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2012年4月

2012年4月26日 (木)

2007年大岩壁に挑戦する山野井夫妻

  

今日は4月26日。

   

山野井泰史さんについての投稿は今日3本目。

2008年10月20日放映の「NHKスペシャル 夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」を見ました。

2007年の夏に、グリーンランドの高さ1300mの大岩壁に夫婦で挑んだドキュメンタリー。

映像の写真を載せていきます。

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1300mの大岩壁に、山野井さんは「オルカ」という名前をつけました。

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このようなルートで登る計画を立てました。

予定では3週間。

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番組では、ロッククライミングの基本知識を説明してくれました。

こういう手順で登っていくのかとわかりました。

トップとセカンドが信頼して登ること、

さらにはロープとかカム、あるいはハーケンといった道具にも信頼をして登ることもわかりました。

   

今回は、山野井夫妻と、助っ人で山野井泰史さんの先輩のクライマー木本哲さん。

さらにはカメラマンも同行。

登る姿を今までにない映像で紹介してくれていました。

いやはやカメラマンも大変だ。命がけの撮影。

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これは撮影している場面。

竿の先にカメラをつけて撮影しています。

こんな映像が撮れるわけです。

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最大の難所は、やっぱり最後の垂直に近い壁ヘッドウォールです。

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よ~く見てください。

下の写真に山野井夫妻が写っているのがわかりますか?

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だんだんアップにしていきます。

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いかに巨大な岩壁に挑んでいるのか、いかに危険なのか感じられると思います。

手足の指を多く切断しているハンディを克服しつつ、

ゆっくり登っていく2人は、とにかくすごいです。

こうしてヘッドウォールを登り切って、稜線に上がります。

しかしそこも狭い狭い。踏み外せば1000m落下です。

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しかし、山野井妙子さんは、稜線にたどり着くと「やっと安全地帯だ」と言います。

ビックリです。

いかにそれまでが危険なのかを物語ると思います。

   

19日かけて、山野井夫妻はオルカを登り切ります。

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2人のコメントです。

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山野井妙子さん

「自分のできる範囲しかやってないけど。

指が短くなった時は、ガチュンカンの後は、

本当に岩登りができるとは思っていなかったし、

こういうこと(オルカ登頂)はできないと思っていた。

山歩きぐらいしかできないかな(と思っていた)。

やっぱり楽しいから、できる範囲でやりたいなあ。」

できる範囲がだんだん広がっているんだよな。広げていく原動力が楽しさの追求。 

楽しいと思っているうちに、すごいことをやっているんだよなあ。  

 

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山野井泰史さん

「クライマーとして、まだまだ可能性があるかなと

少し思った。

それがクライマーとしてはうれしいです」

諦めない人ですね。

謙虚そうに見えますが、ハンディを背負いながらも、究極を目指しているなあと思いました。

肩の力が抜けているように見えながら、握りこぶしは握っているような・・・。

これからどんなことをしてくれるのかな。

Wikipediaによると、2008年にクマに襲われ重傷を負ったようです。

   

じっくり見た映像でした。



    

 

鱈ちり

  

今日は4月26日。

  

鱈(タラ)と言えば、「鱈ちり」が浮かびます。

鱈ちり~1
http://notoryokan.com/menu/cat6/post_82.shtml

   

鱈を鍋で食べるのは、大好物です。

「ちり」とは何か?

何度も使ってきた言葉ですが、今日は疑問に思いました。

やったね。

調べました。

   

「ちり」とは「ちり鍋」のことでした。

語源由来辞典からの引用です。

http://gogen-allguide.com/ti/chirinabe.html

ちり鍋とは、「白身魚・豆腐・あくの少ない昆布だしで水炊きし、

ポン酢醤油と薬味で食べる鍋」のことです。

さらにこんな説明が・・・これが面白い。

ちり鍋は、幕末から明治にかけ、刺身を食べない西洋人が熱湯につけて食べたのが始まりという。

新鮮な切り身を熱い湯の中に入れると、身がちりちりと縮むことから名付けられた。

また歴史につながった!と叫びたくなりました。

西洋人によて発明?された料理だったのですね。

ちり鍋には「鯛ちり」「鱈ちり」「河豚(ふぐ)ちり」というように、

鍋の主役の白身魚の名前がつくわけです。

   

今は春。

鱈ちりシーズンは過ぎました。

次の冬を楽しみにします。

   

 

 

鱈腹

 

今日は4月26日。

   

今回は「山芋」を擂って(すって)の山かけご飯と、

タラのバター醤油焼きに挑戦しました。

※参考:http://cookpad.com/recipe/1758807

   

タラ(鱈)について。

なぜ「雪」なのか?

