の中にまぎれこみ、マフムードが望んでいたように目立たない

存在になった。よろよろ進んでいく難民の群れの中にいれば、

アメリカ軍のドローンも、反乱軍のロケット発射装置も、シリ

ア軍の戦車も、ロシア軍のジェット戦闘機も無視してくれる。

爆発音が聞こえたり煙が見えたりすることもあったが、戦場か

ら出ていく数百人あまりのシリア人にかまう者はいなかった。

(114p) 

各軍の攻撃方法の特徴が示されています。

どの軍も、どの方法も、街に住むシリア人にとっては脅威。

  

  

トルコのイズミールというところから、ゴムボートに乗って、

ギリシアまで行こうとするマフムードたち難民。

ゴムボートはすし詰め状態で出発します。

  

土砂降りの雨と、逆巻く波の間をボートは、進んでいく。すで

に10時間もたったような気がするけど、まだ10分しかたっ

ていないのかもしれない。マフムードにわかるのは、今すぐこ

の状態を終わらせたいと自分が思っていることだ。これはアレ

ッポにいるよりひどい。空襲よりも、銃撃戦よりも、頭上をド

ローンが飛ぶよりも、ひどい。アレッポにいた時は、マフムー

ドは少なくとも走ったり、かくれたりすることができた。ここ

では、自然の言いなりになって、大きな黒い海のただ中で、見

えない黒いゴムボートの中の、見えない茶色の点になっている

しかない。海は、その気になれば、大きな口を開けてマフムー

ドをのみこんでしまうだろう。そうなれば、自分がいなくなっ

たことさえ、広い世界のだれにも知られることはないのだ。

(183p)

  

ぐいぐいとくる文章です。

最後の一文が重い。

「著者あとがき」で、次のように書いています。

 

国連移住機構によれば、2015年には、3770人以上が、

ボートで地中海をわたろうとして命を落としたそうです。

(406p)

  

事実に基づくフィクションです。

2020年2月10日 (月)

「明日をさがす旅」① たる爆弾/アレッポ

今日は令和2年2月10日。

  

この本を読みました。

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明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/さくまゆみこ訳/福音館書店)

  

この本を読みたくなったきっかけは、新聞記事でした。☟

ここでも道草 来年読みたい本9冊(2019年12月31日投稿)

ここに載せた記事を見て内容を知り、興味を持ちました。

  

アラン・グラッツさんの著作は2冊目です。

1冊目について書いた記事はこれ。☟

ここでも道草 「貸出禁止の本をすくえ!」あらすじは内緒(2020年1月26日投稿)

「貸出禁止の本をすくえ!」もお薦めの本でしたが、

「明日をさがす旅」もお薦め本です。

中学生に読むことを勧めたい。

社会科の授業で、予備知識を少しだけ教えながら勧めたい。

  

  

印象に残った文章を引用します。

  

シリア内戦で、政府軍が落とす「たる爆弾」についての記述。

 

飛行機がたる爆弾を落とした時は、壁がないと身を守れない。

たる爆弾には釘(くぎ)や金属くずが無数につまっているから、

守ってくれる壁がないと、体がずたずたになってしまう。

(26p)

  

シリア内戦」(安武塔馬著/あっぷる出版社)、

バナの戦争」(バナ・アベド著/金井真弓訳/飛鳥新社)でも

記述があった「たる爆弾」。

より悪意のある爆弾です。

  

  

シリアのアレッポについての記述です。

  

4年前まで、アレッポは、シリアでいちばん大きくて、いちば

ん繁栄している近代的な都市で、「中東の至宝」とよばれてい

た。マフムードは、ネオンかがやくショッピングセンターや、

きらびやかな高層ビルや、サッカースタジアムや、映画館など

をおぼえている。アレッポには、長い歴史もあった。アレッポ

の中心にある旧市街は11世紀に建設されたが、人々はそれ以

前の8千年前からここに暮らしていた。アレッポはすばらしい

都市で、子ども時代をここで過ごすのは楽しかった。

ところが2011年になると、「アラブの春」がシリアにもや

ってきた。

(26p)

   

 

「まさか」「まさか」の連続で、アレッポの市民は内戦に

巻き込まれてしまったのでしょう。

アレッポのこと、だんだんわかってきたけど、

それでどうする?

  

つづく

 

2020年2月 9日 (日)

「フィンランドの教育」② 不況に陥ったことから、教育改革を進めた

  

今日は令和2年2月9日。

  

前々記事の続きで、

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

(岩竹美加子著/新潮新書)より引用します。

   

(フィンランドの学校では)宿題は、必ずしも毎日ではないが、

少しはあった。春学期は6月初めには終わり、8月中旬までの

長い夏休みが始まる。夏休みの宿題はない。休みは、休むため

のものだから。過剰な勉強を子どもに課す学校文化はない。

(43p)

  

日本は宿題があるのが当たり前になっています。

宿題は必要か?という視点を与えてくれます。

「フィンランドでは夏休みの宿題はないそうだよ」と言いながら、

話し合いができます。

  

