2015年3月21日 (土)

20150310報告8/参観授業でもふだんの授業ができるように

  

今日は3月21日。

  

前投稿のつづき。

  

協議会に出てきたことで、記録しておきたいことを書いていきます。

  

キミヤーズ塾でも、創作漢字作りの発表で、

思いつかずに行き詰まった子ども役の人がいました。

苦しんでいました。頭が真っ白になったと言っていました。

今回の参観授業でも、発表者が行き詰まって泣いてしまった子どもがいました。

どちらも、ほかのたくさんの人達が見ている状況で、

どうにかしないといけない場面なので、そうなってしまうのでしょう。

後で聞くところによると、その子は参観授業では泣くことがあるそうです。

したがってふだんの学級メンバーのみの授業では、

追い詰められずに、ほどよく緊張して創作をするのでしょう。

ちゃんとやらなければという気持ちが、焦りも生み出し、

いつもなら考えられることでも、頭を真っ白にしてしまうのかもしれません。

  

協議会では、行き詰まりながらも、粘り強く考え発表した子どもが、

賞賛されました。私もやりきったことにすごいと思います。

やりきったことで、その子の実力もアップしたと思います。

その子にとって、意義ある時間だったと思います。

また行き詰まった子どもの回復の時間を稼ぐために、

担任の先生が行ったアドリブのフォローは、教育技術の高さを感じました。

したがって学者参観授業を否定するものでは全くありません。

しかし、参観者がいなかったら、すんなり流れた授業だったかもしれません。  

  

授業を提案するなら、他の先生たちに見てもらわなくてはなりません。

でもふだんと違う環境で、子どもたちの様子が変わります。

私の学級でも、参観者があると表情がなくなってしまう子どもがいます。

授業がいつもどおりに進まなくなります。

特別支援学級の参観授業は、子どもの人数が少なく、

環境の変化に対応する力が弱いと言われることから、

ふだんと違う授業になる可能性が高いのでは。

  

それを防ぐために・・・・

参観者が気にならないような夢中になれる授業内容にする。

発表型授業をやめる。

発表型授業をたくさんやっておいて、

子どもが参観者のいる状況に慣れさせる。

自分でも陳腐?な考えしか浮かびません。

  

  

  

提案をする授業をするなら、

いかに参観授業で子どもたちの実力がそのまま出るか

作戦を考えないといけないなあと思いました。

  

村上先生も、授業の反省で、

泣いてしまうのを何とかできる上手い手を考えてみたい、

難しい課題であり、1年以内に考えつくように努力したい、

と書かれています。簡単ではないのです。

でも村上先生には、何か浮かんでいるようです。

解決のキーポイントをすでにあげておられました。

「教具と愛」です。

村上先生の実践が楽しみですが、他力本願にならないように、

自分でも実践をしていきたいと思います。

20150310報告7/聞きなれない言葉「足場かけ」「いちびる」

  

今日は3月21日。

  

19日の記事の続きです。

  

参観授業後の協議会で、2つ聞きなれない言葉がありました。

  

「足場かけ」

これは「日本語教師のページ」というサイトをまず読んでみました。

日本語教師のページ 用語検索 スキャフォールディング

村上公也先生のお話の中によく出てくる 

ヴィゴツキーの発達の最近接領域説が出てきました。

次のような説明でした。

  

ヴィゴツキーが唱えた発達の最近接領域説では、

大人(養育者、教師、指導者など)や、

より発達の進んだ他の子ども等による、

適切な指示、援助を与えること(足場を作ること)の

重要性が示唆されている。

スキャフォールディング(足場かけ)は、

指導する側に決まったスケジュールがあり、

その通りにやらせる、というものではなく、

指導者が、子ども(学習者)が今どういう状態にあり、

その発達の最近接領域がどこにあるのかを見極めて、

最良の環境を与えることを指す。

具体的には、子どもが自分でできるところについてはあまり介入せず、

子どものできないことを補い、発達を手助けすることであり、

それによって遂行できるレベルの課題が与えられた時、

子どもの発達はおのずと起きるとされる。 

  

「足場かけ=発達の手助け」と単純にしていいかな。

特別支援教育と関係して「足場かけ」について書いたのが次のサイトです。

レデックス株式会社 学びの三つのアイデア

  

