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2020年2月

2020年2月21日 (金)

パラリンピック〈22〉 「パラアスリート」⑨  道下美里選手と防府読売マラソン

 

今日は令和2年2月21日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラマラソンランナー 道下美里 みちした・みさと】

  

ふたり(道下美里と夫の孝幸)は、孝幸の地元である福岡に新

居を構えることになった。左目でわずかに光を感知できる道下

は、買い物から料理まで、家事の大半をひとりでこなしている。

料理には黒と白、2枚の俎板(まないた)を使う。白っぽい食

材は黒い俎板に、色の濃い食材は白い俎板にのせると食材の輪

郭がはっきりする。その輪郭を頼りに包丁を入れていく。

(176p)

  

この克服の仕方がすごい。

人はどうにかするものなんだと、人間の力を思い知りました。

  

  

ブラインドランナーとはいえ、2時間56分14秒という世界

記録をもつ道下は相当に速い。サブスリー(3時間切り)が夢

と言われる市民ランナーのレベルで道下の高速練習のパートナ

ーを務めるのは難しい。

(179p)

  

道下美里さんは、先日世界記録を更新しました。

ここでも道草 パラリンピック〈13〉 道下美里選手優勝(2020年2月3日投稿)

  

  

長い距離をひとりで走り抜くマラソンは、孤独な競技という印

象が強い。しかし、不空の伴走者と走るブラインドマラソンは、

健常者のマラソンとは質的に異なるスポーツ、つまりチームス

ポーツなのかもしれない。そして、伴走という行為は、想像以

上に高度なスキルが要求されるものなのかもしれない。

(183p)

   

これも新しい視点です。

ブラインドマラソンは、競技中であってもチームスポーツ。

  

  

(チーム道下のキャプテン)樋口(敬洋)によれば、、道下は

2012年の防府読売マラソンへの参加を、最初は断られたの

だという。伴走者つきで走るという前例がなかったため、安全

を保障できないというのが拒否の理由だった。

「僕(樋口)は頭にきて、『そんな大会に出なくていい』と言

ったのですが、道下さんは江口さん(大濠公園ブラインドラン

ナーズクラブメンバー)の伝手(つて)で自ら防府市長に会い

に行って、市長の心を動かしてしまったんです」

以降、防府読売マラソンはブラインドランナーの参加に積極的

になり、いまや女子ブラインドマラソンの日本選手権大会とし

て位置づけられるまでになった。

(191p)

  

昨年の12月の防府読売マラソンを道下選手は走っています。

道下選手と防府読売マラソンとの関係が知れてよかったです。

それと、「防府」をずっと「ぼうふ」と読んでいました。

「ぼうふ」ではなくて「ほうふ」なのですね。

第50回記念 防府読売マラソン大会HPより ☟

5  

「(兼)第20回日本視覚障がい女子マラソン選手権大会」

とあります。

20回?

防府では少なくとも2012年より前は視覚障害の大会は

行っていません。

20回はいろいろな会場での大会の積み重ねと予想されます。

その歴史が知りたい。

ネットで調べた限りでは、

「防府読売マラソン大会(兼)日本視覚障がい女子マラソン

選手権大会」となったのは、

第48回防府マラソンの時までさかのぼれました。

日本視覚障がい女子マラソン選手権大会は第18回です。

第17回以前がいつどこで行われたのかは

今のところ不明です。

  

樋口の長男は広汎性発達障害という病を抱えている。いわゆる自

閉症である。中学3年生で身長は180センチもあるが、樋口と

も幼児なみのコミュニケーションしかとれない。ストレスがかか

ると奇声を発してパニックを起こしてしまうという。

「知的障がい者に対する理解は、身体障がい者に対する理解より

ももっと低いと思います。でも僕は、道下さんの生き方に出会っ 

て、人間、こんなに変われるんだって驚いたんです。だって6,

7年前まで普通の女の子だった彼女が、いまや世界のトップアス

リートなんですよ。そのことが僕自身の希望になっているし、息

子の未来を信じる力にもなっているんです」

樋口は自閉症への理解を広めるため、多忙な歯科医業の傍ら、全

国を飛び回って講演活動を続けている。

(192p)

