2014年9月14日 (日)

9月6日 キミヤーズ塾の報告3.困ったときは具体物/役割分担代わり番子

  

今日は9月14日。

  

前投稿にひきつづき、9月6日のキミヤーズ塾の報告をします。

〇困った時には、具体物(KTG)  レジメより↓

・抽象的だったり、難しい内容だったり、伝えにくい時には、とにかく無理やりでも、

 具体物化する。(こじつけでもいい)

・具体物(教具・モデル)を実際に探しに行ったり、自分の手で作ってみると、見通しがつく。

・頭で考えているだでではダメで、手を動かして、試行錯誤し、形にすることが重要。

 まだまだ実践が少ないので、上記のことは十分実感できません。でも心がけていけば、

 きっと「なるほど」と思えることでしょう。

  

〇個別課題・一斉学習の両立/つながるための極意は役割分担・代わり番子

 レジメより↓

・一つの課題何人かで役割分担する。

・同じ課題内容である必要はない・・・・個別課題。

・間接指示で、コミュニケーションをうながす。

・対人関係の中で役割を果たすから、自己有能感を味わえる。

 「オレも役に立っている」

・「発達の最近接領域」という考え=つながり

 「対人関係の中で役割を果たすから、自己有能感を味わえる。」特にこれだと思いました。

 間接指示については村上先生から説明がありました。

 教師が直接その子(Aさん)に言わないで、

 他の子(Bさん)に「Aさんに、・・・言ってよ」と頼むことです。

 頼んでいる時にもAさんに聞こえるけど、Bさんに言われることで2回聞くことになります。

 友だちに言われるのは説得力があります。(これは”学び合い”もそうだったよな)

 ちょっとでも繋がったら、子どもは発達します。そのような説明をしてくれました。

  

他者とのかかわり合いの中でできたことは、本当の力になる。

自分一人でできたことは、社会に出た時にあまり役立たない。

  

う~ん、このようなことを村上先生は言われたと思います。

プリント学習では味わえないこと。

みんなと役割分担・代わり番子で学習することで、かかわり合いが生まれ、

将来役に立つ学習ができる・・・・・と言うことですよね。

勤務校の研究の柱は「対話」 重なりますよ。

   

   

  

神戸大学の赤木和重先生のお話。

 

小さい子が、おもちゃが思うようにならなくて、放り投げた。

お母さんが話しかける。「いやになっちゃったんだね」

子ども「うん」

お母さん「でも、投げたらいかんよね」

子ども「うん」  

   

こういうやりとりが子どもの心の中でできれば、

放り投げるようなことにはならないわけです(自己コントロール)。

こういう他者との対話をして、それが自己内での対話になり、

自己コントロールになっていきます。

発達障害の子どもたちはここが苦手だと、小嶋悠紀先生も言われていました。

赤木先生は、他人とおしゃべりしてできる→

自己内でできるというのはヴィゴツキーの考えだと教えてくれました。

  

ヴィゴツキー・・・・名前しか知らない。

村上先生の言う「発達の最近接領域」もよくわからない。

そんな自分が、ちょっとわかったような気にさせてくれた文章をここに引用します。

  

※Yahoo!知恵袋の回答です。

Yahoo!知恵袋 ピアジェ とヴィゴツキーの学習観の違いってわかりますか? 構成主義、社会主義な...

  

このような質問をする人がいるんだと思いましたが、

長文で回答している人がいるのがまたいい。

おかげで自分も勉強になりました。

  

