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2008年12月

2008年12月31日 (水)

やっとウサギの歯を見ることができた

今年度は飼育委員会の担当。

今日はウサギ、インコ、金魚にえさやりに行ってきました。

ウサギの歯を見たいとずっと思ってきました。

エサをやりながら、わざとエサを高い位置にして、

ウサギが立ち上がってあごを上げるような食べ方にさせます。

そうすれば見えると思って・・・。オス2匹の様子です。

Pc310026 Pc310027

   

    

    

今までに何度も挑戦してきましたが、

ウサギの唇は厚く?なかなか歯を見せてくれません。

ところが、2008年の最後の日、ついに見ることができました。

写真撮影もできました。

Pc310035 Pc310039

    

    

    

現在学校で飼っているのはオス3羽、メス4羽。

これらは親と子で構成されている家族です。

お父さんが初めて私に歯を見させてくれました。

上の前歯が1本ちらっと見えます。

縦じまが入った歯で、歯の先はギザギザでした。

    

さらにオスの子どもが歯を見せてくれました。

Pc310020 Pc310023

   

   

   

何と、上の前歯1本だけでなく、下の前歯1本も見ることができました。

大成功!

   

ここでウサギの歯の構造について調べました。

うさぎの歯は前歯が6本。奥歯が左右に11本ずつの計28本あります。

6本の前歯は、上に4本、下に2本。

そして驚きは、上の4本は横に4本並んでいるのではなく、前後に2本ずつあります。

マンガでよく見るように、上の前歯は2本に見えるわけですが、その後ろに2本が隠れていたのです。

知らなかった。

参考にしたのは次のサイト。http://www.linkclub.or.jp/~rabbit/ha/index.html

現役の「けぬき」/他には名前がないのかな?

前投稿のつづきのような内容です。

通勤途中で見かける現役の「けぬき」です。

Pc310008_2    

   

    

踏切を渡ってちょっと行ったところに神社があります。

その神社のお祭りの時には、大きな幟(のぼり)が立ちます。

今調べている「けぬき」も、ここと同じように、

神社からは離れているけど、大通りから神社に向かう道の両脇にあって、

にぎやかに幟を立てたと予想します。

    

Pc310074

Pc310076_2    

   

    

近くの神社の写真です。

正月を目前にひかえて、準備がされていました。

鳥居の両脇に「けぬき」があって、幟がはためいていました。

    

この幟を立てるものは「けぬき」で正しいのでしょうか。

「けぬき」で検索しても、「毛抜き」しか出てきません。

他の呼び名はないのでしょうか?

調べてみました。

   

「幟杭(のぼりくい)」と言う言葉が国語辞典にありました。

意味は「幟竿を立てるための杭」です。杭か~、杭じゃないかなあ。

   

東京の住吉神社では、大幟の柱を立てるために、

木製の大きな「けぬき」が組み立てられます。

その「けぬき」の名前は「抱木(だき)」と言うそうです。

※たとえばこのサイトが参考になります。

http://rekishi-roman.jp/miyamikosi/page-12-20.htm

この「抱木」はいい名前だと思います。

幟の竿は木です。その木をはさむように、抱くように立てるわけですから。

   

今は神社の人も忙しいので、遠慮。

しばらくしたら神社の人に名前を聞いてみたいと思います。

幟(のぼり)を立てるものがなぜここにあるか?

調べることが好きと思われているためか、時々他の人から宿題が出ます。

「国道から学校(方面)に向かって上がる坂道の入口に、

幟を立てるものがあるけど、使われているのを見たことがない。

なぜあそこにあるのか調べてほしい。」

これは同僚の先生からの宿題。

その先生は、幟をたてるもののことを、「けぬき」と呼びました。

さっそく写真撮影。

Pc290018 Pc290019

   

    

    

よく見ると刻まれた字があります。

どうにか読めたのは次の文字。

「大正十二年旧九月」

「寄府者  加藤□□  □□□□  白井□□」

寄付の「付」は、「府」に思えました。

大正12年といえば関東大震災のあった年。

寄付者として3人の名前が書いてあるようですが、読み取りができませんでした。

   

「けぬき」のすぐ傍らの家におじゃまして、そこの人に尋ねました。

白髪の60歳くらいの男の人でした。

なぜここにあるのかわからないとのこと。

昭和50年過ぎに越してきた時にはすでに使われていなかったとのこと。

さらに道の反対側にもあったが、撤去されたそうです。

つまり過去にこの坂道の入口の両脇にあって、

幟が立っていた可能性があったわけです。

では、何の幟が立っていたのか?

その方が、「白鳥神社の幟が立ったと聞いたことがあるような・・・」と思いだしてくれました。

坂道を上がって、車で5分ほど行ったところに今も白鳥神社があります。

そこの幟が立ったのか?

ではなぜ今は立たないのか?

