「週刊 マンガ日本史」
今まで迂闊にも、朝日新聞出版の「週刊マンガ日本史」を見ていませんでした。
本屋の立ち読みで知りました。
これはいい。
それに、毎週学年通信で宣伝している「龍馬伝」の「坂本龍馬」が、
6月8日に出版されます。
まさにタイムリー。感謝。
子どもたちにこの本も紹介しないとね。
こちらがその気になると、
こうやって世間が味方をしてくれます。
これはかつて中学校で社会科を教えている時から感じていたこと。
今まで迂闊にも、朝日新聞出版の「週刊マンガ日本史」を見ていませんでした。
本屋の立ち読みで知りました。
これはいい。
それに、毎週学年通信で宣伝している「龍馬伝」の「坂本龍馬」が、
6月8日に出版されます。
まさにタイムリー。感謝。
子どもたちにこの本も紹介しないとね。
こちらがその気になると、
こうやって世間が味方をしてくれます。
これはかつて中学校で社会科を教えている時から感じていたこと。
5月10日に放映された「逆流!シラベルトラベル」(TV東京系)を録画してあったものを
昨日やっと見ました。
4月から始まっていた番組。
「原料を辿るとそこには驚きの光景が・・・・世界へ飛び出せ!」
というキャッチコピーも魅力的。
5月10日の原料は「鰹節」と「ワカメ」でした。
カツオにワカメ・・・・サザエさんの兄妹でした。
鰹節。
日本の鰹節輸入量は約5581t。(2009年度財務省調べ)
輸入相手国は量の多い順に次の通り。
①インドネシア
②フィリピン
③ベトナム
④モルディブ共和国
番組では、④のモルディブ共和国に飛びました。
モルディブ共和国では、カツオは国魚となっていて、大事にされている魚でした。
漁の方法は、一本釣り。
一網打尽に獲るのではなく、一本釣りにすることで、
ある程度大きくなったカツオしか獲らないようにしているとのこと。
カツオをいぶす時には、日本のカシの木が使われていました。
火持ちがよく、火力が強いために使われているそうです。
一説によると、モルディブでは、14世紀前半には鰹節があったそうです。
その鰹節の製法が、日本に室町時代に伝わりました。
つまり日本の鰹節のルーツは、モルディブにあったわけです。
あくまでも一説ですが。
ワカメ。
日本のワカメ輸入量は約53579t。(2008年度財務省調べ)
輸入相手国は、ダントツ中華人民共和国が多く、
中国でも、「大連」でワカメがさかんに生産されています。
大連でワカメが生産されるようになったのは、
1932年に日本の統治下になったときに
日本の技術者が養殖の技術を伝えたことに始まります。
一度は下火になりましたが、20年ほど前から日本の需要が増えて、
生産量を上げてきています。
獲られたワカメは、湯通しされ、
鮮やかな緑色に変わりました。(もともとは茶色)
さらに保存がきくように塩漬けにされました。
番組では、理研食品の「ふえるわかめちゃん」が加工されている工場を紹介していました。
中国に工場があるのですね。
昨日寄ったお店に、他の会社の乾燥ワカメがありました。
その写真。
裏面に記されていることを読むと、
大連での作業が目に浮かびます。
「逆流!シラベルトラベル」のHPはなかなか詳細に番組内容を紹介してくれています。
※参考:http://www.tv-tokyo.co.jp/shiraberu/index.html
日々、こういういい番組が放映されています。
全てを見ることはできませんが、
見た場合には、こうやってブログを書いたりして、
自分の血や肉にしていきたいと思います。
最近のマイブームの一つが、「奈良」
平城京遷都1300年祭の年でもあるからです。
奈良を舞台にした映画「沙羅双樹(しゃらそうじゅ)」(2003年)も、
奈良に誘われて見ました。
が、今一つ楽しめませんでした。
築地塀(ついじべい)が街中にけっこうあるんだなあ。
そんな印象を持ちました。
豊川市の国分尼寺の見学に行きました。
ボランティアの方の説明は、知らなかったこともいくつかあって勉強になりました。
中門と回廊の復元のための費用は3億2千万円。
中門の瓦は全部で16000枚。
1枚の瓦は5~6㎏。5㎏としても、80000㎏。80t。
大きな象が12tくらい。つまり7頭弱の重さになります。
それだけ重くして、建物が礎石からずれないようにしていたわけです。
中門復元のために使った木材はスギの木で、
樹齢が100年以上のものを使った。
中門の赤色は、魔よけのため。
中門を復元する時にモデルにしたのは、法隆寺東大門。
※法隆寺東大門
鬼瓦の表情は、国分寺・国分尼寺ごとに違う。
国分寺には塔が建てられる。
そうだったんだ。
豊川市の国分寺には塔があったと知って、
国分寺の中でも特別なのかなと思っていました。
国分寺には塔を建てることがルールだったのですね。
