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2020年1月

2020年1月26日 (日)

「貸出禁止の本をすくえ!」あらすじは内緒

今日は令和2年1月26日。

   

昨日は浜松市に行って、

大学時代のメンバーとの飲み会に参加。

休職している私の身体を心配してくれていました。

ありがたいことです。

見かけは「なんで休んでいるの?」と

いぶかしがられるほど自然とニコニコできています。

私のブログにも日々目を通してくれていて、

これまたありがたいことです。

読んでくれている人がいることは、

励みになります。 

 

今朝も、読み終えた本のことを書こうと思います。

昨日の飲み会の後、浜松からの帰りの電車の中で

読み終えることができました。

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「貸出禁止の本をすくえ!」(アラン・グラビッツ著/

ないとうふみこ訳/ほるぷ出版)

  

主人公の名前はエイミー・アン・オリンジャー。

女の子です。

この女の子に事件が起こります。

図書館にあったお気に入りの本を今日も

借りたいと思って出かけたら、本棚から消えていました。

お気に入りの本の名前は「クローディアの秘密」

その理由を図書館員のジョーンズさんに聞いたら、

「あの本は、棚からはずさなきゃならなかったの」

「なぜかというと、保護者が何人かで話し合いをして、

あの本が小学校の図書館にふさわしくないという結論を出し、

教育委員会もそれに同意したからなの」

(9p)

という答え。これがお話の始まり。

ここからどのようなお話になるかは、内緒にしておきたいです。

なぜなら、予想を上回る面白い展開になるからです。

これから読む人は、その展開を楽しんでほしいのです。

 

したがって引用も、あらすじがわからない部分のみにします。

  

 

うそみたい。頭で考えていたことを口に出していって、そのせ

いでみんなが動くなんて、はじめてだ。少し胸がどきどきする。

まるでジェットコースターでレールをのぼっていって、てっぺ

んから下を見おろす、あの瞬間の気持ちみたい。

(32p)

  

思っていることを口にしないで

我慢することが多かった主人公が、

この時は口にしました。

そしたら、家族が動き出しました。

主人公の変化が始まった時です。

何と言ったのかは内緒です。

  

   

なんで「   ※内緒    」なんか始めちゃったんだろう

と思った。こんなふうによびだされたりしないよう、これまで

はずっとおとなしくして、なにもしないできたのに。自分の考

えをはっきりいったり、やったりする人ほど、めんどうなこと

に巻き込まれるんだから。

(114p)

何を始めたのかは内緒。114pの時点では、

自分のやったことを後悔しています。

  

   

ラストの文章。

  

スペンサーさんは、私の大好きな『クローディアの秘密」を貸

出禁止にしたとき、あの本が子どもいうそつきや、ぬすみや、

大人への反抗のしかたをおしえるから、といっていたし、たし

かにわたしは、その三つをぜんぶやらかした。でも、本でおそ

わったからやったんじゃない。本を貸出禁止にされたから、う

そをついたり、ぬすんだり、大人にさからったりしたんだ。そ

う考えるとすごくおかしくて、パパとママにもそのことを話し

たくなった。

だから、話したんだ。

(326p)

  

どんなお話なんだと興味をもった方は読んでみてください。

小学校中学年以上なら読めてしまう本です。

登場人物は小学四年生だったと思います。

子どもたちにもお薦めの本です。

  

「訳者あとがき」からの引用です。

 

作者のアラン・グラッツは、1972年、アメリカのテネシー

州で生まれました。2006年に『サムライ・ショートストッ

プ』(未訳)でデビューしたあと、第二次世界大戦を題材にし

た歴史物や、19世紀アメリカを舞台にした歴史改編ファンタ

ジーなど様々な作品を書いています。昔から日本に関心があっ

て、広島カープのファンだというグラッツさん。邦訳は今作が

初めてですが、これからも注目の作家です。

             2019年6月 ないとうふみこ

(331p)

  アラン・グラッツさんの次に読む本は決めています。

 

明日をさがす旅 故郷を追われた子どもたち

(アラン・グラッツ作/福音館書店)です。

図書館に入らないかなと期待しています。

※参考:ここでも道草 来年読みたい本9冊(2019年12月31日投稿)

 