(前略)一方、ヴィゴツキーの学習論は、発達を後追いするものではありません。

ヴィゴツキーは、教育を「発達の後追いをするもの」として考えたのではなく、

むしろ教育が発達を先回りすることができると考えたのです。

そのため「発達」という概念は、ヴィゴツキーの学習論におけるキイ概念です。

ヴィゴツキーによれば、個人の発達は社会的に共有された認知過程を

「内部化(internalization)」することによって可能になります。

例えば言語で概念を形成するというのは、人間の精神の内部で実行されています。

しかし、言語や概念を造り上げたのは、社会や集団の相互作用です。

人間社会に接しなければ、チンパンジーに育てられた人間の子どもと同じく、

言語でコミュニケートすることはできないでしょう。

ですから、今我々の精神の内部にあるように思える言語や概念も、

もともとは精神の外部にあったということになります。

厳密な表現を犠牲にして単純化して言えば、ヴィゴツキーの言う内部化とは、

精神の外部にあったものを内部に取り込むことを指します。

ヴィゴツキーが提唱した最も重要な概念の一つである「発達の最近接領域」は、

この内部化の概念を前提としています。

ヴィゴツキーは、子どもが独力で解決することのできる問題と、

教師の指導や仲間の援助を受けることで解決できるようになる問題に着目します。

前者の問題にどれくらい太刀打ちできたのかを評価してみると、

今現在の子どもの生身の「実力」を知ることができます。

この実力のことをヴィゴツキーは「現下の発達水準」と呼びました。

現下の発達水準が指し示すのは、

昨日までの学習によって子どもの中で成熟している精神機能の度合いです。

一方、後者の問題にどれくらい太刀打ちできたのかを評価すると、

今度はその子どもが

「今指導や援助を受けることでどの程度実力を高めることができるのか」を知ることができます

自分一人の現段階の実力ではできないことでも、

人の手を借りればできるようになることがあります。

それが行く行くは将来における子ども自身の「現下の発達水準」になる可能性があるのです。

そして今現段階における「現下の発達水準」と、

近い将来新たな「現下の発達水準」となり得る未定の発達水準との間の境界のことを、

「発達の最近接領域」と呼びます。

この概念が意味するのは、

今はまだ完全には成熟していないが成熟の途上にある機能が存在するということです。

ヴィゴツキーの学習論に倣うなら、この成熟の途上にある機能を育て上げることが、

教育の役目だということになります。

彼の学習論は、今現段階で「伸ばすべき能力」、「伸ばせば伸びるであろう能力」を

特定できるという点で、教育的に有用であると言えるでしょう。

  

  

さらにここも勉強になりました。

☬Veritas 心理教育相談室 ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」について

  

  

以上で9月6日のキミヤーズ塾の報告を終わります。

今回は指示棒になる(実際、先週教室で使用)おもちゃ2本、

そして村上先生がデザインをしてプリントまでしてくれたTシャツを

プレゼントしていただきました。

教育の技術だけでなく、こんな実物をプレゼントされる講座は他にはありません。

楽しい思い出になります。

  

会場はこんな場所でした。休憩時に撮影。

Rimg4583

  

   

講座の中で、近くの席の人2人とよく話をしました。

京都の人でした。

京都の特別支援学級では、なんと机の天板が通常の2倍でした。

確かにそう思って見ると、村上先生の授業映像中の机もそうでした。

愛知では違うと言ったら、驚かれました。

京都では当たり前のことのようです。

当たり前でない愛知ですが、天板を2倍にしたいです。

2人には、このブログのことも知らせました。来てくれましたか?happy01

  

  

次の投稿で、キミヤーズ塾に行く前に寄った

大津市の琵琶湖疏水の長等山トンネルの第一竪坑(シャフト)のことを書きます。

その前に学校へ行ってきます。

「今いるところ表」を作って掲示してきます。

  

  

 

9月6日 キミヤーズ塾の報告2.先生は頭を使わにゃあだめ

  

今日は9月14日。

  

前投稿につづいて、9月6日参加したキミヤーズ塾の報告です。

   

〇教具の説明。「フタめくり」今まであまり目にしてこなかった教具。

 今回も説明はなかった?ので、ここに詳細は書けません。

 しかし、レジメにあった言葉は印象に残りました。

 「見えるもの」⇐染み込む⇒「見えないもの」

 とありました。

 いつも見えているのではなく、隠してあり、それをめくったりして見る。

 その繰り返しで、頭に染み込んでいくということだと思います。

 この感覚はよくわかります。もっと授業で利用したい手法です。

  