塔はお釈迦さまのお墓として建てられたもので、
本来は塔の中心の柱の下に
お釈迦さまの骨(仏舎利ぶっしゃり)をおさめるそうです。
※参考:http://edu.city.ebina.kanagawa.jp/syakesyo/watashi/onko/kokubunji/kokubunji.htm「相模国分寺」
国分寺・国分尼寺がどのような過程で作られたか。
次のサイトはすごく参考になります。
※参考:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/mania2.htm「国分寺の世界」
聖武天皇の詔(みことのり)で、国分寺・国分尼寺が作られるようになったのですが、
その詔も、このサイトを見ると、読むことができます。
聖武天皇がとても謙虚な人だったと想像されます。
サイトから少々引用。
「続日本紀」からの引用の引用。
朕(聖武天皇自身)は徳の薄い身であるが、
忝けなくも重任を受け継ぎ、
まだ民を導く良い政治を広める事が出来ず、
寝ても覚めても恥じることが多い。
しかし古来よりの名君は皆祖先の仕事をよく受け継ぎ、
国家は安泰で人民は楽しみ、災害無く幸いが齎されてきた。
どのような政治を行えばこのような統治が出来るのであろうか。
このごろは田畑の稔りも豊かでなく、疫病も多い。
それをみるにつけ、我が身の不徳を恥じる気持ちと恐れとが湧き上り、
心を痛め自分を責めている。
そこで広く人民の為に普く大きな福があるようにしたい。
先年駅馬の使を遣わして全国の神宮を修造し、
去年は全国に一丈六尺の釈迦仏一体を造らせると共に大般若経を写させたところ、
秋の収穫まで風雨が順調で五穀もよく稔った。
これは真心が伝わった為で、不思議な賜り物があったというであり、
恐ろしくもあり驚きでもあり、自分でも心が安まらない。
そこで、経文を考えるに、金光明最勝王経には、
「国内にこの経を講義したり読経暗誦したり、恭しく供養し、
流布させれば、一切の災いは消滅し、憂愁や疾病も除去されるであろう。
願いは心のまま、いつも喜びが訪れるであろう。」とある。
そこで、全国に七重の塔一基を造営し、
会わせて金光明最勝王経と妙法蓮華経を書経させることとする。
また、朕は別に金光明最勝王経を写経し、
七重の塔毎に一部を置くこととする。
仏法が盛んになり、天地に永く伝わり、
四天王のご加護を死者にも生者にも届かせて、常に十分であることを願おうと思う。
(「続日本紀」より)
ああ、貴重な資料を見ることができました。
これにて、国分寺・国分尼寺のことをブログに書くのは一休み。
5月は、国分寺・国分尼寺のことをたくさん書きました。
前投稿と同じく、調べ物をしていたら偶然知ったことがりました。
マークトウェンの名前の由来。
次のサイトから引用してみます。
※http://homepage3.nifty.com/shonan-kaigan/travel/tomsawyer/sakusen.html
マークトウェイン、若い頃はアマゾン探検に向かおうと河をくだりましたが、
途中でそれが無理だとわかり、
かわりに乗っていた船の見習にしてもらうことになった。
その後蒸気船のパイロット免許をとりました。
マークトウェインというペンネームは
蒸気船が安全に進める川の深さの2尋(ひろ)(=約3.6メートル)のことで
「水深2尋!(マークトウェイン!)」と叫ぶことからきている。
英語のつづりは次のサイトから。
※http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/154.htm
by the mark, twain
知らないことでした。
面白い。
調べ物をしていて偶然知ったこと。
京都・奈良から見て
近い淡海=近江=琵琶湖 その近くの国を「近江の国」
遠い淡海=遠江=浜名湖 その近くの国を「遠江の国」
「江」は湖の意味で、「うみ」と読んでいた。
浜名湖はかつては淡水湖でしたが、地震によって海とつながっている。
本当に調べたいことはわからなかったけど、まあいいか。
おやすみなさい。
ちょっと前のTBS「サンデーモーニング」で、
「勘亭流」文字について説明していて、なかなか面白かったです。
興味を持ちました。
歌舞伎の舞台の内外で多く使われてきたようです。
※たとえば、こんな字です
次のサイトもわかりやすかったです。
※「江戸美学研究所/江戸文字の魅力3「勘亭流」
http://www.jlds.co.jp/ebilab/2010/03/-3---.html
その書体には次のような特徴があり、意味がありました。
●「字を太くすることにより隙間をなくす」(=空席が少ないように)
●「文字に丸みをもたせ尖らせない」(=興行の無事円満を祈る)