 

こんな方でした。☟

effect 正真正銘のサポートランナー//〈TEAM 道下〉樋口 敬洋さん    

  

パラリンピック〈21〉 「パラアスリート」⑧ ボッチャの普及について

 

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【ボッチャ選手 江崎駿 えざき・しゅん】その2

  

(駿の父親の)泰秀が言う。

「初めてボッチャって聞いたときは、かわいい名前だなと思っ

たものですが(笑)、いまはパラスポーツのなかでも特別な競

技なのだと思っています。パラアスリートには『俺は障がい者

じゃない』と主張する人が多いし、実際、健常者がかなわない

運動能力の持ち主はたくさんいます。でも、ボッチャはあくま

でも障がい者のスポーツであり、ボッチャの選手はアスリート

ではあるけれど、あくまでも障がい者なのだと思うのです。健

常者に勝とうとするのではなく、障がい者として自分ができる

ことをやろうというのが、ボッチャの世界ではないでしょうか」

多くのパラスポーツは健常者を障がい者向けにアレンジしたも

のだが、ボッチャはそもそも障がい者のためにつくられたスポ

ーツであり、それゆえに高齢者や子どもも参加できる「間口の

広さ」をもっている。それこそが、ボッチャの魅力であり可能

性でもある。

(142~143p)

  

なるほどなるほどです。

  

  

現在、千葉県立東金(とうがね)特別支援学校に勤務している

古賀(稔啓/としひろ)は、日本に初めてボッチャを”輸入”し

た人物である。

(中略)

古賀は1997年に日本ボッチャ協会を設立して理事長に就任

すると、1999年に第1回の日本選手権を開催している。世

界的に見れば、ボッチャはすでに1992年のバルセロナパラ

から正式種目に採用されているが、日本代表が初めてパラリン

ピックへの出場を果たしたのは2008年の北京パラ。古賀が

協会を設立してから、実に11年後のことであった。

(150p)

  

私のブログで、「ボッチャ」が初登場したのは、

2015年の6月でした。(いい機会なので再読します)

ここでも道草 特別支援学校に行ってきました(2015年6月11日投稿)

まだ日本では20年ほどのスポーツです。

しかし、リオパラリンピックでの日本チームの活躍で、

有名になりました。

  

  

奥田(邦晴/大阪府立大学教授)が目指そうとしているボッチ

ャの世界とは、いったいどのようなものだろうか。

「2020年までのショートタイムで言えば、とにかく勝たせ

ることですね。日本代表が金メダルを取ることによってボッチ

ャがメジャーになり、障がい者がリスペクトの目で見られるよ

うになる。しかも、ボッチャは障がい者だけでなく高齢者でも

子どもでもできるスポーツですから、強制社会の実現に貢献で

きる。ボッチャには社会を変えていく力があるんですよ」

ボッチャが誰にでもできるスポーツであり、やってみると面白

いことはすでに体験済みだ。奥田は競技ボッチャではなく誰も

が楽しんでやれるボッチャのことを「i -BOCCIA」と名付

けて、その普及にも取り組んでいる。i には intimate(親しみ

やすい)、inclusion(共に)、interest(面白い)という3

の意味があるという。

(154p)  

  

(ボッチャの)普及活動の中心にいる村上光輝に話を聞いた。

「(中略)いくら競技団体がガツガツ広めようとしたって、楽

しくないスポーツは広まりません。リオパラで日本代表が銀を

取ったことで、たしかにボッチャの名前は広まりましたが、『

重度障がい者のスポーツ』という部分だけが有名になって、実

際にどんなスポーツなのかほとんど浸透しませんでした。私は

ボッチャから『重度障がい者の』という枕詞を外したいのです」

(中略)