〇「プリント」学習について、ここで村上先生は持論を述べられました。

・プリントを使うと人間関係がダメになる。

 プリントを使わず、子どもとかかわりがあるのがいい。 

・「旗」「灰」を何と読むか、「旗」「灰」が書けるかという学習の映像を再び見ました。

 この時の、子どもたちと村上先生とのやりとりを見ると、

 プリント学習では味わえない大事なやりとりが行われているなと思いました。

・となりの部屋に行って、「旗」という漢字を見てきて、書き写す体験→覚えることを体感している。

  

〇レジメより。

・楽しくなければ自発性や自主性は育たない。

・知的好奇心を刺激する楽しいがなければ、主体的な学習は期待できない。

 (関心・モチベーション)

「知的好奇心」は大事。時々揺らぐけど、この考えは貫こう。

  

〇今回の講座はローテーションカードの授業を何度も見ました。

・数えないで答える。

 1~5の数は、数えないでパッと答えられるようにすることをめざします。

 ローテーションカードにも、そのような課題を組み込みます。

・以前、岡崎の講座でも言われていたこと。ちょっと頭から抜けていたので、

 今回思い出してよかったです。

〇5までの合成分解ができるといいとのアドバイス。実行したいです。

 1と4で5 2と2で4 1と3で4 2と3で5〇5の積み木の上に、1つずつ積み上げて、6,7,8・・・という発想。

〇ローテーションカード 早く反射的に言わせます。

 筆算ですぐに答えが出ないと、途中でいやになってしまう。

〇答えが「5」の時に、「ごはん」とか言い直させる→楽しくできる・反復練習できる。

 さまざまな指示棒を用意して、漢字の読みを反復練習するのと同じ発想だと思いました。

  

〇村上先生が「先生は頭を使わにゃあだめ」「責任重大です」と言われた。

 頭に左手ひとさし指をさされて、言っていました。その姿も言葉も印象に残りました。 

  

〇ローテーションカードは1人7枚。

  

〇ローテーションカードの速さを、棒の長さで具体的に示す。

  

〇ローテーションカードの成果の提示

・目標(タイム)、予想(タイム)、記録の3項目。

・普通だと目標と記録だけになる。3項目であるところがミソ。

 わが教室でやってみたけど、3項目は子どもたちにスッと受け入れられました。

 「目標はめざすところ。でも今はきっとこれくらい」という考え方はできました。

 現実にあっている項目だと思いました。 

  

  

  

今回、ローテーションカードをじっくり勉強して、どのようにやっていくかがよくわかりました。

本を読んだだけでは、実践に移せずにいましたが、

今回は先週、すぐにやりました。

1・4・6年の3学年の子たち6人が、集中して答えて、タイムを速めていました。

京都に行ったからこそ、身につけたことだと思います。(つづく)

2014年9月13日 (土)

9月6日 キミヤーズ塾の報告1.チョーンゴムは手放さない

 

今日は9月13日。

  

3連休のスタートです。

やりたいことがたくさんあるので、ここでしっかり進めたい。

しかし、昨晩は授業案の検討会で、12時過ぎの帰宅。

3連休の本当のスタートは、たいへんでした。

  

今日はサークルがあります。

また「ここでも道草」をプリントアウトして報告をしようと思っています。

できたらもう1本。

村上公也先生の講座の報告です。

9月6日の「キミヤーズ塾」に参加してきました。

京都の花園大学の拈花館(ねんげかん)で行われました。

勉強になったことを書き並べてみます。

  

・自動車で行きました。

 途中で琵琶湖疏水の長等山トンネルの第一竪坑(シャフト)を探しあてました。

 この時の報告はまた後日。

※参考:ここでも道草 3度目の挑戦 第一竪坑(シャフト)(2014年9月6日投稿)

〇今日も冒頭に「Think Outside the Box」が提示されました。

  「既成概念にとらわれない」という意味。大事なことです。その方が面白い。

 村上先生はTOBをこうも言います。「(T)とっても(O)おもしろい(B)べんきょう」

 

 

