2014年9月21日 (日)

思えば赤石山脈を歩いてきた4.金とく 花畑を守るネット

 

今日は9月21日。

  

2本前の投稿のつづき。

  

19日の晩に放映された「金とく 絶景!美味!まるごと南アルプス」では、

まさに私たちが歩いた椹島⇒千枚小屋⇒千枚岳⇒悪沢岳(荒川東岳)が紹介されていました。

その中で千枚小屋付近で、花畑に支柱を立てて、ネットを張る映像が映りました。

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花を、鹿の食害から防ぐためのネットです。

私が行った時には、ネットはすでに張られていて、その傍らを歩いてきました。

ネットが新しいなと思いましたが、その作業を垣間見れてよかったです。

  

8月、地元の高校生や山岳会のメンバーなどが集まり、

高山植物の保護活動を行ったそうです。

参加した2人の感想。

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気になったのが、「岳」のTシャツ。

モンベルの今年新製品のTシャツです。

色が同じです。かぶっています。

  

  

  

登山2日目の8月30日。

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29日の夕方からふりだした雨は、朝も止まず。

しかし出発した頃は、雨も上がりました。(つづく)

  

9月16日~18日の秋の雲

  

今日は9月21日。

  

まだ始まったばかりの9月21日。

たくさんのことをしたいなあ。

  

先週3日間の雲の写真です。

秋らしい高い所にある雲が素晴らしい。

  

9月16日。校舎の窓から撮影。

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9月17日。自宅の庭で撮りました。

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この日、勤務校の職員室に、シンクライアントシステムなるものが導入されました。

全職員の机上に新しいパソコンが置かれました。

文書の保管管理は、教育委員会にあるサーバーで行われるようになりました。

情報主任としては、ドキドキの日でした。

  

  

9月18日。

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朝の出勤時に撮りました。

だんだん雲がばらけてしまいました。

勤務校に着いてみんなに紹介しようと思いましたが、

着いた頃には味気ない雲になっていました。残念。

2014年9月20日 (土)

思えば赤石山脈を歩いてきた3./1日目は千枚小屋まで

  

今日は9月20日。

  

前投稿のつづき。

  

畑薙臨時駐車場で9:00発のバスに乗りました。

その時の風景を1枚だけ。

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バスの前を、こんな重機が走ることもありました。

ここは東海フォレストと呼ばれる会社が管理している社有林だというのを感じました。

  

椹島(さわらじま)に1時間ほどで着きました。

もう何年たったでしょう。

聖岳に登った時に宿泊した椹島に、またやってきました。

建物が新しくなっているように思えました。

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こんな大きな建物があったっけ?

  

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椹島を通過して、振り向いて撮影しました。

  

さあ、いよいよ登り始めます。

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橋を渡らずに、左に曲がると、千枚岳に向かいます。

今日の目的地は、 千枚岳手前の千枚小屋です。

  

実に3月の独鈷山以来の登山。

不安いっぱいでのスタートでしたが、思ったより歩けたので良かったです。

  

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この日の天気は「高曇り」と同行者のNさんが言っていました。

調べると次のように書いてありました。weblio辞書

雲が高くかかっている曇り空。雲量が九以上で,高積雲・高層雲が多い場合をいった。

  

天気予報を見て、雨を覚悟していましたが、降られませんでした。

それどころか、こんな木漏れ日の中を歩くことができました。

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道々には看板がありました。

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↑清水平にあった看板。

 

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最初は気持ちよく歩けましたが、最後はヘトヘトでした。

看板は7/7になっていましたが、目的地の千枚小屋まで少し歩きました。

この「少し」がきつかったです。

とてもきれいな山小屋でした。

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ここから少し下ったところに、テントを張りました。

800円のビール(500ml)を買って、

1日目が無事に歩き通せたことを2人で祝いました。

  

  

こんな植物やきのこを見ました。

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この木のとげはすごかった。

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この木は名前を知りたいです。

久々に花図鑑に送ってみようかな。

  

  

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テングダケ。よく目立ちました。

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↑写真にすると、見えにくいのですが、 

 肉眼だと、テングダケが赤く、ずっと遠くでも目立っていました。

 アップです。

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きのこは目立った方がいいのかな。

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千枚小屋の近くでは、トリカブトの花に出会いました。

テント内の写真です。

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Nさんが夕食を作ってくれました。

細い面が美味でした。

  

  