「ボッチャは障がい者と健常者が一緒にプレーできる数少ない

スポーツのひとつですから、いずれ世界中からフルオープンで

(障がいの有無に関係なく)選手を招く国際大会を開きたいで

すね」

協会は、こうした大会のひな型である「東京カップ」という大

会を、すでに2017年から準備している。東京カップは障が

いの有無に関係なく参加できる「国内初の本格的インクルーシ

ブ大会」であり、ボッチャ以外のオリ・パラの選手で構成され

るアスリートチームや企業のボッチャ部、そしてボッチャの日

本代表選手で構成される火の玉JAPANなど、多様なチーム

が参加している。現在は国内大会だが、ゆくゆくはこの大会を

国際的なフルオープンの大会にしたいと村上は言うのである。

(155~157p)

  

  

小学校の特別支援学級担任の時には、

学級でボッチャをやりました。

「インクルーシブ」か~。

インクルーシブ教育の一環として、

ボッチャをするのもいいなと思いました。

これは比較的たやすく実行に移せます。

私はその視点でボッチャと関わりたくなりました。

 

  

そういえば、まだボッチャのデザインの

Tシャツは手に入っていません。☟

ここでも道草 ボッチャのTシャツは手に入ったかい?(2016年9月24日投稿)

小説「熱源」が読みたくなりました

今日は令和2年2月21日。

  

2月17日の朝日新聞朝刊の「天声人語」は

書き留めておきたいと思いました。

  

「豪州の日」と呼ばれる記念日がある。1788年1月26日

に英国の船団が上陸したことを祝う。豪州国民の休日だ。しか

しそれは先住民からすれば「侵略の日」に他ならない。祝賀行

事をやめる自治体が出ていると、先日の紙面にあった▼ある市

長からは「先住民の追放、言語や文化の破壊の始まりだった」

との発言もあったという。どこに視点を置くかにより、歴史は

その像をがらりと変える。直木賞に選ばれた歴史小説『熱源』

は、明治以降の近代化をアイヌ民族の目から描いている▼樺太

から北海道の石狩川沿いに集団移住させられた主人公の少年は、

学校で「文明人たれ」と教えられた。アイヌ民族を未開人扱い

することと同義である。そんな和人の国は列強から野蛮人扱い

されないよう、富国強兵へともがいていた▼文明とは何か。ア

イヌ集落の長に作者はこう語らせる。「馬鹿で弱い奴は死んじ

まうっていう、思い込みだろうな」。その帰結として、日露戦

争そして第2次大戦の戦場がある▼北海道と樺太を軸に、東京、

ロシア、南極にまで小説の舞台は及ぶ。作者の川越宗一さんは、

旅行で訪れた北海道で歴史に触れ、いちから調べたという。読

んでいて、登場人物たちと同じ時代を生きているような気持ち

になる▼他者の目で歴史を見る。そのことに私たちは慣れてい

ない。だからこそ文学の力が、大きな助けになる。「日本は一

つの民族が続いている」などと口走っていた政治家は、手にと

ってみただろうか。

   

  

「北海道」「石狩川」「集団移住」という用語が、

私の好奇心のアンテナにピピッと来ました。

『熱源』の著者は、北海道の旅行がきっかけで

この本を書いたという点も注目です。

そのきかっけについて、次のサイトで著者が語っています。

小説丸 川越宗一さん『熱源』

  

九州にルーツを持ち大阪で生まれ育った著者が、北海道の先住

民族たちの物語を書くことになったきっかけは、夫婦旅行だっ

た。妻のリクエストで二〇一五年夏に北海道へと足を運んだと

ころ、知られざる歴史と出合った。「たまたま室蘭から足を延

ばして、白老町のアイヌ民族博物館へ立ち寄ったんです。そこ

に、ブロニスワフ・ピウスツキという人物の銅像があったんで

すよ。説明書きには、一九世紀末から二〇世紀前半にかけて活

躍したポーランド人の民族学者で、アイヌを研究していたと記

されていました。彼はわざわざ地球を約半周してきて、北海道

の少数民族研究の先駆者になった。その歴史的事実に不思議さ

というか違和感を覚え、ピウスツキについて調べ始めたんです。

その過程で樺太出身のアイヌ、いわゆる〝樺太アイヌ〟であり、

日本初の南極探検隊に参加した山辺安之助という人物の存在を

知りました。ピウスツキと山辺安之助が出会い、二つの人生が

交差したポイントを軸に、物語を生み出せないだろうかという

構想が生まれたんです」

  

