2010年7月29日 (木)

早坂隆さん関連の番組2つ

     

夏休み前に子どもたちに番組を紹介しました。

そのうちの2つ。

8月7日(土)「幻の甲子園~戦時下の球児たち~」(NHK)

8月11日(水)「戦争紀行ドキュメンタリー わらわし隊の戦争」(NHK)

    

この2つの番組について調べていたら、一人の作家のサイトに行きつきました。

愛知県岡崎市出身のルポライター早坂隆さんです。

サイトはここ。

※「早坂隆blog」http://dig-haya.blog.so-net.ne.jp/

最近は読まなくなってしまいましたが、

かつて読んでいた「週刊 金曜日」で文章を読んだことがあったような。

             

2つの番組とも、早坂さんの本がベースになったドキュメンタリー番組でした。

     

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戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争 (中公文庫) 戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争 (中公文庫)
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ともに読んだことがないので、読んでみたいです。

わらわし隊は、吉本興業の芸人さんたちによって構成されたようです。

もうそんな頃から吉本興業はあったの?

と思って調べたら、1912年の創業でした。

吉本興業の「吉本」は、創業者の「吉本吉兵衛・せい夫妻」の名字をとったようです。

毎週土曜日昼の吉本新喜劇は、好きな番組の一つ。

わらわし隊を調べると、吉本興業の歴史にも触れることができそうで、楽しみ。

2010年7月27日 (火)

龍馬、西郷に力説「商人を見習わんといかん」

   

夏休みだからできることを今日明日で実行。

家族旅行です。

行くところは、昨年と同じ長野県上田方面。

最大の目標は毎度のことながら登山。

昨年雨のために登れなかった四阿山(あずまやさん)に登りたいです。

今年は天気は大丈夫そう。

     

先の日曜日の「龍馬伝」のつづき。

ラストの龍馬が西郷に薩摩と長州が手を結ぶシーンはとてもいい。

龍馬はこんなセリフで、西郷を説得しています。

    

(龍馬)「薩摩がどっちにつくかで勝負の行方も変わるがじゃき!

     薩摩と長州が犬猿の仲じゃゆうことはよう知っちょります。

     けんど、今はそういうことを言いゆう場合ではないろう。

     どんなに仲が悪うても、小曾根さんらあは麻雀をしゆうがじゃき。

     儲けのためには誰とでも手を組むしたたかさを商人は持っちゅう。

     侍もつまらん意地らあ捨てて、

     商人を見習わんといかんがじゃないがですろうか」

(西郷)「長州と・・・手を、組む」

(龍馬)「薩摩が助かる道はそれしかないがじゃ」

       

     

商人の麻雀をたとえにしているのがよかった。

こりゃあ、西郷は説得されちゃうセリフです。

心躍る会話です。

こんな会話ができる生活をしてみたいです。もっと人生を楽しくしたい。

そんなことまで思った場面でした。

いいよ、「龍馬伝」        

     

2010年7月26日 (月)

龍馬の秘策「長州と手を組むがぜよ」

   

今日は朝から豊根村へ。

デザイン書道家の鈴木愛さんが、

小学生を対象にデザイン書道教室を開くと聞いて見に行ってきました。

現在、勤務校に鈴木愛さんをお招きして、

6年生にデザイン書道を教えてもらう計画を進行中。

    

      

先の日曜日のNHK「龍馬伝」はまた面白かった。

伊勢谷友介演じる高杉晋作の登場で、さらにぐっと良くなってきました。

画面に活気があります。

ついに龍馬が、西郷に長州と手を組むことを提案。

   

(西郷)「幕府に逆らうこつなんどできるわけがなか。

     戦になったら薩摩に勝ち目はなかとじゃ」

(龍馬)「あります!幕府に勝てる手立てがあるがじゃき」

(中略)

(龍馬)「長州と手を組むがぜよ」

(西郷)「・・・何じゃっち」

      

西郷絶句。

ついに出た!龍馬の秘策。

「龍馬伝」では、どうやって薩長同盟が結ばれていくか楽しみです。

2010年7月25日 (日)

「いろは」地名 その2/ひらがな50音

    

「ひらがな50音」と言うのに、なぜ46文字か?

調べてみました。

その結果をまとめると。

    

あ行~ま行までの5×7の35文字には問題なし。

や行に問題あり。

   

   

や行の「い」「え」はあ行と重複しますが、数に入れたそうです。これで40文字。

     

ら行はそのままOK。45文字。

    

わ行はこうなります。

   

ゐうゑ

   

「ゐ」と「ゑ」があって、「う」はあ行と重複しますが数えます。

これであ行からわ行までで50文字になります。

  

そして「ん」

これは最初50音表ができた時には入っていませんでした。

重複している「い」「う」「え」を除き、

使われない「ゐ」「ゑ」を除き、

「ん」を加えると46文字になります。

    

こんなこと今まで自分自身調べたことがあったけなあ?

