「山海記」③ ショーソンの「詩曲」を初めて聴く
今日は令和2年1月25日。
前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より
引用していきます。
地名をよく見せたいという思いは、何も戦後に始まったもので
はなく、すでに奈良時代にその先駆が見受けられるようだ。元
明天皇の世、713(和銅六)年に発せられた勅令、いわゆる
好字令である。それまでの旧国名や郡名、郷名の表記は大和言
葉に無理に漢字を当てたもので、漢字の当て方が一定していな
かったり無理があるものもあった。そこで漢字を当てるさいに
はできるだけ好字を用い、二字の名称になるようにしたので好
字二字令ともいう。泉が和泉に、近淡海(ちかつあはうみ)が
近江(おうみ)に、遠淡海(とほつあはうみ)が遠江(とおと
うみ)というように・・・・。
これは、遣唐使が唐で日本の地名を説明するときに、粟(あわ)
国や木(き)国、无耶志(むさし)国などという文字に引け目
を感じ、洛陽や長安などの中国の地名に倣ったからだとされる。
そして、阿波国、紀伊国、武蔵国などとしたというのである。
(49~50p)
こんな勉強ができる「小説」なんですね。
十九世紀末のフランスの作曲家ショーソンは、1899年に別
荘のあったパリ郊外のセーヌ河畔の小村で自転車事故で死んだ。
長女と一緒に自転車で、パリから着く夫人と子供たちを迎えに
近くの駅まで行く途中、先に走っていた長女がしばらく行って
振り向くと、父親の姿が見えず、引き返すと門柱の根元にショ
ーソンは倒れていた。こめかみを砕かれて即死だった。目撃者
がいなかったことから、その死因は謎として残され、自殺とす
る説もあったことを、病床で彼は思い出した。クライスラーは、
亡友イザイから譲られたショーソン自筆の詩曲の原譜をアメリ
カ議会図書館に寄贈するまで所有していたことでも知られてい
た。
(110~111p)
この謎の死で興味をもち、ショーソンについてWikipediaで
調べてみました。次のように書いてありました。
41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと
管弦楽のための『詩曲 』が群を抜いて有名だが(後略)
その群を抜いて有名な「詩曲」を知りませんでした。
「山海記」でもこの曲が何度か出てきます。
聴きたくなりました。
YouTube: Chausson: Poème, Akiko Suwanai (vn), Dutoit & PO ショーソン「詩曲」諏訪内晶子 & デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団
群を抜いて有名な曲を私は初めて聴きました。
いくら群を抜いていても、立ち寄らなかった範囲なので、
やっと知ることができました。
生活のBGMにしてもいいなと思いました。
降り過ぎる雨も困るが、雨が降らないのも農作業に被害をもた
らす。十津川で大水害が起こった明治二十二年は、夏に入ると
猛暑となり、八月は日照り続きで村民は黍(きび)などの穀物
や野菜が枯れるのを心配して雨を待ち望んでいたというから、
雨乞いも行われたのだろう。そして八月十五日になってやっと
空が曇り出し、十六日は蒸し蒸しする不安定な空模様となり、
十七日になって待望のにわか雨が降った。村人たちは喜んだが、
それが大豪雨の予兆だった・・・。
(119p)
昨年末まで読んでいた「新十津川物語」(川村たかし著)の
話の発端になった明治22年8月の十津川豪雨災害。
それまでは日照り続きだったのですね。
つづく
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