 

違和感から始まった小説でした。

ワクワクします。

小説によって、隠れていたものが表に出てきたのです。

これぞ歴史小説。

読んでみたくなりました。

  

もうじき復職で、あわただしくなると思いますが、

読書は続けたいなあ。

読んだっていいですよね。

2020年2月18日 (火)

大熊町の勉強「おおくま通信」「大熊食堂」

 

今日は令和2年2月18日。

  

福島県大熊町では「おおくま通信」が発行されています。

毎月発行されているのかな。

ネット上では昨年の10月号を見ることができます。

大熊町復興通信 おおくま通信

震災の前の町の様子から始まり、震災による被害の様子、

そして現在までの町の様子がコンパクトにまとめられています。

その中から少々引用。

 

16

  

18_2

  

4  

9年が経とうとしています。

揺れ動く町民の皆さんの気持ちが伝わってきます。

  

  

☟ こういう新たな動きについても、

大熊町に行ったのなら知りたいなと思います。

17

  

  

   

大熊食堂について知りました。

相双ビューロー 【大熊町】大熊食堂(どなたでも利用できます)

一部引用します。

  

一時帰宅した住民の方が利用できるようにと

昨年(2017年)から営業が始まった「大熊食堂」。

  

なるほどです。

「どなたでも利用できます」の言葉に甘えて、

ここで食べてみたいです。

カツカレーはなかなかのボリュームです。

写真を転載します。☟

20180621ookumasyokudou016

2020年2月17日 (月)

パラリンピック〈20〉 「パラアスリート」⑦ 筋ジストロフィーの進行と練習

  

今日は令和2年2月17日。

  

前記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

   

【ボッチャ選手 江崎駿 えざき・しゅん】

  

ボッチャに参加する選手の中心は脳性麻痺者であり、CPIS

RA(国際脳性麻痺者スポーツ・レクリエーション協会)は、

最重度のクラス1から最軽度のクラス8まで、8つのクラスに

分けている。そして、ボッチャの国際大会に参加できるのは、

CPISRAのクラス分けにおいて最重度のクラス1と2の選

手、もしくは脳性麻痺者ではないがクラス1、2と同等の重度

障がいをもつ選手に限られる。そもそもボッチャとは、重度障

がい者のためにポルトガルで考案された競技であり、国際大会

に参加できるのは基本的に重度障がい者だけなのだ(日本は独

自にオープンクラスを設けており、軽度の障がい者も参加でき

る)。

(130p)

  

こういうボッチャの基礎的なことが勉強できました。

  

  

私は筋ジストロフィーという病気の名前を知っていたが、正直

にいって、症状についてはまったく無知だった。(江崎駿の)

父親の泰秀が言う。

「筋ジストロフィーは進行性の筋疾患で、徐々に筋肉が衰えて

いく病気です。成長期は筋肉をつくるスピードのほうが衰える

スピードより速いので、駿も小5までは普通に歩けましたが、

小6から車いすになりました」

(132~133p)

  

  

駿はジレンマを抱えていると書いたが、それは、ボッチャのト

レーニングを積むことが筋肉の破壊につながりかねないという

ジレンマである。大ざっぱな言い方を許してもらえば、筋ジス

トロフィー患者の筋肉は壊れやすく再生しにくい。筋肉を酷使

するトレーニングを積めば、筋肉が破壊されるスピードを加速

させてしまう危険性があるのだ。

(133p)

  

 

泰秀が言う。

「健常者の場合、激しい練習によって筋肉の破壊と再生を繰り

返すことで筋力が増していくわけですが、駿の場合、筋肉をい

ったん壊してしまうと再生してこないので、筋力を高めること

ができません。ですから、なるべく筋力が落ちるスピードを遅

めるようにしながら、技術を磨いていくしかないのです」

(134p)