足場かけ Scaffolding(スキャフォールディング)

意味は、高いところにあるものをとるための「足場」をかける(おく)こと。

発達障害や知的障害の子どもたちの学びや発達を促すために

もっとも大切なアイデアです。

(中略)

足場かけは、Assistive Technology で実現が可能です。

声が出せない子が、絵を選んで、

自分の代わりに声で意思を伝えるVOCA(ボカ)は、

声を使った会話ができることの便利さを

その子に知ってもらうのと同時に、

場面ごとの音声表現をだんだん身につけるための、

よい足場になると思います。

認知機能は、終生、発達し続けます。

ましてや発達途中の子どもたちは、どんどん成長を続けます。

子どもたちがいろいろなことに興味関心をもち、

それができるようになりたいと意欲をもち、

実際に使ってみて、できるようになるために、

ぜひ、これらの3つのアイデアを活用していただければと思います。

※「3つのアイデア」とは、本物性、内省、そして足場かけでした。

  

この引用した文章も気になります。

興味関心を持たせて、実際にやるように仕向けて、できるようにさせる。

これって、「その気」にさせて「やる気」に持っていく村上流ですよね。

(村上龍ではない)

支援では終わらない。

その支援がなくてもできるようにしていくのが教育の方向です。

支援をなくしていく教育。村上先生の言っていることです。

    

  

引用文でわからない言葉を調べてみました。

「Assistive Technology」=

やってみたいという思いを実現させるための技術。

支援技術。障害を持つ人々を支援するための技術全般。

「VOCA(ボカ)」=

Voice Output Communication Aids の略。

音声出力型のコミュニケーション装置のことをいう。

  

  

協議会で当たり前のように出てきた「足場かけ」

その場で聞けずに、今頃調べました。次は大丈夫。

  

  

もう一つの聞きなれない言葉は、「いちびる」です。

これはすぐに近くの人に聞きました。

「ふざける」「調子に乗る」という意味だそうです。

関西弁のようです。

2015年3月20日 (金)

直前に割印を押した

 

今日は3月20日。今日は卒業式。

  

担任をしている特別支援学級でも、一人卒業していきました。

いい別れができました。

その子に対して頑張ってきてよかったと思いました。

やっぱり、教育は、最後まで頑張って、

最後の日に報われるのだと思いました。

卒業式になると毎回思っていたことを、今回も感じました。

   

  

今回は証書に割印を押すことを直前にやっていて焦りました。

すっかり忘れていて、昨日、もう一人の係の先生と押しました。

直前なので失敗が許されず、

印の向きなど何度も声に出して確かめて押しました。

全部押した時は、疲れました。

今日、子どもたちがその証書をもらっているのを見て、

安堵の気持ちでした。

来年もその係になる可能性があるので、来年の予定表に書き込んでおきました。

  

2016年3月1日の欄です。

「そろそろ卒業台帳・卒業証書の割印をスタートさせたい」

  

余裕でしょ?

うまくいったら、1年後のブログに書きます。

 

2015年3月19日 (木)

20150310報告6/三脚、面白がってくれる他者、小学校では習わない漢字

 

今日は3月19日。明日は卒業式。

  

16日のつづき。

  

3月10日に学者参観授業に参加するにあたり、

頑張って購入したのが「三脚」です。

ずっと買おうと思いつつも、引き伸ばしてきたもの。

この授業の参加を機会に、踏ん切りました。

Rimg0973_2 ↑昨日、学級で行った「お別れ会」でも三脚は活躍しました。

  

3月10日の参観授業もしっかり録画しました。  

その映像を昨晩見直しました。

  

村上公也先生が、子どもたちに絵本を初めて見せる時が

うまいなあと思いました。

「お利口さんの正直者じゃないと読めない字で書いてる絵本だよ」

「ほらあ」

  

子どもたちの反応がよかった。

すかさず「読めた~」でした。

  

この雰囲気は、文章で表現できません。

  

  

授業では、絵本を見ながら子どもたちが自由にお話を語るところがあります。

その時に大事なのは、語り手以外の子ども達と、

担任のF先生だと思いました。

  