今まで平気で「ひらがな50音」と言ってきたように思います。

   

※参考

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108433265

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3

上記のWikipediaを見ると、五十音の奥の深さを感じます。

まだまだ勉強。     

       

「すみ鬼」が見られるサイト

   

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本「すみ鬼にげた」(福音館書店)を読んで、

物語のきっかけになった奈良の唐招提寺金堂の「すみ鬼」を見てみたいと思いました。

※そのことを書いたのは2月2日のブログ。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/02/post-77c5.html

     

昨日神戸で出会った奈良の先生に、

すみ鬼は本当に見ることができるのか質問したところ、

詳しい人を知っているから聞いてみるねと約束してくれました。

そして今日、さっそくメールが届きました。早い。

詳しい人というのは「奈良まほろばソムリエ」の方です。

奈良についての知識検定を合格した人のようです。

奈良の先生も、ソムリエの方もたくさん調べていただいたようです。

恐縮しました。

奈良の先生が、直接唐招提寺の人に聞いてくれました。

「肉眼でも見えますが、細部を見たければ、双眼鏡が必要です」

とのこと。

絶対、双眼鏡を持っていこうと思います。

ソムリエの方が、

「すみ鬼」が見られるサイトを教えてくれました。

特にこのサイトが、大きく見られます。

   

「国宝 唐招提寺 金堂/平成大修理現場見学会」

http://www.lint.ne.jp/~uematsu/tabinoomoide/toshiyodaiji2.html

      

4体のすみ鬼のうち、

1体だけ間抜け?な顔をしているのがすごくよくわかります。

どうやら作られた時代が違うようです。

間抜けな?「すみ鬼」です。

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※私も以前、「すみ鬼」が見られるサイトを探しましたが、見つけられませんでした。

「すみ鬼」は「隅鬼」と漢字で書くようで、

「隅鬼」で検索しなければいけなかったようです。      

   

   

ああ、このメールを読んで、ますます唐招提寺金堂に行って、

生で「すみ鬼」を見たいと強く思うようになりました。計画をたてよう!

   

※追記:8月8日に唐招提寺に行って、実物を見てきました。

 そのことは次の投稿に。http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/08/%E6%97%A5%E5%B8%B0%E3%82%8A%E3%81%A7%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%81%B8%EF%BC%97%E6%9C%AC%E7%89%A9%E3%81%AE%E3%81%99%E3%81%BF%E9%AC%BC.html   (8月15日記)

2010年7月24日 (土)

「いろは」地名その1/いろは仮名47文字

    

今日は久々神戸に行きます。

勉強してきます。

     

以前調べて、資料をコピーをして、綴じてあったものが、

行方不明になっていました。

家の改築をした時に荷物を動かしたので、その時に埋もれたようです。

昨日発見。

豊川市の地名に関するものです。

     

たとえば次の写真。

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この郵便局の名前は「豊川和通郵便局」です。

「和通」は「わどおり」と読みます。

豊川市には「□ 通」という地名がけっこうあります。

「伊呂(いろ)通」「波(は)通」「曽通(そどおり)公園」

「太通(たどおり)公園」など。

「遠通公園」は何と読むと思いますか?

「おどおり」と読みます。

つまり、「いろは」で地名がつけられているのです。

これは面白いぞと思いました。

     

いつから「いろは」地名が使われているのか?

「いろは」全てがあるのか?あったのか?

今、どれくらい「いろは」地名が残っているのか?

  

そもそも「いろは」とは?

  

「いろは仮名47文字」として知られている文字です。

書きならべると・・・・

   

いろはにほへと     色は匂へど

ちりぬるを        散りぬるを

わかよたれそ      我が世誰ぞ

つねならむ        常ならん

うゐのおくやま         有為の奥山

けふこえて            今日越えて

あさきゆめみし       浅き夢見じ

ゑひもせず           酔ひもせず       (参考:Wikipedia)

        

      

現代仮名の「ん」はありません。47文字です。

「え」「ゑ」、「い」「ゐ」の区別が私にはわかりません。

ところで、現代仮名は「ひらがな50音」と呼ばれます。

では50文字かというと、50ありません。

46文字です。なぜだったけな?