   

「けぬき」のある場所は、狭いながら公の土地だそうです。

役所からその場所を買ってほしいと言われているけど、

「けぬき」を撤去したら買うと言っているそうです。

「けぬき」はかなり深く基礎があるようで、撤去は大変だそうです。

役所も撤去してくれないので、そのままになっているそうです。

    

ヒントはもらいました。

また来年、調べてみようと思います。

なかなか面白そうな宿題になってきました。

2008年12月30日 (火)

遥拝所/鑓水遥拝所の鳥居を寄進した人たちの話

終業式のあった24日の午後、本宮山に登り、

かつて鑓水遥拝所にあった鳥居をくぐりました。

その時に鳥居に彫り込まれた寄進者の3人の名前を見つけました。

そのことを以前投稿に書きました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/12/post-7240.html

3人の名前は、

「大原治兵衛」

「天野英次郎」

「大原廣吉」です。

どういう人かな?当時の地区の有力者なのかなと思っていました。

しかし今、「大原」とか「天野」という苗字は残っていないなあと不思議でした。

    

先日、砥鹿神社から頂いた資料の中に、

「郷土のむかし話ーお蔵納めー」(平成2年発行/発行者・砥鹿神社/非売品)のコピーがありました。

そこにこの3人の話が載っていました。何と3人は親子でした。

治兵衛さんは、鳥居のできた付近の農家の次男坊でした。

治兵衛さんは少年の時に大志をいだいて江戸に出ます。

丁稚奉公(でっちぼうこう)に励んだ治兵衛さんは、働いてもらった銭を蓄えていきます。

借財がかさむと、御家人株を売る武士が出てきました。

治兵衛さんは、蓄えていたお金を投げうって御家人株を買い、

その家格と大原の姓を受け継ぎ、御家人大原治兵衛と名乗る武士になりました。

その後も武士として頑張った治兵衛さんは、大原家を立派にしました。

妻をめとり、二男一女に恵まれました。

長男は天野家に養子になり天野英次郎となりました。

二男が大原家をつぎ、大原廣吉となりました。

鳥居建立を思い立ったいきさつを引用します。

   

さて心願を抱いてひたすら励み続けてきた彼(治兵衛)もいつかいわゆる晩年となり、

己の人生を顧みる齢となった。

三河の草深い田舎から江戸を目指して乾坤一擲(けんこんいってき)、

冒険を覚悟の門出をして来たが、幸い諸縁吉祥に恵まれ努力の甲斐あって心願成就を果たすことができた、

これも常に心の支えに御加護を祈願し続けていた三河の山、本宮山の大神の御恵みである、

満願を記念して故郷の本宮山へ報恩の石鳥居を奉納して

晩年を全うしようと発願(ほつがん)したのであった。(88P)

   

その話を息子たちに話したら、2人の息子も喜んで協力することになったわけです。

鳥居に刻まれた3人の話を知り、

ただただ名前だけだったのが、ふくらみました。

こういうのがうれしい。

    

ずっと続けてきた遥拝所シリーズ。一度ここで切りにします。

2008年12月29日 (月)

遥拝所/鑓水遥拝所の鳥居の解体

本宮山の遥拝所の一つ「鑓水(やりみず)遥拝所」

そこの鳥居が解体されて、本宮山の頂上に移されたのは昭和48(1973)年。

35年前のことでした。

砥鹿神社で、解体工事の写真を接写させていただきました。

Pc260157    

    

     

クレーンを使っての工事だったとわかります。

35年前らしい、信号機の緑縞模様。

手前の道が今の国道151号線。

   

2枚目の写真。

Pc260158     

    

    

おそらくさっきとは逆方向からの写真。

建物の左にそびえたっているのが、本宮山でしょう。

遥拝所が、本宮山に正対してして建っていたことがわかります。

工事は進みます。

Pc260160 Pc260159

    

    

     

35年前の写真。わくわくした気持ちで見ました。

貴重な写真を見させていただき感謝。

   

この4枚の写真をヒントに、鑓水遥拝所があった正確な場所を特定したいと思い始めています。

面白いと思いませんか?

(つづく)

遥拝所/鑓水遥拝所の鳥居の歴史

遥拝所にこだわり始めたのは、校区のすぐ近くの結婚式場の傍らに、

いきなり「本宮山遥拝所」なる石碑ができたことからです。

Pc210004    

    

     

   

この石碑のある場所とは、国道をはさんで反対側に、

かつて「鑓水(やりみず)遥拝所」があったそうです。

これが少なくとも2つあった遥拝所の2つ目です。

以前に書いたように、遥拝所ができたのは安政2(1855)年。

鳥居や石灯篭がありました。

そこにあった鳥居や石灯篭は、今は本宮山の頂上に移されています。

Pc220011

   

    

    

何年に移されたのか?

その時の写真はありませんか?

砥鹿神社さんに頼んだところ、ちゃんと資料を頂けました。

   

鑓水遥拝所にあった鳥居や石灯篭が本宮山頂上に移されたのは、

昭和48(1973)年のことでした。疑問が解決!