このサイトが参考になりました。

「魚屋たっちゃん 魚の薀蓄」 ra

引用します。

「鱈」がなぜ魚に雪がついたか?というひとつには、真っ白な身が雪のようだから、

又雪がちらつく1月~2月が旬だからという説がある。がどれが正しいかは、わからない。

   

だそうです。さらに面白いことが書いてありました。

雪の魚とは、なんともロマンチックな響きだが、

食性はというと口に入るものなら何でも手当たりしだいに食べてしまう雑食性で、

そのためプックリと膨れ上がったおなかのことを、「鱈腹(たらふく)」というのだそうです。

   

ね、面白いでしょ。

「たらふく」の語源は他にあるようですが、鱈の腹がプックリしていることから、

当て字で「鱈腹」と書くそうです。勉強になった!

今回の投稿のタイトルは「鱈腹」の2文字ですね。(次の投稿につづく)

   

 

 

沢村栄治4.山口千万石さん/美緒さん

   

今日は4月26日。

   

前投稿のつづき。

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4月1日放映の「サンデースクランブル」の写真。

沢村栄治さんと一緒に写っているキャッチャーは、山口千万石(せんまんごく)さんでしょうか。

小学校・中学校・高校と沢村さんの球を取り続けた山口さんは、

沢村栄治とその時代」(東京書籍)の中でも何回も出てきます。

写真の提供が「山口茂樹氏」となっています。

千万石さんの御子息ではと、勝手に想像します。

   

前投稿で書いた京都学園高校の銅像について調べた時に、

山口千万石さんの名前が出てきました。

「四国新聞社 2003年11月29日 京都の母校に記念の銅像」49

   

プロ野球の「沢村賞」で知られ、27歳の若さで戦死した“伝説”の剛速球投手、

沢村栄治(1917-44年)のが母校の京都学園高校(京都市右京区、旧京都商業)に建立され、

当時のチームメートら約450人が出席し、29日除幕式が行われた。 (中略)

像は京都商業のユニホーム姿で、左足を高く上げた躍動感あふれる投球フォームを再現。

台座を含め高さ約3メートル。甲子園出場の記念樹がある園庭に建てられ、

長女酒井美緒さん(59)=愛媛県八幡浜市=らが除幕した。

像の脇には、高校時代にバッテリーを組み、今年8月、86歳で亡くなった山口千万石さん=三重県小俣町=

「永遠の誇り沢村栄治像を未来の平和に願いを込めて、母校に学ぶ若人諸君に贈る」と記した碑が設置された。

   

像が完成する直前に亡くなったことがわかりました。

本の中では元気いっぱいの千万石さんでしたが、確実に時は流れました。

それでも長生きしてよかったです。沢村栄治さんの分も生きたのでしょうか。

娘さんの美緒さんの名前も出てきました。

「沢村栄治とその時代」から引用。  

    

美緒という名前は(奥さんの)ゆふがつけた。栄治も気に入っていた。

(中略)

栄治が美緒の小さな布団を敷くことになっていた。

美緒を真ん中に栄治とゆふは休んだ。

栄治は、美緒の寝顔を飽きもせずいつまでも眺めていた。

美緒を中心とした生活は、栄治に新しい気持ちの張りを与えた。 (274p) 

   

栄治さんが美緒さんと一緒に生活できたのは、4か月余り。

無念だっただろうなと思います。

   

(つづきは明日の投稿)

 

 

   

 

沢村栄治3.京都商業の場所/慶応の腰本監督

  

今日は4月26日。

   

前投稿のつづき。

沢村栄治とその時代」(東京書籍)から引用。

   

京都商業の周辺には、妙心寺の塔頭が点在していた。

等持院、竜安寺なのど名刹もこの地域にあった。

京都の街は、静かな佇まいの中にあった。

栄治は、生まれ故郷の宇治山田と似た雰囲気を、この街に感じた。 (70p)

   

最近京都に行って、その時の宿「花園会館」については書きました。

「すごい人いるもんだ/アニメのロケ地撮影」html

上の文章を読んで、京都商業が妙心寺の近く、

つまり花園会館の近くだと知りました。

現在、京都商業とは言わずに、「京都学園高校」です。

地図で見ても、花園会館からはすぐのところです。

残念。もう少し早く知ったら、出向いて、沢村栄治さんの銅像も拝んだのになあ。

800px-Sawamura_Kyoto_Gakuen
「Wikipedia 京都学園中学校・高等学校」A1

   

