今日は令和6年8月10日。
昨日の朝、出勤。教室の生き物の世話に行きました。
しかし、悲しいことに、オスとメスのカブトムシが
全く動かず。亡くなっていました。
その2日前には、ハイイロゲンゴロウが亡くなっていて、
通級教室の生き物は、ほぼ全滅してしまいました。
夏休みの前半でのこの事態に、唖然です。
教室は、普通教室の4分の1くらいのサイズ。
南側に唯一の窓が一つあるけど、
夏休みはカーテンで閉めておきました。
施錠をしないといけない部屋なので、
連日の暑さで、部屋に熱がこもってしまったのが原因でしょうか。
残念です。
唯一残ったのは、生まれたばかりのカブトムシの幼虫。
現在の様子を写真と映像で残します。
土の中に潜っていく幼虫を動画撮影しました。
YouTube: 2024年8月9日 通級教室に唯一残った生き物 カブトムシの幼虫が土の中に潜るところ
小さいけど、頑張って潜っていきました。
生き延びてくれよと願いました。
昨年いただいた5ひきのカブトの幼虫は、
無事全部羽化しましたが、これで5匹とも亡くなってしまいました。
この幼虫は、その5匹のカブトの忘れ形見。
そう思うと、とっても大事だぞ。
家での飼育は順調です。
家に持ち帰ったスズムシ5匹は、今日も元気でした。
不思議なことに、今まで5匹は同じ大きさでしたが、
今日は1匹、際立って大きくなっていました。
みんなスリムだったのに、今日は1匹、
横幅が大きくなっていました。
ここで調べました。
写真を転載。
横幅が大きいのはオスですね。
確かに、こんな体型でした。
もう羽化の段階なのかどうか、
今晩は、もう遅いので、明日観察します。
オケラも順調。餌が減っています。
昨日は、霧吹きで水をかけていたら、
ひょこっと、水苔から顔を出しました。
元気そうでよかったです。
動きが可愛い! 少し大きくなった気がします。
カブトも娘が勤めている保育園ルートで手に入れた
オス3匹、メス2匹が順調。
交尾を済ませたメスの産卵がどうなったか楽しみ。
以上の家で飼っている生き物。
夏休みに家で世話をして、夏休み明けには、
通級の子どもたちに見せたいです。
今日は令和6年8月10日。
毎週月曜日に豊橋の心療内科医に通っています。
もう5年が経つのかな。
その時に通る道に、オーディオ機器のお店が
2軒並んでいるところがあります。
2軒とも決して大きなお店ではありません。
大型家電のお店が跋扈している時代、
生き残っているのがすごいなあと思っています。
「注目」と書いたところにある白黒写真の人物が、
どんな人だろうと気になっていました。
8月5日(月)にこっそり写真を撮ってきました。
Bill Evans
ビル・エヴァンス。誰だろう。
調べました。
アメリカのジャズ・ピアニストでした。
1929年8月生まれ〜1980年9月没。享年51歳。
かなり有名な方のようです。
薬物依存や身近な人の自殺など、
波乱のある人生だったようです。
その人生がドキュメンタリー映画にもなっているようです。
観てみたいと思いましたが、プライムビデオにはありませんでした。
YouTube: “ジャズピアノの詩人”ビル・エヴァンス51年の生涯/映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』予告編
この動画の、この場面が気になりました。
薬物依存で、体がボロボロだったけど、
医者にも行かず、そのために早死にしてしまった人のようです。
もう少し勉強。
YouTube: 【JAZZ入門】ピアニストBill evansのすすめ
ジャズが黒人音楽だった時代に、
登場したビル・エヴァンス。
それまでのジャズが力強い演奏でしたが、
ビル・エヴァンスは繊細な静かな演奏だったようです。
オールバックにメガネの姿が、とても格好良かったそうで、
エヴァンスモデルでメガネが発売されるとのこと。
