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2020年2月

2020年2月15日 (土)

パラリンピック〈16〉 「パラアスリート」③ 車いすの背中側にサイコロのような丸印

  

今日は令和2年2月15日。

  

前々記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【車いすバスケ選手 藤澤潔 ふじさわ・きよし】

  

2018年5月19日、20日の両日、東京都調布市にある武

蔵野の森総合スポーツプラザで開催された天皇杯第46回日本

車いすバスケットボール選手権大会。この大会は、国内におけ

る車いすバスケの最高峰の大会であると同時に、今年は二重の

意味で特別な大会だった。

一つは、この年から優勝チームに天皇杯が下賜(かし)される

ことになったこと、もうひとつは会場の武蔵野の森総合スポー

ツプラザが、2020年の東京パラリンピックで車いすバスケ

の試合会場に決定したことである。

(67p)

2 武蔵野森総合スポーツプラザHP

  

  

ハーフタイムにはBリーグ(プロのバスケットリーグ)の「名

古屋ダイヤモンドドルフィンズ」のチアリーダーによるハーフ

タイムショーも披露され、この大会が障がい者のリハビリテー

ションの延長上に位置する特殊な大会ではなく、あくまでも一

般のスポーツ大会と同じ大会であることを象徴しているようだ

った。試合内容も文句なしにそれを裏打ちするレベルであり、

エンターテインメントとしても一級品であることは間違いなか

った。

(68p)

 

車いすバスケは、パラスポーツの中で、

お客を集めることができる種目の一つと言えるようです。

  

  

背番号11番をつけた藤澤は、2階席から見ても、上体も二の

腕も太いのがわかる。車いすバスケの選手には上体ががっしり

した選手が多く、それはおそらく麻痺して動かないか、あるい

は切断してしまった下肢の機能を状態の筋力でカバーするため

にそうなっているのだろうが、藤澤の胸板の厚さは群を抜いて

いる。

(69p)

  

  

シュートが決まって自陣に戻るときの(車いすバスケ選手の)

スピードは、おそらく健常者バスケの比ではないだろう。車い

すマラソンの記録が健常者のマラソンよりもはるかに速い(

世界記録は1時間20分14秒)のと同じ理屈で、スピードに

乗った車いすの動きは猛烈に速い。ディフェンスのスタイルも

独特で、ちょうどタンゴでも踊るように、車いすをその場でく

るくると方向転換させながら敵方の走路を妨害している。

(69p)

  

  

私が本に付箋をたくさん貼ったのは、パラスポーツについて

あまりに知らないためでしょう。

そうか、そうなのか、そうなっているのかなど、随所で思って、

付箋を貼っていました。

次は車いすルールに関する引用です。

  

ダブルドリブルがないこと以外に、健常者のバスケットと大き

な違いはないのかといえば、決定的な違いがあるのだ。それは、

コートの中の車いすを見ればすぐに気がつくことだが、各選手

の車いすの背中側にちょうどサイコロの目のような、白い丸が

打たれた四角い布がぶら下っているのだ。白い丸の数が選手に

よって異なり、ひとつから4つまでの4種類ある。この布は「

持ち点ゼッケン」と呼ばれるもので、その名のとおり各選手の

持ち点を表している。持ち点はクラスまたはポイントと呼ばれ、

その選手の障がいの程度を表している。

ポイントは、1から始まり0.5刻みで4.5までの8クラス。

注意が必要なのは、数字が小さいほうがより障がいが重いとい

うことだ。つまり、1のゼッケンをつけている選手が最も重度

であり、4のゼッケンをつけている選手が最も軽度なのである。

(0.5は表示しない)  

(72p)

 

車いすのルールについては、以前新聞記事を載せました。☟

ここでも道草 パラリンピック〈11〉車いすバスケのルール(2020年1月15日投稿)

4つのクラス分けが、背中にある丸の数で

わかるようになっているのですね。

そのつもりで動画を見てみたい。実行。


YouTube: 【車いすバスケ】2020大阪カップ第1試合ハイライト 日本vsイギリス【あすリートチャンネル】

3 

ちゃんと丸印がついていました。

 

  

つづく

パラリンピック〈15〉 「パラアスリート」② 健常者のテニスに比べて、二手間多い

  

今日は令和2年2月15日。

  

前々記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【車いすテニス選手 三木拓也 みき・たくや】

  

