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2020年1月25日 (土)

「山海記」④ こんな終わり方をする小説があるんだ

  

今日は令和2年1月25日。

  

前記事に引き続き「山海記」(佐伯一麦著/講談社)より

引用していきます。

   

次は「長殿」です、というアナウンスに続いて、十津川村の歴

史にひじょうに古く、とふたたび女声の説明が流れた。伝説に

拠りますと、神武天皇御東制の際に、道案内に立った八咫烏(

やたがらす)が祖先ともいわれています。672年の壬申の乱

の折には、天武天皇の吉野御軍(みいくさ)に参加し、戦功に

よって租税を免除されたといわれ、これは明治の地租改正まで

続き、これだけの長期にわたる御赦免地であることは全国でも

珍しいことです。

(151p)

   

何度も書いてしまいますが、これは小説ですが、

このような社会科の勉強がたっぷりできる内容です。

  

  

最後に、明治二十二年の十津川豪雨災害によって、

北海道移住を決断した人たちが交わした

移民誓約書を引用します。

 

そこには、集団移住した者たちが交わした誓いの冒頭部が記さ

れてあり、それに続く七箇条の誓約条目を資料で見ると、移住

住民ハ故郷ヲ去リ骨肉ヲ別レ遠ク絶海ニ移住スル上ハ、と始ま

る第一条(原文は條)には、以下現代語に意訳すると、頼れる

者は移住者同士だけなのだから、これまでにも増して一致団結

すること、とある。第二条には、移住住民は、移住・開墾の費

用として政府から破格の恩賜を受けたのだから、それぞれ五千

坪の土地を開墾するまでは、他の仕事に従事してはならないこ

と。第三条には、恩賜金及び、旧郷から受け継いだ共有金は、

新十津川村の基本財産となし、いかなる場合においてもこれを

各自に分割して消費すべきものではないこと。第四条には、質

素倹約に努めることとして、具体的には、不急のものは購入し

ない、家屋の構造は質素堅牢のものとし、一切の装飾は施さな

い、家族以外に二人以上加わる会席・酒宴に行ってはならない

(ただし、新村の記念日大祭祝日はその限りではない)、村内

に飲食店を開いてはならない、衣服はなるべく木綿のものを着

ること。第五条には、学校を興して教育を盛んにし、児童を就

学させることを怠ってはならないこと。第六条には、各自が礼

節を厚くして、いやしくも風儀を乱し世間の笑いを受けるよう

なことがないようにお互いに慎み合うこと。第七条には、各条

項に背く者があるときは、村のリーダーたちがこれを懲戒し、

改悛の見込みがない者は、官に請うて米や金の支給を減らし、

それでも直らなければ村中から交友を絶つものとすること。そ

れらが事細かく取り決められ、全員の署名捺印があるというこ

とだった。

(206~207p)

 

集団移住を絶対に成功させたいという気持ちが伝わってくる

誓約書だと思いました。

  

  

「山海記」は、途中で2年のジャンプはありますが、

基本、バスから見える景色と、その景色をきっかけにして

著者の体験や思い、知識が書かれている私小説でした。

ページが少なくなるにつれ、心配になってきました。

最後はバスの終点の新宮駅に着いて

旅の終わりが小説の終わりになるのか。

でも、このペースだと新宮駅は遠いぞ。どうするんだろう?

  

そして最後の1ページ。

最後の文章を見て、仰天しました。

  

ではまた。

(262p)

   

  

あっけなく終わってしまったのです。

この終わり方はすごい!

笑っちゃいました。

このような本もあるのですね。

  

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