〇午前中はまず教具の説明をしてくれました。「もうひとりの自分

・今最も使ってみたい教具。ですが作るのが大変(そう)。

・面と向かって子どもに注意すれば、子どもには圧迫感が残るだけで、本当のことは伝わらない。

 「もうひとりの自分」に話すことで、客観的に子どもに話を聞かせることができます。

・さらに、どのように動いたらいいかを、「もうひとりの自分」を使って教師が説明する。

 そうすることで、子どもには伝わりやすい。つい先生は手順を声だけで言ってしまう。

 

 

〇「チョーンゴム」・・・初めて映像で見る。研究授業で使う予定だったのでラッキー。

 「チョーンゴム」は引っ張ったら手放さずに持ったまま戻していました。意外。

 映像でないとわからないことでした。参考にして、研究授業でどう使うか考えたい。

 

 

「けーしょうばこ」・・・「敬称の言葉が入った箱」が転じて「化粧箱」 さすが。

 

 

〇「小さなっ箱」・・・「っ箱」と言ってきましたが、「小さなっ箱」が正式名でした。

 「っ箱」を飛び越えられない子どももいるわけで、どうしようかなと思っていましたが、

 今回村上先生は、小さな「小さなっ箱」をひょいっと見せてくれました。驚き。

 村上先生はすでに実践済みのことでした。

 

 

〇「さし棒」・・・さまざまなさし棒。反復練習をやりたいと思わせる象徴的な教具です。

 村上先生はトランクに入れて保管している。普段は鎖で巻かれて、南京錠で施錠されています。

 これなら子どもが遊んでしまうことがないとのこと。

 わがクラスは、幸いにもそんな心配は少ないが、トランクのようなものは欲しいなと思う。

 

 

〇「ピンポン先生」・・・ここでは村上先生に注意をされました。

 「(子どもに)ばれてはいかん。ばれないように必死になってください。」

 恥かしい。8月19日に会った時に、「ばれてしまった」ことを伝えたばかり。

 現学級では、まだばれていないので、ばれないように慎重に実践していきたい。

 

 

〇「今いるところ表」・・・本でも説明を読んでいましたが、

 今回の講座でやってみたいと思った教具。

 行きつく場所は2か所。「できる」「できない」 

 そこまで行く時にどのようにしたらいいか明確にした掲示物。

 練習する過程で「ともだちにがんばってという」「しっぱいをわらう」、

 「やさすくする。笑顔ではなす」「こわい顔でおこる」、

 「よかったことをほめる」「いじわるをいう」の選択肢があります。

 今やっている行為がどちらなのかふり返らせるには、わが学級ではきっと有効です。

 「もうひとりの自分」は作れませんが、これは3連休中に作れそうです。

   

  

ふ~、ここまで。つづきはまた後で。サークルに行きます。

2014年9月10日 (水)

朝から晩まで空が良かった日

 

今日は9月10日。

  

昨日は空の写真をたくさん撮った日でした。

  

まずは青空。

朝から雲一つない天気でした。

Rimg4612

Rimg4613

Rimg4619

Rimg4621

Rimg4622     

最近、雲一つない青空はなかったので、気持ちよかったです。

  

夕方になると雲が出てきました。

Rimg4623

Rimg4624  

校舎の3階西側ベランダからの撮影。

この雲が赤く色づいたらきれいだろうなと思いましたが、

直に雲が散ってしまい、夕焼雲にはなりませんでした。

残念。

  

  

同僚の先生と一緒に、今度は東側のベランダに行って、

月の出を待ちました。

スーパームーンと呼ばれる大きな月を撮影しようとしました。

  

次は思ったより遅く出てきて、あわてて撮影しました。

Rimg4627

Rimg4628

Rimg4629

Rimg4630

Rimg4631

Rimg4632

Rimg4632_2

Rimg4633

Rimg4636

Rimg4639   

少々アップで撮ってみました。

Rimg4651

Rimg4654   

トリミングしてみました。

Rimg4654a  

うさぎもわかり、色も見たままに写って良かった。

  

  

次は帰路で撮った写真。

Rimg4661

Rimg4664aa   

朝から晩まで空が良かった1日でした。

 

 

  

2014年9月 9日 (火)