   

  

筋ジストロフィーの進行とボッチャの練習との事情には驚きでした。

こういうことを知ると関心が高まり、観戦したと思います。

  

(駿の発言)

「ボッチャを始めたことで、先輩ができて、仲間ができて、全

国大会とかに出ると県外の人とも知り合いになれて、とても楽

しいです。昔は病気のことが気になっていましたけれど、いま

は障がいがあってもやり方次第でいろいろなことができること

がわかってきたので、あまり気にならなくなってきました」

(中略)

「僕はスポーツなんてできないと思っていたのですが、ボッチ

ャと出会って、工夫さえすれば自分にもできるスポーツがある

ことを知りました。最近は失敗をして少し後ろ向きになっても、

失敗の原因を知って解決しようと思えるようになってきました」

障がい者スポーツのもつ力を思い知らされる言葉の数々だった。

(140p)

  

私も思い知らされました。

  

つづく

パラリンピック〈19〉 「パラアスリート」⑥ 社会が障害をつくり出している

今日は令和2年2月17日。

  

昨日の記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【パラスイマー 一ノ瀬メイ いちのせ・めい】

  

(幼いころの一ノ瀬を知る)猪飼(聡)が言う。

「オリンピック選手の発掘がピラミッド型だとすれば、パラは

タワー型なんです。オリンピックの世界は、言葉は悪いですが、

放って置いても選手がわいてきます。そして、競争を勝ち抜い

てピラミッドの頂点に立った選手がオリンピックに出場する。

でも、パラの場合は個別にコーチがついてひとりひとり育て上

げなければなりません。パラの選手は勝手にわいてこないので

す。」

どういうことか。

「同じように片腕がない子をたくさん集めて、競争させること

はできないでしょう」

つまり、パラの世界では選手の発掘を競争原理にゆだねること

ができないのだ。

(中略)

パラの指導者や関係者と偶然に出会わない限りパラアスリート

が育ってくる環境がないのだとすれば、東京パラリンピックは

そうした環境を変える最後のチャンスかもしれない。

(110~111p)

   

東京パラリンピックを見て、どのような種目があるかが

世に知れわたることによって、

多くの障がい者がパラスポーツに取り組み、

裾野が広がってくれたらと思います。

大会が行われるようになれば、パラの指導者や関係者と

出会う可能性も増えるというものです。

  

  

2017ジャパンパラ水泳競技会。9月2日から3日にかけて

東京辰巳国際水泳場で開催されたこの大会に一ノ瀬メイが出場

するというので、観戦に行ったのだ。固定席のみで約4000

席あるスタンドは、3分の1ほど埋っていただろうか。プール

の両サイドにライフセーバーがひとりずつ立って、選手たちの

泳ぎに合わせて移動していく。万一の事態に備えているのだ。

誤解を恐れずに書くが、会場内は”多様な身体”によって溢れて

いた。片腕のない人、両腕のない人、片脚のない人、両脚のな

い人、足や手が途中で切断されている人、ブラインドの人、聾

唖の人、そして知的障がいをもつ人・・・・。

正直なところ、目のやり場に困った。どのような態度を取れば

いいのか戸惑った。同行した編集者が呟いた。

「ビールを飲みながら観戦する雰囲気ではないですね」

リオとロンドンのパラリンピック会場では、ビール片手に歓声

を送る観客が多かったのだが、慣れないからなのか、日本人だ

からなのか、神妙に観戦しなければならないという意識に囚わ

れて、心も体もぎこちなくなってしまう。

(114~115p)  

  

東京パラリンピックでの観客がどのように応援するかは注目です。

オリンピックのように、ビール片手に歓声を送れた方がいいですよね。

日本人は、もっと障がいに慣れなくてはいけないのだろう。

ふだんから見慣れていて、一緒に過ごし、障がいに目がいくのではなく、

その人全体を見るようにしていかないといけないのでしょう。

  