「へえ」「ふうん」「面白い」「頑張れ」

という声が飛びかい、時には語っている最中に質問が出ます。

発表者は、その質問にも答えることで加速して、お話は進めていました。

F先生も盛んに相槌を打ちつつ、「~~はこの後どうなっていくのでしょう?」

と話を整理しながら、次を促していました。

カチンコもどんどん使っていました。

お話が終わると、子どもたちは挙手して、順番に感想を言っていきます。

お話に対してのこれらの反応の良さが、

創作意欲をかきたてるのでしょう。

キミヤーズ塾で赤木先生が言っていた「面白がってくれる他者」です。

ここでも道草 20150228報告8/「面白がってくれる他者」が創発の手助けをする(2015年3月5日投稿)

それを生で見ることができた授業でした。

  

漢字の出会わせ方も勉強になりました。

こちらが用意した順番で学年の漢字を示すのではなく、

子どもたちの発言の中から漢字を出してきます。

どのような漢字が出てくるかわかりません。

今回は「跳」「猫」「浦」といった漢字が出てきました。

これらは全て小学校では習わない字です。

でも出会わせちゃいます。

このあたりは、枠のない伸び伸びした授業だと思いました。

(もちろん、学年の漢字を教える授業があることが前提です)

やっぱり漢字はドンドンで出会わせて漢字の良さ、楽しさを感じてほしいですね。

子どもたちは、絵本のタイトルを考えていて、

教師が提案したタイトルが長すぎるから、

「漢字にしよう」と言っていました。

漢字慣れした子どもたちだと思いました。

漢字が1字でも意味を表現できる特性を十分知っていました。(つづく)

2015年3月16日 (月)

15日に縁のあったふきのとう、アシタバ、アサリ

  

今日は3月16日。

  

昨晩(15日)の夕飯はちょっと特別でした。

「ふきのとう」と「アシタバ(明日葉)」の天ぷらでした。

「ふきのとう」は奥さんの実家産です。

毎年頂いています。大好物です。

「アシタバ」は家の裏で栽培しているそうです。

全然知りませんでした。

今が旬なのだそうです。

最近はダイエットのためにご飯を少なめにしていましたが、

昨晩は食が進んでしっかりと食べました。

  

  

15日朝の放映「さわやか自然百景 愛知 六条潟」は勉強になりました。

まずは、愛知県がアサリの漁獲高日本一だと聞いて驚きました。

そうだったのですね。

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Rimg0957  

豊川(とよがわ)の河口左岸にあるのが六条潟。

ここにはたくさんのアサリが生息しているそうです。

Rimg0954   

なぜアサリがたくさん生息しているのか?

理由の一つとして、砂粒の大きさをあげていました。

  

Rimg0953  

干潟にいるアサリを持ち上げると、こうやって砂粒がついてくるそうです。

これってどういうことだと思いますか?

想像もつきませんでした。

アサリは透明な糸を出して、砂をつかんでいるのだそうです。

その理由は、波に流されないためです。

そのため、この糸のことを「固定糸」と言うそうです。

※固定糸についてはこのサイトを参考にしました↓

東京湾の漁師 東京湾海人の日記 アサリの糸part2

つかむのにちょうどいい砂が六条潟には豊富にあるのだそうです。

  

こういう番組を見ると実物を見たくなります。

サークルをやっている場所から近い場所に六条潟があります。

ぜひ行ってみたい。

そのついでにアサリを持ち上げて、固定糸を見てみたいですね。

その時には、ブログに書きます。

20150310報告5/教科について 表現によるコミュニケーション

  

今日は3月16日。給料日。

  

前投稿のつづき。

村上公也先生の指導案「教科について」を引用しています。

次の文章も過激です。

  

「次の文章の要旨を30字以内にまとめよ」というような課題は,

言葉による文章という断片的な表現を

別のいっそう断片的な説明に変換する作業にしか過ぎない。

従来の教育が,こんな学習ばかりさせてきたから,

本当に大事なものが抜け落ちてしまっているのではないだろうか。

いくら説明できることが増えたとしても,

リアリティがないと充足感には至らない。

だから説明できても,そのことを主体的に

生活に生かすことにはつながらないのだ。

表現することへの意欲や喜びにはつながらない。

  

  

要旨をまとめよという課題に対して、疑問に思ったことはないと思います。

厄介だけどやらないとなあと思って、自分もやってきたし、

子どもたちにも課してきました。

特別支援学級担任になってからは、子どもたちには難度が高いと判断して、

省略していました。

表現することへの意欲や喜びにはつながらないと確かに思います。

しかし、要約する力はいるのか?