食べたら早めに寝ました。

大金をはたいて買った寝袋を初めて使いました。

寝袋は文句なかったのですが、ザックの枕がイマイチでした。(つづく)

2014年9月18日 (木)

思えば赤石山脈を歩いてきた2./窓が開いていた車があった

 

今日は9月18日。

  

16日の朝日新聞には、北アルプスでの遭難の記事が載っていました。

「山の遭難多発 5人死亡」という見出しでした。

最後にこんな記事が載っていました。

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確かに8月の山の天気は悪かったです。

私が南アルプスに登った8月末もそうです。

避難小屋を経営されていた方も、この夏はダメだったと嘆いておられました。

  

  

それでは、少しずつ、8月末の山の報告を書こうと思います。

ここでも道草 思えば赤石山脈を歩いてきた1./昔懐かしい名前「赤石山脈」(2014年9月1日投稿)

↑この投稿のつづきです。

  

出発は8月29日の朝の3時でした。

山の師匠のNさんが、毎年恒例で迎えに来てくれました。

畑薙臨時駐車場8:00発のバスに乗ることが目標でした。

快調でした。余裕で着くことが予想されましたが・・・・・

しかし、ナビが選んだ道で、静岡市内を北上して行ったら、途中で通行止め。

引き返して迂回していたら、8時を過ぎてしまいました。

結局、その次の9:00発のバスに乗りました。

  

畑薙臨時駐車場の写真です。

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思ったより台数は少なかったです。

連日の悪天候で、登山者も少ないと思いました。

  

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スバルのフォレスターがとまっていました。

2006年春から自分もフォレスターに乗ってきましたが、

来年くらいに買い替えたいと思っています。

次もフォレスターがいいなと思わせてくれる1台です。

  

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ビックリしたのは、この車。

何と窓が開いていました。

あわててバスに乗り込んだのでしょう。

一見したところ、貴重品は見当たりませんでした。

(もう盗まれ後?)

きっと本人たちは、気がついていないと思います。いや、気がつかない方がいいです。

気がついたら、登山中も気が気ではなくて、登山どころではなくなるでしょう。

  

  

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売っていたお土産。買わずに写真撮影で失礼。

そうか、山伏(やんぶし)は2014mで、今年の年数と同じなんだ。

山伏にはいつ登ったかなあ~。

少なくとも、ブログに記録がないので、2007年4月よりは前です。

そうか、登ってみたいな、この記念すべき年に。

登るとしたら、研究発表が終わる11月かな。(つづく)

   

2014年9月16日 (火)

ヒガンバナとたたずむ小鳥の写真

 

今日は9月16日。

  

出勤前にもう1本投稿しよう。

  

3連休中に撮った写真です。

  

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9月14日のヒガンバナの写真です。

以前、ヒガンバナを定点観察をした場所です。

3連休中前の12日には咲いていました。

どうだったかな?ちょっと早く咲いているように思えます。

今年は秋が早く来ています。

晩に「秋味」を飲んでいても、違和感がありません。これが本来なのでしょう。

 

  

先週の月曜日は、教室で鳥が死んでいて、子どもたちと埋葬しました。

今週の月曜日(15日)は、生きている鳥と対面しました。

仕事で学校に行った時に、学校の玄関前に鳥がいました。

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あれれ、逃げないの?

それなら写真を撮らせてよとカメラを構えました。

逃げません。

かなり近づいて撮影しました。

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角度を変えて撮りました。

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逃げません。小づくりでかわいいものです。

しばらく眺めていましたが、玄関の鍵を開けようとしました。

この鳥は弱っているのかな?

そう思った時、鳥はさっと飛んでいきました。

ホッとしました。

2014年9月15日 (月)

9月15日 今朝の雲がまた良かったんです

 

今日は9月15日。

  

今朝の雲がまたよかったです。

今朝は、息子を額田郡幸田町まで送りました。

その時に、蒲郡市から幸田町までにできた新しい道(国道23号蒲郡バイパス)を

初めて走りました。

快適でした。3月に開通していたんですね。

  

それでは今朝撮った雲の写真を並べます。

似た写真ですみません。選びきれずに載せました。

蒲郡のバイパス入り口付近です。

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場所を変えて・・・・幸田町内での撮影。

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また場所を変えて・・・・再びバイパスで車をとめて撮影。

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また場所を変えて・・・・

雲に大きな穴が開いていました。豊川市内です。

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昼間は、どってことない雲になっていました。

第一竪坑(シャフト)を見に行く4.3度目でついに見た

 

