2026年1月24日 (土)

20251124千葉山登山⑥ 智満寺の放水銃

   

今日は令和8年1月24日。

  

前記事に引き続き、昨年11月24日に登った

静岡県島田市の千葉山の報告。

  

智満寺に着きました。

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前回は向かって右の看板に注目しましたが、

今回は左側の看板を注視しました。

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赤文字がけっこうきつい言葉。

「静寂さを壊す不謹慎な方の登山はご遠慮ください」

  

よっぽど過去に登山者によるトラブルがあったのかなと想像します。

今回もこの看板に従い千葉山の頂上は諦め。

  

手水舎(てみずしゃ)で魚が泳いでいるのは、

前回気がつかず。

奥さんに教えられました。

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これは普通に金魚かな。

この手を濯ぐ、口を濯ぐ器を手水鉢(ちょうずばち)。

でも手水鉢に金魚って、よくある相性のいいものであり、

「これは珍しい」と写真に撮りましたが、

よくあることなのかな。  

  

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登山道からここにくると、山の中にこんな立派な建物があって、

びっくりします。今回もすごいなあと思いました。

 

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この放水銃について、Google Geminiで聞いてみました。

引用します。

  

智満寺のような山間部の寺院では、火災時に消防車が到着するまでに

時間がかかるため、この放水銃が「守りの要」となります。

射程: 水圧にもよりますが、30〜50メートルほど先まで届きます。

本堂の屋根を丸ごと水幕で包み込めるほどの威力があります。

タイプ: 写真のタイプは「手動式」と思われますが、最近では水圧

でノズルが自動的に左右に首を振る(自動首振り型)ものも増えて

います。

豆知識:もうすぐ中身が見られるかも?

実は、毎年1月26日は「文化財防火デー」と定められており、この

時期(1月下旬)には全国の寺社で放火訓練が行われます。

お住まいの地域のニュースや、知満寺の行事予定をチェックしておく

と、実際にこの箱が開けられ、放水している様子が見られるかもしれ

ません。

それはいいことを聞きました。

やるのかなあと調べました。

う〜ん、わかりませんでした。

川根本町にある智満寺は今日!午前10時!からあるそうです。

(現在午前9時45分)

千葉山智満寺についての記述はなかったです。

  

放水銃の動画を探したら、いいのがありました。


YouTube: 防府市阿弥陀寺の放水銃


放水の勢いで、蓋が開く仕組みがいいなと思いました。

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色は違えど、よく似た形をしているので、

動画の放水銃のように智満寺の放水銃も放水すると思われます。


  

2026年1月22日 (木)

20251124千葉山登山⑤ シャガは単面葉/ヒガンバナの毒ぬき

   

今日は令和8年1月22日。

  

1月5日の記事の続きです。

昨年11月24日に静岡県島田市の千葉山に登った記事を

少しずつ書いておきたいです。

  

知満寺までの道。

これはシャガと思われます。

奥さんに教えてもらいました。

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11月にすでに葉っぱがこんなに茂っているんですね。

この葉っぱ、単面葉という葉っぱだそうです。

植物と仲良し薬剤師kahorinのBlog

このサイトを参考にしました。

このサイトによると、シャガはアヤメ科であり、

そのアヤメ科では珍しく常緑で越冬性を持っているそうで、

したがって、11月に見たこの葉っぱを保ったまま、

冬を越すわけです。

文章を一部引用します。

  

植物の葉は普通「表」と「裏」があるのですが、実はシャガの葉には

表裏の区別はありません。私たちが目にしている葉はどちらの面も

「裏」で、表は見られません。

え?両面が「裏」?では表はどこにあるのかと言いますと、葉がつく

られる時、裏の面を上にして二つに折り重なるように伸びて、本来の

表の面が完全に内側に入ってしまい、外からは見えなくなるのです。

外側に表か裏どちらか一面しか見られない葉のことを「単面葉」と言

います。

  