あまり今まで考えてこなかったこの課題について考えさせられています。

  

   

自閉傾向のある子ども,特に発達に遅れのある子どもは,

名前と決まりきった定型文しか書けないとか,

自分の思いや想像を文字や言葉にできないとかの理由は,

想像性の欠如という特性からきているというのは,

明らかに間違ったアセスメントである。

このような考えは,文字を教えたら,

それだけで自分の思いや想像を文章にできるという

短絡的な考えからきている。もう笑うしかない。

   

  

「もう笑うしかない」という言葉は、普通の指導案には出てきませんよ。

村上先生の文章はさらに続きます。

大人でもハッとさせられる文章に関してです。

  

  

読んだり書いたりした借り物の「正しい」形式的な話や文章が,

自分の思うすべてだと思い込んでしまうようなことがあってはならない。

オリジナルの思いや想像は,言葉や文字に縛られない

際限のないほど広く豊かなものであるはずなのに,

読んだり書いたりできる技術の範囲内に閉じ込めてしまってはならない。

月並みなフレーズの借り物の「正しい」形式的な話や文章の学習を

繰り返し教えられているうちに,

それが本当の自分の思いや想像だと勘違いしている子どもは

多いのではないだろうか。

たぶん,そのような教育を受けきた大人も多いと思われる。

形式的な「正しい」ことよりも,

自分が自分たり得るオリジナリティ,想像性,創造性が重要である。

そして,それを表現することである。

また,そこで起こる表現者同士の相互作用である。

この魂の交信ともいえる重要なコミュニケーションを

月並みで俗っぽい「正しい」という範囲に限定してはいけない。

  

   

ブログを書いて表現している身には、この言葉はグサリときます。

何かを見たり体験して思ったことを、ブログ上で表現したいと思った時に、

はたして十分に表現しているかどうか?

どこかで誰かが書いていたようなフレーズで終わらせていることもあるなあ。

そう反省します。

この「教科について」の文章のように、思いがストレートに出ていると、

書いた人の気持ちがよくわかります。刺激的です。

そして「教科について」のまとめの部分です。

  

説明は,客観性や正確さが要求され,表面的に理解はできたしても,

その根底にある精神は伝わらない。

説明の域では,本当の意味で説得力がない。

当然,手応えも実感もない。

説明ができるようになったとしても,

本当の意味でのコミュニケーションは成立しない。

「正しい」とか「正しくない」という陳腐な枠を超えて,

自分の心の内の自分のオリジナルな世界を何とかして表現すること,

その表現が他に及ぼす影響を感じ取ることこそ,

最も重要なことだと思う。

つまり,表現している時,一部自分も受け取る側にもなるのだ。

また,他人の表現を受け取る側になった時は,

同時に一部表現者に立った視線を持つこともできる。

この状況がまさに表現によるコミュニケーションであり,

伝達を前提とする説明などとは,まったく違うところなのである。

  

  

村上先生の「表現」に対する考え方は、美術的なのでしょうか?

右脳的なのでしょうか?

型に頼らず、思いを表現することは、

評価をしないといけない教育の世界では、

そういう領域はあるよなと感じつつも、

遠巻きにして近づかなかった領域でもあると思います。 

私自身も教育されてこなかったし、教育してこなかったことです。

何回も書いてきたように、村上先生の「発想と実行力」はすごいです。

それって「表現」しているんだよなあとふと思います。

こうすれば面白い、こうすればいいぞと思ったことを、

既成概念にとらわれずに表現したいろいろな教育手法が、

他の先生をうならせると思います。説得力があると思います。

  

   

この「教科について」をこうやってブログ上に転載したことで、

また読み返すこともあるでしょう。

何回も読んで理解していきたいし、他の人の意見も聞いて、

理解を深めていきたいと思う。

とても過激で刺激的な「教科について」でした。

  