残り1か月の生活委員会活動/大掲示物「理想の学校」進行状況報告7

  

今日は9月9日。

  

前期の委員会活動は10月6日までです。

10月7日には、後期委員会が初めて行われる予定です。

生活委員会では、最後の活動として、

学年対抗あいさつ階段レースを行うことになりました。

  

朝のあいさつ運動を盛り上げるために、

学年対抗で行いたい。

「すごろく」で競争したい。

階段でやろう。

学年の25%以上の子があいさつできたら、1コマ進む。

50%以上で2コマ。75%以上で3コマ。100%で6コマ。

25%以下で1コマ戻る。

そんなことが決まりました。

  

期間は昨日(9月8日)から10月6日まで。

1階からスタートして、3階までたどり着いたら、表彰状が授与されます。

50段です。

Rimg4596

Rimg4597

Rimg4598  

流行の「妖怪ウォッチ」のキャラクターを、駒に添えました。

Rimg4603

Rimg4604  

あいさつができた人数は数取器で数えます。

さあ、この企画、効果あるかどうか?

  

  

  

大掲示物「理想の学校」の進行状況報告6です。

前回はここ。

ここでも道草 大掲示物「理想の学校」進行状況報告5/昼のテレビ放映(2014年7月8日投稿)

※ミスしていました・・・・「理想の学校」進行状況報告6を8月5日にしていました。

ここでも道草 大掲示物「理想の学校」進行状況報告6/脱・やらされ委員会(2014年8月5日投稿)

したがって今回は進行状況報告7でした。(9月23日記)

Rimg3487 7月9日 18:00

Rimg4024 7月31日 14:02

Rimg4125 8月4日 13:37

Rimg4136 8月5日 10:06

Rimg4564 9月5日 16:35

Rimg4606 9月7日 16:28

Rimg4611 9月8日 18:58

  

できたら、10月6日までに完成させたいです。

 

謎の大きな矢印/変形タイヤはこの後どうなる?

 

今日は9月9日。

  

夏に撮った写真を少々載せます。

  

Rimg4052

Rimg4053  

8月1日の写真。

この大きな矢印は何を指しているのでしょうか?

3階の矢印で指された家の住人が、

私の家はここだよと、初めて来たお客さんにわかるようにしたのでしょうか?

謎の大きな矢印です。

次は、実際に3階に上がって確かめてみたい。

  

  

Rimg4139  

8月5日の写真。

このタイヤがブログに登場するのは3回目だと思います。

1回目。

ここでも道草 タイヤの日/自動車と自転車の整備(2012年4月20日投稿)

2回目。

ここでも道草 変形タイヤの最新情報(2013年3月9日投稿)

 

面白いのは、相変わらず変形された形はそのままであること。

処分もされずに、そのままの形を保ち続けるタイヤ。

この後どうなるのでしょう?

気にしている人はそうはいないと思いますが・・・・。

2014年9月 8日 (月)

雲と路地の写真

 

今日は9月8日。

  

7日。久々に夕焼けが良かったなあ。

  

Rimg4607

Rimg4609

Rimg4614

Rimg4616   

  

こんな薄い雲は珍しい。

最近は低くて厚い雲の日が多く、なかなか夕焼けを楽しめませんでした。

今週はいけるかな?

今晩は中秋の名月だから、晴れてほしいなあ。

  

   

先日の雲も良かったです。

Rimg4490  

すがすがしい雲でした。

出勤時に撮りましたが、こんな雲を見てからの仕事は気分よく取り組めます。

雲も心に影響を与えます。

  

  

雲には関係ないけど、こんな写真はいかがですか?

Rimg4140  

自転車で走っていると、細い路地に入ってみたいという衝動に駆られます。

こんな路地、魅力がありませんか?