葉っぱの表と裏には普通役割があります。

表は光合成。裏には気孔があって、二酸化炭素を吸収して、

酸素を排出役割があります。

じゃあ、シャガは光合成をどうしているのか。

  

このサイトによると、シャガの葉には表にも裏にも葉緑素があり、

裏であっても光合成をしているようです。

なんとも不思議な葉っぱです。

この知識を得たので、シャガがある場所に行って、

葉っぱを観察してみたいです。

千葉山に行くのは大変なので、近場でシャガのある場所を・・・・

思い出したいです。今まで、何回もブログに写真を載せてきたので、

確かこの市内にもあったはず。

  

  

もう少し行ったところには、ヒガンバナの葉が出ていました。

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シャガの光沢のある大きな葉っぱの横に、

細い葉っぱが出ています。これがヒガンバナ。

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この斜面はヒガンバナが主役です。

この植物、とても興味深い。

9月にすっと茎を伸ばして芸術的な造形の赤い花が咲いて

おおいに目立ちます。

花が枯れると、皆さん、そこにヒガンバナがあったことを

すっかり忘れてしまいます。

でもその場では草が生え出しています。

10月ごろから4月まで、他の植物の葉っぱがない

この貴重な時期に、葉っぱを茂らせて、栄養を作り、

土の中の鱗茎に栄養を溜め込みます。

4月〜9月は、ヒガンバナが姿が消える時。

そして9月に次々に咲きます。

そういえば去年もここで咲いていたな、今年も咲いたなと

確認します。

  

このサイトから引用します。

  

ヒガンバナは鱗茎にデンプンをたくわえますが、リコリンという有毒

物質も含みます。リコリンは水に溶けるので、昔飢饉のときには鱗茎

を水にさらしてリコリンをのぞき食用にしたそうです。

日本のヒガンバナは花が終わっても実は結びません。つまり、種がで

きないのですが鱗茎が分かれて増えていきます。川土手などに大群集

をつくるのはそのためです。

  

飢饉の時に、村の長老が、いよいよ毒であるとされていたヒガンバナしか

ない時には、言い伝えられていた方法で毒を抜いて、皆に食べさせたと

昔聞いたことがあります。

ここには、その言い伝えの内容が書いてありました。

今晩、初めて知りました。

2026年1月18日 (日)

ロウバイ(蝋梅)の練り香水を作り始めました

   

今日は令和8年1月18日。

  

ロウバイの練り香水作りをしています。

その辺りを時系列で記録しておきたいです。

  

練り香水作りは、1月3日の記事でも載せましたが、

この動画を参考にしています。


YouTube: 【香水の新常識】シアバター、ワセリンで蝋梅の練香水

  

ロウバイの花が咲き始めたので、

どうにかして花を手に入れたいと思いました。

しかし、全部で60こは欲しいので、

道をはさんだお隣さんの家にあるロウバイの花を

いただくのはちょっと申し訳ないです。

かといって、先日見つけた佐奈川沿いにあった

ロウバイの花を摘んでくるのも、

公共の場所にあるものだから良くない。

どうしようかと思っていたら、嬉しい出合いがありました。

  

JAの直販所に仏花を買いに行ったら、

剪定されたロウバイが売っていたのです。

それも意外な安さ。

花芽もたくさんあります。

2束買いました。1月12日(月)のことでした。

  

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もう1束は学校の教室。これ200円。

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初めて花を摘んだのは1月14日(水)

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教室で摘んだ花はビニール袋に入れて自宅に。

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自宅のロウバイの花も摘んで、シアバターと一緒に

入れ物に入れました。

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これで、蓋をして2日間置いておくと、シアバターに香りが

つくという算段。

奥さんから「本当にできるの?」と疑いの発言。

私も初めてやるのでどうなるか不明。

とにかくやってみます。

  

2日後の1月16日(金)

勤務校の近くの畑にあるロウバイも、

花が咲き始めました。

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1回目の花を入れ物から取り出して、2回目の花をセットしました。

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次の花交換は、明日の朝、教室でやろうと思います。

明日やってくる4人の子どもたちに、香りを嗅がせようと思います。

  

4大香木の1つのロウバイ(蝋梅)

冬の香木を担当しています。

その香りを、封じ込めることができるかどうか。

出来上がりが楽しみです。

今日はサークルに持っていき、現時点の香りを嗅いでもらおうと思っています。






  

2026年1月17日 (土)

佐奈川沿いを歩く④ 佐奈川の水が消えた場所はどこ? 