今日は9月15日。

  

前投稿のつづき。

  

いよいよ自分でシャフトを見に行ったときのこと。

  

1回目は、昨年の9月14日。

大阪に行った時の帰りでした。

ここでも道草 大阪からの帰りに大津へ/琵琶湖疏水第1トンネル入口(2013年9月15日投稿)

下調べが十分でなく、本当は曲がらなくてはならない道に入れませんでした。

  

2回目は、今年の3月8日。

京都のキミヤーズ塾の帰り。

ここでも道草 村上先生週間6/3月8日の講座/ジャンパーが欲しかった(2014年3月9日投稿)

もう暗くなってしまい、あきらめました。

  

そして3回目。

今までの反省を生かしました。

地図で確認して、どこで曲がればいいか確認しておきました。

今回もキミヤーズ塾ですが、

帰りでは、もう暗くなってしまい不可能なので、朝行くことにしました。

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大津市街を抜けて、小関峠を越えました。

曲がるところはここ↑です。

左に折れる、この鬱蒼とした細い道に入っていきます。

自動車は、左右の草でしっかり擦りました。

本当に大丈夫かと思える心配な道でした。下りました。

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行きつきました。シャフトを発見。道の左手にありました。

 

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フェンスに囲われて、近づけませんでした。残念。

1年がかりで行きついて、ちょっと感動。

ここで命を落とした人がいたのですね。

 

下りてきた道です。

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現場に行くことは、楽しいことです。

やめられませんね。

社会科の血がふつふつ音をたてはじめたようです。

  

   

シャフトを見て、坂を下りました。

反対側の入り口はこうなっていました。

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もう次に行きたい現場は決まっています。

インクラインの施設と、田邊朔郎の立てた石碑ですね。

3月のキミヤーズ塾がいいかな。

9月末の修学旅行では無理でしょう。

 

第一竪坑(シャフト)を見に行く3.インクライン/疏水の完成

 

今日は9月15日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす

~千年の都 復興ものがたり」から。

  

シャフトの建設には苦労があったことを書いてきました。

琵琶湖疏水について、もう一つ問題が生じました。

そのことを書きます。

  

いくつかのトンネルが掘られましたが、

トンネルの京都側出口から先が急勾配になることがわかりました。

このままでは、荷物を積んだ船が、勢いがつきすぎて転覆してしまいます。

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そのために導入されたのが、「インクライン」と呼ばれる施設です。

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その仕組みを、番組ではわかりやすく説明してくれました。

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まず急勾配の手前に船溜まりを作り、別に水路を作って水を逃がします。

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船は船溜まりでいったん陸に上げられ、滑車で動く台車に載って、

ゆっくり急勾配を下りていきます。

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急勾配の下で、船を再び水に浮かべ、京都の町をめざします。

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当時世界最長のインクラインによって、船は荷物を積み下ろしすることなく、

安全に急勾配を登り下りできるようになりました。  

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着工から5年たった1890年(明治23年)4月、全長20㎞、延べ400万人が従事した、

琵琶湖疏水はついに完成しました。

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田邊朔郎の言葉

工事で亡くなった仲間たちに、見事に完成したこの疏水を見せてやりたい

  

田邊朔郎にとって、疏水工事の犠牲者に対する思いは死ぬまで消えませんでした。

  

  

琵琶湖疏水の完成によって、京都には大量の物資が

安全かつ迅速に運ばれるようになりました。

年間5万隻の船と22万トンの物資が疏水を行きかい、

京都復興の牽引力となっていきました。

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この琵琶湖疏水を使って、日本初の事業用水力発電も行われました。

その電力によって、日本初の電車も京都に誕生しました。

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京都の工業は、いち早く近代化に成功しました。

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インクラインの施設の横には、田邊朔郎が自費で立てた石碑があります。

その石碑には、琵琶湖疏水の工事で命を落とした17人の名前が刻まれていました。

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田邊は、尊い犠牲の上で成し遂げた疏水工事を、自らの原点として、

生涯忘れることはなかったそうです。

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この番組で、琵琶湖疏水のことがよくわかり、特にシャフトに行って見たいと思いました。

(つづく)

第一竪坑(シャフト)を見に行く2.犠牲者を出してしまったシャフト工事

 

今日は9月15日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす

~千年の都 復興ものがたり」から。

 

シャフトを掘って、工期を短くしようと試みたところのつづきです。 

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シャフトを掘り始めてみると、岩盤は固く、

つるはしなど人の力だけではなかなか作業がはかどりませんでした。

その上、狭いシャフトには2~3人しか入ることができず、

1日ようやく20cm進むのが限界でした。

20㎝!

