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2015年3月15日 (日)

20150310報告2/山科疏水の道を歩く

  

今日は3月15日。

  

3月12日の記事の続きです。

  

昨晩、3月10日の村上公也先生プロデューズの授業映像を

パソコンに入れました。

これでDVD-Rへのダビングはすぐにできます。

   

さてさて、3月10日は豊橋駅7:00発の高速バスに乗りました。

刈谷ハイウェイオアシスと甲南PAで2回休憩をとって、

京都駅に10時40分頃到着しました。

さあ、京都での活動開始です。

JRを使って山科駅に行く予定でしたが、

改札が混雑していたため時間がかかりそうだったので、

地下鉄で移動することにしました。

それならば御陵(みささぎ)駅で降りて、山科駅まで歩くことに変更。

(当初はこの逆の予定)

  

  

Rimg0774 

↑「御陵」は「みささぎ」と読むのですね。「ごりょう」だと思っていました。

初めて知りました。

この地名は天智天皇陵があることが由来のようです。

「みささぎ」は天皇・皇后の墓所を言います。

  

Rimg0773 ↑駅前にあった地図です。

地図中の「山科疏水の道」を歩くことにしました。

今回歩いたコースを、この地図上に黄色ラインで引いてみました↓

Rimg0773_2   

駅を北上して、住宅街の中を通過。

ここで右折します↓

Rimg0777  

ここにも「豊川稲荷」があると思って、ちょっと気分がよかったです。

  

  

Rimg0779 ↑第2トンネルの入口を発見しました。

  

Rimg0782

Rimg0782_2  

傍らにあった案内板には、

トンネルの上に掘られた漢文の説明がありました。

ちょっと興味をもったので、調べてみました。

茶臼山古墳的 日々是好日 知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ 

↑ここがわかりやすかったです。

仁者の面と知者の面を両面持ちたいと思いました。

しかし、自分は今のところ「動」ですね。

とにかく動く。

  

  

Rimg0784

Rimg0783

Rimg0787 ↑第2トンネル入口にある山ノ谷橋。

技師 山田忠三

技手 河野一筬

とありました。110年ほど前にこの橋にかかわった人の名前です。

どんな人だったのだろう?

110年後にこの刻まれた名前が見られると当時思いを馳せたでしょうか。

  

  

疏水の傍らの道を、水の流れに逆らって歩いてみました。

Rimg0786

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Rimg0796 ↑コンクリートの杭が並ぶ向こうは、天智天皇陵のある敷地です。

  

  

Rimg0797 ↑クルーズするほどの水は流れていませんでした。

  

数人、カメラを構えている人たちがいました。

何を撮っているのかなと思って近づいたところ・・・・・

Rimg0799  

電車を撮影する人たちでした。

確かにこのポイントはいい。

私もデジカメで撮影に挑戦してみました。

Rimg0800

Rimg0801

Rimg0802   

ちょっとだけ鉄研の真似事をしてみました。

  

   

もっと歩きたかったけど断念。山科駅に向かいました。

再び地下鉄で京都市内に向かいました。

いよいよ授業参観です。(つづく)

コメント

3/27付けの朝日新聞の記事です。
これって同じ疎水ですか?


琵琶湖疏水の船下り、28日から復活 5月まで試験運航
http://www.asahi.com/articles/ASH3W2V2PH3WPTJB001.html

ちょっと載ってみたいです

3月27日にそのような記事があったのですね。
さっそく調べてみます。
そしてその記事を使って投稿したいです
推察通り、この記事は自分が夢中になっている
琵琶湖疏水の記事です。
乗ってみたいでしょ?
実現するぞう!近い未来に。

乗りに行かれるときには誘ってくださいね

了解です。連絡します。

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