パラリンピック〈15〉 「パラアスリート」② 健常者のテニスに比べて、二手間多い
今日は令和2年2月15日。
前々記事に続いて
「パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)
より引用します。
【車いすテニス選手 三木拓也 みき・たくや】
6時45分、味の素ナショナルトレーニングセンター(東京都
北区)の正門に着く。「味の素」の名前が冠せられているのは
命名権を販売しているからで、ここは日本のトップアスリート
のためのトレーニングセンターである。
パラアスリートが本格的にこの施設を利用できるようになった
のは、2015年にスポーツ庁が新設された後のことだ。以前
は、オリンピックは文科省、パラリンピックは厚労省と管轄が
異なっていたため、パラアスリートの利用は許されていなかっ
た。パラスポーツは”福祉の一環”と考えられていたと言い換え
てもいい。その名残と言うべきか、味の素ナショナルトレセン
はバリアフリー化されていない。正面玄関からして段差があり、
段差解消用のプラスチックのスロープが端のほうに置いてある
だけである。
(31p)
Wikipediaを見ると次のように書いてありました。
文部科学省や厚生労働省など複数の省庁にまたがるスポーツ行
政の関係機構を一本化するもので、文部科学省のスポーツ・青
2015年10月1日に発足し、庁官は鈴木大地氏。
パラスポーツにつきもののクラス分けも車いすテニスの場合は
いたってシンプルで、パラリンピックには男子、女子、クアー
ドの三種目しかない。クアードとは四肢麻痺を意味し、三肢以
上に障がいのある選手のクラス、クアードの場合のみ、ラケッ
トと手をテーピングで固定することが認められている。
(33p)
三木が言う。
「車いすテニスの最大の特徴は、サイドステップを踏めない
(正面を向いたまま左右に移動できない)ところにあります。
返球するためには、まず球の飛んでくる位置を予測して、その
方向に車いすを向け、予測した位置まで移動して、再び車いす
の方向を(球が飛んでくるほうへ)変えるという作業が必要に
なります。健常者のテニスに比べて、二手間多い感じですね。」
(33p)
三木は自分が納得できる目標をもつと異様なエネルギーを発揮
する人間らしい。
(44p)
話は、三木にパラリンピックを勧めた
国枝慎吾さんのことになります。
国枝さんが語っています。
なぜ、国枝はプロ宣言をしたのか。いや、しなければならなか
ったのだろうか。プロになる前の国枝は、大学の職員という安
定した地位を手にしていた。テニスでも十分すぎる結果を出し
ており、大学職員というポジションがテニスの邪魔をしていた
とは考えられない。
「毎月給料をもらって出張扱いでトーナメントに参加させても
らっていたわけで、何の不自由もありませんでした。でも、大
学職員としてどんな能力があるかといったら、たいした仕事は
できないわけです。午前中一杯テニス練習をして午後だけ出勤
してきて、しょっちゅう遠征に行ってしまう人間にどれだけの
仕事を任せられるかといったら、なかなか難しいですよね」
テニス・プレーヤーの多くが30代で引退する。25歳の国枝
は、30歳になるまでの5年間をどう過ごすかを考え、悩んだ。
「仮に30歳で引退するとして、その時点で、実質的に新入社
員と変わらない仕事しかできなければ、大学に迷惑をかけてし
まうことになるかもしれません。だったら、思い切ってプロに
転向したほうがいいのではないかと、もちろんプロになれば結
果を出し続けなくてはならないわけで、それができるかどうか
は未知数でしたけれど・・・・」
国枝はパイオニアとしての使命感を強烈にもちながら、一方で
自身の未来像をリアルに考え、悩んだ末にプロ宣言をしていた。
(59~60p)
国枝さんの場合は、プロとアマで悩んでいましたが、
パラスポーツと仕事との両立に悩んでいるとも言えます。
この本の中では、その両立について悩んでいるアスリートが出てきます。
またその時に引用します。
つづく
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