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2019年5月1日

2019年5月 1日 (水)

タイムスクープハンター彗星大接近その5/1910年5月19日の様子 右から左に読む横書き カネボウのポスター

 

今日は令和元年5月1日。

   

前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

について書きます。

  

1910年5月19日。

ハレー彗星最接近は午前11時22分。

ハレー彗星は太陽の前を横切り始めると言われていました。

チューブを使って、毒ガスを吸わずに呼吸する練習をしていました。

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断食をして、全世界のために祈る老婆。

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穴を掘ってわらをかぶり、

ハレーの毒が入って来ないようにしていました。

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神社に来て安全祈願をする人々。

災難を逃れたければ、赤飯を食べて参詣(さんけい)するに

かぎるという迷信が広がっていたそうです。

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浅草の仲見世通りでは、いつもはにぎやかなのに、

この日は人の往来がほとんどなかったそうです。

不安を抱えたまま、太陽面を通過するハレー彗星を

見てみたいという人もいました。

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「今、ハレー彗星が太陽面を通過しました」

「通過したと、思われます」

そしてハレー彗星は1時間をかけて太陽面を通り過ぎました。

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安堵の人たち。

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翌日は尾が観察できました。

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1986年にはこんなのは観察できませんでした。

2061年に、やっぱり見たい!

  

このシーンに注目。

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「前原時計店」は右から左に読む横書きです。

明治43年は、こうだったのでしょう。

ではいつから、左から右に読む横書きになったのでしょうか?

そこを調べました。

太平洋戦争が終わった後、

占領軍の指示で変わったのではと思いました。

でも違いました。

このサイトを読んでください。

gooいまトピ 戦後日本で右書きの横文字が左書きに変わった瞬間をさぐってみた

  

簡単にまとめると・・・・

もともと日本語には横書きはなかった。

例外は横長看板への文字。右から左に書いていた。

(正確には「1行1文字の縦書き」というようだ)

明治時代になって、横書きをするようになった。

最初は、英語などと同じように左から右に横書きをしていた。

江戸時代までの看板書きもあってか、右から・左からが混在していた。

しばらく混在していたが、これではいけないと、

1943年に文部省主導で左から右に書くことに統一しようとした。

敵国英語などと同じように書きたくない気持ちもあり広まらない。

戦後、新聞社が左から右に書くことに統一し始めた。

 

 

戦後、ガラリと変わったのではなく、徐々に変わっていきました。

タイムスクープハンターから、またいい勉強ができました。

 

 

1910年の76年後のことをひとつ。

1986年のハレー彗星到来に関係する商品ポスター。

9c25ea500a2646706a1b77abb857566c ミドルエッジ 1986年、世間をにぎわせた【ハレー彗星】、覚えてますか?

沢口靖子がカネボウのポスターを

当時、席巻していたもんなあ。

  

  

以上で、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

に関する記事は終了。

今回いろいろ調べていて、楽しい出合いがありました。

このサイトにビックリです。

pour rien タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近(2010年12月28日)

撮っている写真が似ています。

やっていることが似ています。

最後にどきっとする文章がありました。

 

やーもー、なんか今回、期待以上でした!!

かなーり構成すごくなかったですか?

ハレー彗星によって引き起こされた混乱だけじゃなく、

電話とか自転車とか当時の状況含めて紹介。

しかも、無理なく展開に組み込んで進んでいくのが。Σ( ゚Д゚) スッ、スゲー!!

これホントに教材としても活用できると思うんだけどなー。w

今回は特に。

 

 

  

教材!?

もしかしたら同業者?

サイトにコメントを送りたくなりました。

 

タイムスクープハンター彗星大接近その4/ハレー彗星の尾 明治時代の髭

 

今日は令和元年5月1日。

  

前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

について書きます。

  

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Rimg1971  

ここで再び五平さん登場。

家財道具を燃やしていた五平さん。

今度は有り金はたいて飲み食いした様子。

前原寅吉が説得しています。

ハレー彗星が去った後に、最も後悔するのは五平さん?

でも憂いて、自殺した人もいるとのこと。

命は取り返しはつかないですね。

  

少しハレー彗星の解説。

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沢嶋雄一のナレーター:ハレー彗星の核は、塵の混じった氷でできている。

  太陽に近づくと、その熱により塵が放出され、尾が大きくなると

  言われている。その神秘さから、古代より災いの予兆と考えられてきた。

  

  

ドラマの話は急展開。

天文学会には水口玄八という会員はおらず、

どうやらペテン師に、マイクロカメラなどは盗まれてしまったようです。

そしたら、村はずれの見世物小屋で、マイクロカメラを使って、

詐欺行為が行われていることを発見。

ハレー彗星の毒に聞く薬が売られていました。

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これも、当時実際に行われていた詐欺行為を

ドラマ化したものでした。

 

詐欺師は警察官につかまり、沢嶋の持ち物は返されました。

(すべては戻らず。この後大変でした)

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ここで注目は、警察官や詐欺師の髭(ひげ)。

 

 