 

2015年3月15日 (日)

20150310報告4/教科について 勧進帳

  

今日は3月15日。

  

前投稿のつづき。

  

村上公也先生の書かれた指導案の中の「教材について」は魅力的です。

村上先生の思いがバンバンに出ていて、読んでいて楽しい。

こういう「教材について」は、指導案検討会で修正されやすい。

研究テーマに沿っていないとか、教科の目標がどうのこうのとか・・・・。

学習指導要領も出てきて、「教科については」は平穏な文章になってしまいます。

  

しかし、村上先生の「教科について」は村上先生の思い優先です。

過激です。

読む人に、どう思う?と提案してきます。

  

書き出しはこうです。

 

この授業は,子どもにウソをつかせる教材である。

一つ目のウソは,カンニングさせて指導者を出し抜くのである。

子どもたちにとってウソは蜜の味である。

子どもたちはそれだけでワクワクする。

これは,写し書きしかできない子どもに

文字の形を必然的に一旦記憶させるための方略である。

  

 

「覚える」とは、こういうことかと教わったのは村上先生でした。

2013年11月24日のことでした。

ここでも道草 11月24日の講座3/漢字を覚えるということ

ノートに何回も書いて覚えるだけではない、

別の発想の覚え方です。

他の場所に書いてある漢字を覚えて、それを戻ってきて再現する仕組み。

上記の「カンニング」は、その発展系と言えます。

でも基本は同じです。

子どもをその気にさせて、学習に取り組ませる村上先生のやり方です。

  

  

もう一つのウソは,字のない絵本を読ませるのである。

歌舞伎で,弁慶が「勧進帳を読んでみろ」と言われて,

白紙の巻紙をさも本物らしく読み上げていく場面を

思い出していただきたい。

でも白紙のノートを持たせて想像を膨らませて

読む真似をしろと言っても,無理がある。

子どもたちの想像を掻き立てる映像が必要である。

かといって写真や写実的な絵を見せて,

お話をしろと言っても,それは単なる映像の説明に過ぎない。

写実的な絵ではなく,抽象的で曖昧な映像の絵本を与えると,

それを媒体としてオリジナルの思いや想像を

自分なりの言葉で表現するようになる。

そのウソは子ども達の実際の生活経験を元に

ひねり出されたものなのである。

子どもたちの手垢のついた人間臭いストーリーが展開する。

だからこそ子どもたちの存在自体を表現すること,

互いの人格の表現を交換し合うのである。

私は,むしろこのウソの作り話にリアリティを感じる。

これを取り留めない思いや空想として,切り捨ててしまったら,

子どもたちの発達のバランスは崩れるのではないだろうか。

  

  

「子どもたちの存在自体を表現すること」

「互いの人格の表現を交換し合う」

このことができたら、村上先生の言う本音での交流ができるのでしょう。

その結果、強固な人間関係が形成されるのだと思います。

そのために、「抽象的な曖昧な映像の絵本」を用意する発想と実行力。

新しいものを作っていく「発想と実行力」が村上先生の魅力だと思います。

この授業でもそうでした。

思いついただけでなく、実現してしまうんだよなあ。

「もうひとりの自分」実践みたいに。

※参考:ここでも道草 11月24日の講座/もうひとりの自分

  

  

弁慶が勧進帳を読む場面を思い出していただきたいと書いてありますが、

私には思い出す記憶がありませんでした。

したがって今回調べてみました。

次のサイトが参考になりました↓

松本紀保の芝居散歩 勧進帳とはどんなお話?

  

勧進帳とはそもそも、寄付をお願いするための文言が書かれた

帳簿(まき物)なのだそうです。

弁慶がウソで話した内容は、次のようなものだそうです。

上記サイトから引用します。

  

ざっくりとした内容は

「昔、聖武皇帝が妻と死別し悲しみにくれその思いを

蘆遮那仏を本尊とした東大寺を建立された。

しかし平家によって焼失してしまった。

それを悲しみ、俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)は、

帝に願い出で再建のために諸国を手分けし寄付を募っている。

わずかな施しであっても寄付をした者たちは

現世では比べようもなく豊かで誇りある人生であり、

来世では数千蓮華の花の上に座ることができるであろう。

仏の救いを信じ身命を投げ出し、敬って申し上げる。」

  

