2010年5月18日 (火)

国分寺・国分尼寺下見11/布目瓦(ぬのめがわら)

国分尼寺跡で発掘された瓦は、

布目瓦です。

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布目瓦とは?

「三州瓦豆辞典」から引用。

http://www.weblio.jp/content/%E5%B8%83%E7%9B%AE%E7%93%A6

   

平安時代までの瓦には、裏側に布の目がついている。

これは木型から粘土を剥し易くするために、

木型との間に布を挟んだからである。

こうした瓦は布目瓦と呼ばれている。

室町時代に入ると布目瓦はしだいになくなっていった。

明人の一観が布の代わりに雲母粉(きらこ)を使う方法をもたらしたからである。

   

      

5月24日に、6年生の社会見学で国分寺・国分尼寺に出かけます。

せっかく行くのだから、たくさんいろいろ見てきてほしい。

しかし、私自身がまだよく知らない場所だったので、

実際に下見して、こうやっていろいろ調べています。

なかなか面白い。

これならいい見学ができそうだ。

将来、同じ市の先生が、国分寺・国分尼寺に行く時に

参考にしてもらえるようなブログにしようとも思っています。

もう少し続く。

国分寺・国分尼寺下見10/今とは少し違う瓦

国分尼寺の中門の写真です。

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ふだん目にする民家の瓦と違います。

前投稿のイラストでわかるように、

軒丸瓦と丸瓦の連続で、屋根に丸い筒が筋状にできあがっています。

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今の民家はこの部分がありません。

平瓦と丸瓦を合体させて、

少し平らにしたような桟瓦(さんがわら)が発明されたからです。

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江戸時代のことでした。

   

   

それぞれの屋根に名前があります。

次のサイトが参考になります。

http://www.people-i.ne.jp/~hillosse/03oni/5zatu2/sansenga.htm

    

本瓦葺き(ほんがわらぶき)・・・・平瓦と丸瓦による屋根

Hongawa

  

   

    

    

   

桟瓦葺き(さんがわらぶき)・・・・桟瓦による屋根

Sengawa

   

   

   

   

   

説明を引用します。 

   

江戸時代(延宝2年、1674年)に

近江(滋賀県)三井寺の瓦師西村半兵衛により考案されました。

平瓦と丸瓦を合体し、軽量で安価な一枚瓦を生み出しました。

この簡略葺きの桟瓦に対して、

上述した従来の瓦葺きを本瓦と呼ぶようになりました。

本瓦は寺院や神社に多く用いられますが、

桟瓦は民家を中心に用いられます。

    

明日から、本瓦葺きか桟瓦葺きか見たりする楽しみが増えました。

    

国分寺・国分尼寺下見9/今度は瓦の話

前投稿で紹介した「平城京 古代の都市計画と建築」(草思社)のイラストは魅力があります。

今度は屋根瓦の種類を示すイラストです。

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国分尼寺でも瓦が掘り出され、それをもとに復元されています。

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左が軒平瓦(のきひらがわら)

軒平瓦の模様は唐草模様。

遠くギリシアから伝わってきた模様です。

右が軒丸瓦(のきまるがわら)

模様はハスの花。

「蓮華文(れんげもん)」と呼ばれる模様です。

    

     

    

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鬼瓦。

向かって右半分が発掘され、左半分が復元されたもの。

これらの瓦が実際に使われて国分尼寺の中門が復元されました。

   

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瓦は一つでもかなり重いです。

重さによって、建物をしっかり礎石の上に固定させようとしているためです。

礎石の上に乗っているだけの建物が私には不思議です。

はずみで滑ってずれないのか?    

国分寺・国分尼寺下見8/築地塀は「ついじべい」と読む

(前投稿のつづき)

勤務校の校長先生は考古学に詳しい方。

今日もいろいろ教えてもらいました。

築地塀の読み方を、前投稿では「つきじべい」と書きましたが、

間違っていました。

正しくは「ついじべい」でした。すみません。

     

築地塀の作り方を教えてもらいました。

さらに素晴らしい資料を紹介してくれました。

平城京―古代の都市計画と建築 (日本人はどのように建造物をつくってきたか) 平城京―古代の都市計画と建築 (日本人はどのように建造物をつくってきたか)

草思社 1986-09
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この本は学校の図書館にあった本。

難しく、とても小学生が取り組める本ではない。

何でこんな本が図書室にあるんだと不思議に思える本。

1986年初版。

校長先生は前からこの本が図書館にあることを知っていたとのこと。

イラストが丁寧で正確。よくわかる本です。

イラストレーター穂積和夫さんのことに関心を持ちました。

       

築地塀を作っているところのイラストはよだれもの(失礼)。

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イラストを見ただけで、築地塀の作り方が良くわかります。

しかし、説明文も引用します。

イラストを見ながら読むとよりよくわかります。

  

