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2020年1月

2020年1月21日 (火)

福島県に行くなら、郡山市の「柏屋」に行くことができるよ

 

今日は令和2年1月21日。

  

福島県に行こうと決めて準備を進めています。

福島県郡山市に行きたいところがあります。

「柏屋」というお菓子屋さんです。

  

なぜか。

新任の頃、小学校に勤務していて、

児童詩というのを知りました。

これはいいと思って、児童詩を子どもたちに紹介し、

子どもたちにどんどん詩を書かせました。

子どもの書いた日記を詩にしたこともありました。

できた詩を学級通信に載せて配付しました。

 

そんな時に出合ったのが月刊誌「青い窓」です。

できたての児童詩が載った小冊子でした。

発行しているのは、郡山市のお菓子屋さん「柏屋」でした。

ここがユニークでした。

お菓子屋さんのウィンドウにも児童詩が飾られているそうです。

それから購読しています。

もう30年余が経ちます。

今は月刊ではなくて、奇数月発行となっています。

先日1・2月号が届きました。

通算585号です。☟

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「青い窓」に載っている児童詩を

学級通信に書き写したことをも何度かありました。

  

福島県に行きたいと思ったのは、

東日本大震災の被災地に行きたい思ったのがきっかけです。

でも福島県に行くのだったら、

「柏屋」に行くこともできるよと気づきました。

 

 

場所を調べました。

住所は「福島県郡山市朝日1-13-5」です。

便利なことに、ストリートビューで「柏屋」まで行けました。

ストリートビュー 郡山市「柏屋」

2  

写真の一部をアップにします。

2_2  

青い枠の部分に「青い窓」と刻まれています。

柏屋HP こどもの夢の青い窓

☝ ここを見ると、これがウィンドウであって、

児童詩が掲示されているようです。

店内にも児童詩は掲示されているそうです。

  

実際に行きたいです。

きっと行きます。

 

2020年1月20日 (月)

「橙書店にて」⑤ 「道ばたのお地蔵さんのようなものだよ」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

店内も花が咲き乱れている。いただきものの花が重なって、ト

サミズキに梅に椿と、春の花の香りが店内を満たしている。(

入院している)豆子さんが見ているのと同じ梅を、私たちも見

る。トサミズキは初めてもらったが、花の付き方が独特で見飽

きない。黄色い小さな花が連なって下を向いてかんざしのよう

に咲いている。しゃらしゃら、と音がしそうだ。

(190~191p)

  

花の付き方が独特という点に共感。

7年前に記事にしていました。

ここでも道草 H25 3月の花々20 トサミズキ(2013年3月26日投稿)

  

  

店を目指して来てくれるお客さんも、旅行中にいらっしゃるお

客さんも、もちろん嬉しいが、ご近所さんがふらっと来てくれ

るというのはまた違った嬉しさがある。安心感とも言えるかも

しれない。切らした洗剤を買いに来たり、隙間の時間に本を探

しに来たり、もしくはひとこと伝えたいことがあるだけだった

り。

(203p)

  

 

いろいろなお客さんがやってくる小さな本屋。

行ってみたいし、自分もそんな店の店主になりたいと思いました。

  

 

橙書店では朗読会が行われました。

  

今年は”飛び入り朗読会”を店で開催した。正午から夕方五時まで、

店の真ん中あたりに設置したマイクの前で読みたいお客さんが勝

手に朗読する、という催しだ。(中略)

数人が読んだあと、ミチコさんが「なんでもおまんこ」を誰か読

めばいいのに、と言い出した。『夜のミッキー・マウス』という

谷川俊太郎さんの詩集に入っている詩だ。なにせ、店内には谷川

さん直筆の「なんでもおまんこ」の一節がある。他の人たちも話

に乗って来て、やっぱり男の人が読んだほうがいいよね、などと

言っている。もう終わりかけの時間で男性は二人しか残っておら

ず、一人は大学生になりたての若いお兄さんだったからさすがに

みんな遠慮して、陽介くん読みなよ、ともう一人に白羽の矢が立

った。

「なんでもおまんこなんだよ」とはじまる詩だから嫌がるかなと

思ったら、しょうがないなあ・・・といった感じで立ち上がり、

思いのほかすらすらと読んでいた。

(207p)

  