  

メイさんのお母さんトシ美さんの言葉を引用します。

 

「私はイギリスで、障がいにおもにふたつのモデルがあること

を知りました。個人モデルと社会モデルです。個人モデルはそ

の人の障害の問題を個人的な能力の問題だとする考え方です。

(中略)社会モデルは、イギリスではよく知られるようになっ

てきた考え方で、障害を生むのは個人の機能的な問題ではなく、

社会が障害をつくり出しているのだという考え方です」

(120p)

  

難しい内容です。

一ノ瀬メイさんは小学生の時に次のような体験をしている。

右腕のないメイさんは、本格的な競泳の練習を始めようと、

スイミングスクールへの参加を申し込みました。

メイさんは、片腕がなくても、自分のことは自分でできるし、

他の子と同じように泳ぐことができるのに、

門前払いを食らわせられます。

 

十分に泳ぐ能力のある自分が、そのスイミングスクール(社会)

によって障がい者にされたのだ・・

(120p)

 

 

難しいですが、もう少しトシ美さんの話を引用します。

  

「個人モデルはメディカルモデルともいうんですが、障がいを

医療の対象と考える。悪いのは障がいをもっている人であり、

悪い部分を治せばいいと。一方の社会モデルは障がい者本人に

原因を求めず、本人はそのままでOK。その人が障がい者であ

るのは社会に問題があるからであって、社会が変われば障がい

者ではなくなると考えるんです。」

(121p)

 

「大切なのは、健常者と障がい者の混じり具合だと思いますよ。

日本の障がい者はマージナル(周辺的)な存在ですが、他の国

では一緒に生きている感じがします。障がい者を特別な目で見

ない。日本は特別支援学校をつくって分けてしまったでしょう。

(後略)」

(122p)   

  

  

日本の教育は、ある程度の教育水準にまで全員を高めようとします。

それも一斉授業の形式で行うのが主流です。

そこで「社会」が出てきて、その教育に知的に、あるいは身体的に

ついていけない子どもを障がい者としてくくり、

特別支援学校や特別支援学級が生まれました。

  

「日本の学校はみんなに同じことをさせようとして、個別性に

対応しませんね。第二次産業が中心の時代は誰もが同じである

ことに意味があったかもしれませんが、多様性尊重原則が大切

なこの時代に、日本の教育は産業分野ばかりでなく、障がいの

分野にも影を落としているのです。」

(123p)

  

  

パラリンピックが東京で行われることで、

障がい者について考えるいい機会になると思います。

特別支援学級の担任が目指すことは、

目の前にいる生徒たちが、社会に入っていけるように

手助けしてあげることと、

生徒たちが入っていきやすい社会を作っていくことだと思います。

それをまずは学校レベルで行う。

 


もう教育は多様性尊重の時代になってきたのです。

新しい教育に変わっていかなくては。

2020年2月16日 (日)

パラリンピック〈18〉 「パラアスリート」⑤ 北九州チャンピオンズカップ

  

今日は令和2年2月16日。

  

昨日の記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【車いすバスケ選手 藤澤潔 ふじさわ・きよし】その3

  

2002年、藤澤は決定的な体験をしている。例によって母親

の発案で観戦に行った「北九州ゴールドカップ」(第8回世界

車いすバスケットボール選手権大会)で、イギリスのローポイ

ンター、ジョン・ボロックのプレーを生で見たのである。

「ポロックのポイントは2.5なので僕よりちょっと状態がい

いぐらいですが、3ポイントシューターで、強気にバンバンビ

ッグショットを打ちながらチームを引っ張っていくんです。す

ごいなと思いました。僕も世界レベルの選手になりたいと憧れ

をもちました」

(92~93p)

  

 

北九州ゴールドカップは、北九州市が「バリアフリーなまちづ

くり」と「市民による手作りの大会」を標榜し、市を挙げて取

り組んだ大会だった。数百人の市民ボランティアが大会を支え、

10日間の会期中の観客動員数は実に8万人超。この大会の成

功を記念して、翌2003年から「北九州チャンピオンズカッ

プ」が毎年開催されることになったのである。レガシーとはま

さに、こうしたことを言うのだろう。

(93p)