6時45分、味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都

北区)の正門に着く。「味の素」の名前が冠せられているのは

命名権を販売しているからで、ここは日本のトップアスリート

のためのトレーニングセンターである。

パラアスリートが本格的にこの施設を利用できるようになった

のは、2015年にスポーツ庁が新設された後のことだ。以前

は、オリンピックは文科省、パラリンピックは厚労省と管轄が

異なっていたため、パラアスリートの利用は許されていなかっ

た。パラスポーツは”福祉の一環”と考えられていたと言い換え

てもいい。その名残と言うべきか、味の素ナショナルトレセン

はバリアフリー化されていない。正面玄関からして段差があり、

段差解消用のプラスチックのスロープが端のほうに置いてある

だけである。

(31p)

  

Wikipediaを見ると次のように書いてありました。

  

文部科学省や厚生労働省など複数の省庁にまたがるスポーツ行

政の関係機構を一本化するもので、文部科学省のスポーツ・青

少年局を母体に設立された

  

2015年10月1日に発足し、庁官は鈴木大地氏。

  

  

パラスポーツにつきもののクラス分けも車いすテニスの場合は

いたってシンプルで、パラリンピックには男子、女子、クアー

ドの三種目しかない。クアードとは四肢麻痺を意味し、三肢以

上に障がいのある選手のクラス、クアードの場合のみ、ラケッ

トと手をテーピングで固定することが認められている。

(33p)

  

三木が言う。

「車いすテニスの最大の特徴は、サイドステップを踏めない

(正面を向いたまま左右に移動できない)ところにあります。

返球するためには、まず球の飛んでくる位置を予測して、その

方向に車いすを向け、予測した位置まで移動して、再び車いす

の方向を(球が飛んでくるほうへ)変えるという作業が必要に

なります。健常者のテニスに比べて、二手間多い感じですね。」

(33p)

     

三木は自分が納得できる目標をもつと異様なエネルギーを発揮

する人間らしい。

(44p)

   

話は、三木にパラリンピックを勧めた

国枝慎吾さんのことになります。

国枝さんが語っています。

  

なぜ、国枝はプロ宣言をしたのか。いや、しなければならなか

ったのだろうか。プロになる前の国枝は、大学の職員という安

定した地位を手にしていた。テニスでも十分すぎる結果を出し

ており、大学職員というポジションがテニスの邪魔をしていた

とは考えられない。

「毎月給料をもらって出張扱いでトーナメントに参加させても

らっていたわけで、何の不自由もありませんでした。でも、大

学職員としてどんな能力があるかといったら、たいした仕事は

できないわけです。午前中一杯テニス練習をして午後だけ出勤

してきて、しょっちゅう遠征に行ってしまう人間にどれだけの

仕事を任せられるかといったら、なかなか難しいですよね」

テニス・プレーヤーの多くが30代で引退する。25歳の国枝

は、30歳になるまでの5年間をどう過ごすかを考え、悩んだ。

「仮に30歳で引退するとして、その時点で、実質的に新入社

員と変わらない仕事しかできなければ、大学に迷惑をかけてし

まうことになるかもしれません。だったら、思い切ってプロに

転向したほうがいいのではないかと、もちろんプロになれば結

果を出し続けなくてはならないわけで、それができるかどうか

は未知数でしたけれど・・・・」

国枝はパイオニアとしての使命感を強烈にもちながら、一方で

自身の未来像をリアルに考え、悩んだ末にプロ宣言をしていた。

(59~60p) 

  

  

国枝さんの場合は、プロとアマで悩んでいましたが、

パラスポーツと仕事との両立に悩んでいるとも言えます。

この本の中では、その両立について悩んでいるアスリートが出てきます。

またその時に引用します。

  

  

つづく 

日本人の44%は酒に弱い体質

 

今日は令和2年2月15日。

  

2月12日朝日新聞朝刊の記事です。☟

Epson246  

2月2日に放映された「NHKスペシャル 食の起源

第4集 酒」はこの記事の方と同じで、驚きの連続でした。

最も驚いたのは、東アジアには酒に弱い遺伝子を持つ人が多いこと。

番組の写真を載せます。

Rimg2118  

日本人の場合、44%がお酒に弱い体質なのですね。

逆に、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカは弱い体質の人が0%。

こちらも驚きです。

2020年2月14日 (金)

パラリンピック〈14〉 「パラアスリート」① 黙って目をそらすのが思いやり?

