国分寺・国分尼寺下見18(最終回)/三河国分寺塔
(前投稿のつづき)
ずっと三河国分尼寺について書いてきました。
今回は三河国分寺のことを書きます。
建物の配置予想図は次のようです。
現在、この遺跡の上には500年ほど前から別のお寺があり、
遺跡は下に埋もれたままです。
三河国分寺跡の大きな特徴は、塔が建っていたことでしょう。
50mの高さの五重塔(あるいは七重塔)があって、
その塔が建っていた基壇が高く残っています。
石碑の右の奥にあるのが基壇。礎石も見られます。
奈良や京都でおなじみの塔が、こんな地元にもあったなんて驚きです。
石碑の左の八幡公民館の裏手にはすごいものがありました。
遺物の瓦を根っこに取り込んだ椿です。
こんなことがあるんだ。
以上で、ずっと書いてきた「国分寺・国分尼寺下見」シリーズは一度終了です。
タイムアップです。
これらの調べたことが明日の見学、
それだけでなく、将来も役立ってほしいと思います。
平成17年に三河国分尼寺跡が史跡公園になったことから、
毎年豊川市内の小学校6年生が見学に無料で行けるようになりました。
久々の6年生担任で、初めてこの機会を得ました。
でも何もわかっちゃいませんでした。
それで調べることに。
資料がある程度蓄積することができました。
資料置き場的なブログの使い方です。
わずかに残っているものと復元されたものから、
子どもたちが1250年ほど前を想像する体験をさせたいです。
コメント