ある夏の昼に撮ったものです。

2014年9月 7日 (日)

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用8/当時の上山田村村長

  

今日は9月7日。

  

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

Rimg4418  

学童疎開が行われて、今年で70年になります。

光明学校の卒業生が上山田での疎開生活の思い出を絵本にして発表しました。

上の写真は、絵本の出版記念会。

Rimg4419

Rimg4420  

絵本の名前は「千曲川のほとりで~私の学童疎開・上山田ホテル~」(まごころの集い社)

作者は今西美奈子さん。

  

さっそく買って読みました。

疎開先の子どもたちの様子がよくわかりました。

また、松本校長先生となかなか出会わなかった村長さんのことも書いてありました。

  

学芸会 クリスマス お正月 ひな祭りなどのイベントには、

食糧難にもかかわらず必ず、先生や保母さんの

心づくしのご馳走が夕食膳にに並びました。

そしてホテルのオーナーであった村長さんや奥様たちも、

それらの行事に参加してくださるのでした。

   

どうも、番組のせいで?村長さんのイメージはあまりよくありませんでした。

でもこの絵本を読み、村長さんの優しい顔の絵を見て、

すっかりイメージが変わりました。

上山田ホテルのサイトを見ました。→上山田ホテル 

そして引用します。

 

上山田ホテルの創業について。

千曲川の河原に忽然と姿を現した、戸倉上山田温泉、

当時の川の流れの間を挟み戸倉温泉は

明治26年(1893年)、上山田温泉は明治36年(1903年)に源泉が開かれました。

日本では初めて近代的な手法でボーリングを行い、

沸き出でた温泉でした。 上山田温泉掘削の仲間を募り、

資金を集め推進したひとりが若林又三郎でした。

又三郎は上山田温泉(株)の社長を務め、

共同浴場「亀乃湯」を開き、その門前に茶屋・旅館の温泉街が出現しました。

近隣の温泉客を集め、また明治45年(1912年)には、

信越線戸倉駅が開通し遠来のお客様も戸倉上山田温泉に多くお越しになるようになりました。

又三郎の息子、正光・正春がいました。

正光は上山田温泉経営に当たり、の2号源泉に新たな「亀の湯」が建設され

その正面を温泉の本通りが開かれました。

アメリカ帰りだった正光は、「アメリカにはホテルという人々が集まり・宿泊する施設がある。」

との考えから、弟の若林正春を初代として上山田ホテルが創業されました。

以来4代にわたり「湯元 上山田ホテル」として営業をし、本年9月に創業90周年を迎えました。

  

  

この文章からだと村長さんは若林正春さんかな?

  

検索したところ、次のサイトに行きつきました。

  

晴天そら日和 2010年08月15日18:22 第65回「終戦の日」次世代に語り継ぐこと、。。。

  

  

ここでも良い文に出会えました。

  

49年4月、光明学校は空襲で焼失した東京都世田谷区の校舎再建にこぎつけ、

その翌月、集団疎開がようやく終わった。

周辺の旅館は終戦間もないうちに疎開児童が東京へ帰り、営業を再開。

進駐軍が来てキャラメルを配り始め、復興が進むと一般客も訪れるようになり、

増築・新築するところも相次いだ。

静かだった温泉地は歓楽街へと変わっていった。

しかし上山田ホテルは光明学校の疎開が終わった後も、

すぐに客を取ることはできなかった。

教室として使われた大広間や居室だった客室は、畳がすり切れて土台まで損傷し、

柱も傷だらけになっていたからだ。

元気盛りの子どもたちは足に金具の装具をつけ、松葉づえをついてホテル内で遊んだ。

当時の主人、若林正春さん(故人)は、そんな姿を見てもとがめることはなかった。

おいで現在同ホテル会長を務める恒正さん(84)は当時、

正春さんに建て直しを進言したことがあった。

正春さんは「お前が経営するようになったら、きれいにしたらいい」と

畳や障子を新しくした程度だったという。

上山田ホテルは77年に全面改築された。

建物はすっかり新しくなったが、子どもたちを見守っていたヒノキの大木は残っている。

  

  

当時の村長さんは、若林正春さんで確実のようです。

一度お顔を拝みたいです。

そのためにも、いつか上山田ホテルに泊まりたいですね。実現するぞ。

  

  

絵本は通販で買いました。

その時に本にはさんであった記事の写真を最後に載せます。

20090101_00000042

   