オーディオ機器店の店頭に掲げるくらいだから、
格好いいんですよね。
ジャズ好きにとっては特に。
1曲ぐらい聴いてみたいと思いました。
この曲を選びました。
YouTube: B minor waltz (for Ellaine)- Bill Evans trio
あのオーディオ機器店も、こんなジャズ好きの人が来るのでしょう。
今日は令和6年8月10日。
前記事の続き。
また第112回の聞き書きをします。
みんなで、テーマ曲をレコードで聴いた後の場面です。
登場人物は、水木しげる、週刊少年ランドの編集者豊川、
映画会社プロデューサーの船山。
船「この曲のおかげで、テレビ化の企画がグッと進展を見せました。」
し「ほう、そうですか。」
船「前から当たりをつけていたテレビ局に、デモテープを持って行っ
たんです。番組の主題歌はもうできてますとね。
向こうも乗ってきましたよ。
編成部長から号令がかかってスポンサーを探しに動き始めまし
た。」
船「ところが、壁にぶつかりました。」
船「『墓場』がいけないようです。縁起が悪いと言って、どうしても
スポンサーが見つからない。」
豊「そこでご相談なんですが。思い切ってタイトルを変えませんか。」
し「え、タイトルを変える?」
豊「『墓場』をやめましょう。」
※いろいろなタイトルの案が書かれた紙がテーブルの上にある。
し「どれもパッとせんですなあ。」
豊「少し、時間を置いてみますか。」
し「ええ」
※隣の部屋でお絵描きしている娘が歌い出す。
娘「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ〜」
豊「そういえば、マンガの中でも、虫たちがゲゲゲのゲーと歌って
いますね。これなんですか。」
し「何って、鬼太郎の活躍を讃える歌ですよ」
豊「いやいや、それが何でゲゲゲなのかなあと。」
し「これは自分のことです。」
豊・船「ええ!!」
し「子どもの頃、『しげる』と言えなくて『ゲゲる』と行っとん
たんです。それが今では昔なじみも『ゲゲ』と呼ぶようになって。
ハハハッ。」
豊「そうか!これだ。」
※紙に豊川が「ゲゲゲの鬼太郎」と書く。
豊「ゲゲゲの鬼太郎。これでどうです!」
船「ゲゲゲの鬼太郎〜。」
布「ゲゲゲの鬼太郎〜。」
し「ええですな。これで行きましょう!」
船「決まりですね」
ナレーター
「あの『ゲゲゲの鬼太郎』という題名には、『しげるの鬼太郎』と
いう隠された意味があったのでした」
布「ゲゲゲの鬼太郎か〜。」
「墓場鬼太郎」が「ゲゲゲの鬼太郎」になった瞬間でした。
見ることができた!これが見たかったです。
このような事情だったのですね。
「ゲゲゲ」は、鬼太郎の活躍を讃える歌だったんだ。
そこに、自分の昔の呼び名?「ゲゲゲ」を持ってくるセンスがいいです。
ついでに、下駄の音もいい。
「カラン、コロン」
この音から、エンド曲ができます。
YouTube: Gegege no Kitaro ED 1968
この曲の字幕には、作詞をした人の名前はありませんでした。
でも他を調べたら、この曲も、歌詞は水木しげるが作った物でした。
こちらの曲もいいです。
「墓場鬼太郎」から「ゲゲゲの鬼太郎」に。
他の人は、14年前に知ったであろうことを、
私は、今週知りました。
時間がもっとあったら、こんな番組の聞き書きをして
記事を作ってみたいです。
今日は令和6年8月10日。
2010年放映の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の
再放送を見ています。ケーブルテレビCCNetの放送です。
注目は、「墓場鬼太郎」だったのが、いつ「ゲゲゲの鬼太郎」に
どのタイミングで、どんな理由で変わったかです。
それが2日前の8月8日放映の第112回で、
ズバリそのことが描かれました。