  

  

Wikipedia 北九州チャンピオンズカップ国際車椅子バスケットボール大会

☝ ここには次のように書いてありました。

  

当初は国代表チーム戦であったが、2006年(平成18年)の

第4回大会よりクラブチームチャンピオン世界一決定戦となっている。

  

そして昨年の大会では、日本チームが優勝しました。☟

北九州チャンピオンズカップ国際車いすバスケットボール大会HP

11   

  

2018年7月1日、日本車いすバスケットボール連盟は、同

連盟が主催するすべての大会において、健常者の参加を認める

ことを議決した。

すでに国内には、健常者を主体とした車いすバスケの大学リー

グがあるし、各地のクラブチームで障がい者と一緒に練習に励

んでいる健常者も多い。今回の決定は、そうした健常者プレー

ヤーに大会参加の道を開いたことになる。背景には障がい者も

分け隔てなく車いすバスケットボールという競技に参加するこ

とを通じて、共生社会の実現に貢献するという連盟の考え方が

ある。

「連盟に登録している選手の数は、最盛期に1200人を数え

ましたが、いまは700人まで減ってきている状況です。地域

によっては持ち点の関係で14.0点のチームが構成できない

ケースも出てきていますが、今後健常者の参加が増えていけば、

こうしたチームも共生社会の実現に向けて大会に参加できると

いうことも見えてきます。今年度はすでに、60名の健常者の

方が選手登録をしています」

選手が減少している理由としては、交通事故や作業中の事故が

減少していること、医療制度改革によって長期のリハビリを受

けることなく病院を出されてしまう障がい者が増えたことなど

が考えられるという。かつては長期間にわたってリハビリを受

けるうちに、さまざまなパラスポーツに誘われ体験する機会が

あったが、この情報過多の時代に、むしろパラスポーツとの接

触機会は減っているというのである。

(100~101p)

    

連盟の新たな規定で、健常者は最軽度の障がい者と同じ4.5

ポイントをもつことになった。試合に健常者が出場することが

車いすバスケの世界にどのような影響をもたらすのかは未知数

だが、藤澤がK9のメンバーになったときに感じた、「障がい

者同士の戦いだからこそ、言い訳できない」という感覚は、果

たして保たれていくだろうか。

(101p)

  

健常者が酸化することになった車いすバスケの未来は?

著者はまた難しい問いを発してきました。

  

つづく

昨日から読んでいる本「白村江」

  

今日は令和2年2月16日。

  

2月の後半戦。いろいろな予定が入っています。

復職プログラムによる復帰は、当初12日からでしたが、

25日(火)となりました。

その週は、2時間勤務で、心身ともに慣らし運転です。

福島県や京都府に行く予定です。

小さな登山も誘ってくれたので行きます。

休職中は家の中にいることが多かったのですが、

外出が多くなります。

休んでから体重が4キロも重くなってしまいました。

復職したら、少しは減ってくれるのかな。

 

  

さて読書の話。

2月8日朝日新聞朝刊の記事です。

Epson247  

3冊の本が紹介されています。

どの本も面白そうです。

でも1つに決めて読もうと思い、「白村江」(荒山徹著/

PHP研究所)を選び読み始めました。

教科書でほんの数行で表わされている「白村江の戦い」が

443pで表現されています。楽しみです。

2020年2月15日 (土)

昨日から聴いている生活のBGM/大河ドラマ「太平記」再放送

  

今日は令和2年2月15日。

  

昨日まで生活のBGMは

スピッツのアルバム「見っけ」でした。

8amazon  

その後を受けて生活のBGMにしたのは、

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の

オリジナルサウンドトラック後編」です。

9 amazon

元気が出る大河ドラマでした。

 