 

 

 

   

驚いたのは京都商業だった。慶応の監督が、沢村栄治を見たいと言って突然に訪れたのである。

しかも、高松に行く途中にわざわざ寄ってくれたのだという。

六大学の名監督にコーチしてもらえるという願ってもないチャンスに、

校長の辻本光楠をはじめ、野球部関係者は小躍りした。

校長の辻本光楠が、早々腰本(寿)をグランドに案内した。 (76p)

 

当時は、東京六大学野球が、野球ファンの心をつかんでいた時代。

そこの監督が、年に一度高松商業にコーチに行く列車の中で、

沢村栄治さんの記事を読んで途中下車。京都商業に現れました。

沢村栄治さんの投げる球を打つために、腰本監督はバッターボックスに入りました。

   

マウンドで栄治が振りかぶった。そして、最も得意とする真っすぐの速い球を投げ込んだ。

その瞬間、腰本は思わず腰を引いてしまった。

栄治の速球は、腰本の胸元をえぐるように食い込んできたのだった。

ストライクだった。腰本は、ごくっと唾をのみ込んだ。手には汗がにじんでいた。

「もう一球」

とマウンドの栄治に叫んだ。栄治は大きく振りかぶった。

腰本のバットが素早く回転した。しかし、栄治の球にはかすりもしなかった。

キャッチャーの千万石が、腰本の顔を見ながら微笑した。

そして、ボールを両手でゆっくりこねてから、栄治に返球した。

ついに、腰本は栄治の球に触れることができなかった。

沢村栄治というピッチャーを一目見たらすぐ高松に向かおう、

と考えていた腰本の予定が大幅に狂ってしまった。

栄治を見た腰本の京都での滞在が、三日、そして四日と延びていった。

京商関係者が恐る恐る腰本に、「高松の方はよろしいんやろか」と訊いた。

KEIOのユニフォームに着替え、グランドに立っていた腰本は、

「高松も大事だが、今はこの少年が私にとって一番大事なのです」

と言うと、栄治の肩をぽんとたたき白い歯を見せた。

腰本の頭の中は栄治のことで一杯だった。

朝7時から8時15分までの早朝練習、授業が終わる3時から6時過ぎまでの練習に、

それこそつきっきりで栄治を指導したのだった。 (77p)

    

結局、腰本監督は2週間滞在したそうです。

腰本監督に指導してもらったおかげで、足を高く上げる沢村さんの特徴的な投法を身につけ、

より速い球を投げられるようになりました。

沢村栄治さんは、腰本監督に感謝し、慶応大学でプレーをしたいと考え始めます。

しかし・・・(次の投稿につづく)

沢村栄治2.正力松太郎/大人の都合

   

今日は4月26日。

   

前投稿のつづき。

黒鉄ヒロシさんのコメントをきっかけに、図書館で借りてきた本を読みました。

沢村栄治とその時代」(北原遼三郎著/東京書籍)です。

EPSON094
   

漠然と知っていた沢村栄治さんのことが、ググッと迫ってきました。

引用したい文がたくさんあります。

図書館に返す本なので、できるだけ書き写したいです。

  

しかし、理屈と膏薬はどこにでも付く、というのが正力(松太郎)の口癖だった。

頭の中でこれだと閃いたものをまずやってみる。理屈はそれからでいい。

そんな正力の決断は、いつも速かった。

その判断がときには失敗に結びつくこともあった。

しかし、失敗を恐れていては読売の再建はできない、と正力は常々考えていた。 (23p)

   

最近、プロ野球創世記のことをいろいろな角度から調べていますが、

正力松太郎さんの名前は必ず出てきます。またまた登場といった感じ。

この本で、決定的。次はこの人の本を手に入れよう。

正力さんの上の考え方は、支持。欲しいのは「閃き」・・・最近乏しい。

でも自分にまだまだ期待しています。

   

    