私の予想外でしたが、タイトルが「ゲゲゲの鬼太郎」になる前に、
テーマ曲の歌詞を水木しげるが作ります。
しげるにとって、漫画を描くのは得意でしたが、
歌詞を書くのは苦手。でも会社から依頼されて、
頭をひねっていました。そしてある晩、完成。
しげるは、歌詞を、ゲゲゲの女房こと布美枝(ふみえ)さんに
見せます。
そそシーンを聞き書きしてみます。
しげる「おい、あれ、できたぞ」
布美枝「何ですか?」
し「ちょこし、見てみろ」
布「はい。ゲ、ゲ、ゲ、ゲのゲ、朝はねどこでグー、グー、グー。
これは?」
し「鬼太郎の歌だ。先まで読んでみろよ」
布「楽しいな、楽しいな、おばけにゃ学校も、しけんも何にもない。
これが鬼太郎の歌。」
し「できたばっかりだ。まずおまえに見せようと思っとたで、
ちょうどよかったわ」
布「もっとこわくて勇ましい歌を作るんだとばっかり。
ぜんぜん違うんですね」
し「んだ」
布「ええ歌詞。楽しそうで面白い。」
し「ええだろ。これで決まりだな。」
布「朝は寝床でグーグーグー。お父ちゃんにそっくり。」
し「こう毎日忙しいと、オバケの世界の方が、
自由でええように思えてくる。」
布「そげですね。夜は墓場で運動会?」
し「俺は算数は0点だったが、かけっこなら1番だった。」
布「はい。どげな曲がつくんでしょうね」
話は急展開。
次の場面では、歌詞に曲がつけられて
レコードが出来上がっていました。
それをみんなで聴いている場面です。
この曲は、テレビのお馴染みの曲、そのものでした。
では聴いてください。
YouTube: Gegege no Kitaro (TV 1~1968)
「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放送スタートは、
1968年(昭和43年)です。
私はこの映像を何度も見た覚えがあります。
もちろん白黒です。
小学生になった年かな。
このオープニングの映像の写真です。
作詞はちゃんと「水木しげる」です。
ここで不思議なのは、すでにこの歌詞の中で、
「ゲゲゲの鬼太郎」が生まれているじゃんと思うのです。
なのに、「墓場鬼太郎」が「ゲゲゲの鬼太郎」になるのは、
次の場面でした。
次の記事で書きます。
今日は令和6年8月7日。
2010年に放映された連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の
再放送が、ケーブルテレビCCNetで放映されています。
4月スタートで、ちょうど半年で終わるように、
当時と同じように、毎週6回分が放映されています。
今週は19週目。今日は第111回を見ました。
先週の予告によると、水木しげるの作品「墓場鬼太郎」が、
「ゲゲゲの鬼太郎」にタイトルが変わる週です。
どのような理由で、「墓場鬼太郎」が「ゲゲゲの鬼太郎」になるのか
私には非常に興味があります。
そこが今週の楽しみ。
出版社から、「墓場鬼太郎」の歌の歌詞を作ってほしいと
水木しげるが依頼されます。現在、すごく悩んでいます。
ここでできる歌詞、そして曲は、
あの有名な「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソングだろうか。
きっとそうだろう。
エンディングの「カランコロンの歌」も歌詞は水木しげるだそうです。
その2曲が生まれる週なので、楽しみです。
この2曲については、次の記事に書くとして、
今日の番組に登場した人について書きたいです。
この方、水木しげる夫妻が極貧時代に、
2階に居候して、漫画を描いていた中森恒夫さん。
演じるのは中村靖日(やすひ)さん。
ドラマ「ゲゲゲの女房」の前半では、
水木夫妻と苦労をともにする売れない漫画家を、
いい感じで演じていました。
今日の登場は、久々でした。
ドラマに出ていない期間に、中村靖日さんの訃報が伝わりました。
驚きでした。