2020年1月25日 (土)

「山海記」④ こんな終わり方をする小説があるんだ

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

次は「長殿」です、というアナウンスに続いて、十津川村の歴

史にひじょうに古く、とふたたび女声の説明が流れた。伝説に

拠りますと、神武天皇御東制の際に、道案内に立った八咫烏(

やたがらす)が祖先ともいわれています。672年の壬申の乱

の折には、天武天皇の吉野御軍(みいくさ)に参加し、戦功に

よって租税を免除されたといわれ、これは明治の地租改正まで

続き、これだけの長期にわたる御赦免地であることは全国でも

珍しいことです。

(151p)

   

何度も書いてしまいますが、これは小説ですが、

このような社会科の勉強がたっぷりできる内容です。

  

  

最後に、明治二十二年の十津川豪雨災害によって、

北海道移住を決断した人たちが交わした

移民誓約書を引用します。

 

そこには、集団移住した者たちが交わした誓いの冒頭部が記さ

れてあり、それに続く七箇条の誓約条目を資料で見ると、移住

住民ハ故郷ヲ去リ骨肉ヲ別レ遠ク絶海ニ移住スル上ハ、と始ま

る第一条(原文は條)には、以下現代語に意訳すると、頼れる

者は移住者同士だけなのだから、これまでにも増して一致団結

すること、とある。第二条には、移住住民は、移住・開墾の費

用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千

坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはならないこ

と。第三条には、恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、

新十津川村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを

各自に分割して消費すべきものではないこと。第四条には、質

素倹約に努めることとして、具体的には、不急のものは購入し

ない、家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さな

い、家族以外に二人以上加わる会席・酒宴に行ってはならない

(ただし、新村の記念日大祭祝日はその限りではない)、村内

に飲食店を開いてはならない、衣服はなるべく木綿のものを着

ること。第五条には、学校を興して教育を盛んにし、児童を就

学させることを怠ってはならないこと。第六条には、各自が礼

節を厚くして、いやしくも風儀を乱し世間の笑いを受けるよう

なことがないようにお互いに慎み合うこと。第七条には、各条

項に背く者があるときは、村のリーダーたちがこれを懲戒し、

改悛の見込みがない者は、官に請うて米や金の支給を減らし、

それでも直らなければ村中から交友を絶つものとすること。そ

れらが事細かく取り決められ、全員の署名捺印があるというこ

とだった。

(206~207p)

 

集団移住を絶対に成功させたいという気持ちが伝わってくる

誓約書だと思いました。

  

  

「山海記」は、途中で2年のジャンプはありますが、

基本、バスから見える景色と、その景色をきっかけにして

著者の体験や思い、知識が書かれている私小説でした。

ページが少なくなるにつれ、心配になってきました。

最後はバスの終点の新宮駅に着いて

旅の終わりが小説の終わりになるのか。

でも、このペースだと新宮駅は遠いぞ。どうするんだろう?

  

そして最後の1ページ。

最後の文章を見て、仰天しました。

  

ではまた。

(262p)

   

  

あっけなく終わってしまったのです。

この終わり方はすごい!

笑っちゃいました。

このような本もあるのですね。

  

「山海記」③ ショーソンの「詩曲」を初めて聴く

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

  

 

地名をよく見せたいという思いは、何も戦後に始まったもので

はなく、すでに奈良時代にその先駆が見受けられるようだ。元

明天皇の世、713(和銅六)年に発せられた勅令、いわゆる

好字令である。それまでの旧国名や郡名、郷名の表記は大和言

葉に無理に漢字を当てたもので、漢字の当て方が一定していな

かったり無理があるものもあった。そこで漢字を当てるさいに

はできるだけ好字を用い、二字の名称になるようにしたので好

字二字令ともいう。泉が和泉に、近淡海(ちかつあはうみ)が

近江(おうみ)に、遠淡海(とほつあはうみ)が遠江(とおと

うみ)というように・・・・。

これは、遣唐使が唐で日本の地名を説明するときに、粟(あわ)

国や木(き)国、无耶志(むさし)国などという文字に引け目

を感じ、洛陽や長安などの中国の地名に倣ったからだとされる。

そして、阿波国、紀伊国、武蔵国などとしたというのである。

(49~50p)