白紙の巻物を見ながら、このような内容をアドリブで弁慶は言ったのです。

素晴らしい。

  

映像を見たくなりました。

これなんかどうでしょう↓

十二代市川團十郎襲名の勧進帳
YouTube: 十二代市川團十郎襲名の勧進帳

  

1分すぎあたりから「勧進帳読上げ」の場面。

何といっているのかよくわかりませんでしたが。トホホ。(つづく)

20150310報告3/学者参観授業の指導案(ダイジェスト)

  

今日は3月15日。

  

前投稿の続き。

  

二条駅で下車して、歩いて小学校へ。

いよいよ授業参観へ。

村上公也先生によると「学者参観授業」です。

大学の先生や関係者の参観の多い授業でした。

そこに数人小学校教員が参加した授業でした。

  

指導案によると次のようでした。(ダイジェスト)

  

授業者 F先生(T1) 村上公也先生(T2)  

単元名 「おはなしを作ろう ~弁慶の勧進帳の巻~」

単元目標

  ①実生活を踏まえ、それを超えて新しい発想をする。

  ②カンニングを通して、記憶して自分なりに文字を書く。

  ③既成の枠にとらわれず、自分の思いや考えを表現する。

児童について

  児童は3名。1年生、2年生、5年生。

  3名とも自閉症スペクトラム障害。

本時の展開

  1.本時の見通しをもつ

   ・終わりの時間を示す ・本時の流れをパワーポイントで示す

Photo_3

  2.絵本を読もう

   ・絵本を見て読む順番を決める

   ・「ある日」と言って話を始める A児

   ・「ところが」と言って話を始める B児

   ・「とうとう」と言って話を始める C児

  

  ※本時で使われた絵本は、村上先生のオリジナルです。

    例えばどんな絵本か?

       ありがたいことに絵本の写真をCDで配付してもらいました。

    春休みに予定されている報告会では先生方に見せたい。

    ここではサイズを落として1枚だけ載せてみます。

Photo_2

   このような絵を見ながら、子どもたちはお話を考え、

   みんなの前で発表するのです。 

 3.題名を考えよう   

  ・みんなで作った話の内容を思い出して、印象に残ったことを発表する。

  ・その中から、自分が題名にしたい言葉を選ぶ。

  ・選んだ言葉から連想する漢字を考える。

  ・題名になる漢字を書く。

  ・自分の本の一番いいところを発表する。

  ・自分の本の一番いいところを、漢字で表したら

   どんな漢字がいいか考える。

  ・自分の絵本に題名を書く。

 4.自分の絵本を紹介する。 

  

※本番では、児童3人に大学院生が加わって、

4人が絵本を見て読むことを行いました。

大学院生は2番目に絵本を読み、「そして」と言ってお話を作りました。

この授業の考え方は、2月10日に私の学級でやってくれた授業と関連あり。

村上先生は、現在やってみたい授業をやってくれたわけです。

  

板書計画 

Photo_4

  

※指導案には「教材について」が書かれていますが、ここでは書きません。

授業の感想を次の投稿で書くときに引用します。

20150310報告2/山科疏水の道を歩く

  

今日は3月15日。

  

3月12日の記事の続きです。

  

昨晩、3月10日の村上公也先生プロデューズの授業映像を

パソコンに入れました。

これでDVD-Rへのダビングはすぐにできます。

   

さてさて、3月10日は豊橋駅7:00発の高速バスに乗りました。

刈谷ハイウェイオアシスと甲南PAで2回休憩をとって、

京都駅に10時40分頃到着しました。

さあ、京都での活動開始です。

JRを使って山科駅に行く予定でしたが、

改札が混雑していたため時間がかかりそうだったので、

地下鉄で移動することにしました。

それならば御陵(みささぎ)駅で降りて、山科駅まで歩くことに変更。

(当初はこの逆の予定)

  

  

Rimg0774 

↑「御陵」は「みささぎ」と読むのですね。「ごりょう」だと思っていました。

初めて知りました。

この地名は天智天皇陵があることが由来のようです。

「みささぎ」は天皇・皇后の墓所を言います。

  

