遥拝所/市田遥拝所にあった鳥居の歴史
教育の鉄人講座に参加して、私のブログを読んでくれている先生たちと話しました。
ちょっと他の先生のブログとは違うとのこと。
自分でもそう思い始めています。
私のブログは資料置き場状態になってきているところが特徴かと思います。
疑問に思って調べて、わかったことをここに書いています。
いつかは授業で子どもたちに提供できる?と考えて、
ブログにストックしておくような感じです。
と、余分な前置きしておいて、遥拝所のことをストックしていこうと思います。
「市田遥拝所」にあった鳥居は、今は里にある砥鹿神社の正面にでんと立っています。
この鳥居の歴史について書きます。
市田遥拝所は江戸時代の天保13(1842)年に地元の崇敬者の寄進により設置されました。
その時に石の鳥居、手水舎(ちょうずや/てみずや)、石灯籠が設置されました。
鳥居は太平洋戦争の豊川海軍工廠の爆撃の被害を受け、
破損していたものを修復して、砥鹿神社の今の位置に移しました。
(市田遥拝所は確かに海軍工廠に近かった)
鳥居が何年に移されたかは、砥鹿神社さんからいただいた資料には載っていませんでした。
でも今朝、現場に行ってみてわかりました。
鳥居の右にある大きな石柱の後ろに刻みこまれていました。
「この鳥居は 本宮山遥拝のため
天保十三年秋 市田村一里山に建てられたのを
昭和三十一年春 ここに移したものである」
昭和31(1956)年のことでした。
興味をもって調べている一つの海軍工廠爆撃と鳥居がつながってドキリとしました。
見慣れた砥鹿神社の鳥居の歴史を知りました。
(つづく)
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