以上で、8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」の

引用を終了。

おじろわしさんのブログには大変お世話になりました。

みなと横浜みなみ区3丁目 「”戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」【NHK ETV特集】全編文字起し

  

学びの多かった番組でした。

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用7/昭和54年肢体不自由児の義務教育化

  

今日は9月7日。

  

前投稿のつづき。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

  

  

昭和20年8月15日。終戦。

ほとんどの疎開児童は、翌年の3月までには親元に戻りました。

ムム?3月?・・・半年以上かかっているぞ。

しかし、光明学校はさらに遅い。

校舎は焼けて、再建の目途がたっていなかったからです。

松本保平校長たちは議論を重ねて、

上山田村で光明学校を引き続き経営することになります。

50人の子どもたちのほとんどが残りました。

   

Rimg4411 戦後も宿泊していた上山田村村長が経営する旅館。

  

疎開が終了したために、補助金がカットされましたが、

松本校長の尽力で国からの補助金が再び出るようになりました。

  

光明学校の校舎が世田谷にできたのは、昭和24年でした。

その年の5月、子どもたちは新しい学校に戻りました。

Rimg4412  

光明学校の関係者の戦争が終わりました。

      

この後の松本校長の活動を、番組は追っています。

それは戦後の肢体不自由児、あるいは特別支援教育の歴史であり、

興味深いものでした。

Rimg4413

  

ナレーターの話:
 

終戦翌年の昭和21年、新憲法が公布され戦後の教育改革が進みます。

昭和22年、中学までの教育を義務化する新しい制度が始まりました。

しかし、肢体不自由児の義務教育化は実施されないままでした。

松本校長は再出発した光明学校で、肢体不自由児の教育の充実を訴えて行きました。

昭和29年、全国の教育研究者の大会に出席。ここで持論を述べました。

  

肢体不自由児も教育を受けることで有能な社会人となる。

さらに各県に少なくとも1校の肢体不自由児の学校、

全国300の特別学級を早急に設置してほしいと訴えました。、

盲学校、聾学校はあったようですが、知的障害・肢体不自由児・病弱者のための養護学校は

決して多くはなかったようです。

    

  

松本校長はテレビ番組に出演してこう言っています。

 

現在、小学校、中学校におられる手足の不自由な方が12万名おるわけですが、

そのうち1万1千名が就学猶予とか免除という名前で

学校教育からはずされているわけなんです。

ですからこれは、もし普通のお子さんだったら

学校へ上げなかったら親御さんが罰せられるわけなのに、

手足が不自由なばっかりに教育からはずされているというのは、

矛盾していると思うんですね。

その矛盾といえばですね、いままで人間がお互いに殺し合う戦争という名前でですね、

大きな努力を各国もやってきたと思うんです。

ところがお互いに理解し合うために、

これに比べたら努力はほとんどなされていないんじゃないかという気もしますね。

仮にジェット(戦闘)機1つあったら、それだけの費用で養護学校が10も15もできるというのが

われわれ常に言いたいことなんでございますがね。

Rimg4414

 

ナレーターの話:

 

松本校長の訴えは続き、

昭和31年に公立の養護学校の設置を促進する法律が制定されます。

肢体不自由児の学校は全国各地に作られていきました。  

Rimg4415   

すべての肢体不自由児に学校教育を受ける権利が保障されたのは、

昭和54年。ここに、肢体不自由児の義務教育が実現したのです。

Rimg4416   

昭和54年と言えば、つい最近ですよ。

上の写真が白黒なので、うんと昔のように思えてしまいます。

カラー写真でもおかしくない最近のことです。

   

地元にある豊川支援学校。

この学校が開校したのも、昭和54年の4月でした。

予想より・・・こんなに最近のことだったのですね。

  

Rimg4417  

ナレーターの話:

すでに退職していた松本校長は、この時病に倒れていました。

その直前まで、肢体不自由の子どもたちのために国会に足を運んでいたと言います。

  

   