今日は令和2年2月14日。

   

「パラリンピック」と名付けてシリーズを始めましたが、

必ずしも書いていることは、

あるいはこれから書くであろうことは、

パラリンピックに関係しないこともあると思いました。

パラスポーツについて書きたいのだと思い、

それならタイトルを「パラスポーツ」にしようかなと考えました。

 

でも、やはり「パラリンピック」で行きます。

パラリンピックがあるから、パラスポーツに関心を持ったので、

そこは正直にタイトルに残そうと思いました。

東京大会までこのシリーズは続けようと思います。

大会が終わったら、シリーズも終わり。

でもパラスポーツへの関心は持ち続け、

書き続けていこうと思います。

  

 

今回、この本を読んで、

「パラスポーツ」のいい勉強ができました。

61iwv0qecl amazon

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

  

再読したいところに貼った付箋の数が100枚ほど。

全部書き写したら大変なことになってしまいます。

図書館で借りた本ですが、いっそ買ったほうがいいのかも。

  

この本では、9人のパラアスリートが紹介されています。

誰の記述なのかわかるように【】で示していきます。

  

【パラ陸上選手 芦田創 あしだ・はじむ】

  

「指を差すんじゃない」(中略)

これは幼いころに親からよく言われた言葉だ。障がい者にあか

らさまな視線を向けてはいけない。黙って目をそらすことこそ

思いやりだ・・・。

私が自然に抱いてしまうこうした感情は、おそらく多くの日本

人に共通するものだろう。だから、パラスポーツはたくさんの

観衆を集めるのが難しいのかもしれない。

芦田は右腕に障がいを抱えながら7m15cmを飛ぶ超人だ。

そんな芦田を「すごい」とは思っても「かわいそうだ」と思う

人は少ないだろう。一方で、7m15cmは、パラの世界では

日本記録かもしれないが、健常者の世界ならインターハイ(高

校総体)でやっと決勝に残れる程度の記録でしかない。

障害者ならば超人、健常者ならば凡人、T47の芦田創は、障

がい者と健常者の境界線上を歩きながら、何を悩み、何を選択

してきたのだろうか。

(9p)

 

この本は、たくさんの問いを発してきます。

「障がいから目をそらすのでいいのか」

「パラスポーツに観衆が集まらないのはなぜか」

「障がいの程度が軽い場合は、どこで勝負すべきなのか」等。

読みながら考えさせられます。

最後の問いである芦田さんが何を悩み、何を選択してきたかは、

取材して書いてありました。

ぜひ、読んでみてください。

  

   

  

 

日めくりより/猫は魚が大好物?

  

今日は令和2年2月14日。

  

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

「猫は魚が大好物」というのは誤解だった?

Epson247   

2日前の日めくりです。

驚きでした。

魚が好物というネコは、実は少数派だった!

知っていましたか?

ネコを飼っているような人ならとっくにご存知なのでしょう。

ネコはこういうものだと先入観で見ている者には、

驚きのことでした。

しかし、教材になるなとも思いました。

江戸時代の食生活がどうだったか、

明治維新から今までにどのように食生活が変わってきたかなど、

ネコの好物を通して学習ができそうです。

  

「お魚くわえたドラ猫、追っかけて」で始まる

「サザエさん」

これは日本らしい景色だったのですね。

社説/「使える核」などない

今日は令和2年2月14日。

  

2月11日朝日新聞朝刊の「社説」が気になりました。

Epson245  

「小型核」の配備が進んでいることを知りました。

核兵器がもたらす惨劇を何度も学習してきた身としては、

非常に危険な話だと思います。

これなら使えると思ってしまうのが人間。

見出しにあるように「使える核」などない

ささやかですが、ここでも叫んでおきたい。

このフレーズが世界中の人の頭の中にインプットされることを願います。

将来、重大な決断をする人の頭の中で、

「『使える核』などない」が浮かび上がってほしいです。

 

「フィンランドの教育」③ ロシアとの国境線がヨーロッパでは一番長い

 

今日は令和2年2月14日。

  

2月9日の記事の続きで、

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか

(岩竹美加子著/新潮新書)より引用します。

  

フィンランドの歴史に関する記述が印象に残りました。

  

フィンランドでは、愛国教育も行われている。最も顕著なもの

の一つは、高校の卒業式後、各地で「英雄墓地」を訪問、花輪

を置くことだろう。フィンランドの国旗の色、ブルーと白の花

輪で、やはりブルーと白の大きなリボンをつけて、捧げられる。

フィンランドには、戦死者を集合的に祀る機関はない。遺体は

それぞれの出身地に送られ、出身地の境界の一角に埋葬された。

各地の主要な教会には、普通の墓地とは別に「英雄墓地」と呼

ばれる一角がある。そこには、大きな石碑が立ち、その近くに

小さなお墓が並んでいる、個性を排して、画一化されたお墓に

は、名前と生年月日、死亡年月日のみが刻まれている。多くは

20代前半の若者だが、中には10代、30代、40代の人も

散見される。卒業式の後、その墓地を表敬訪問するのである。

(148~149p) 

その墓地には、どのような人が埋葬されているのか?