楽しい雰囲気です。私は「なんでもおまんこ」という詩を

知りませんが、何となく予想がつきました。

でも実物を見てみたいと思い、実行しました。

ポエトリージャパン 谷川俊太郎「なんでもおまんこ」

思ったよりリアルで、思った以上に自然を謳歌した詩でした。

終わり方は予想外。

つまり予想は見事にはずれました。

  

  

私は店でいただきものばかり食べている。こんなにモノをもら

う人見たことない、と元スタッフのユキコちゃんに言われたこ

とがあるくらいだ。店など営んでいる人は、結構差し入れをも

らったりする。でも、そう考えたとしても、もらいすぎだと言

われる。たぶん一年のうち、三百日くらいは何かもらっている。

(219p)

もらうたびに、いただいてばかり、と申し訳ない気持ちになっ

ていたが、道ばたのお地蔵さんのようなものだよ、と言われて

からは気が楽になった。

(222~223p)

  

「道ばたのお地蔵さん」!うまいこと言うなあと思いました。

あらためていい雰囲気のお店だと思う記述です。

   

う~ん、これで書き留めるのを終えようと思いましたが、

イメージが残っている文章がもう一つあります。

気になってしまうので、最後にもう一つ書き留めます。

  

 

Aさんは、本屋をはじめてから来るようになったお客さんだ。

年は七十代後半というところか。いつもこざっぱりした服を着

て、ひょうひょうとしている。ブコウスキーやケルアックがお

好みで、浅川マキもごひいきだ。

ここは、みょうなか本ばっかり置いとるけん、つぶれんごつ買

わんといかん。

そう言いながら買ってくださる。売れなさそうな変な本ばかり

並べているから店が成り立たないだろう、つぶれないよう私が

買ってあげようという意味だ。だいたいいつも一冊購入される

が、買いたい本がないときは喫茶だけ利用される。煙草を吸い

ながら、珈琲を一杯。

(67p)

 

こういうAさんのように老後を過ごすのは

いいなと思って読みました。

Aさんのセリフもいい。

でも我が家の近くには、こんな本屋兼喫茶店がありません。

そもそも本屋が歩いて行ける距離にありません。

う~ん、小さな図書館はありますが、

読むスペースが少ない。う~ん。

  

以上で「橙書店にて」からの引用を終了。

「橙書店にて」④ 「うつくしいひと/うつくしいひと サバ?」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

耳元で、とくとくとく、と人間より早い心音がかすかに聞こえ

ると、少しだけさみしくなる。たまに店に連れて行く白猫は、

いつも顔の横にぴたりと寄り添って寝る。二人で寝ているとき

は、必ず真ん中に入ってどちらかに寄りかかる。最初は、ぐる

ぐるぐる、と喉を鳴らす音が聞こえるが、寝入ると静かになっ

て、耳元に小さな心音が聞こえてくる。とくとくとく。人間よ

り心音が早いということは、それだけ自分より早く死んでしま

うということだ。

(132p)

  

猫としっかりお付き合いすると、心音まで聴けるのですね。

とくとくとく。生きている証拠ですが、

悲しい運命も予想されるものでした。

 

  

店にはいろんな人が来る。なぜ来るのだろう、と迎える私が思

うような人も来る。ものぐさだし、店を日々営業するというこ

とがいちばん大事だと思っているから、イベントの企画などを

自ら考えることはほとんどない。でも、行くよと言われるとな

かなか断れない。うれしいし、お客さんも喜ぶ。それで、スケ

ジュールが可能な限り対応していると、いろんな人が来てすご

いよね、とやり手ばばあのように言われることがある。

(140p)

  

谷川俊太郎さんや村上春樹さんも訪れるお店。

こういう人生もいいですね。  

  

  

なんと、行定勲監督の映画のロケ地にもなっています。

 

映画は2016年の3月に菊池映画祭で公開されたのだが、そ

の翌月、熊本自信が起こりチャリティー上映されることになっ

た。撮ったときは、行定さんもスタッフも出演者も、地震が起

こることなんて知る由もない。

タイトルは「うつくしいひと」。そこには、崩れる前の熊本城

の石垣が映っていた。壊れる前の通潤橋も映っていた。そして、

地震前の店内も映っていた。壁はひび割れておらず、天井も壊

れていない。古い建物で、もとから傷んでいたところも多かっ

たが、映画の中でライトであらが見えなくなっている。よく知

っているはずのその場所は、思いがけずうつくしかった。

(149p)