1984年に子どもへの体罰が法律で禁止されたが、それまで、

学校でも家庭でも体罰は行われていて、先生が、棒で子どもの

手を叩いたりしていたしかし、その後、大きな変化が起き、現

在も進行中である。国連の子ども権利条約の影響も大きい。日

本は1994年に国連の子ども権利条約の批准はしたが、教育

現場には取り入れられていない。フィンランドは、90年代初

めに不況に陥ったことで危機感を強め、将来のために教育改革

を進めたと言われる。

(47p)

  

国連の「子ども権利条約」を現場には取り入れていないと言われて、

「そんなことはない」と言えません。

条約が目に浮かびません。

ここで全文を読むことができます。☟

外務省HP 「児童の権利に関する条約」全文

前文と54条から成っています。

 

 

不況に陥ったことから、教育改革を進めたとのこと。

これは以前にも聞いたことがあります。

ここでも道草 教育先進国と日本の違い①負担は家庭か国か(2019年11月15日投稿)

☝ この記事の中で、玉川大学大学院田坂広志名誉教授が

次のように言っていることを思い出しました。

  

北欧はご存知のように、最初から国民の教育水準の高さこそが、

国の戦略だと思っているんですね。だからそういう意味では、

国民の中でごく一握りのエリートだけが育てばいいという

考え方はしていないんですね。国民全体が非常に優れた

学力を持つ、人間としての能力を持つことが、この国の未来を開く

と思っています。

   

再読しました。

「学校の『当たり前』をやめた。」に対する異論本

今日は令和2年2月9日。

  

今日(2月9日)朝日新聞朝刊の写真です。

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「学校の『当たり前』をやめてはいけない!」

(諏訪哲二著/現代書館)に注目です。

  

ここでも道草 「学校の『当たり前』をやめた。」その1/教師は今も時代の最先端でありたい(2019年2月10日投稿)

☝ ほぼ1年前に書いた記事です。

 「学校の『当たり前』をやめた。

(工藤勇一著/時事通信社)から文章を引用して、

全部で6本の記事を書きました。

  

この本に異を唱えた本です。

異論を読むことで、自分の考えも深まると考えます。

読みたくなりました。

新聞で目に留まったのも何かの縁。

  

「フィンランドの教育」① いかに学ぶかを学ぶこと・・・

今日は令和2年2月9日。

   

この本を読み終えました。

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フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

(岩竹美加子著/新潮新書)

  

  

引用します。

  

フィンランドの教育を目指すものは、子ども一人ひとりが自分

を発展させ、自分らしく成長していくことである。それは、知

識を習得したり、学力を高めたり、偏差値を上げたりすること

ではない。いかに学ぶかを学ぶこと、創造的、被判定思考を身

につけ、自分自身の考えを持つこと、アクティブで良識ある市

民として成長することである。そうした能力を持つ市民は、国

家や権威を批判、抵抗することもあるだろう。しかし、さまざ

まな議論が行われる事が、民主主義を持続、必要な修正を行い

ながら発展させていく基盤になる。

(7p)

 

日本の教育をひとくくりにしている点が、ムムッと思いますが、

フィンランドが目指している教育が端的にわかる文章です。

    

フィンランドには、さまざまな教育が安価で用意されていて、

いくつになっても学んだり、学び直したりすることができる。

学校に行くことや学習を止めてしまった過去があったとしても、

再び学びたいと思えば、いつでもそれが可能となる教育機関が

ある。9p)

  

大学生の年齢は高い。日本のように、高校卒業後すぐ大学進学、

大学卒業後すぐ正規就職しなければ、人生の落伍者であるかの

ような意識や仕組みはない。フリーターのようなレッテルもな

い。高校卒業後、1年程度、充電の時期にしたり、長期の旅に

出たりする人もいる。

(11p)

  

 

1990年代までのフィンランドでは、保育園は、仕事を持っ

て働く親の子ども行く所と考えられていた。しかし、最近は、

幼児教育の重要性が認識され、親が働いている、いないにかか

わらず、生涯学習の一環とする考え方に変化している。幼児教

育は、早い時期から教育の平等を準備し、孤立や差別を防ぎ、

社会的スキルの発展を助ける。

(29~30p)

  

保育園を生涯学習の始まりとする考えが有力になり、従来のソ

ーシャルケアから、地方自治体による教育へと位置づけが変わ

った。

(30p)

  

  

保育園を生涯学習の始まりと考えるのは、なるほどと思いました。

 

つづく

2020年2月 8日 (土)

梅林園でメジロの観察

今日は令和2年2月8日。

  

2月5日に豊橋市にある梅林園に

奥さんと行ってきました。

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メジロが花の蜜を求めて、せわしく飛び回っていました。

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そんな時、つがいと思われるメジロがいました。

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10分くらいだったか、花の蜜を吸うこともなく、

2羽はさえずり合っていました。

一緒に見ていた大きなカメラを首にぶら下げたおじいさんが、

「こりゃあ珍しいことだ」と言っていました。

「そうなんだ」と思って見ていました。

タブレット端末を持参して、動画で撮ればよかったという

後悔もしていました。

  

何かのはずみで、2羽はもつれ合うようにして飛び立っていって

しまいました。

あれはどういう行動だったのだろう。

最近の写真

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