   

 

埋葬されているのは、第2次世界大戦(冬戦争と継続戦争)の

戦死者が主である。冬戦争は、1939年11月から1940

年3月にかけての3カ月半、単独でソ連の侵攻に対して戦った

戦争である。継続戦争は1941年から1944年にナチス・

ドイツの同盟国として戦った戦争である。また、最近まで、あ

まり語られてこなかったが、1944年9月から1945年4

月にドイツ軍との間で戦ったラップランド戦争がある。英雄墓

地には、1918年の内戦で命を落とした人のお墓があるとこ

ろもある。

(149p)

 

フィンランドがナチス・ドイツの同盟国であったことを、今頃

知りました。しかし、1944年4月からはドイツ軍と戦って

います。複雑な国際情勢が予想されます。

調べてみたところ、冬戦争のみならず、継続戦争も対戦国は

ソ連でした。

さらに内戦に注目します。

   

フィンランドは、1809年から1917ねんまで、ロシアの

自治大公国だった。1917年12月の独立後すぐの1918

年1月から5月、白軍と赤軍に分かれて内戦がおきた。ただし、

内戦の死者の場合、埋葬されているのは政府軍である白軍の死

者のみで、共産主義の赤軍の死者のお墓はないことが多い。

赤軍は、政府に対する叛逆者であり、教会の墓地に葬られるこ

となく、打ち捨てるように少し土をかぶせただけのケースも多

々あった。内戦から100年を経た2018年は、内戦に関す

る多くのテレビ番組や催しなどがあった。内戦の記憶は、現在

も多くのわだかまりをかかえる問題である。

(149p)

   

フィンランドは、ロシア帝国が崩壊してソ連になった時に独立。

しかし、内戦状態になってしまったのです。

  

毎年、12月6日の独立記念日が近づくと、テレビ・雑誌が戦

争特集を始める。中心になるのは、冬戦争と継続戦争である。

特に冬戦争は重要だ。内戦は、国を二分した。しかし、冬戦争

はソ連という共通の敵に対して皆の心が一つになったことは、

内戦の苦い記憶を忘れさせてくれる。独立記念日の近くには、

退役軍人が高校など、学校に招かれ、生徒全員がその話を聞く

催しもある。第二次世界大戦時に兵隊だった高齢者から、直接

話を聞く。語られるのは、極寒の冬、小国フィンランドが、大

国ソ連に勇敢に立ち向かって国の独立を守ったという物語であ

る。

(150p)

  

  

フィンランドはNATOに不加入です。

その理由の一つは、隣国ロシアとの関係への配慮であると

著者は書いています。

 

現大統領のサウリ・二ーストは、フィンランドはロシアとの国

境線がヨーロッパで一番長いので、兵役が必要だと言ったこと

がある。

(183p)

 

フィンランドには、1901年に徴集兵から成る軍隊をロシア

によって解散させられた過去がある。軍隊がないのは、国家と

して屈辱的なことだと感じられる。軍隊がなければ、主権国家、

独立国家とは言えないのだ。小国意識も強い。

(184p)

  

  

隣国であるソ連、そしてロシアとの関係が、

フィンランドにとって重要な政策の要因であることが

わかりました。

ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国の位置は、

時には混乱します。しかし、このような歴史を知ると、

フィンランドの位置は揺るぎません。

(社会科教師としては情けないですが)  

Photo 楽天トラベル

2020年2月13日 (木)

20200212報告③ 大川入山登山 こんな雪道を歩けることに感謝

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事のつづきです。

下山の景色を載せていきます。

大川入山は、下山にも時間がかかります。

登りで2時間50分。下山で2時間30分かかりました。

単純に下りのみではなくアップダウンがあること、

疲労でペースが落ちていることが理由でしょう。

  

 

道の半分は泥水でした。☟

Rimg2214   

  

今回、山で出会った人は3人。3人ともアイゼン未使用。

こんな急で凍った坂を、アイゼンなしでよく下れるなあ。☟

Rimg2215  

それでも下りの方が気楽なのでしょう。

雪道をより楽しめました。

「いいなあ、この道」と思ったら、まずは写真を撮ります。

Rimg2217  

撮影した後、「今からこの道を歩くんだよな」「歩けるんだよな」

「贅沢だ~」と思います。

そして実際にサクサク歩きます。

アイゼンをつけているとサクサクって感じになります。

 