  

熊本地震の後、「橙書店」は被災し、引っ越しました。

そこがまたロケ地となって、

「うつくしいひと」の続編が撮られました。

  

店を移転することになった。夏頃から新店舗の工事をはじめた

のだが、工事中に行定さんが立ち寄られた。ふたたび熊本の街

を撮るためにロケハンをしている、と言う。「うつくしひと」

の続編としてつくるので、移転した橙書店でも撮影したいとお

っしゃった。撮影日を尋ねると、ちょうど工事が終わる予定の

頃だ。地震のあと、工務店さんやいろんな業者さんは休日返上

で働いている人ばかりだ。もしかしたら撮影に間に合わないか

もしれないから、書店の場面は入れないほうがいいのではと言

ったのだが、地震のその後を撮りたいのだとおっしゃった。

地震があっても、ほかの災害があっても、死なない限り暮らし

続ける。なるだけ、普通の日々を続けようとする。そういう人

々の姿を残したいと思われたのだろうか。撮影のあとに地震が

起きたのも、引っ越し直後にふたたび撮影が行われるのも何か

の縁だから、撮っていただくことにした。

(149~150p)

  

人を集める橙書店がロケ地にもなってしまいました。

気になる映画です。

今どきの動画サービスだと、

この映画を見たければ見ることができそうです。

440円。

どうしようかな?


YouTube: うつくしいひと/うつくしいひと サバ?

1

☝ きっとこの場所が「橙書店」だ。

「橙書店」にて③ 「私たちとさほど差異のない人たちなのだ」

  

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

Aさんは、本屋をはじめてから来るようになったお客さんだ。

年は70代後半というところか。いつもこざっぱりした服を着

て、ひょうひょうとしている。ブコウスキーやケルアックがお

好みで、浅川マキもごひいきだ。

ここはみょうな本ばっかり置いとるけん、つぶれんごつ買わん

といかん。

そう言いながら買ってくださる。売れなさそうさ変な本ばかり

を並べているから店が成り立たないだろう、つぶれないように

私が買ってあげようという意味だ。だいたいいつも一冊購入さ

れるが、買いたい本がないときは喫茶だけ利用される。煙草を

吸いながら、珈琲を一杯。

(67p)

  

いいですね、この雰囲気。

そのAさんが、ある時戦争の体験談を話していった。

近所の女の子が空襲で死んでしまった話でした。

  

爆弾は真っすぐに落ちるものだから、空襲のときは道の端に避

ければそうそう当たるものではないという。女の子はその日、

真新しい下駄を履いていた。そして、逃げる最中に、脱げた下

駄を拾いに戻って爆弾に当たった。真新しい下駄を履いていた

ばかりに、女の子は死んだ。

(中略)

Aさんは、たあ世間話だった体(てい)であっさりと帰ってい

かれた。ひとり取り残されて、下駄の鼻緒は何色だったろうか

と想像する。道端の女の子と、離れたところに転がる下駄。そ

れを見ている少年。いつもひょうひょうと話していたが、A少

年のまなこに映ったその姿はいまもなお鮮明なはずだ。少年時

代のAさんになったつもりでその姿を記憶にとどめた。

(68p)

  

私も本を読むことで、その姿を記憶に留めました。

   

本と戦争のことでたっぷり引用します。☟

 

戦争の本を読む、映画を見る、テレビの報道番組を観る。いま

まで、たくさんやってきたことだ。でも、面と向かって体験談

を聞くという体験は、そのどれとも違った。記憶の断片は、そ

の人とともに、私の記憶にしまわれる。少年だったAさんの見

た映像を、何十年という時を経て、Aさんの言葉とその存在で

私の眼球に映してもらった。

何かが起こったとき、居合わせた人の数だけ物語が存在してい

る。こんなふうに話してもらえることはまれだから、本を読む。

過ちを繰り返さぬよう、知りたいから読む。立場が違うと景色

も変わるから、どちら側からも見たい。戦争が起きたとき、権

力者の目と戦う兵士の目は違うものを見る。大岡昇平の『野火』

を読めば、ごく平凡な生活を送ってきた人間が人肉を食べるに

至るという行動を通して、戦場がいかに人を異常な状況に追い

込むかを脳裏に刻むことができる。

テロの続くテルアビブに住むエトガル・ケレット。彼の自伝的

エッセイ『あの素晴らしき七年』を読んだ。それまで漠然と抱

いていたテルアビブのイメージは覆され、奇妙でおかしな出来

事に笑い、見知らぬ場所に住む人たちの気持ちにいつの間にか

寄り添っている。彼らは私たちとそう変わりない。

 