  

こんな勉強ができる「小説」なんですね。

  

   

  

十九世紀末のフランスの作曲家ショーソンは、1899年に別

荘のあったパリ郊外のセーヌ河畔の小村で自転車事故で死んだ。

長女と一緒に自転車で、パリから着く夫人と子供たちを迎えに

近くの駅まで行く途中、先に走っていた長女がしばらく行って

振り向くと、父親の姿が見えず、引き返すと門柱の根元にショ

ーソンは倒れていた。こめかみを砕かれて即死だった。目撃者

がいなかったことから、その死因は謎として残され、自殺とす

る説もあったことを、病床で彼は思い出した。クライスラーは、

亡友イザイから譲られたショーソン自筆の詩曲の原譜をアメリ

カ議会図書館に寄贈するまで所有していたことでも知られてい

た。

(110~111p)

  

この謎の死で興味をもち、ショーソンについてWikipedia

調べてみました。次のように書いてありました。

 

41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと

管弦楽のための『詩曲 』が群を抜いて有名だが(後略)

  

その群を抜いて有名な「詩曲」を知りませんでした。

「山海記」でもこの曲が何度か出てきます。

聴きたくなりました。


YouTube: Chausson: Poème, Akiko Suwanai (vn), Dutoit & PO ショーソン「詩曲」諏訪内晶子 & デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団

  

群を抜いて有名な曲を私は初めて聴きました。

いくら群を抜いていても、立ち寄らなかった範囲なので、

やっと知ることができました。

生活のBGMにしてもいいなと思いました。

  

 

降り過ぎる雨も困るが、雨が降らないのも農作業に被害をもた

らす。十津川で大水害が起こった明治二十二年は、夏に入ると

猛暑となり、八月は日照り続きで村民は黍(きび)などの穀物

や野菜が枯れるのを心配して雨を待ち望んでいたというから、

雨乞いも行われたのだろう。そして八月十五日になってやっと

空が曇り出し、十六日は蒸し蒸しする不安定な空模様となり、

十七日になって待望のにわか雨が降った。村人たちは喜んだが、

それが大豪雨の予兆だった・・・。

(119p) 

  

昨年末まで読んでいた「新十津川物語」(川村たかし著)の

話の発端になった明治22年8月の十津川豪雨災害。

それまでは日照り続きだったのですね。

  

  

つづく 

2020年1月24日 (金)

「山海記」② 蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した場所に付く

  

今日は令和2年1月24日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

待合所にあったチラシを見ると、高速道路を使わない路線バス

としては日本で一番長い距離を走り、全長166,9メートル、

何と百十七もの停留所を数えるという。

(13p)

  

奈良県の「八木駅」から和歌山県の「新宮駅」までの

奈良交通株式会社の路線バスのことです。

※参考:奈良交通(株)運行系統図

☝ ここを見ると、日本一長い路線のバス停を

見ることができます。

全てを停まるバスの運転手さんはたいへんだと思います。

  

  

それから三年後(2014年)、広島市でも七十四名の死者を

出した大規模土砂災害が発生した。特に被害が大きかった安佐

南区八木三丁目の旧地名は上落地芦谷で、さらにその前は蛇落

地悪谷(じゃらくじあしだに)だったと知って、前の話との類

似に驚かされ、暗然たる思いに沈んだ。

土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山

津波が発生した場所に付けられる。大きな蛇が頭上から落ちて

きたときの恐怖を彼は想った。昭和四十二年八月に羽越水害に

襲われた荒川が流れる新潟県の関川村を訪れたときにも、村に

は大蛇による洪水伝説のある蛇喰(じゃばみ)という集落があ

った。東京の目黒区にもかつては蛇崩(じゃくずれ)という地

名があり、大水で崩れた崖から大蛇が出たという伝説があった

が、昭和七年の目黒区誕生を機に姿を消した。交差点にはいま

でも名前が残されているので、彼は電気工として都内を駆け巡

っていた頃に目にして、妙な名前だと思ったものだった。確か

に蛇と付くと、耳触りのよい地名ではないので、「あし」を「

よし」と言い換えるのと同じように、名前を変えたい思いもわ

からないではないが、地名の改竄(かいざん)は歴史の改竄に

繋がる。

(48~49p)