道具としては、「四本の丸太(添柱そえばしら)と

二枚の板(堰板せきいた)、それに土をつき固めるつき棒が必要です。

まず丸太を二本ずつ組み合わせて二列に地面に埋め立て、

丸太の上端が開かないように横木で連結します。

そして、堰板を丸太の内側にそえて枠をつくり、

板枠内に土を入れ、板枠内に土を入れ、

板と丸太に楔を打ち込むと準備完了です。

土は湿っているとあとでひび割れするので、

ある程度乾かしたものを用い、

つき棒を上から垂直に落とすようにしながら

板枠内をまんべんなくつき固めます。

だいたい10センチほどの厚さの土が6センチほどの

厚さになるくらい(60%)まで固めたのち、

ふたたび土を入れて、同じことをくりかえします。

堰板の幅いっぱいまでつきあがると、

楔をぬいて板をはずし、板を上に持ち上げて、

ふたたび同じ作業をくりかえすのです。

こうした作業を版築(はんちく)といいます。(後略)(31p)

     

    

この数日で、版築についてどんどん詳しくなっていく自分がいます。

しっかり版築に道草中。

国分寺・国分尼寺下見7/築地塀(つきじべい)・三和土(たたき)

豊川市の国分寺も国分尼寺も「築地塀」に囲まれていたそうです。

この築地塀とは?

Wikipediaによると、次のように書いてありました。

   

泥土をつき固めて作った塀。

(中略)石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、

そこに練り土を入れて棒でつき固める「版築」という方法で作られることが多い。(後略)

    

出ました、版築。

礎石の基礎づくりだけでなく、

築地塀を作るためにも、「版築」が行われていました。

当時は重要な工法の一つだったのでしょう。

     

    

「版築」のようにつき固めることが共通している

「三和土(たたき)」という言葉も、

調べているうちによく見かけました。

これまたWikipediaより引用。  

   

叩き土に石灰や水を混ぜて練ったものを塗り、

叩き固めて仕上げた土間。

3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。

「叩き土」とは花崗岩、安山岩などが風化して出来た土を言い、

その土に石灰と水を加えて練ると硬化する性質がある。

長崎の天川土、愛知県三河の三州土、京都深草の深草土などの叩き土に

石灰や水を加えて練ったものを塗り叩き固め、

一日二日おいた後に表面を水で洗い出して仕上げとする。

もともとはセメントがなかった時代に、

地面を固めるために使われたとされる。

現在では、コンクリート製やタイルを貼った土間なども三和土と呼ばれることがある。

   

Doma   

      

※「ほくざん日和」http://ogawayoichi.com/blog/?p=27   

   

    

      

「たたき」という言葉は今までも耳にしたことがある言葉でした。

今回認識。

地元の土「三州土」が気になったが、

今朝はここまで。お仕事、お仕事。

    

     

☐築地塀の読み方を間違えていました。次の投稿で。(18日午後8時29分記)

2010年5月17日 (月)

金星探査機「あかつき」/宇宙ヨット「イカロス」

15日晩は星空観望会がありました。

参加申し込みをしてありましたが、

他の用事が入り、参加できず。残念。

しかし昨晩(16日)は、西の空で、上に金星、下に三日月が並び、

なかなかの見ものでした。

     

その金星に関するニュース。

金星探査機「あかつき」を載せたH2Aロケット17号機が、

5月18日に打ち上げられる予定です。

打ち上げ予定時刻は、午前6時44分14秒。

何で14秒なんていう中途半端なのだろう?

でもちゃんと計算された最適な時刻なんでしょう。

中途半端な時刻だけに、そう感じます。

    

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地元豊川市の「ジオスペース館だより」386号には次のように書いてありました。

  

金星は、大きさ・重さともに地球とよく似た「ふたご星」として知られていますが、

その実態は、高温の二酸化炭素の厚い大気と硫酸の雲が浮かぶ”灼熱地獄”

なぜそんな気候になってしまったのでしょうか!?

あかつきは、世界初の「惑星気象衛星」として、そのナゾに迫ります!!

       

     

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右が「あかつき」

左が宇宙ヨット「イカロス」

昨晩のNHKのテレビによると、

太陽の光の力を使って動く宇宙ヨットだそうです。

折り紙の仕組みで、帆がひらくそうです。

その姿がこれ。

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いいじゃないですか!