著者の両親はホロコーストを生き延びた。生き残り二世である

彼は、戦時下の街で家族と暮らしている。息子が生まれようと

する病院には、テロで怪我をした人々が担ぎ込まれる。公園で

のママ友との話題は、子どもを将来、兵役につかせるかどうか

だ、だ。イスラエルでは、暴力を見て見ぬふりはできない。で

もその一方で、電話の勧誘をうまく断れない話や。奥様方にま

ぎれてピラィスをする話が滑稽に語られる。暴力で満ち溢れた

世界をユーモアや優しさでかきまぜながら、あるいは社会を風

刺しながら、軽快な筆致で描写していく。遠い異国の戦時下の

話なのに、親戚のおにいちゃんの話を聞いているような親近感

をおぼえる。泣いたり、笑ったりして、酒を呑みながら聞いて

いるように。そして彼らは見知らぬ人々ではなくなる。戦争を

しているのも、テロ行為に及ぶのも、私たちとさほど差異のな

い人たちなのだ。

(70p) 

   

最後の一行のために、たくさんの文章を引用しました。

戦争をしているのも、テロ行為に及ぶのも、

私たちとさほど差異のない人たちなのだ。」

本によって、登場人物の気持ちまで描かれていて、

考えていること、考え方はそんなに差異がないのだと

読書ではよくわかると思います。

その点の力は、映像以上のものがあると感じます。

「橙書店」にて② 書くのと読むのとどちらが好きですか

 

今日は令和2年1月20日。

  

前記事に引き続いて、「橙書店にて

(田尻久子著/晶文社)より引用します。

  

いまみたいに、毎日ラインでつながって、顔を見ながら電話

して・・・・そんなことが当たり前でなかった頃、遠く離れ

た誰かと手紙でやりとりすることは、どんなに人と人を近づ

けたろう。パソコンやスマホのフォントで書かれた文字では

なく、あっちを向いたり、はねたりした文字。気が急いて書

いたから、判読が難しい文字。それをじっと見つめた末に、

なんと書いてあるかわかったときの喜び。

(53p)

  

たまに、面倒だからラインやってよと言われるが、不便でも

かまわない。友達も少なくてもかまわない。友達って、友達

になってくださいと言ってなるものではない気がする。

(53p) 

  

私はLINEもフェイスブックもやり始めたけど、

停滞しています。

ブログはうつのは好きだし、コメントのやり取りもいいです。

どうもLINE,FACEBOOKは深入りできません。

  

  

  

この間、お客さんが『バナの戦争』という本を貸してくれた。

バナは、シリア難民だ。

彼女は、戦時下のアレッポで、英語が話せる母の手を借りて

街の様子をツイートしつづけた。

 

わたしたち、しにかけているの。

 

ただ、こわがらずにくらしたい。バナ

  

私たちたちは武器を持っていません。なのに、なぜ殺される

の?バナ

 

ツイートをはじめたときのバナは、たった7歳だった。爆弾

の雨が降る街で、恐怖を感じることが日常となっている場所

で、何も知ろうとしない私たちに語り続ける。まだ、こども

でありたいと。すごくすごく、学校に行きたいと。

(中略)

バナのツイッターアカウントを世界的に有名にした最初のツ

イートは、「今夜、わたしは死んじゃうかもしれない。とて

もこわい。爆弾に殺されてしまう」だこんなこと。こんなこ

とを7歳の少女が言わざるを得ない世の中を、私たちは見て

見ぬふりをしている。

(53~55p)

  

シリアの情報収集をしている私。

「バナの戦争」もチェックですね。いつか読みたい。

  

  

約束はしたものの、やっぱり原稿は遅々として進まない。

(中略)ごはんを食べて風呂に入ってひと段落をしたら書こ

う、と家にたどり着くまでは思っている。でも、部屋には未

読の本が山と積まれている。書くよりも読むほうが断然たの

しいから、パソコンを立ち上げたものの、キーボードは打た

ず頁をめくっている。数行書いただけで電源を落とすことも

たびたびあるが、たまに誘惑に負けずにこうして書いている。

(59p)