     

いろいろ疑問はあるけど、そろそろ支度をしないといけません。

今朝はここまで。

2010年7月23日 (金)

グラバー親子2代の物語 その2

   

(前投稿のつづき)

グラバーの息子倉場富三郎(くらばとみさぶろう)のこと。

全く知らない人だけに、彼のやったことは興味深かったです。

父親のグラバーが、活躍の舞台を東京に移しましたが、

富三郎は、東京から長崎に戻り、最期まで長崎で過ごしました。

父親がイギリス人、母親が日本人であることから、

富三郎は、日本人と外国人の架け橋になることを目指しました。

長崎内外倶楽部を仲間と設立し、交流の場を設けました。

また日本人画家を雇って、長崎でとれる魚類の精巧な絵を描かせました。

20年かけて作られたその魚類図譜は、「グラバー図譜」と呼ばれ、

日本の四大図譜の一つです。

テレビの画像を2枚載せます。

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彼の人生を狂わせたのは、戦争でした。

グラバーが東京に移った時に、グラバー邸は他の人に貸していました。

長崎に戻った富三郎は、しばらくして再びグラバー邸に戻り、

妻ワカともに過ごしていました。

長崎の造船所では、戦艦大和と同型の武蔵の建造が進められていました。

軍部はその建造を隠すために、大きな倉庫を作りました。

  • Rimg0015 Rimg0017     

    

   

    

      

しかし、その倉庫を越えて、武蔵を見ることができたのが、

丘の上のグラバー邸でした。

倉場富三郎は、グラバー邸を出ていかざるをえなくなりました。

昭和14年のことでした。

        

40年苦楽をともにしたワカが亡くなったのは昭和18年。

    

戦争が激しくなってくると、父親が敵国イギリス人だったことから、

スパイと疑われました。

     

昭和20年8月9日、午前11時2分。

長崎に原爆が投下され、富三郎が愛した長崎は灰燼に帰します。

希望を失った富三郎は、終戦直後の昭和20年8月26日に自ら命を断ちます。

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この番組でグラバー親子のことを勉強できました。

これだけ知ると、グラバー邸に行きたくなります。

昔(30年近く前)長崎を訪れた時には、無知でした。もったいなかった。

      

参考:「ガイドブックにない長崎 ちゃんぽんコラム」

http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol61.html

グラバー親子2代の物語 その1

   

7月21日晩に、

「歴史秘話ヒストリア さよなら愛しの故郷~長崎グラバー邸 親子2代の物語」

を見ました。

坂本龍馬にもかかわったグラバーについては知っていましたが、

息子の倉場富三郎については全く知らなかったので、

どんな人だったのだろうと興味深く見ました。

     

お父さんのグラバーは、

スコットランドから長崎にやってきて、

丘の上にある一本松に注目します。

写真で見ても、とても目立つ松です。

商人のグラバーは、広告になると考えて、その松の横に自宅を建てます。

それが、今に残る「グラバー邸」の始まりでした。

テレビの画像を載せます。

Rimg0004 Rimg0007

   

   

    

左側の写真は特に印象に残ります。

セピア色の、時代を表す家並みの向こうの丘に立つ1本松。

ここに家が建ったのなら、それは目立つことでしょう。

(次の投稿につづく)    

2010年7月22日 (木)

フウセントウワタ(風船唐綿)

   

先週の下校指導時に見かけた植物。

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生け花で見たことがあり。

名前は何だろう?

調べればわかるもので、名前は「フウセントウワタ(風船唐綿)」でした。

写真のとげとげの袋は、実です。

はじけると中から綿毛のついた種が出てきます。

次のサイトも参考になりました。

「風船唐綿 写真集」http://www.hana300.com/fusent1.html

      

     

袋状にふくらむのが楽しい。

いろいろな植物があるものです。

夏休みの昼食/「担々」「坦々」調査/壺屋

   

終業式後、5・6年生の先生たちで昼食。

中華料理屋へ。

こういう店だと、さっそく坦々(担々)麺調査。

前回はこの投稿。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/05/post-0193.html

今回は「担々麺」でした。

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これで「坦々」に2票、「担々」に4票となりました。

「担々」が逆転して、さらにリードしました。

   

    

昨日の昼食は、自転車で豊川駅前へ。

壺屋でてんぷらうどん。

壺屋は、豊橋駅構内に古くからあって、

子どものころからよく知っているうどん屋さん。

濃口のしょうゆ味がお気に入りです。

最近になって、豊川駅前にあることを知って、夏休みにぜひ行こうと思っていました。

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夏休みになったらやってみたいことの一つを実行。

店は違っても、同じ味でした。

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壺屋は、うどん屋のイメージがありますが、

HPを見ると、稲荷ずしに力を入れているんだと感じました。

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昨日食べていて、お店の人に、

「壺屋って、もうどれくらいやっているんですか」

と尋ねました。

豊川駅前店がどれくらいかと聞いたつもりが、壺屋本店のことと思われたようで、

「もう100年もやっているよ」

と教えてもらいました。

100年!

HPによると、明治22年(1989年)に豊橋駅が開業したのに伴って、

駅構内に店舗がオープンしたようです。

正確には111年。伝統があります。

壺屋HPhttp://www.tsuboya-toyohashi.com/

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