●「ハネは内側に入れる」(=お客様を芝居小屋に招き入れる)
「勘亭流」文字は、もう歌舞伎の世界だけでなく、
ちまたの看板でもよく見かけるような気がします。
お店であれば、上のような書体は縁起が良さそうです。
気がついたら、写真に撮って、このブログに掲載します。
フルトヴェングラーやカラヤンのことを調べる機会があって、
彼らが指揮をしていたベルリンフィルハーモニー管弦楽団のことも知りました。
指揮者にとっては憧れのオーケストラ何だろうなと思いました。
来年の5月に、そのベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期公演に、
日本人指揮者佐渡裕(さどゆたか)さんが、指揮をするというニュースを見ました。
調べた後だけに、このことがすごいことだとちょっとわかります。
ほぼ1年後。
楽しみです。
カラヤンがなりたがっていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者。
今は誰なのだろう。
いい機会なので調べてみました。
わかりました。
2002年より、サイモン・ラトル(1955年~)でした。イギリス人。
NHK「歴史秘話ヒストリア 奈良の魔法使い
~日本を救った遣唐使・吉備真備~」(5月19日放映)を見た。
4月始めにドラマ「大仏開眼」を見たが、
そのドラマの主人公も吉備真備でした。
今年は平城遷都1300年ということもあって、
注目されているのでしょう。
そんな今だから、本物を見るチャンスがあることが、
番組を見ていてわかりました。
奈良国立博物館で開催中の「大遣唐使展」で、
「吉備大臣入唐絵巻」の一部が展示中とのこと。
展覧会は6月20日(日)まで。
全く今まで知らなかった絵巻ですが、
番組の紹介がうまくて、興味を持ちました。
アメリカのボストン美術館所蔵の絵巻だけに、
本物を見られる貴重な機会となる。
さあ、どうしよう。日帰りで奈良まで行くか!
自分で始めておいて何ですが、
「国分寺・国分尼寺シリーズ」を終えれてホッとしています。
普通のブログに戻ると言った感じ。
昨晩は、久々の方と飲み会。
もう今年度で引退の年とのこと。
そうなるんだ。
昔、社会科の先輩教師としてアドバスや励ましをたくさんもらった方です。
自信をもらったなあ。
出張先で久々に会って、
今度飲むか、という話になって、その時に日も場所も決めました。
昨晩飲んだ場所は、焼き鳥屋。
2か月に一度くらいしか行かないのに、
昨晩はビックリすることがありました。
軟骨の唐揚げを最初に頼んだのですが、
もう一回食べたくなって、また頼みました。
店員の女の人が、「軟骨の唐揚げ、お好きですね」と返してくれました。
「え?」
「いつも、ビールと軟骨の唐揚げ、とん平焼きを最初に注文しますよね」
「え?」
いやはや驚きました。
まさにその通り。
昨晩はまさにその通りの注文。
そして、言われてみればいつもその注文。
さすがプロ。若くてもあなどれず。
ちゃんと覚えられているんだ。
若い人たちばかりが切り盛りしているお店。
店員さんもどんどん変わっているのではという先入観もあり、
こちらは店員さんの顔をちっとも覚えていませんでした。
それなのに、注文も覚えられていてビックリ。
いい気分にさせてもらいました。
また行っちゃうだろうな。
軟骨の唐揚げって、いいですよね。
ビールとこれで十分。
(前投稿のつづき)
ずっと三河国分尼寺について書いてきました。
今回は三河国分寺のことを書きます。
建物の配置予想図は次のようです。
現在、この遺跡の上には500年ほど前から別のお寺があり、
遺跡は下に埋もれたままです。
三河国分寺跡の大きな特徴は、塔が建っていたことでしょう。
50mの高さの五重塔(あるいは七重塔)があって、
その塔が建っていた基壇が高く残っています。
石碑の右の奥にあるのが基壇。礎石も見られます。
奈良や京都でおなじみの塔が、こんな地元にもあったなんて驚きです。
石碑の左の八幡公民館の裏手にはすごいものがありました。
遺物の瓦を根っこに取り込んだ椿です。
こんなことがあるんだ。
以上で、ずっと書いてきた「国分寺・国分尼寺下見」シリーズは一度終了です。
タイムアップです。
これらの調べたことが明日の見学、
それだけでなく、将来も役立ってほしいと思います。
平成17年に三河国分尼寺跡が史跡公園になったことから、
毎年豊川市内の小学校6年生が見学に無料で行けるようになりました。
久々の6年生担任で、初めてこの機会を得ました。
でも何もわかっちゃいませんでした。
それで調べることに。
資料がある程度蓄積することができました。
資料置き場的なブログの使い方です。
わずかに残っているものと復元されたものから、
子どもたちが1250年ほど前を想像する体験をさせたいです。