淡々としていて、エネルギーをセーブして生きている、
そんな人に思えたので、長生きをされる人かと思っていました。
およそ1ヶ月前の7月10日、急性心不全でお亡くなりになりました。
51歳でした。早いですよ。
水木家を去るときに、水木しげるが、中森さんに、
「中森さん、元気でやってください!」
と声をかけます。
中森さんは、微笑んで、右手を挙げて、さよならをします。
14年前のドラマですが、永遠に去って行った
中村靖日さんと重なるシーンでした。
こういう俳優さんがいるから、ドラマはできるんですよね。
「ゲゲゲの女房」は、いい役だったと思います。
印象に残りました。
ご冥福を祈ります。
今日は令和6年8月7日。
井川湖付近で道を間違えて、1時間ほど余分にドライブしました。
眠っていたKさんも起きて、コースを確認して、
それ以後は、帰路を正しく帰りました。
新東名を使いましたが、掛川SAで休憩しました。
その駐車場で、またあの草を目撃してしまいました。
アレチヌスビトハギです。
6月6日に富士山を登った帰り、
静岡SAの駐車場で見かけています。
サービスエリアに、どのようにしてアレチヌスビトハギの種が
やってくるのだろう。
今のうちに刈り取らないと、花が咲いて、
ひっつき虫ができてからでは、大変だぞと思いました。
町内会の公園のアレチヌスビトハギは、
確実になくなっていると思っています。
また今週、公園に行くつもりです。
以上で、8月4日の登山報告、終了です。
実体験して、それを元に調べてまとめることは、
面白いです。
ただ時間がかかりますね。
今日は令和6年8月7日。
前記事に引き続き、登山報告から脱線しちゃっているけど、
映画「井川五郎ダム」について書いていきます。
映画の写真を使っていきます。
この川も、ダムができると水没してしまいます。
さらにダムができてきます。
大井川の水を、仮排水トンネルではなくて、本流に戻した日です。
救援の潜水夫が潜って、水圧で水門に足を取られていた潜水夫を
救助。九時間が経っていましたが、死なずにすみました。
この出来事を映画化したのが、「九時間の恐怖」です。
どこかでこの映画と出合うことはあるのかな。
新しい水田でまた田植えの季節です。
水没するために、壊される中学校の校舎。
民家も壊されて、新しい家に移転をします。
新しい小学校です。
新しい中学校です。
やがて湖畔になる台地には、新しい家々が立ち並びました。
ここです。
本当は私たちは、今回、通ることがなかった井川の街並みです。
道を間違えたおかげで、
この街中を、私たちは往復しました。
上の写真の街並みは、グーグルアースの写真の
赤枠のところだと思います。
今は、井川湖に接する街ですが、以前は高台だったところだと思います。
今回のような歴史を知っていたら、もっとじっくり見ただろうな。
ダムの貯水が始まりました。
つまり、村の3分の1が水没するのが始まったのです。
水没していく家々です。
ダムの放水が始まりました。
映画の中では、工事中に亡くなった人のことは、
出てきませんでした。
命を大事にする優れた工法だったのかなと思いましたが、
次の場面で、ドキッとさせられました。
殉職者はこんなにもたくさんいたのですね。
いよいよ竣工です。
湖畔になった街々です。
上空から見た井川村です。
先ほどグーグルアースの写真で示した場所です。
井川湖ができる前は、高台だったところです。
これで映画は終わります。
本当は冒頭に出ていた画面です。
私がこの映画を見ることができたのは、
科学映像館のお陰のようです。
科学映像館の概要の写真を載せます。
おかげさまで、とてもいい映画を見ることができました。
1957年。
私が生まれる4年前。
そんな頃の生活の様子もわかる充実した1時間19分でした。
次が登山報告ラスト。
今日は令和6年8月7日。