    

今日は令和8年1月17日。

  

前記事に引き続き、1月1日に佐奈川沿いを歩いたことを

書いていきます。

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橋の上はこんな感じでした。

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この橋も年季が入ってきたなと思いました。

何年にできたのかな?

ブログ「手当次第」であい橋

このサイトの写真を転載します。

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1993年3月が利用できた時かな。

まもなく33年となります。

  

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帯川のおかげで、佐奈川は水があります。

  

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「佐奈川踏切」と書いてありました。

これは日本車輌の引き込み線の踏切。

頻繁には踏切が鳴ることはないんだよな。

踏切から日本車輌方向を見た写真。

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JR豊川駅に至る線路の写真。

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写真に写っているのは、スギ薬局桜木店。

もちろんやってはいけないことだし、やりませんが、

この線路の上を歩いて、向こう岸まで行ってみたい魅力があります。

  

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イオンが迫ってきました。

豊川市にはイオンが2つあります。

どう区別するのか。

新しくできたのが「イオンモール豊川」

(2022年4月オープン)

こちらのイオンは変遷があったようです。

開店は1998年9月22日。

その時の店名は「豊川サティ」

そうか、当時は「サティ」をいう店名をよく耳にしていました。

高校の近くに大きなショッピング店ができるのは心配だと

そんな声を耳にしたのを覚えています。

2011年3月1日に「イオン豊川店」になりました。

そして昨年2025年1月1日に「イオン豊川開運通店」となりました。

この店名になって1年なんですね。

  

授業で子どもとしゃべっていて、「イオンに行ってきた」と

聞くと「どっちのイオンにいったの?」と聞くことが多いです。

「昔からのイオン」「小さい方のイオン」「佐奈川の近くのイオン」

などと言ってましたが、正式名がわかったので、

これを子どもに教えよう。

  

 

ここは飛び石があって渡ることができそうです。

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今度は名鉄豊川線の踏切からの撮影。

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今回見えるスギ薬局は牛久保店。

  

さあ、どこで佐奈川の水がなくなるか。

海見橋では水は全くなかったので、それまでにどこかで水がなくなるはず。

それを見極めようと、川沿いを歩きました。

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だいぶ水の量が減ってきました。

このまま自然に水がなくなっていくのかと思っていましたが、

水がなくなるのは突然でした。

この場所です。

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南大通りと呼ばれる道の橋の下で、きれいに佐奈川の水はなくなっていました。

ここからは伏流水でしょうか。

ちょっと意外ななくなり方でした。

  

この橋の名前を調べました。

代田橋です。

  

ここからしばらく佐奈川は水無川となります。

  

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全く水がなく、子どもたちが川床の石で遊んだりしていました。

4人いましたが、そのうちの1人を撮影。

  

そして年末に佐奈川が枯れているのを撮影した海見橋。

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上流の方を撮影しました。

相変わらず水がない状態です。
  

海見橋の下を通過。

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さらに進んで、ついに佐奈川に水を供給している支流を見ます。

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写真の中の説明で「この橋」と言っている橋から、

その支流を撮影します。

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春には桜が見事なところです。
  

流れ込んでいる側を撮影しました。

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この支流のおかげで、佐奈川は再び水を得ます。

  

この支流とは?