Rimg0773 ↑駅前にあった地図です。

地図中の「山科疏水の道」を歩くことにしました。

今回歩いたコースを、この地図上に黄色ラインで引いてみました↓

Rimg0773_2   

駅を北上して、住宅街の中を通過。

ここで右折します↓

Rimg0777  

ここにも「豊川稲荷」があると思って、ちょっと気分がよかったです。

  

  

Rimg0779 ↑第2トンネルの入口を発見しました。

  

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Rimg0782_2  

傍らにあった案内板には、

トンネルの上に掘られた漢文の説明がありました。

ちょっと興味をもったので、調べてみました。

茶臼山古墳的 日々是好日 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ 

↑ここがわかりやすかったです。

仁者の面と知者の面を両面持ちたいと思いました。

しかし、自分は今のところ「動」ですね。

とにかく動く。

  

  

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Rimg0787 ↑第2トンネル入口にある山ノ谷橋。

技師 山田忠三

技手 河野一筬

とありました。110年ほど前にこの橋にかかわった人の名前です。

どんな人だったのだろう?

110年後にこの刻まれた名前が見られると当時思いを馳せたでしょうか。

  

  

疏水の傍らの道を、水の流れに逆らって歩いてみました。

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Rimg0796 ↑コンクリートの杭が並ぶ向こうは、天智天皇陵のある敷地です。

  

  

Rimg0797 ↑クルーズするほどの水は流れていませんでした。

  

数人、カメラを構えている人たちがいました。

何を撮っているのかなと思って近づいたところ・・・・・

Rimg0799  

電車を撮影する人たちでした。

確かにこのポイントはいい。

私もデジカメで撮影に挑戦してみました。

Rimg0800

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Rimg0802   

ちょっとだけ鉄研の真似事をしてみました。

  

   

もっと歩きたかったけど断念。山科駅に向かいました。

再び地下鉄で京都市内に向かいました。

いよいよ授業参観です。(つづく)

3月14日の大川入山2 だんだん天気が回復

  

今日は3月15日。

  

前投稿の続きで、大川入山の写真を載せます。

  

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Rimg0882 ↑風の強い頂上でした。

冬はいつもそうですね。

同行のKさんがとってくれた私です。う~ん、ザックがゆがんでいるなあ。

(サングラスをかけているので、載せちゃいましょう)

  

少し下山した風のない場所で昼食。

お湯を沸かしてカップラーメンを食べたりしました。

雪が深いので、それぞれ雪を押し固めて場所を確保して食べました。

Rimg0885 ↑浜松から来た方です。

  

  

さあ下山。午後0時5分頃スタート。

だんだん天気が良くなっていきました。

同じような写真ばかりが続きます。

その時その時いいなと思って撮影したものです。

つまり、「いいな」の連続でした。別世界で贅沢な時間を過ごしました。

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Rimg0915 ↑横岳に戻ってきました。

  

ふと見ると小さな看板がぶら下がっていました。

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Rimg0921 ↑2ヶ所、大川入山を撮影できる場所があります。

  

下山途中、先に下っていった2人目のラッセル者の方が、

座り込んでいました。

足がつってしまったとのこと。

そりゃそうでしょう。大変なラッセルだったから。

その方はつった時に飲む薬も携帯していて、

それを飲んで足が治るのを待っているそうです。

達者な人のようなので、申し訳ないけど、追い抜いて下山しました。

  

 

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Rimg0924 ↑登山口の戻ってきました。

時刻は午後2時28分。

2時間23分でここまで下りてきました。

予想以上に早かったです。

Rimg0925a ↑アイゼンの履き心地が悪いと思ったら、

アイゼンと登山靴の間に入った雪が氷の塊になっていました。

これでは履き心地がいいわけがない。

 

  

Rimg0926a ↑駐車場です。

無事戻ってきました。よかったよかった。

このあと「ひまわりの湯」で疲れを癒して帰りました。

Photo ↑初めて「物見湯産手形」を1300円で購入。

今から1年間、この手形を使って長野県の温泉を楽しみたい。

 

  

忙しい日々ですが、山登りはやっぱり続けていきたいですね。

以上で、報告終了。今日もたくさん動くぞ。

 

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楽餓鬼

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