明日の朝の打ち上げの成功を祈ります。

国分寺・国分尼寺下見6/版築で作られた壁

版築(はんちく)についてもう少し。

版築でできた美しい壁をあちこちのサイトで見ることができました。

   

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※「Sanraku」http://gardenplan.exblog.jp/tags/%E7%89%88%E7%AF%89/

     

   

    

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※「社団法人日本建築材料協会」http://www.kenzai.or.jp/tanbou/216.html

     

   

     

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※「歴史と旅と少しのグルメ」http://match.blog.ocn.ne.jp/blog/cat6779210/index.html

     

      

     

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法隆寺の版築塀です。

※「Sanraku」http://gardenplan.exblog.jp/11340249/

修学旅行で見てみたいものの一つになりました。    

    

    

     

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※「土・どろんこ館」HPhttp://www.inax.co.jp/clayworks/viewpoint/

     

この「土・どろんこ館」は、愛知県にある面白そうな施設です。

昨年夢中になった土だんご作りの体験ができる施設。

建物は版築で作られています。

HPのトップはここ。http://www.inax.co.jp/clayworks/

夏休みに行ってみたい場所です。    

国分寺・国分尼寺下見5/根石(ねいし)と版築(はんちく)

下の写真は、国分尼寺の回廊の発掘現場写真。

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写真の上から下へ3列の柱の礎石(そせき)の跡がわかると思います。

ここの回廊は、中央に壁があった「複廊(ふくろう)」と呼ばれる作りでした。

礎石の場所を見ると、穴があってそこに石がごろごろしているのがわかります。

この石について調べてみました。

     

根石(ねいし)」と呼ばれる石です。

礎石の下に礎石を安定させるために、敷いた栗石(くりいし/ぐりいし)。

栗石は?

直径が15センチ内外の河原で取れる、丸みをもった石。

現在でも地盤固めのために、

栗石や、栗石を割った割栗石(わりぐしいし)が使われるそうです。

※参考http://www.kenchikuyogo.com/911-wa/010-wariguriishi.htm

      

さらに礎石を安定させるために、版築(はんちく)という工法が行われるそうです。

これは勤務校の校長先生から教えてもらったことです。

版築とは、地面を突き固める工法です。

礎石の下の基盤を固めるために、

一度穴を掘って、土を入れて突き固め、土を入れて突き固めて、

また土を入れて・・・・・

その繰り返しで強固な基盤を作り、礎石が傾かないようにしました。

     

「版築」を調べていくと、これまた面白い。

版築は土壁を作る時にも行われていた方法。

CMで、トミー・リー・ジョーンズがやっていました。

万里の長城で。

    

版築についてはもっと書きたい。

2010年5月16日 (日)

国分寺・国分尼寺下見4/垂木の黄色

復元された連子窓の緑、柱の赤、壁の白。

そして垂木(たるき)の黄色。

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古代は「五色(ごしき)」と呼ばれる色がよく使われていました。

「五色」とは、青、朱(赤)、白、黒、黄で、

当時は黄色を除く四色が主に使われていたそうです。

黄色を除く四色には、季節と方角の意味があります。

青・・・・・方角は東。季節は春。青春。

朱(赤)・・方角は南。季節は夏。朱夏。

白・・・・・方角は西。季節は秋。白秋。

黒(玄)・・方角は北。季節は冬。玄冬。

黄色は方角を示すさず、中心を表しました。

したがって、中国では、中心にいる皇帝を象徴する色でした。

    

相撲でも、この考え方。

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4つの房は「四色」が使われています。

土俵の土が、黄色なのです。

       

日本では、なぜかこの黄色はあまり使われなかったそうです。

その中で使われていた例として、

建物の垂木の木口に塗られた黄色というわけです。

     

以上の話は、次のサイトを主に参考にして書きました。

「五色」について勉強になります。

http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/iroirono-2.htm

国分寺・国分尼寺下見3/青丹(あおに)よし

国分尼寺の復元された中門にある連子窓。

それは鮮やかな緑色でした。

   

次の歌は有名です。

青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の

薫(にお)うがごとく いま盛りなり

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※平城宮跡にある歌碑   

   

奈良時代の歌人、小野老朝臣(おののおゆあそみ)は、

大宰府にあって都の春をこのように詠いました。

「青丹よし」は、「奈良」にかかる枕詞。

「青丹」は孔雀石の粉末を岩絵具として使う

「岩緑青(いわろくしょう)/マラカイトグリーン」の古名。

当時の奈良の土から多く産出されたことから、

奈良を表す枕詞になったようです。

連子窓の緑は、この「青丹」の色だったのでしょうか。

   

孔雀石の緑は鮮やかです。

Malachite    

    

    

    

     

「青丹」にはもう一つの説があります。

「青」と「丹」に分けて、

「青」は建物の青瓦。「丹」は建物の赤い柱を表すとのこと。

これはこれでわかる。

    

「丹」は赤色を表すのですね。

「丹頂鶴」の「丹」は、頭のいただきの赤い鶴。

「丹花(たんか)」は赤い花。

※参考http://homepage2.nifty.com/ToDo/cate1/suigin1.htm

   

     

中門の連子窓からの発展学習でした。

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