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2026年5月 2日 (土)

「大関和物語」⑦ 看護婦の歴史/大山捨松の偉業

  

今日は令和8年5月2日。

 

前記事の続きで、本「明治のナイチンゲール

大関和物語」(田中ひかる著/中央公論新社)より

引用していきます。

  

大正時代には、看護婦が女性の職業として定着する。桜井看護学校や

慈恵看護婦教育所などが設立された明治二〇年代から明治末まで、

二〇年かかって一万三〇〇〇人に達した看護婦は、大正時代の一五年

間で、三倍以上の五万一〇〇〇人に達した。和や雅に代表される初期

のトレインド・ナースと、大正時代に一般化した看護婦の違いについ

て、前出の村上信彦はこう説いている。

「明治期の看護婦はそのほとんどが明確な目的意識をもち、キリスト

教的な人道主義や日露戦争における赤十字の活動に感動して国家社会

のために献身したいという気持ち、あるいは親兄弟の病死に刺戟(し

げき)されて看護を生涯の目的とするような使命感が色濃かった。

みずから選びとった生甲斐のようなものである。したがって持続性も

つよく、生涯その仕事に従事するものが少なくなかった。これが大正

になると、数ある女の職業の一つとして意識され、そのなかでも比較

的有利な仕事として選択されるようになる。つまり、天職意識から生

活手段としての職業への転換である」(『大正期の職業婦人』)

看護婦という職業が、短期間のうちに一般化したことがわかる。

(292p)  

  

ドラマ「風、薫る」がきっかけで、いろいろ勉強ができるのがいいです。

看護婦さんの歴史がわかって、この本を読んだ甲斐を感じます。

看護婦誕生のきっかけは戦争・疫病でした。

そのような場で、怪我人や病人を献身的に救ったことが、

看護婦の地位を上げました。

大関和も有名になりました。

  

大正三(一九一四)年に始まった第一次世界大戦は、日本では「欧州

戦争」と呼ばれたことからもわかるように、直接の戦災はなく、特需

景気に沸いた。(中略)

大戦中、兵隊の移動によってアメリカから全世界へ広がったインフル

エンザ、通称「スペイン風邪」の猛威は、日本にも及ぶ。大正七(一

九一八)年から大正一〇年までの間に、当時の全人口五五〇〇万人中、

二四〇〇万人が感染し、死者数は三八万人とも四五万人とも言われて

いる。大山捨松も感染し、手厚い看護を受けたものの、大正八年二月

に五八歳で帰らぬ人となった。

捨松はスペイン風邪を避けるため、子どもや孫たちを連れて沼津の別

荘で過ごしていたのだが、自身が理事を務める女子英学塾(現津田塾

大学)の人事のことが気がかりで東京へ戻ったところ、たちまち感染

してしまったのだ。

女子英学塾は、捨松とともにアメリカへ留学し、生涯支え合った津田

梅子が設立した学校である。梅子が糖尿病で塾長を続けられなくなっ

たため、捨松が後任の塾長を探していた。どうにか後任が決まり、就

任式も無事終えることができたのだが、直後に捨松はのどに違和感を

覚え、発熱する。その後、肺炎を起こし、予断を許さない状況がしば

らく続いたあと、呼吸困難で亡くなった。捨松の曽孫にあたる久野明

子は、「捨松は医者がワクチン注射を打った直後、急に身体が震えだ

し、顔色が変わって呼吸が止まってしまったという。捨松は極度のア

レルギー体質だったので、このワクチン注射のショックで死期を早め

たのかもしれない」(『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』)と述べている。

自宅で行われた葬儀には、和も参列した。捨松が設立に協力した慈恵

看護婦教育所からは、すでに大勢の看護婦たちが巣立っていた。

(293〜294p)

  

ドラマ「風、薫る」は大松捨松に関心を持つきっかけを与えてくれました。

大松捨松について、私は鹿鳴館で目立っていた女性くらいの

覚えしかありませんでした。

調べてみたら、とんでもなかったです。

この動画が良かったです。


YouTube: 【風、薫る】大山捨松 名前に込められた母の愛 愛すべき夫•大山巌のプロポーズ大作戦 会津戦争を生き抜き10年の留学で何を学んだのか? 見上愛 上坂樹里 多部未華子 生田絵梨花 仲間由紀恵

いい勉強ができました。

鹿鳴館では確かに目立っていましたが、

日本で看護婦を誕生させるのに欠かせない人だったと知りました。

そしてスペイン風邪で命を落とした人だったことも

知りました。

以前、スペイン風邪のことを調べました。

その時には、東京駅を設計した辰野金吾がスペイン風邪で

亡くなったことに注目していました。

ここでも道草 記事「スペイン風邪に学ぶこと」で勉強(2020年4月24日投稿)

この記事で紹介した4月24日の記事の一部。

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ここにちゃんと「大山捨松」があります。

でも当時はピックアップしていませんでした。

例えば、辰野金吾、大山捨松以外の人、竹田宮恒久王とか、

村山槐多なども関心を持つ時がやってくるかも。

現時点で全くこのお二人のことは知りません。

島村抱月は松井須磨子のことでちょっと知っています。


  

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