前記事に引き続き、登山報告をうっていきます。
映画「井川五郎ダム」(1957年)を観ました。
戦後に井川にダムと発電所を造るという電源開発事業が再開し、
住民と揉めながら、話し合いが行われ、
井川村が3分の1水没するのを、中電が補償することを約束。
合意が得られ、工事が始まり、ダムが完成して、
貯水が始まるまでのドキュメンタリー映画でした。
1時間19分の映画。
写真を並べて、後日、内容を思い出すきっかけにしたいです。
昭和27年頃の井川(いかわ)村。
井川村は静岡県の山中にあり、交通不便のために、
隔絶された村でした。
発電所とダム建設のための測量隊が入村。
村の人たちは、ダムによって多くの家が水没することもあって、
反対する声も多かったです。
それでも話し合いは進み、村民の生活を向上させることを約束して、
工事は行われることになります。
中部電力の建築事務所。
工事を請け負う間組の事務所。
大井川鐵道井川線は開通。発電所・ダム建設のための
資材が、次々に運ばれるようになります。
井川村では、新しい宅地や耕地が補償で作られました。
工事が始まります。
最初に造られたのが、仮排水トンネル。
このトンネルによって、大井川の流れは変えられて、
ダム建設ができるようになります。
排水トンネルに、大井川の水が流れ込みました。
この日、起工式。
この右の旗は昔見たマークですね。
発破が行われ、崖が崩されます。
コンクリートが投入されます。
この道具は、映画の中で電気バイブレーターと呼ばれていました。
この器具はどんな役目があるのか調べました。
ここから引用。
まだ固まっていない状態のコンクリート(生コン)の中に差し込み、
振動を与えて気泡の脱泡を行い、コンクリートの強度を高め、固め
る機械です。
なるほどです。
ただ、今はこのような形ではないです。
動画で選びました。
映画のように、両手で使うのではなく、
片手で使えるものになっています。
太さがとても細くなったのが、片手で使える理由かな。
この動画がいいなと思ったのは、
バイブレーターで出てくる気泡を見ることができること。
正確にいうと、気泡は見られないので、
今日は令和6年8月7日。
前記事に引き続き、登山報告をうっていきます。
今回、一番よく目にしたガガイモの仲間の
イケマの写真です。
ツル性の植物で、平らであれば、匍匐前進のように
広がっていき、何か他の植物があれば、
それを覆い隠すようにして乗り越えていきます。
山の中の登山道でもよく見かけましたが、
車道の両脇に育ち、道路にはみ出してきており、
自動車で踏んづけてしまいそうになるほどでした。
そしてこの植物のおかげで生育できる虫にも出合え増した。
印象に残ったイケマです。
写真には、ホタルブクロも写っています。
まだ咲いていたんだという感じ。
見つけると得した気分になれる花です。
牛首峠から猪之段登山口まで車道を歩いて、自動車の場所へ。
午後0時30分頃でした。
今日の登り始めは、8時25分でしたから、4時間山の中にいました。
②のコースだけなら、1時間45分ほど歩きました。
それでは、帰路の話です。
来る時には、新東名の静岡ICで下道に入り、
北上しましたが、
帰りは、井川ダム経由で島田・金谷ICから
新東名に入ることになりました。
井川ダムの上を走りました。
右手には、井川湖の水がたっぷりあって、
このダムで、こんな大量の水を止めているんだよなと思いました。
全面の崖に、井川ダムの名称が掲げられていました。
グーグルアースの写真です。
「井川五郎ダム」とありました。
「五郎」ってなんだ?と車中で話題になりましたが、
解決しませんでした。
家に帰ったら調べることにしようと思いました。
実行します。
このサイトによると、井川ダムの完成は昭和32年。
使用するコンクリートの量を大幅に減らし、
それでいて強度は保たれる新しい工法を外国に学んで、