   

新潟県関川村の「蛇喰」にグーグルアースで迫ります。

グーグルアース 蛇喰

1  

羽越(うえつ)水害については、ここを読みました。☟

Wikipedia 羽越豪雨

関川村では、堤防の決壊によって34名の死者が出たそうです。

堤防決壊の歴史は今に始まったことではないのです。

  

つづく

「山海記」① 現代日本の私小説の名手

  

今日は令和2年1月24日。

  

この本を読破しました。

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山海記(せんがいき)

(佐伯一麦(かずみ)著/講談社)

  

初めて佐伯一麦氏の小説を読み、戸惑ってしまいました。

奈良県の大和八木駅からバスに乗って十津川村へ向かう主人公。

バスから見える情景が詳細に語られているかと思うと、

何かのきっかけにいきなり主人公の過去の体験や、

主人公の知識がどんどん割り込んできます。

そうかと思うと、再びバスの車窓景色や乗り合わせた人のことに

話が戻ります。

空白の行がなく、章立てもなく、ずっと続きます。

(193pで初めて空白の行があり、*印が打たれ、

話は2年跳びます)

上記のアマゾンの解説を読むと「現代日本の私小説の名手」と

ありました。

「私小説」は懐かしい言葉。田山花袋が思い浮かびます。

高校生の時に、これが私小説かと「布団」などを読みました。

そうか、これは著者が実際にバスで旅をして見たこと

思ったことを詳細に書いた私小説なんだと思いました。

虚構がほとんどない小説。主人公は元電気工事関係の仕事を

していたのは虚構かな?と思った程度。

戸惑いつつ読み始めましたが、1/3ほど読んだくらいで

この筆致に慣れてきました。慣れてくると楽しくなり、

タブレット端末でグーグルマップでルートをたどりながら、

一気に読んでしまいました。

  

これも図書館に返す本です。

手元に置いておきたい文章を書き留めます。

  

今回は仕事の合間を縫って四年間続けてきた水辺の災害の記憶

を辿る旅の締めくくりだ、と彼は自身に言い聞かせた。東北の

太平洋沿岸が大地震と大津波に襲われてからというもの、彼は

これまで日本各地で起きた災厄についていかに無知だったかを

思い知らされた。

地震一つ取ってみただけでも、年表をめくると五世紀の416

年に現在の明日香村にあった遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)

で揺れがあったという日本最古の地震の記述が『日本書紀』に

見られるのを皮切りに、599年には大和国で地震があり家屋

が倒壊したという地震被害の最初の記録が見られ、684年に

は南海トラフ巨大地震だったと推定され土佐で津波被害もあっ

たとされる白鳳地震が起きている。九世紀には五年前(201

1年)の大地震との関連がよく指摘される869年の貞観三陸

地震、その十八年後には京都・摂津を中心に多くの死者を出し

津波もあった仁和南海地震があり、十世紀にも京都、山城、近

江には死者が出て高野山の建物が損傷するような地震が何度か

起こり、十一世紀に入ると1096年に東大寺の鐘が落下し伊

勢・駿河で津波があり死者一万人以上と推定される永長東海地

震、その三年後にも興福寺が被害に遭い土佐で津波があり死者

数万と推定される康和南海地震、十二世紀には1185年に法

勝寺や宇治川の橋などが損壊し余震が三カ月近く続き鴨長明が

『方丈記』で詳述した文治京都地震・・・、とそれ以降も枚挙

にいとまがない。

時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千

六百年ほどの間に、死者が出た地震は日本全国でざっと数えた

だけでも百七十回以上も起きており、均(なら)せば少なくと

も十年に一度の勘定にはなると知ると、どういう国土に住んで

いるんだ、と彼は嘆息を洩らした。いっぽうで、曲がりなりに

もそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた者たちの末裔であ

る、という思いも兆した。

(5~6p ※西暦は漢数字を数字にしました)

   

愛知県に住んでいると東海地震、南海トラフ地震と聞くと、

ドキッとします。

著者が言うように、すごい国に住んでいるんだなと思います。

残りの人生で大地震を味わうのか、

息子や娘たちの時代は大丈夫かと思いました。

  

  