うれしい情報が入りました。

1991年の大河ドラマ「太平記」が、

4月から再放送されるのです。

毎週日曜日に初回から最終回まで。

詳しくはここを見てください。☟

NHKHP 再放送情報 大河ドラマアンコール「太平記」

10

  

私は1991年6月2日に放映された第22話「鎌倉炎上」だけ

ビデオテープに録画して持っています。

鎌倉幕府の滅亡を教える時には、使ってきた映像です。

鬼気迫る片岡鶴太郎さん演じる北条高時は素晴らしかったです。

その22話をBD-Rで録画できるだけでもうれしいのに、

全話録画できてしまうチャンスです。

教材になりますよ、同業者の皆さん。

  

  

ちなみに「いだてん」も全話再放送されるそうです。

NHKHP 再放送情報 「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」全47回を一挙放送! BSプレミアム・BS4K同時放送が決定!

こちらは全話録画してあるので、スルーです。

 

パラリンピック〈17〉 「パラアスリート」④ ローポインターとハイポインターの組み合わせ

 

今日は令和2年2月15日。

  

前々記事に続いて

パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)

より引用します。

  

【車いすバスケ選手 藤澤潔 ふじさわ・きよし】その2

   

(車いすバスケでは)得点力の高いハイポインターばかりを集

めても、ハイポインターだけで試合をすることはできなのだ。

裏返して言えば、どれだけ優れたローポインターを揃えること

ができるかがチームの実力を大きく左右することになる。

藤澤潔のポイントは、2.0。つまり彼はローポインターであ

、しかも日本を代表するローポインターのひとりなのである。

(75p)

   

宮城MAXの藤本とEXCUSEの香西は、車いすバスケ界で

は知らない人のいないスーパスターであった。リオの日本代表

チームの二枚看板であり、ドイツのプロリーグでも活躍してい

るという。無知を恥じるしかないが、それにしてもこのふたり

のプレーには、障がい者という言葉を完全に忘れさせてしまう

ものがあった。

(76p)

  

すぐに動画で見たくなります。どんな人だろう?


YouTube: 【公式】PARA☆DO!<#79藤本怜央選手>

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後日、品川区東八潮(ひがしやしお)の船の科学館の隣にオー

プンした日本財団パラアリーナに、藤澤を訪ねることにした。

このパラアリーナはパラスポーツ専用の体育館であり、完全な

バリアフリー構造になっている。

(77p)

  

日本財団パラアリーナHPより写真を掲載します。☟

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このような施設があることを、知ることができました。

  

  

ローポインターがハイポインターの動きを封じることには、1

対1以上の価値があるということになる。藤澤は言う。

「ローポインターがハイポインターに対して絶対的に不利にな

るのは、ゴール下だけです。ゴール下ではビッグマンのハイポ

インターの高さには、絶対に届かない。でも、ゴール下以外で

はローポインターがハイポインターを止めることもできるし、

敵のハイポインターを引きつけて味方のハイポインターにシュ

ートを打つスペースをつくってやることもできるのです」

(80p)

  

さらに藤澤には、一般的なローポインターにはない武器がある。

それは精度の高い3ポイントシュート(3点シュート)が打て

ることである。一般的なローポインターの最も重要な役割は、

味方のハイポインターがシュートを打ちやすい状況をつくり出

すことだが、自らシュートを決める力をもっている藤澤は、相

手チームにとってこの上ない脅威となる。

(81p)

  

私は、得点力の高いハイポインターにとって、ローポインター

という存在は、本音では「足手まとい」であり、一方、ローポ

インターにとってハイポインターとは「障がいが軽いから得点

できるだけ」の存在ではないかと勘繰(かんぐ)っていた。し

かし、両者のあいだにはリスペクトが存在していると藤澤は言

うのだ。

(81p) 

  

  

ここに引用した文章以外にも、じっくりローポインター、

ハイポインターの説明はしてあって、驚きでした。

障がいの重い選手と軽い選手を組み合わせることで、

車いすバスケはとっても面白いスポーツになっていました。

 

  

まだつづく。

286pの本ですが、まだ81p。

気長に引用していきます。

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