次のサイトで勉強。

江戸ガイド 江戸時代はひげを生やすと罰金刑だった!江戸のひげブームと禁止令

江戸時代は、ひげは禁止され、罰金刑でした。

戦国時代を連想するひげは、江戸幕府からは嫌われていたようです。

それが明治時代になると復活します。

引用します。

 

このように江戸時代には嫌われていたひげですが、

幕末の動乱を経て明治時代になると再びブームとなります。

戦国時代には“強さ”のシンボルだったひげ、

今度は“文明開化”のシンボルとして

もてはやされるようになるのです。

当時、欧米でもひげがブームだったことから、

欧米帰りの政治家を皮切りに、文化人や学者、教員など

特に威厳を必要とする職業の人を中心に

ひげを生やすようになりました。

  

教員もそうだったのですね。

  

ちなみに、明治時代のひげといえばこの人。

Nagaoka_gaishi_m

明治から大正にかけて活躍した陸軍の軍人、長岡外史。

重力無視で横に伸びてます。

このひげは「プロペラ鬚」と呼ばれ、

本人は「世界一」を自称し自慢していたとか。

江戸時代の反動で、明治時代に髭が流行ったのですね。

これまたいい勉強ができました。

いつか授業で話をしよう。

  

ちなみに、

   

まだつづく。

タイムスクープハンター彗星大接近その3/絵本「空気がなくなる日」 前原寅吉

今日は令和元年5月1日。

  

前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

について書きます。

  

ハレー彗星到来の騒動として、自転車のチューブの争奪戦。

Rimg1964 

そして息を止める訓練。

Rimg1965  

こういうことが1910年にあったということは、

以前何かで知りました。

なんで知ったのかは、覚えていませんでした。

でも、今回いろいろ調べていて思い出しました。

絵本で見たのです。

  

Kukinakunaru amazon

空気がなくなる日」(岩倉政治著/ポプラ社)

そう、そう、この絵本を見て、頭に残っていたのでしょう。

この本は今は手元にありません。

でも生徒たちに見せたいなあ、読ませたいなあ。

通販で注文しよう。

絵本をもとに、紙芝居を作った人がいました。

動画でアップしてくれています。

  

  

沢嶋雄一と松下作造は、前原寅吉(まえばらとらきち)の元へ。

前原は「前原時計店」の主。

独学で天文を勉強していた人。

今回のハレー彗星の騒動を憂いていました。

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新しいものをほっとけない前原は、

明治42年に八戸に開通したばかりの電話を設置していました。

今の電話とは違います。

  

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前原寅吉は実在の人物。

前投稿で紹介した次のサイトにも、前原のことが書いてありました。

今日の出来事SP 【今日の歴史】1910年5月19日の事【酸素がなくなる!?】

  

Photo_6  

すごい人だったようです。

ここにも説明あり→Wikipedia 前原寅吉

さらには、前原寅吉の生き方が、昨年は演劇になっていました。

Wagauchirapu BUNKA新聞社 

「タイムスクープハンター」

昔読んだ絵本を思い出させてくれたり、

前原寅吉さんのことを教えてくれたりと、

今回も濃厚な内容です。 

 

つづく 

タイムスクープハンター彗星大接近その2/天文学者カミーユ・フレンマリオン博士

 

今日は令和元年5月1日。

  

前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

について書きます。

  

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マイクロカメラを回収したと思いきや、

「それはハリー彗星の尾の破片だと思われます」

「申し遅れました。私は東京の天文学会会員 

 水口玄八と申します」

「ハリー彗星の尾には、猛毒ガス、シアンが含まれると

 推測されています。」

「尾の一部だとしたら、たいへんだ」

「こちらによこしなさい」

とまくしたてられ、逃げる沢嶋雄一。

しかし、村人に襲われて、マイクロカメラだけでなく、

通信機などの装備も、天文学会会員の水口玄八に

持っていかれてしまいます。

  

  

気がついて、村人から逃げた沢嶋雄一は、

松下作造に助けられます。

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松下作造は、天文を教えてもらっている前原寅吉のもとに

沢嶋を案内します。

その道すがら見たものは・・・・

  

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ハレー彗星が地球にぶつかって、

地球が破滅するという噂を信じて、

家財道具を燃やしている五平。

 

このような噂やデマは飛び交っていたようです。

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彗星の尾に、有毒なガスが含まれていると発表したのは、

フランスの天文学者カミーユ・フレンマリオン

(1842~1925年)でした。

新聞記事によると、「天文学者フレンマリオン博士共他(らほか)

とあり、フレンマリオン博士だけではないようですが、

尾に有毒なガスが含まれていると言った1人です。

結果、毒ガスはなかったのですが、フレンマリオンさんは、

その後どうなったのか、知りたくなりました。

 

調べました。

 

次のサイトが参考になりました。

今日の出来事SP 【今日の歴史】1910年5月19日の事【酸素がなくなる!?】

1910年のハレー彗星到来の話を詳しく紹介しているサイトです。

その中にフレンマリオン博士のことが書いてありました。

写真を載せます。

Photo_2

Photo_4

Photo_5 写真の出典はここ→LAROUSSE

 