つづく

介護の正解は難しい

今日は令和2年1月24日。

  

1月22日朝日新聞朝刊の記事です。

「声」の欄の記事です。

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介護は難しいです。何が正解なのか。

 

私の父もパーキンソン病であろうという診断を受け、

今は自力で歩くことが難しく、車いす生活です。

認知症も進み、直近のことほど忘れていきます。

毎日の介護で、私はつぶれ休職してしまったので、

現在は週で4泊5日のショートスティと1日のデイサービスに

移行しています。

私の負担は減って、復職に向けて準備している段階です。

でもこれが正解かどうか。

  

父親は「どうしても行かんといかんかあ」

「今日は休みたいなあ」「そろそろお前が代わりに行けよ」

などと、施設に行くことは消極的です。

施設に行くことを「仕事」と認識しているので、

このような発言が出ます。

家でゆっくり休みたいと思っています。

    

ケアマネージャーさんが言うには、施設は全館冷暖房完備だから、

気温の上がり下がりが少ない環境であるため

身体には良くて、長生きするんですよとのこと。

そう考えると、父親にはいいのかなと思います。

正解は難しいです。

  

せめて家に居るときには、世話をしっかりしたいです。

今日は病院に連れて行きます。

  

   

記事のような老々介護は、共倒れの危険をはらみます。

他の家族もそれどころではない状況なので、

まずは少しでも介護施設の利用を勧めたいです。

 

 

SOTOの「マイクロレギュレーターストーブ」購入

今日は令和2年1月24日。

  

山の話の続きです。

20年程使ってきたカセットバーナーが不調となり、

新しく買うことにしました。

ジャーン!

これが新しく買ったカセットバーナー。

SOTOの「マイクロレギュレーターストーブ」です。

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格好いいフォルムです。

そしてつまみにはあそびがあって、

ガスがすぐには出ないようです。

有り難いです。

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また20年くらい使いたいです・・・・ということは78歳。

おいおいもうそんな年になってしまうのですね。

人生短し。やりたいことをせっせとやらなくては。

  

  

メーカーの「SOTO」については、少し前に調べました。

ここでも道草 会社見学に行きたい/「新富士バーナー株式会社」(2020年1月4日投稿)

オリンピックの聖火トーチづくりに関わった地元企業です。

自動車で20分ほどで行けるところにあり、

工場見学に行きたいところです。

  

  

工場見学と言えば、行ってみたい場所が浜松にあります。

今日中にそのことを書きたいです。  

20200122報告 観音山・西蔵登山 街中にある別空間「弘法山」

   

今日は令和2年1月24日。

  

前記事の続きで、1月22日の登山報告をします。

  

杣坂峠(そまさかとうげ)までの登山道で、

このような立派な木がありました。☟

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豊川市千両(ちぎり)の山中では、

千両(せんりょう)があちこちで見られました。☟

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杣坂峠~西蔵間で見かけた石仏。☟

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三面あって、腕も6本あるように見えます。

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腕が6本あることから、昔調べた青面金剛(しょうめんこんごう)を

思い出しました。

※参考:ここでも道草 青面金剛でよかった/三尸虫の面白い話(2011年12月31日投稿)

※参考:ここでも道草 庚申塔報告1/新城編 能登瀬の大イチョウ・宗堅寺・桃牛寺(2012年5月4日投稿)

でも今回は青面金剛ではないようです。

まだまだ勉強不足の範囲です。

  

  

今回は山仲間のKさん、Sさんと一緒の登山でした。

既にリタイアされたお2人が、私の都合に合わせて、

一緒に登ってくれています。

 

西蔵の頂上です。☟ この札は、かつてKさんが書いたものです。

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この場所も15年以上前に来た場所です。

本宮山塊に吸い込まれていく新東名高速を

見おろすことができました。

  

ここからいよいよ下山ですが、なかなかの急坂でした。

テープを頼りに方向を定め、せっせと下りていきました。

千両もありましたが、万両もちょくちょく見かけました。☟

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いい道だ!と思って撮った写真ですが、

写真では良さが出ていないなあ。☟

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このコースの最後には面白い場所が待っていました。

「弘法山」と呼ばれる山に下りてきました。

頂上付近には燈籠があり、石仏が祀られていました。

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落ち葉がたくさん積もった石段を下りていきました。

10分ほどかかっておりました。

お参りに来るには、なかなか体力がいるところです。

途中、弘法さん像もありました。

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このような石仏はいくつもあり、

どうやら寄贈されたもののようです。

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最も低いところには新しめの建物がありました。☟

何か祭事をする時には、利用するのでしょう。

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この後、猪除けの柵を2つ通過して下界に出ることができました。