 

昨日は書くよりも読むほうが優先した日でした。

ブログを書き上げることなく、次の本「山海記」を

読んでいました。

でも基本的には、私は読むことより書くことの方が

少し楽しいと思っているだろうな。

皆さんはどちらですか。

同僚の先生で「私は読むことが好きだから」と言って、

このブログを読んでくれています。

ありがたいです。

  

  

(編集者の大河さんは)たまにポツリと送る原稿を読んでは、

感想を書き送ったり、さりげなくプレッシャーをかけたりし

てくる。田尻さんの原稿が活力です、などと言われると思い

腰も少しあがる。もちろんそれが彼の仕事なのだが、有り難

いことに変わりなく、それでなんとか少しずつ前へ進むのだ。

世の中には、それぞれの本に大河さんみたいな人がいる。彼

らのおかげで、私たちは本と出会える。

(64p)

   

本は作家さんだけではできあがらないんですよね。

顔の見えない編集者に感謝。

この本、面白かったですよ。

  

つづく 

2020年1月18日 (土)

「橙書店にて」① 仲間に入れてほしい本好きの集まり

  

今日は令和2年1月18日。

  

この本を読みました。

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橙書店にて」(田尻久子著/晶文社)

 

こういうのをエッセイと言うのか、ノンフィクションと言うのか

私はよくわかりません。

熊本市にある実際にある本屋(兼雑貨店・喫茶店)の主の

田尻久子さんが見聞きしたことを、

そっと教えてくれるような本でした。

本屋ですが、ちょっとこだわりのある本が置いてあるそうです。

したがってやってくるお客さんは、根っからの本好きの人たち。

数十年ぶりに本好きだったことを再確認した私としては、

仲間に入れてほしいなあと思える空間でした。

  

図書館に返す本です。

気になった文章を書き留めておきたいと思います。

  

普通の人、普通の人生なんてものはなく、人はそれぞれで、み

んな違う人生だ。誰かの人生に起きた小さな物語が、世界をつ

くっている。

(27p)

 

今日起こった小さな物語。私の場合は、奥さんと一緒にパソコンで、

福島へ行く新幹線の指定席と1泊目の宿の予約をしたことかな。

「福島に行きたい」とブログに書いてきましたが、

いよいよ第一歩を踏み出しました。いつ行くかは内緒。

皆さんはどんな物語がありましたか?

  

  

金木犀の香りは突然現れる。通りすがりに思わず振り向いてし

まうべっぴんさんのように、香りに振り返る。するとそこには、

濃い緑の中に、小さいけどふっくらとしたオレンジ色の花が無

数に咲いている。花の時期が短いから、ただ通り過ぎるのはも

ったいない気がして、深く息を吸い込む。記憶にある金木犀の

匂いとおなじ。金木犀の花の香りは誰の記憶にもあるらしく、

(店で)飾っていると、お客さんから声がもれる。

あっ、金木犀だ。

(35p)

 

「通りすがりに思わず振り向いてしまう

べっぴんさんのように」の表現がいいですね。

私が書くと、奥さんに怒られてしまいます。

でもこれはあくまでも田尻さんの表現と言うことで、

このブログに書き留めておきたいと思いました。

わかりますか、この複雑な気持ち。

 

もちろん、金木犀のことに共感します。

だからこの文章を書き留めました。

  

  

今晩はここまで。

 

2人で思い出した田辺誠一さん

今日は令和2年1月18日。

  

16日放映のドラマ「アライブ 第2話」を録画して、

昨日、奥さんと一緒に見ていました。

  

画面に出た医者役の男優さんの名前が浮かばない。

「今の人、何て言ったっけ?」

「何だったけ?」

奥さんも名前が浮かばず。 

思い出せない。

「にっぽん!歴史鑑定」の進行役でよく見るのになあ。

 

しばらくして再びその男優さんが画面に登場。

苗字が何となく浮かんだ・・・

「たなべ・・・」

奥さんがすかさず、

「せいいち!」

「”せい”ってどんな字だたっけ?」

「まこと(誠)」

「そうか、そうか、田辺誠一だ」

  

自分1人で見ていたら、しばらく解決できなかったでしょう。

2人で見ていたから、さっと解決できました。

何か楽しかった。

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☝ ドラマ「アライブ 第2話」より

  

11・12・1月の生活のBGM「ヨルシカ」

  