当時の写真も見させてもらい、接写させてもらいました。

次の投稿で載せます。(つづく)

遥拝所/市田遥拝所にあった鳥居の歴史

教育の鉄人講座に参加して、私のブログを読んでくれている先生たちと話しました。

ちょっと他の先生のブログとは違うとのこと。

自分でもそう思い始めています。

私のブログは資料置き場状態になってきているところが特徴かと思います。

疑問に思って調べて、わかったことをここに書いています。

いつかは授業で子どもたちに提供できる?と考えて、

ブログにストックしておくような感じです。

     

と、余分な前置きしておいて、遥拝所のことをストックしていこうと思います。

「市田遥拝所」にあった鳥居は、今は里にある砥鹿神社の正面にでんと立っています。

Pc290006_3    

    

     

この鳥居の歴史について書きます。

市田遥拝所は江戸時代の天保13(1842)年に地元の崇敬者の寄進により設置されました。

その時に石の鳥居、手水舎(ちょうずや/てみずや)、石灯籠が設置されました。

鳥居は太平洋戦争の豊川海軍工廠の爆撃の被害を受け、

破損していたものを修復して、砥鹿神社の今の位置に移しました。

(市田遥拝所は確かに海軍工廠に近かった)

鳥居が何年に移されたかは、砥鹿神社さんからいただいた資料には載っていませんでした。

でも今朝、現場に行ってみてわかりました。

Pc290007_4    

    

     

鳥居の右にある大きな石柱の後ろに刻みこまれていました。

Pc290009_5   

    

    

「この鳥居は 本宮山遥拝のため 

天保十三年秋 市田村一里山に建てられたのを 

昭和三十一年春 ここに移したものである」

昭和31(1956)年のことでした。

       

興味をもって調べている一つの海軍工廠爆撃と鳥居がつながってドキリとしました。

見慣れた砥鹿神社の鳥居の歴史を知りました。

(つづく) 

遥拝所/市田遥拝所にあった鳥居の行方

本宮山遥拝所について調べています。

校区にある本宮山の頂上には、砥鹿(とが)神社の奥宮があります。

※砥鹿神社にある看板の写真を参考Pc290011_3

    

    

    

その奥宮のある本宮山の頂上を拝む遥拝所が少なくとも2か所ありました。

この2つの遥拝所のことを調べています。

26日には、里にある砥鹿神社(里宮)に行って貴重な資料をいただいたり、見させてもらってきました。

今晩は、そのことをまとめておきたいと思います。

   

    

以前にも書いた「市田遥拝所」Pc210017

   

    

    

ここにも大きな鳥居があったことを初めて知りました。

そして、その鳥居は、何と!里にある砥鹿神社に移されていました。

それも砥鹿神社で最も大きくて、国道に面した所にある鳥居でした。

見慣れた鳥居です。あの鳥居がそうだったのかと驚きです。

今朝、写真を撮ってきました。

Pc290007_2    

    

    

この鳥居をくぐってまっすぐ進むと、社殿のあるところに行き着きます。

その道を歩きましたが、正月の参拝の準備で駐車場のラインを書いたり、

お店の準備ができていました。

Pc290013    

    

     

正月にはこの道は人でいっぱいになります。

(つづく)   

      

2008年12月28日 (日)

米原駅の融雪スプリンクラー

27日に神戸に向かいました。

新幹線が米原駅に停車したときに、外は雪ふり。

融雪スプリンクラーが動いているのに気がつきました。

以前にも見たことがあります。

窓から写真撮影。

Pc270007    

    

     

   

スプリンクラーの水はかなり強く、音を立てて新幹線の車体に当たっていました。

鉄道列車の写真を撮る人たちのサイトをのぞくと、

米原駅の融雪スプリンクラーの素晴らしい写真があります。

たとえば次のサイトの写真。

http://dcphoto.exblog.jp/7280172/

こういう写真を見ると、米原駅に途中下車して撮影してみたいと思います。

    

上記のサイトには、岐阜羽島~米原間で融雪スプリンクラーの水を浴びている新幹線の写真があります。

とにかく格好がいい。一見の価値あり。http://dcphoto.exblog.jp/7264091/

 

この岐阜羽島~米原間のスプリンクラーについて調べてみたところ、

歴史は古く、1967年11月25日に設置されています。

これは新幹線の歴史に詳しい次のサイトが参考になりました。

http://www.isok.jp/rail/history/tsr-todo.htm

「伊奈駅には1番ホームがない!」の結果は来年

なぜ名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線伊奈駅に1番ホームがないのはなぜ?

名鉄に電話で問い合わせましたが、

矛盾が残りました。

電話ではうまくこちらの説明が伝わらなかったとも考えられるので、

25日の投稿に書いたようなことを書いて、名鉄にFAXで送りました。

折り返し電話がありました。

親切にも名鉄さんは、じっくり調べてくれるとのこと。

ただ年末年始はいろいろと難しいので、回答はその後とのこと。

迷惑かけちゃっています。

でもこの疑問は名鉄さんに尋ねるしかなく・・・・・・ご迷惑をおかけします。

最近の写真

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