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2014年9月15日 (月)

第一竪坑(シャフト)を見に行く1.この番組を見て行きたくなった

 

今日は9月15日。

  

前投稿で予告したように、大津市の琵琶湖疏水の

長等山トンネルの第一竪坑(シャフト)のことを書きます。

以後、「シャフト」と書いていきます。

  

なぜここに行きたいと思ったかというと、テレビ番組の影響です。

昨年の8月28日放映の「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす

~千年の都 復興ものがたり」を見たからです。

まずはこの番組の紹介を書きます。 

  

番組を見たのは、昨年の8月31日でした。

ここでも道草 今欲しいものはミラプレ(2013年8月31日投稿)

 

明治になって京都の人を驚かせたので、天皇の遷都。

天皇が東京に行ってしまった後、京都では復興のための手が打たれました。

博覧会が開かれて、外国人がたくさん訪れるようになりました。

そして今の金額で総工費1兆円の費用をかける琵琶湖疏水工事が行われました。

  

  

この工事を任されたのが、21歳の田邊朔郎(たなべさくろう)でした。

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大学でトンネル工事の技術を身につけた田邊朔郎の初仕事が、

この巨大プロジェクトでした。

琵琶湖と京都を運河で結ぶのが琵琶湖疏水計画でした。

  

海がなく、港がない京都では、琵琶湖で陸揚げされた物資の主な輸送手段は人や牛でした。

そのため、大量の物資を運ぶことができませんでした。

京都が復興し、さらに成長するためには、

物流の大動脈が必要とされていました。

  

田邊朔郎の計画は、琵琶湖と京都の間にある山に6本のトンネルを作って、

20㎞の運河を作るというものでした。

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工事が始まったのは、1885年(明治18年)6月でした。

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まず立ちはだかったのは、大津から京都への最初の峠でした。

たしかこの峠の名前は小関峠。昨年から3回も行ったので、間違いない。

田邊朔郎は、ここに当時日本最長になるトンネルを掘る計画を立てました。

トンネルの名前は長等山(ながらやま)トンネル。

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掘削(くっさく)の機械もなく、人手に頼るしかなかった当時、

普通に両側から掘り進めていては、時間がかかりすぎてしまいます。

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そこで、途中でシャフトを掘ることになりました。

番組では、ここでシャフトが紹介されていました。

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細い旧小関峠越え道の傍らに、シャフトはありました。

※参考 旧小関峠越えの現在の様子が、このサイトでよくわかりました。

街道の行く先へ 小関越え

  

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シャフトを掘ることで、4か所から同時に掘ることができるので、

工期が大幅に短縮され、費用が節約できます。

このシャフトを掘る工事方法は、アメリカから導入された最新の工法で、日本初の試みでした。

(つづく)

  

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