第一竪坑(シャフト)を見に行く2.犠牲者を出してしまったシャフト工事
今日は9月15日。
前投稿に引き続き、昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす
~千年の都 復興ものがたり」から。
シャフトを掘って、工期を短くしようと試みたところのつづきです。
シャフトを掘り始めてみると、岩盤は固く、
つるはしなど人の力だけではなかなか作業がはかどりませんでした。
その上、狭いシャフトには2~3人しか入ることができず、
1日ようやく20cm進むのが限界でした。
20㎝!
(岩盤以上に?)最大の敵は、とめどなく流れ出てくる地下水だったそうです。
作業が水脈にぶつかると、多い時には20mも水が溜まり、工事は中断したそうです。
完成して47mのシャフトに、20mの水。そりゃあ中断します。
シャフトの工事の絵が残されています。
それによると、シャフトの上には巻き上げ機があって、
24時間、ずっと人の手によって水を組み上げなくてはならなかったそうです。
光のほとんど差し込まない場所で、泥にまみれながら果てしなく続く作業。
そんな最中に、思わぬ悲劇が起こります。
過酷な作業で、精神的に追い詰められた作業員が、シャフトに飛び込んで、
命を絶ってしまったのです。
この事故を皮切りに、作業中のけがや病気で亡くなる人が続出します。
自分がたてた工事計画によって、犠牲者が出たことに、
田邊朔郎は悩みます。
しかし、工事を止めるわけにはいきません。
田邊「あなたたちの死は、無駄にはしない。必ず疏水を完成させてみせる。」
田辺朔郎は寝食を忘れ、シャフトの工事に没頭します。
そして、着工から10カ月後の1886年(明治19年)4月、ついにシャフトは完成します。
シャフトが完成してから、工事は順調に進み、
第1トンネル(長等山トンネル)は無事完成しました。
こんな歴史に触れたくて、シャフトに行きたいと思うようになりました。(つづく)
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