1912年には、レジオンドヌール勲章なるものを

受勲しているんで、1910年の騒動の元凶などとは

思われていないのでしょうか。

その辺りは、全くの勉強不足ですから、何も言えません。

  

つづく

タイムスクープハンター彗星大接近その1/1910年(明治43年)

今日は令和元年5月1日。

  

前投稿に引き続いて、2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近

について書きます。

  

本年度の支援学級での社会科では、

明治時代について多く扱おうと決めています。

その中で、見せたいと思ったけど、

当時録画していなかった番組でした。

結局、シーズン2に引き続き、

シーズン3も買ってしまいました。

参考:ここでも道草 最後の授業で見せたのは「タイムスクープハンター」(2019年3月21日投稿)

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1910年5月19日に最接近した

ハレー彗星絡みのお話です。

以前何かで読んだ自転車のチューブが売れたとか、

息を止める訓練をしたとかが、

ドラマの中に織り込まれていて、

相変わらず巧みなドラマでした。

こういうドラマの制作に関わりたいと

あたらめて思いました。

  

どのような内容であったか、ここに記録しておきます。

 

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タイムスクープハンターの沢嶋雄一がやってきたのは、

1910年5月17日。

明治43年でした。

1910年の出来事をピックアップしてみます。

3月:伊藤博文暗殺犯の安重根処刑。

6月:幸徳秋水検挙。

8月:日韓併合条約調印。韓国併合。

11月:不二家開業。

これらのことがあった年でした。

(不二家開業については、また書きたいです)

マーク・トウェインが4月に亡くなっています。

516wn27jd2l__sy445_ amazon (持ってます!)

マーク・トウェインとハレー彗星は関係深いです。

 

癒しツアー マーク・トウェインの名言・格言

ここから引用。

 

1910年、ハレー彗星が75年ぶりに地球に到来。

マーク・トウェインの生まれた年(1835年)にも

ハレー彗星が観測されており、

彼が「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、

ハレー彗星と共に去っていくだろう」と周囲に吹聴していたとおり、

ハレー彗星が現れた日に亡くなった。

 

私も、マーク・トウェインを見習って、

「100歳になって、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と

吹聴しておきたいです。  

  

ちなみに2年後の1912(明治45)年が、

金栗四三等が、日本人として初参加したオリンピック、

ストックホルム大会があった年でした。

参考:ここでも道草 「いだてん」次回はストックホルム大会/オリンピックの歴史を少々(2019年3月16日投稿)

金栗四三さんは、ハレー彗星騒ぎには巻き込まれなかったのかな?

 

 

沢嶋雄一が1910年にやってきたのは、

過去に落としてきてしまったマイクロカメラ回収のため。

カメラは回収できましたが、その後が簡単ではなかったです。

 

つづく

 

「令和時代」を全て体験し、100歳と数カ月生きてハレー彗星を見たい

今日はついに元号が「令和」となりました。

令和元年5月1日です。

 

昨晩は「平成最後の日」という理由で、

ビール(350ml)を2本飲んだためか、

すぐに寝てしまい、あっけなく「令和」を迎えました。

  

「平成最後の日」「令和最初の日」の私の家族構成は、

父親、奥さん、娘、息子、そして私。

家族5人で同居しています。

おかげさまで穏やか。まずはこれがベース。

令和時代、この後どんなことが起こるかな?

  

今日は何の日~毎日が記念日~2月23日は今朝、

下のようになっていました。

Photo

1960年2月23日生まれの新天皇。

私とは1年1ヶ月と2週間ほどの違い。

(私が年下)

頑張って生きて、令和時代は全て体験し、

次の時代まで味わいたいです。

  

私の目標は、100歳と3か月20日生きること。

2061年7月28日が目指す日です。

 

100歳まで生きることは、24歳の時に決めました。

 

その時、私は山の学校に勤務した年度。

1986年1月か2月?(新任の年)

学校のすぐ横にあった天文台で、ハレー彗星を観察しました。

(望遠鏡を使っても、あまりよく見えませんでした。

 観測には不向きな到来だったようです)

その時に気がつきました。

ハレー彗星の周期は76年。

次に地球に最接近する時に何歳になるかな?と計算したら、

24+76=100!  ちょうど100歳です。

また見たいと思いました。

最近、授業で使った映像です。

2010年12月28日放映の

タイムスクープハンターSP 滅亡パニック!彗星大接近」です。

1986年の76年前、1910年のハレー彗星接近の時のことを

描いたドラマでした。

(もう9年が経つのですね。でも授業で役立ちました)

そのラストシーン。

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この番組で初めて

初めて「7月28日」だと知り、

1961年4月9日に100歳になっただけでなく、

もう3か月20日頑張って生きないと、

ハレー彗星を見ることができないと知りました。

  

  

令和時代最初の投稿は、令和時代を全て体験して、

100歳まで生きるぞという宣言でした。

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