監視カメラがあることがヒントになりそうです。

  

ところが、意外にもここで豊川海軍工廠が絡んできました。

海軍工廠の排水路として造られた水路が2本あり、

1本は白川へ、1本は佐奈川に流れるのです。

今回見た支流は、この排水路だったもののようです。

この支流の水が現在どこから来るのかは不明ですが、

支流を地図で遡っていくと、かつて海軍工廠があった場所に

行き着きます。

地図で示します。

Img_6414  

私は白川方面に流れる水路については知っていましたが、

佐奈川に流れる水路がもう1本あることを知りませんでした。

なるほどです。

  

いよいよゴールが近いです。

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写真の草むらの中、左に降りていくと、

国道1号線の下をくぐることができます。
  

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写真の上にあるのが国道1号線です。

橋の名前は「佐奈川橋」

  

手前の橋は、日頃よく通る旧東海道の道。

橋の名前は「佐奈橋」

Img_5959  

上流を見ると、この日(1月1日)は、佐奈川橋の下まで水がありました。

そこから水はなくなります。

振り返って、佐奈橋から上流を撮影したものです。

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薄暗くて見えにくいですが、佐奈川に水は流れていません。

    

以上で佐奈川沿いを歩いた報告は終了です。

資源化施設から歩き出したのが14時18分。

佐奈橋から撮影したのが15時56分。

佐奈橋から佐奈川を離れて我が家まで30分ほど。

2時間余りの散歩でした。

でも面白かった。

まとめの地図です。

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ロウバイも観察できたしね。

ここでも道草 佐奈川の河川敷で見たロウバイ(蝋梅)の花(2026年1月3日投稿)





  

  

  

  


 
  

  

 

  

  

佐奈川沿いを歩く③ 帯川と合流する「であい橋」

   

今日は令和8年1月17日。

  

前記事に引き続き、1月1日に歩いた佐奈川沿いを歩いたことを

書いていきます。

  

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左に佐奈川が流れています。こんな道も歩きました。

  

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ここはすっかり砂利です。

  

順調に佐奈川沿いを歩いていましたが、

目の前に予想外の「通行止めの看板」

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大掛かりな工事をしていて、川沿いの堤防の上は歩けませんでした。

迂回しました。

工事区間が済んだところで、再び堤防に戻れました。

その堤防にあった看板の写真です。

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この場所で佐奈川の上に橋をかけて新しい道を造る工事を

やっているようです。

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ここに左右の橋が架かるようです。

  

その場所を地図で示します。

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佐奈川に橋ができて、緑色の道ができます。

この道でどこにつながるのでしょうか。

気になります。

 

進みます。

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「であい橋」と呼ばれる橋が見えてきました。

高速道路の下からここまで、佐奈川には水がありませんでした。

私が思った以上に佐奈川は水がないことを実感しました。
  

であい橋の下、川床を歩いてみます。

ここから下におります。

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橋の下はやはり水がありません。

再び上に上がると、びっくりする光景に出合います。

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豊富な水がある公園がありました。

ここは「ふれあい公園」と呼ばれる場所。

暑い日にはにぎやかになりそうです。

散々、水のない佐奈川を見てきたので、

「この水はどこから?」と思ってしまいます。

この「であい」橋は、2つの河川が合流する場所。

もう1本の川を撮影します。帯川です。

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こちらには水がありました。

橋の上から見ると、合流点がわかります。

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涸れている佐奈川に、帯川が合流することで、

佐奈川は水のある川になっています。

黄色の矢印のオブジェが気になります。

下りて、見に行きました。

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このプレートに書かれた文章をAIにテキスト化してもらいました。

  

本野が原と佐奈川

大化の改新以前の東三河地方は「穂の国」といわれ、本宮山を「穂の山」

といいました。また、本宮山の麓(ふもと)に広がるこのあたり一帯は

「本野(ほんの)が原」と呼ばれるようになりました。

本野が原は、佐奈川、帯川、白川によって造られた扇状地で、雨はすぐ

地下にしみ込み、川の水が涸れる野原です。佐奈川の水は、千両(ちぎ

り)の赤根橋あたりまでは流れていますが、そこから地下にしみ込み、

やがて豊川の河岸段丘の下に湧き水となって現れます。しかし、一度大

雨が降ると、野水となって溢れ、近郷の村々に大被害を与えました。

  

赤根橋とは?