今はあるのが当たり前の特別支援学校、特別支援学級。

ちょっと前までそうではなかった・・・・そういえば、私が中学生の時に、

特殊学級がありました。

戦後、学校教育法で、法的には位置づけられてはいました。

※日本で最初の特殊学級は、Wikipediaによると、

1890年 長野・松本尋常小学校に『落第生学級』の設置だったようです。

すごい名前です。また機会があったらくわしく調べてみたい。※Wikipedia 特別支援学級

  

つづく

「肢体不自由児たちの学童疎開」引用6/最後の学童疎開

  

今日は9月7日。

  

8月27日の投稿のつづきです。

8月9日放映の「ETV特集 ”戦闘配置されず”~肢体不自由児たちの学童疎開~」から。

   

疎開先は決まりました。

上山田村の村長が経営する旅館です。

次は移動手段です。

  

ナレーターの話:

 

普通学校の疎開では、東京都が疎開先と列車の手配をしました。

しかし、光明学校は自力で確保しなければなりません。

松本校長が鉄道局に通い続けること3日。

子供たちの学校生活に欠かせない治療器具の輸送です。

何とか客車1両を貸し切ってもらえることになりました。

さらにもう1つ、課題がありました。

大きな器具の数々。その輸送問題が伴うのは、普通学校の疎開とは大きな違いでした。

松本校長は学校近くの陸軍の部隊長に直訴しました。

Rimg4404  

松本保平校長:

 

本土決戦になった場合、肢体不自由児は足手まといになります。

この児童がいなければ、それだけ戦力は増強します。

是非、引っ越しに手を貸して下さい。

  

ここで違和感がありました。

松本校長が肢体不自由児をのことを「足手まとい」と言ったことに対してです。

すかさずナレーターが言います。

  

ナレーターの話:

 

校長は軍の協力を引き出すため、

あえて肢体不自由児は足手まといになるという表現を使ったのです。

   

なるほどと思いました。

子どもたちの命がかかっていたので、必死でした。

軍の協力は得られ、器具は運搬してくれることになりました。

  

こうして子どもたちの疎開地への移動が実現しました。

光明学校が疎開地に向けて出発したのは、昭和20年5月15日午前10時。

終戦3か月前!

Rimg4405

この時までに、60万人を超える子どもたちが疎開先に行っていました。

光明学校の疎開は、最も遅い学童疎開となりました。

  

疎開地に行くまでも大変でした。

ナレーターの話:

 

車の中では途中、軽井沢から乗り込んできた大勢の大人たちが

光明の貸切車両に押し寄せて、声を荒げて言いました。

  

乗客

乗せろ。貸切はないはずだ。俺たちは昨日から並んでいるんだぞ。

まだ席が空いている。それに、おかしなのばかりじゃないか。

Rimg4406

ナレーションの話

乗り込んできた大人たちに、松本校長は立ちはだかりました。

Rimg4407

 

校長の手記

 

なんとしても乗せるわけにはいかない。大勢乗れば、子供がつぶされる。必死で抑えた。

  

  

誰もが必死。

乗り込んできた乗客も、松本校長もです。

ここまで必死に子どものために動く。

残りの教員生活で、そんな場面はあるのだろうか?

今やれば?と言われそうですが、必死レベルは難しい。

  

  

ナレーターの話:


上野を出発して7時間。一行は上山田村近くの戸倉駅に到着しました。

そして、受け入れ先の宿に全員無事、たどり着くことができました。

Rimg4408_2

そのわずか10日後のことでした。東京の世田谷が空襲に見舞われます。

光明学校の校舎は、焼け落ちてしまいました。

Rimg4409

10日遅れれば、命はなかったかもしれない。

母校の校舎を失った悲しみと生きているという安堵の気持ちがみんなに交錯しました。

   

  

良かった!

3か月前・・・当然、当時の人たちは3か月前のイメージはありません。

疎開への決断と準備が生きたのです。

グッドタイミングでした。(つづく)

 

  

最近の写真

  • Img_9044
  • Img_9040
  • Img_9039
  • Img_9036
  • Img_9132_2
  • Img_1999
  • Img_1998
  • Img_1994
  • Img_1993_2
  • Img_1992
  • Img_1989
  • Img_1986_2

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