両手をがばっと畳につき、(栄治の両親の)賢二とみちゑに深々と頭を下げながら、

京都のじいやん(伊東藤四郎/賢二の実父)は京都商業校長・辻本光楠とのやりとりを思い浮かべていた。

「伊東さん、栄治君は必ず我が京商に来てくれますね、大丈夫ですね」

「・・・・はあ、何とか」

「何とかじゃ困りますよ。我が京都商業は、近い将来中等野球界に覇を成そうと考えているんですよ。

そのためにもお孫さんの栄治君はぜひ必要な選手なんです。

いいですか、伊東さん、もし約束を違えた時には、

先刻お貸しした資金はすぐ返してもらいますよ」

「あ、いや必ず約束は守ります。はい」 (中略)

伊東藤四郎ーーー京都のじいやんは、栄治の人生にまとわりつき、

そして消しがたい影を落としていった。 (69-70p)   

    

黒鉄さんの言う「大人の都合」が見えてきました。

大人の都合が、沢村栄治さんの命さえ脅かすことになります。 (つづく)

   

 

   

   

 

沢村栄治1.黒鉄ヒロシさんのコメント

  

今日は4月26日。

   

4月1日の「サンデースクランブル」で勉強したこと。

    

この番組の最後は、黒鉄ヒロシさんの「千思万考」のコーナー。

毎回、歴史上の人物が紹介され、黒鉄ヒロシさんの思いが語られます。

この日は「沢村栄治」でした。

   

1 

沢村栄治さんは、沢村賞の「沢村」です。

1917年、三重県出身。

京都商業に進学して、豪速球で有名になりました。

京都商業を中退して、職業野球へ。

1934年、17歳で、来日したアメリカメジャーリーガーとの試合に出ます。

ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックといった強打者のいるチームを相手に、

沢村栄治さんは好投し、大リーガーを驚かせました。  

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アメリカメジャーリーガーとの対戦後に誕生した巨人軍と沢村さんは契約。

プロ野球での活躍が始まります。

しかし、戦争に2度召集され、体を壊し、

力を出せなくなります。

3度目の召集で、戦死。

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3

黒鉄さんはこう言いました。

  

日本プロ野球ができる時の大人の都合とかエゴなんかに巻き込まれて

悲劇の人生を送ってしまったという、非常に無残な話です。

(メジャーリーグとの戦いの前に)学生とプロが戦ってはいけないという法律が、

文部省から出るんです。

彼(沢村)は、京都商業だったのですが、

慶応大学に進学が決まっていたんです。

でも(京都商業を)中退して・・・

高校中退ですから、中学卒業になっちゃうんですよね。

(中略)

ジャイアンツ(巨人軍)は、(沢村が入団する時に)一生面倒を見ると言っていた。

(中略)

3回の召集令状っていうのは、異様に思えますけど、・・・・

(中略)

日本の場合は、システムとして中卒は(前線に送り出されます。)

高校卒の資格をジャイアンツは取らせると(沢村さんに)言ったにもかかわらず、

(とらせることをしなかった)。

非常に暗闇の中、不条理のね・・・・・

沢村に声をかけてあげたい。

プロ野球好きの人は、沢村の歴史をなぞるべきだと思います。

   

黒鉄さんのコメントは説明不足でした。

短い時間では、沢村さんの身に起こったことは話せないと判断したのでしょう。

中途半端な語りでした。そうならざるを得なかったのでしょう。

だからラストに言っています。

プロ野球好きの人は、沢村の歴史をなぞるべきだと思います

そうします。

さっそく行動に移しました。(次の投稿へ)

   

 

   

 

 

情熱大陸 山野井泰史


   

今日は4月26日。

   

(とう)」(沢木耕太郎著/新潮文庫)を読んで、

山野井夫妻に興味をもちました。

映像を見ました。

2006年6月11日放映の「情熱大陸 クライマー 山野井泰史」です。

6年間積読ならず積視(つんし)?していた映像。

「凍」で頭の中で描いていた山野井夫妻の風貌や切断した指、

挑戦している山や岩、氷壁などを映像で見ることができました。

2002年に「凍」の舞台、ヒマラヤ、ギャチュン・カン北壁登頂。

その4年後の映像。

指を切断したにもかかわらず、トレーニングに励む山野井夫妻。

そして、2005年には中国のポラタ北壁単独登頂。

7日間、ほとんど不眠不休で、高低差850mを登り切ります。

すごい情熱。

   