今日は令和2年1月18日。

  

久しぶりに生活のBGMのお話。

11月中旬から昨日まで、私は「ヨルシカ」がマイブームでした。

3枚のアルバムを聴いていました。

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だから僕は音楽を辞めた

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負け犬にアンコールはいらない

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夏草が邪魔をする

  

動画がいくつか公開されています。

  

7カ月ぶりの勤務校出勤の時の曲は「靴の花火」でした。

選んだ曲ではなく、ちょうどこの曲が始まったので、

往路はリピートして聴いて、勤務校の駐車場に入りました。


YouTube: ヨルシカ - 靴の花火 (Music Video)

  

パンパンと手をたたくところが好きな曲「ただ君に晴れ」。

運転しながら口で「パンパン」と言っています。

軽快で、つい言いたくなります。

本当は手をたたきたいのですが、運転中ですので。


YouTube: ヨルシカ - ただ君に晴れ (MUSIC VIDEO)

  

長野市でボランティアをしていた時にはこの曲が流れていました。

ボランティアの現場と宿泊場所をつなぐ道路の光景が浮かびます。

パレード」イントロのメロディがお気に入り。


YouTube: ヨルシカ - パレード (Music Video)

  

この曲も年末年始を思い出す曲になりました。

藍二乗」 ♪ そんなことはわかっていたんだ エルマ ♪

ヨルシカにとって「エルマ」って誰?


YouTube: ヨルシカ - 藍二乗 (Music Video)

  

「ヨルシカ」のアルバムは、途中にピアノの

インストゥルメンタルが入り、それが心地よかったです。

どこから聴きだしても、繰り返し聴いても、

読書しながらでも聴けてしまいました。

以前にも書きましたが「上質な曲」をつくり出す人だなあと

思いました。

 

今日からの生活のBGMはズピッツのアルバム「見っけ

2020年1月17日 (金)

「校則なくした中学校~」⑤ 自分のとんがったところを磨く

  

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

「エッジを立てる」ということ。

前例をそのまま授業に取り入れたり、他の優秀な教員の方法を

まねしてみるのも一つの方法ですが、自分の得意分野を生かす

ことも大事です。できないこと、不得意なところに目を奪われ

て、自信をなくす必要はありません。自分のとんがったところ

を探して、それをとことん磨くのです。これは子どもたちにも

常々言っていることです。

(161p)

  

管理職になって学校を変えることはできませんが、

「エッジを立てる」ことはできる可能性があります。

とんがったところは、

社会の授業、映像を使った授業、特別支援の授業かな?

だから一番いいのは、特別支援学級で映像を使って

社会科の授業をすることです。

う~ん、タブレット端末も絡めたい。(欲張りですね)

残りわずかの年月ですが、

とんがった(出っ張ったぐらいかな)ところを

磨いていきたいです。

    

  

生徒がしたいことをしたい時にさせてあげる。

これは本当に大事なことだと思っています。

実際に、こんなことがありました。Pくんが家から麻雀牌を持

ってきたのです。Pくんはゲームの麻雀は知っているけど、本

物の麻雀はやったことがありません。でも「家に麻雀牌があっ

たから」とわざわざ学校に持ってきた。ということは「麻雀を

やりたい」ということです。だったらやらせてあげよう。Pく

んを見て教員らはそう考えました。

(184p)

 

実際に、学校の廊下にテーブルが用意され、

通りかかった子らが参加して麻雀が行われました。

  

いったい麻雀を学校でやることに何の意味があるのか。

そう思う人もいるでしょう。

たしかに、何かの役に立つかと問われたら答えに窮します。

将来、何かのプラスになるかもしれないし、ならないかもしれ

ない。でもそれでもいいと思っているのです。大事なのは「や

りたい」という気持ちを尊重してあげることなのです。「何か

やりたい」と自分の意志を表現することは、心を閉じ気味な子

どもからすれば大変な冒険です。

何かに行き詰っている子は、このことをきっかけにそれを打開

できるかもしれない。うまく心を開けない子は、一緒にやりた

いことができたことで、周囲との距離を少し縮められるかもし

れない。

きっとPくんもうれしかったと思います。だって、麻雀を付き

合ってくれる子が現れたのだから。

(186p)

  