日本で初めての方法で造られたダムのようです。
サイトから一部引用します。
中部電力初の大プロジェクトは遂に完成へと至った。なお、井川ダ
ムは別名井川五郎ダムとも呼ばれる。これは中部電力の初代社長で
井川ダム建設の陣頭指揮を執った井上五郎の「五郎」を取ったもの
であるが、竣工式の際にダム工事を担当した間組社長・神部満之助
の「フーバーダムの様に人名を冠したダムがあってもいいじゃない
か」という提案がきっかけとなっている。
なるほどね。当時の中電の社長さんの名前だったんだ。
フーバーダムは、いろいろあって、工事を始めた時の
大統領の名前がついたようです。
「井川五郎ダム」
工事に携わった人たちは、この名前に対してどう思ったのだろう。
上記のWikipediaによると、この井川ダムに関して3本の映画が
紹介されていました。
引用します。
『九時間の恐怖』(1957年)
島耕ニ監督のセミ・ドキュメンタリー作品。
『井川五郎ダム』(1957年)
赤佐政治監督の短編映画(企画 株式会社間組 制作 英映画社
白黒作品)リンク先はNPO法人科学映像館YouTubeサイト 。
『ヘブンズ・ドア』(2009年) - 1997年公開のドイツ映画『ノッ
キン・オン・ヘブンズ・ドア』の翻案。
昨晩、YouTubeで観ることができる「井川五郎ダム」を観ました。
それについては、次の記事で。
井川五郎ダムを通過して、私たちはいつの間にか道を間違えていま
した。
ナビがあったでしょと言われそうですが、このメンバーで
登山する時には、あまりナビを使いません。
下調べをKさんがしっかりしてきてくれるので、
他のメンバーはおんぶにだっこ。
登山道も、往復の道路も、Kさんの指示で動くことが多いです。
今回、井川ダムを走っている時に、
Kさんは助手席で睡眠状態でした。
前の晩、オリンピックの卓球を遅くまで見ていたというので、
睡眠不足なのでしょう。
運転の私は、標識に従っていけば大丈夫と思い、
快調に走っていきました。
でも途中で気がつきました。
南に下りていかなければならないのに、
右手に井川湖があるのはおかしい。
井川ダムの上を通って、井川この横を走るというのは、
上流に、つまり北上していることになると。
そうこうしているうちに、次の人造湖「畑薙(はたなぎ)湖」が
ナビの画面に現れてきました。
明らかにおかしい。
地図で確認して、もと来た道を引き返しました。
車中で、昔、南アルプスを上った話とか、
今度は南アルプスの光岳(てかりだけ)に登ってみたいとか、
南アルプスの話を3人でしていて、夢中でした。
それがいかんかったです。
私たちは、いつの間にか、青の南アルプスの足元に迫っていました。
どこで間違えたのか、検証しました。
グーグルアースの写真です。
私たちが走ったのは、緑色で表しました。
井川ダムの上を走って北上。
そして右手の方向、つまり東に行っています。
本当は、緑の丸で囲んだ交差点を、急角度ですが、
左折して、見にくいですが、紫のコースを走らなくてはならないのです。
南アルプスのお話で盛り上がっていた私は、
この交差点を見逃しました。それが道を間違えた始まりです。
じゃあ、その交差点はどうなっているのか。
グーグルアース、ストリートビューの写真を載せます。
道なりだと、つい右に行ってしまいます。緑の線。
でも本当は、紫の線のコースでした。
赤で囲んだ看板に注目。
右に行けば、井川。井川に行っちゃ行けなかったのです。
左に行けば、川根本町、島田市。そちらに行かなければ
いけなかったのです。
地図が頭に入っていませんでした。
社会科教師として、恥ずかしいことでした。
こうやって振り返っておけば、次回は大丈夫かな。
ロスタイムは1時間ほどです。
でもね、井川の集落を通過したのは、
無駄ではなくなります。
映画「井川五郎ダム」を観たからです。
次の記事に書きます。