もしかしたら、豊川市資源化施設から歩き出して、最初に会った橋かな?

ストリートビューで、橋の欄干にある名前が読めないか挑戦。

う〜んだめでした。

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また近くを通る時があるので、確認しよう。

  

プレートのテキスト化第2弾。

  

佐奈川の歴史(戦後の改修と桜)

愛知県は昭和二十五年ごろ、佐奈川と帯川を合流させる改修工事を

行いました。それ以来、この公園から下流は常に水をたたえた帯川

の水で潤うようになり、魚の姿を見ることができるようになりまし

た。

また佐奈川の両岸には、昭和三十年ごろ、豊川市と地元のみなさん

の協力により桜が植えられ、春にはすばらしい景色を見せてくれま

す。

  

次の疑問は、なぜ合流させたのかです。

またまたAIに聞いてみました。

今度はGoogle  Geminiを利用します。その回答です。

  

1. 深刻な水害(野水)への対策

プレート1にある通り、かつての佐奈川は本野ヶ原(扇状地)で水が

地下に染み込んでしまう「枯れ川」でしたが、大雨が降ると行き場を

失った水が「野水」となって溢れ出し、周囲の村々に甚大な被害を与

えていました。

帯川と合流させ、しっかりとした河道を整備することで、増水した水

を安全に海(三河湾)へと流す排水路としての機能を確保する必要が

ありました。

 

2. 「水枯れの川」の解消と環境改善

改修前の佐奈川は、通常時は水が干上がってしまう川でした。一方、

帯川は常に水をたたえた川でした。

昭和25年ごろの工事で両者を合流させたことにより、帯川の安定し

た水が佐奈川の下流部にも流れるようになりました。これにより:

一年中水がある状態になり、魚などの生物が住めるようになった

(プレート2に「魚の姿を見ることができるようになった」とあり

ます)。

水辺の環境が整い、後の昭和30年代に行われる桜の植樹など、地

域住民の憩いの場としての整備が可能になった。

  

う〜ん、納得していない場所があります。

「帯川と合流させ、しっかりとした河道を整備することで」

この部分。

河道を整備するために合流させたのが?です。

元々の帯川がどう流れていたのかわからないといけないですよね。

考えられるのは、2本の川を1本にした方が、工事は効率的に

なると考えられます。

真相はいかが?

  

でもね、いい出版物があるようです。

豊川市HP 図録「村絵図へのいざない」

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この写真にあった説明文を引用します。

  

この図録は令和3年12月4日から令和4年1月16日まで、豊川市桜ヶ

丘ミュージアムで開催された企画展「村絵図へのいざない」に際し

て作成しました。

村絵図とは、村の様子を平面に表した地図のことで、村同士の裁判

の判決を残すものや、洪水などの災害がの被害状況を記録するため

など、様々な理由で作成されました。

こうした史料類は今でも村(現在の町内会等)で大切に保存され、

当時のこの地域の状況を知る上で貴重なものとなっています。

本図録では、市内を流れる二本の小河川(佐奈川・帯川)にスポッ

トを当て、関連する様々な絵図や地図を紹介します。

これらを通して、現在の豊川市の歴史や原風景の一端に触れ、地域

への理解を深めるきっかけとしていただくことができれば幸いです。

A4判、ページ数:48、価格:600円、刊行年月日:令和3年12月

  

この資料、手に入れたいですね。

今日にでも桜ヶ丘ミュージアムに行ってこようかな。

 

最後にまた書き込みを加えた地図を載せます。

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2026年1月16日 (金)

佐奈川沿いを歩く② 川床にコンクリートが打っている理由

    

今日は令和8年1月16日。

  