この道もよかった。☟

Rimg2218   

  

こんな道なら、登りでも頑張っちゃおう。☟

Rimg2219  

  

この曲がり具合もいい。☟

Rimg2220   

  すがすがしいです。☟

Rimg2221   

  

こんないい道をありがとうです。☟

Rimg2223   

  

この木、部分的に枝が多くて、不思議なシルエットでした。☟

Rimg2225   

  

雲もあったけど、このフレーム内は青空でした。☟

Rimg2226   

  

壊れそうなベンチにザックをそっと置いてみました。☟

Rimg2228

  

駐車場です。

私より後から登った人たちの自動車が増えました。☟

Rimg2234   

  

以上です。歩き切った。

20200212報告② 大川入山登山 2時間50分の使い方

  

今日は令和2年2月13日。

  

前記事の続きです。

  

雪道は続きます。

おそらく例年よりは積雪は少ないと思いますが、

思った以上に雪道を楽しめました。

Rimg2183   

あと1km。☟ ここからが長い。

Rimg2187  

 

あそこまで登れば、視界が広がる。☟

大川入山登山ではおなじみの景色です。

Rimg2188  

  

視界が広がって、これから登るコースが見えます。☟

Rimg2190   

 

登りがきつい時は、100歩数えて顔を上げることをしています。

100歩進めば、景色も変わり、進んだと実感できます。

とにかく100歩までは、小股であろうと歩を進めて、

100で小休止します。その繰り返し。

  

小休止すると、周囲が見えます。

枝が折れて間もない痕を発見しました。☟

Rimg2191  

下をよ~く見たら、折れた枝が落ちていました。☟

(笹に紛れて、よくわからないですよね)

Rimg2192   

開く可能性がほぼなくなってしまった新芽です。☟

Rimg2193   

   

周囲はクマザサ中心となります。☟

Rimg2194   

  

これも大川入山登山のお気に入りの景色。☟

「坂の上の雲」が浮かんでくる景色です。

Rimg2195

   

頂上は近いのですが、なかなかやって来ない。

もう歩くのを止めてもいいかと思ってしまうところ。☟

Rimg2196  

  

最後の最後まできつい登りの大川入山。

Rimg2199  

  

2時間50分かけて、ついにたどり着いた頂上です。☟

Rimg2200  

2時間50分の使い方はいろいろあると思いますが、

頂上に着いた時には、最高の2時間50分の使い方だと

自慢したくなります。

気分がいいです。

登山は、頂上を極めた時と、全て歩き終えた時の

2回の気分よさのために、必死で歩くんだと思えます。

  

2月12日のお昼時、頂上は独り占めでした。

Rimg2211

Rimg2212   

昼食ラインナップです。

Rimg2210   

つづく

20200212報告① 大川入山登山 アイゼン使用

  

今日は令和2年2月13日。

  

復職前にぜひ登りたいと思っていたのが大川入山です。

昨日登ってきました。

  

「報告」と書きましたが、「記録」として写真を並べていきます。

   

国道沿いにある駐車場は、私の車だけでした。

Rimg2157   

  

登山口。☟

Rimg2159   

  

川には氷がはっていました。☟

Rimg2160   

  

序盤の根っこ道。冬。いつもならアイスバーンになっている場所。

今回は雪はまばらにありましたが、氷はまったくなし。☟

Rimg2161

  

今回は雪がないのかな?アイゼンも必要がなかったかな?

Rimg2162   

   

しかし、雪はありました。さすが大川入山。☟

Rimg2163 

 

天気は下り坂と聞いていましたが、

予想外に南アルプスを見ることができました。☟

Rimg2165  

  

登った先に横岳頂上が見えてきました。☟

Rimg2167  

 

横岳頂上。☟ いつ以来でしょう?変わらぬ配置。ホッとします。

Rimg2168   

  

気持ちのいい道。☟

Rimg2170  

 

いい天気でしょ?☟

Rimg2172  

 

壊れかけたベンチ。脚の1本は内側に向いています。☟

Rimg2173  

  

中央アルプスもよく見えました。☟

Rimg2176   

  

アイゼンを履くことにしました。☟

Rimg2179  

 

雪道が続く!☟

Rimg2180_2

  

 

少し低い位置から撮影。☟

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あと2km。ここからが長い。☟

Rimg2182   

  

つづく

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