映像の山野井泰史さんはひょうひょうとしていました。

もっと静かな人とイメージしていましたが、饒舌でした。

でも滑らかではありませんでした。きっとテレビスタッフへのサービスだったのでしょう。

そういう人だと、「凍」に書いてありました。なるほどと思いました。

山野井夫妻が挑戦している岩や氷壁は、思ったより危険だと思いました。

すごく危険だと思うのに、天気のいい日に楽しそうに登っているシーンが最初に出てきました。

少し気を抜いたらバランスを崩して落ちちゃうのに、笑顔。

実力だろうなあ。

私は岩登り、一生やらないなとあらためて思いました。

  

映像の写真を載せます。

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次は、山野井夫妻の2008年の映像を見ます。




里芋と味醂

   

今日は4月26日。

   

今度は煮込みうどんを作りました。

えのき、ちくわ、玉ねぎ、人参、サトイモ・・・具をたくさん入れたために、

土鍋の中で山のようにうどんを作りました。

相変わらず、疑問。

   

サトイモは漢字で書くと「里芋」なぜ「里」?

調べました。

山で採れる「山芋」に対して、人家・村里で採れる芋ということで「里芋」でした。

これは予想通り。サトイモの皮むきは難しかったです。

   

今回のうどんはしょうゆ味。しょうゆとだしとみりんを入れました。

なぜみりんを入れるの?みりんの効果は?

調べました。

このサイトが詳しい。※「11月30日は本みりんの日」/

次のような効果があります。引用します。

 

効果1. ふっくら上品な甘み。

砂糖は強い甘み。でも、本みりんは温和な甘み。

その違いは、砂糖の成分が甘みを強く感じるショ糖なのに対し、

本みりんに入っているブドウ糖やオリゴ糖などの糖類は、どれも甘みが柔らかいので、

その分、料理がまろやかで上品な仕上がりになります。

  

効果2. テリ&ツヤ。

本みりんを、お酒と砂糖で代用してもダメなんです。テリ&ツヤ効果が格段に違いますから。

複数の糖類が食材の表面に膜をつくり、テリとツヤをつけながら素材の水分や旨みを保ちます。

  

効果3. 煮くずれ防止。

糖とアルコールが働いて、煮くずれしない。

だから見た目が美しいだけではなく、食材の旨みを外に逃がしません。

  

効果4. 深いコク&旨み。

原料のもち米から生まれる、アミノ酸やペプチドなどの天然の旨み成分と糖類、

その他の多種多様な成分が複雑にからみあって、豊かなコク、深い味わいが生まれます。

  

効果5. 味がしみこむ。

まず、アルコールが素早く食材にしみこみ、

同時に、旨み成分アミノ酸や糖類などの味もしみこみやすくなります。

また、醤油や味噌などの調味料とも相性がよく、味をまとめる効果もあります。

  

効果6. 消臭。

熱が加わりアルコール分が飛ぶときに、アルコールと一緒に魚や肉の臭みも飛び、

さらに、アミノ酸と糖類も生臭さを消す役目をします。

  

   

すごいね、みりん。

漢字で書くと、味醂・味醂酒・味醂酎(みりんちゅう)・蜜淋酒・蜜淋酎・美淋酒・美林酒。

淋は「淋しい(さびしい)」の意味ではなく、「したたる」の意味。

みりんが、とてもいいものだとわかる漢字です。

 

「凍(とう)」・・・無敵の山野井夫婦

   

今日は4月26日。復帰まであと6日。

   

本「凍(とう)」(沢木耕太郎著/新潮文庫)を読みました。

327512

チョモランマのお隣、ギャチュンカンの北壁を登った山野井泰史さん妙子さん夫妻の話。

雪崩などに巻き込まれ、凍傷にさいなまれつつも生還した状況が、

詳しく再現されています。

沢木さんが、とことん2人から聞いて書いたんだろうなと思いました。

   

本の最後の解説(池澤夏樹)の引用。

妙子はどうなんだろう。どんな場合にも泰史のようには熱くならないように見える。

もっと落ち着いて、着実に動く。

それでまちがいなく高度を稼ぎ、登り、降りてくる。

落ち着いているのは女性だからか歳が上だからか。

いずれにしても、目的を共にしながらそこに至る経路が微妙に違うこの二人の組み合わせは無敵だ。

一方が不得手な局面で他方が力を発揮する。 (362p)   

   

この本を読み終わって、同感。

お互いに頼っているし、愚痴も言ういい夫婦だと感じました。

  

私の手元には山野井泰史さんの映像が2本あります。

録画したまま見ていませんでしたが、今度見てみようかな。

ふつうは映像が先だけど、今回は本が先で映像が後になりました。

 

 

 

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