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(岩盤以上に?)最大の敵は、とめどなく流れ出てくる地下水だったそうです。

作業が水脈にぶつかると、多い時には20mも水が溜まり、工事は中断したそうです。

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完成して47mのシャフトに、20mの水。そりゃあ中断します。

  

  

シャフトの工事の絵が残されています。

それによると、シャフトの上には巻き上げ機があって、

24時間、ずっと人の手によって水を組み上げなくてはならなかったそうです。

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光のほとんど差し込まない場所で、泥にまみれながら果てしなく続く作業。

そんな最中に、思わぬ悲劇が起こります。

過酷な作業で、精神的に追い詰められた作業員が、シャフトに飛び込んで、

命を絶ってしまったのです。

   

この事故を皮切りに、作業中のけがや病気で亡くなる人が続出します。

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自分がたてた工事計画によって、犠牲者が出たことに、

田邊朔郎は悩みます。

しかし、工事を止めるわけにはいきません。

  

田邊「あなたたちの死は、無駄にはしない。必ず疏水を完成させてみせる。」

  

田辺朔郎は寝食を忘れ、シャフトの工事に没頭します。

  

そして、着工から10カ月後の1886年(明治19年)4月、ついにシャフトは完成します。

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シャフトが完成してから、工事は順調に進み、

第1トンネル(長等山トンネル)は無事完成しました。

  

  

こんな歴史に触れたくて、シャフトに行きたいと思うようになりました。(つづく)

  

   

  

第一竪坑(シャフト)を見に行く1.この番組を見て行きたくなった

 

今日は9月15日。

  

前投稿で予告したように、大津市の琵琶湖疏水の

長等山トンネルの第一竪坑(シャフト)のことを書きます。

以後、「シャフト」と書いていきます。

  

なぜここに行きたいと思ったかというと、テレビ番組の影響です。

昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす

~千年の都 復興ものがたり」を見たからです。

まずはこの番組の紹介を書きます。 

  

番組を見たのは、昨年の8月31日でした。

ここでも道草 今欲しいものはミラプレ(2013年8月31日投稿)

 

明治になって京都の人を驚かせたので、天皇の遷都。

天皇が東京に行ってしまった後、京都では復興のための手が打たれました。

博覧会が開かれて、外国人がたくさん訪れるようになりました。

そして今の金額で総工費1兆円の費用をかける琵琶湖疏水工事が行われました。

  

  

この工事を任されたのが、21歳の田邊朔郎(たなべさくろう)でした。

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大学でトンネル工事の技術を身につけた田邊朔郎の初仕事が、

この巨大プロジェクトでした。

琵琶湖と京都を運河で結ぶのが琵琶湖疏水計画でした。

  

海がなく、港がない京都では、琵琶湖で陸揚げされた物資の主な輸送手段は人や牛でした。

そのため、大量の物資を運ぶことができませんでした。

京都が復興し、さらに成長するためには、

物流の大動脈が必要とされていました。

  

田邊朔郎の計画は、琵琶湖と京都の間にある山に6本のトンネルを作って、

20㎞の運河を作るというものでした。

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工事が始まったのは、1885年(明治18年)6月でした。

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まず立ちはだかったのは、大津から京都への最初の峠でした。

たしかこの峠の名前は小関峠。昨年から3回も行ったので、間違いない。

田邊朔郎は、ここに当時日本最長になるトンネルを掘る計画を立てました。

トンネルの名前は長等山(ながらやま)トンネル。

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掘削(くっさく)の機械もなく、人手に頼るしかなかった当時、

普通に両側から掘り進めていては、時間がかかりすぎてしまいます。

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そこで、途中でシャフトを掘ることになりました。

番組では、ここでシャフトが紹介されていました。

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細い旧小関峠越え道の傍らに、シャフトはありました。

※参考 旧小関峠越えの現在の様子が、このサイトでよくわかりました。

街道の行く先へ 小関越え

  

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シャフトを掘ることで、4か所から同時に掘ることができるので、

工期が大幅に短縮され、費用が節約できます。

このシャフトを掘る工事方法は、アメリカから導入された最新の工法で、日本初の試みでした。

(つづく)

  

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