いまの世の中は、「やりたいこと」を見つけにくくなっていま

す。子どもたちは、触れる情報があまりに多く選択が難しい上

に、ゆっくり考える時間がありません。自分が何をやりたいの

か、見つからなくなっているのです。

だからなおさら、それが麻雀であってもモデルガンであっても、

なんでも「やりたことをやらせてあげたい」と思うのです。「

やりたいと思ったらできるんだ」と思えば、本当にやりたいこ

とも見つかるかもしれません。「やりたい」と口にするハード

ルも下がるのではないでしょうか。

(189p)

   

私ができることで、子どもたちに

「やりたいと思ったらできる」体験をさせたいなあ。

もちろん私もその体験をしたい。

ブログでもいろいろな種類の「やりたい」をつぶやいてきました。

それを実際にやることを重視しているつもりです。

やっぱりやりたいと思ったことは、

生きているうちに何とかやりたいのです。

諦めない。

  

以上で、「校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

からの引用は終了。

同僚の先生、読んでみてください。

同志が欲しい。

「校則なくした中学校~」④ 「宿題がない理由は明快です」

  

今日は令和2年1月17日。

  

前記事に引き続き、 

校則をなくした中学校 たったひとつの校長ルール

(西郷孝彦著/小学館)よりひたすら引用します。

  

  

「校則という規範がないと、先生によって言うことが違ってく

るんじゃないか」

こんなふうに言ってくる人がいます。

それでいい、と私は考えています。それこそまさに、「社会」

ですよね?

(57p)

  

そう、それこそ「社会」です。

  

  

多くの公立中学校では、不要な校則を生徒に守らせるために、

教員は膨大な時間を「生徒指導」に割いています。そしてこう

した指導によって、教員と生徒の信頼関係が壊れています。悲

しいけれど、これが現実です。いったい誰が得をしているので

しょうか。

(63p)

  

  

「教員採用試験に受かったら、一生安泰」という考え方は、言

い換えれば「一生教員を続ける」ということです。これではい

ざという時に逃げ道がありません。

「ずっとは教員の仕事をやらないかもしれない」

「いつか転職しよう」

と考えると気が楽になります。いま問題になっている、教員が

心の病になってしまうケースが減るのではないでしょうか。

転職して、別の社会の空気を吸ってくるのもいい経験です。そ

れで「また教員をやりたい」となったら、戻ってくればいい。

社会経験は、教える上できっとプラスになるはずですから、教

員免許があればそれが可能なのですから、もっと気楽に考えれ

ばいいと思います。

(66p)

 

  

今回の休職は、辞めることを本気に考えました。

他の職業も考えました。

でも11月下旬に「また教員をやりたい」という気持ちになり、

いまに至っています。

「社会経験」ではないけど、

この「休職経験」をプラスにしたい。

  

   

  

宿題がない理由は明快です。宿題を出しても、あるアメリカで

行われた調査にもあるように、学力は上がらないのです。また、

ワークや問題集のように、同じレベルの宿題を全部の生徒にや

らせることはナンセンスです。宿題を出すのであれば、それぞ

れの生徒のレベルにあった宿題を出すべきです。強制して宿題

をやらせても嫌々やるだけで、モチベーションが上がらないの

で、なかなか成果が出ないのです。

(117p)

  

  

宿題をこうやって考えたいです。

中学校ならなくてもいいと思います。

  

  

若い教員には「将来、管理職を目指しなさい」とも言い続けて

います。もし、自分が赴任した先の中学校で、いろいろなこと

に疑問を持ってーーたとえば桜丘中学校のように校則をなくそ

うと思っても、一教員ではなかなか難しい。校長でないと変え

られないことは多いのです。校長でないなら、教育委員会でも

いい。若い頃から授業や法律をきちんと勉強して、教育界を変

えなさい。そして世界を変えなさい、と。

(149p)

  

  

私は管理職ではないので、学校を変えることは無理なのですかね。

病み上がりの教師の話は広まらないかな。

でも、この本に書いてあることは正しいことであり、

そうなるべきだと思うんだけどなあ。

ほぼ1年前に読んだ「学校の『当たり前』をやめた」も

ほぼ同じ発想のやり方で、中学校を変えていました。

ここでも道草 「学校の『当たり前』をやめた。」その1/教師は今も時代の最先端でありたい(2019年2月10日投稿)

この2冊は購入した本です。

いつも身近にあります。

読み直して、自分がぶれないようにしておきたいです。

  

つづく

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