人家の隣にあるのですが、あまり人が立ち寄らない感を感じました。

「弘法山」は街中にある別空間のようでした。

 

振り返って、最後の「弘法山」の写真を撮りました。☟

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「弘法山」については、次のサイトが参考になりました。

愛知県の山里 弘法山

途中で、道が定かではなくなって、

3人でルートファインディングしながらなんとか1周できた登山でした。

しっかり歩けて、身体は楽しみましたが、

頭をよく使って、登山の難しさも感じた山行でした。

  

あんな高いところに見えた新東名の高架道路のさらに上を歩いて、

ぐるっと一周してきたコースを下から振り返ってみて、

人間7時間も歩くと、すごいことができるなと思いました。

 

以上で報告終了。

2020年1月23日 (木)

20200122報告 観音山・西蔵登山 新東名トンネルの上を歩く

今日は令和2年1月23日。

  

また登山の話です。

昨日はほぼ7時間、山の中にいました。

歩いたのは豊川市の観音山、杣坂(そまざか)峠、

西蔵(にしくら)をめぐるコースです。

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スタートは上千両神社。

「千両」と書いて「せんりょう」ではなく

「ちぎり」と読む地名です。

 

観音山までの登山道。

樹林の中で見た巨木。目を奪われました。

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観音山頂上です。☟

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15年程前にここに来たことがあります。

この場所で確か九州から来た登山者と出会って、

並んで座って、景色を楽しんだ覚えがあります。

九州の人が何でわざわざこんな愛知県の里山にと

不思議に思いました。

年月が立って気が育ち、景色を見晴らすことはできませんでした。☟

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この写真は、登山口付近からの写真です。☟

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新東名高速は、この地区は高架道路があり、

遥か上を自動車が走っています。

上の地図で「新佐奈川橋」と書いていある高架道路です。 

  

人間の力って、すごいもので、

歩いてこの高架道路よりも高いところに行き、

新東名高速のトンネルの上を歩くこともできてしまいます。

上の地図に「観音山トンネル」とあります。

その上を歩きました。

感動してしまい、おそらくこの下にトンネルがあると

予想される地面を撮影しました。☟

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つづく

20200119報告 鳳来寺山事故にならなくてよかった現場

今日は令和2年1月23日。

  

昨日は「書く」より「読む」を重視した日でした。

ブログはお休みしました。

今日は書きます。

    

1月19日に今年になって3回目、

奥さんと鳳来寺山を登ってきました。

今回は本堂から頂上、天狗棚、高打場、東照宮を巡りました。

恒例の本堂からのモミジの木の写真です。☟

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芽吹くのはいつでしょう?楽しみです。

  

  

昨年の12月18日に鳳来寺山に登った時に、

ヒヤッとしたことをありました。

鳳来寺山の頂上から下山中に、

根っこに足を載せた時に、滑って尻もちをつきました。

その時に、後頭部のすぐ近くに岩がありました。

尻もちした時に後頭部を岩で強打してたら、

大けが、あわよくば命を失っていたかもしれません。

ザックを背負っていたのが幸いしました。

ザックがクッションなってくれたのです。

  

今回、本堂から頂上に登る時に、

その現場をしっかり見て、二度目がないように

確認しておこうと思いました。

ここです。☟

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上から見た写真です。☟

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休職中に登山で事故死じゃあ申し訳ありません。

(繰り返しますが、登山は私の病気治療になります)

何事もなくてよかったです。

雨上がりの岩山は、特に慎重に登山したいです。

  

  

  

この日はこんな景色も見ました。

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次のようにつながっています。

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どういう過程で、このような形状になったのか不思議に思いました。

  

  

  

素晴らしい登山道。☟

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気持ちよく歩きました。

こんな道を歩くと、登山はやめられません。

 

最近の写真

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