前記事に引き続き、佐奈川について書きます。

1月1日は、朝食で「今日は朝から飲むか」と

奥さんに提案。朝から私はビール、奥さんは缶酎ハイ。

1日の朝から飲むのは、今までの我が家の習慣ではなかったこと。

おかげで、午前中はゆったりしてました。

でも午後になって、外は天気もいいし、

何かやりたいなと思い始めました。

そこで思い浮かんだのは、佐奈川の水のなさを観察すること。

地図で調べて、以前町内会の電子回覧板で記事にした

豊川市資源化センターを出発して佐奈川を歩くことにしました。

「こんなこと付き合うのって、私ぐらいだよ」と

しょうがないなあと言う感じで奥さんも同行。

帰省していて、アルコールを飲んでいない息子に頼んで、

出発点の豊川市資源化センターまで自動車で送ってもらいました。

歩いたコースは、地図の通り。

赤丸が前記事で書いた橋の位置。

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それではスタートの資源化センター。

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道を挟んで反対側にはこんな施設。

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こちらは「古紙古布ストックヤード」とありました。

豊川市が誇るゴミ焼却所も年季が入ってきたので、

焼却所の負担を減らすための施設です。

成果は出ているのかな。

  

さて、ここから佐奈川まではすぐ。

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これは佐奈川を渡る橋の上から上流を撮ったもの。

水はあります。

次の写真は、同じ橋から下流側を撮ったものです。  

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ここにもちゃんと水があります。

しかし、この写真の向こうに写っている高速道路の下に行くと

もう水はないのです。

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下流に向かって歩いているところを撮影。

さらに振り向いて撮影したのが、次の写真。

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わずかの間に水は染み込み、伏流水になってしまいました。
  

このことを地図に書き加えると、次のようになります。

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さらに下流に向かって歩くと、次のような光景に出合います。

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ここで疑問を持ちました。

川の水があまり流れない佐奈川なのに、なぜ川床(かわどこ)に

コンクリートが打ってあるんだろうと不思議に思いました。

ChatGPTに聞きました。

  

その回答が論理的で実にわかりやすいです。

どこから情報を集めてくるんだと思うほど、

佐奈川のこともよく知っています。

もう素晴らしいです。

 

一部引用していきます。

  

① 佐奈川の性質と矛盾して見える点

 佐奈川はご指摘の通り、

  地質が砂礫層で伏流水になりやすい

  雨が止むと表層水がすぐ消える

  いわゆる「水無川」に近い性質

 を持っています。

 そのため、

「水がないのにコンクリートで固める意味があるのか?」

 と感じるのは自然です。

  

すごいでしょ。疑問に思ったことを「自然」と言って、

肯定してくれます。

  

② それでも川床を固める理由(重要)

1️⃣ 洪水時の流速が非常に速くなる

  普段は水がなくても、

  大雨時には一気に水が集中します。

   上流から短時間で大量の水

   勾配が比較的急

   下流に住宅地・農地がある

  この条件がそろうと、

  一度の洪水で河床が深くえぐられる(洗掘)危険があります。

2️⃣ 河床が掘られると起きる問題

  河床が下がると…

   護岸が不安定になる

   上下流の構造物(橋・水路・管)が壊れる

   周辺地下水位が下がる

   農業用水や取水に悪影響

  特に写真に写っている

  横断する管(用水・排水・ガス等)

  を守る必要が高い場所に見えます。

  

そうか、川床(河床)が洗掘によって下がると、

いろいろな問題が起こります。

写真には確かに横断する管があり、

ここは壊れてもらっては困る場所なので、

川床がコンクリートになっていると考えられるのです。

ああ、スッキリです。

  

Chat GPTの説明は続きます。

 

③ 写真のコンクリ構造の特徴からわかること

 写真を見ると、

  全面ベタ打ちではない

  凹凸のあるブロック(洗掘防止型)

  一部区間だけ施工

 これは典型的な「局所的な河床保護工」です。

 川全体を水路化する意図ではなく、

 「ここだけは削らせない」という対策。

  

ここだけは削らせないという「局所的な河床保護工」

この日、佐奈川沿いを歩いて、自然な川床とコンクリの川床が

ありました。

まさにChatGPTが言うような工事だったのでしょう。

    

まとめ

 この工事の意味は:

  ✅ 普段の水量対策ではない

  ✅ 洪水時の洗掘防止・構造物保護

  ✅ 下流の安全確保

  ✅ 最小限の人工化

 「水がない川だからこそ、荒れた時に備える」

  そのためのコンクリートです。

   

いいキーワードを、ChatGPTは随所で言ってくれます。

「水がない川だからこそ、荒れた時に備える」

いいですね、この言葉。

  

さらにChatGPTは、この工事はいつ頃行われたか

知りたくありませんかと、私の知的好奇心を刺激してきました。

知りたいですと言ったら、次の回答。

  

結論(推定)

 この佐奈川の河床工は

 1990年代後半〜2000年代前半(平成10年前後〜20年頃)

 に施工された可能性が最も高いです。

そう判断できる理由

 ① 河床ブロックの形状

  写真の河床は、

   六角形・角錐状の洗掘防止ブロック

   連結型で、目地に多少の透水性あり

   完全な三面張りではない

  このタイプは、

  昭和40〜50年代:❌(ほぼ使われていない)

  昭和後期:△(まだ少数)

  平成に入ってから急増 ✅

 特に「コンクリだけど自然配慮を意識し始めた時代」

 の代表的な構造です。

 ② 護岸の仕上げ

  左岸側の護岸を見ると、

   コテ仕上げのモルタル

   経年劣化はあるが、極端に古くはない

   草が自然に侵入する前提の造り

 これは

 高度成長期(昭和40年代)の“固め尽くす工事”とは思想が違う

 という点が重要です。

 ③ 横断管(パイプ)の存在

  川を横切る管は、

   FRPまたは被覆鋼管系

   支持方法が比較的新しい

   管を守るために河床が強化されている

  この組み合わせは

  平成以降に上下水・農業用配管が更新された区間

  でよく見られます。

本当は、出典を調べて掲げないといけないと思いますが、

おそらくかなり大量の資料から類推してこの文章を作成していると

思います。違和感はなかったので、このまま掲載したいと思います。

  

川床のコンクリートに疑問を持ったおかげで、

いい勉強ができました。

  

また地図に書き込みます。

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続く
 

2026年1月15日 (木)

佐奈川は「サナ」川だから水が少ない川なんだ

    

今日は令和8年1月15日。

  

昨年末、同じ町内会に住むAさんから、

地元の水についていろいろ教えてもらいました。

その一つが、豊川市内を流れ、私の住んでいる場所から

最も近くを流れている河川、「佐奈川(さながわ)」のこと。

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赤丸の場所に佐奈川にかかる橋があります。

この橋はよく通ります。

昨年の秋ごろから、この橋を渡る時に見る佐奈川の水が

日に日になくなっていくのに気がつきました。

「こんなに佐奈川って、水がなかったかな」と思いました。

決定的だったのは、この写真。

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先ほどよりも佐奈川上流の海見橋からの佐奈川。

全く水がありません。

どういうこと?

  

そこでAさんに聞いたのです。

「佐奈川って、あんなに水がない川でしたっけ?」

Aさんはすぐに答えてくれました。

「佐奈川っていうくらいだから、水がないんですよ」

えええ?

川の名前に、水がないことを示す意味があるの?

  

「さな」とはなんだ?

私にはわかりませんでした。

Aさんが教えてくれました。

七輪の中にある炭の灰が落ちるところにある鉄の格子が「サナ」だと。

  

七輪は昔、体験でいじくった覚えがあります。

確かに何か鉄の格子があったような・・・

ネットのありがたいこと。持参していたタブレットで調べました。

楽天

このサイトから写真。

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これが「サナ」です。

鋳物です。

  

佐奈川の川底は「サナ」状態なのです。

石が多く、流れている水はしみ込みやすく、伏流水になってしまうのです。

だから渇水になりやすい秋以降に、水がなくなってしまうのです。

納得です。

しかし、長年佐奈川を見てきましたが、

今の水のない状態は、例年以上にひどいと思います。

    

昨年末にAさんに教えてもらったことで、

一度佐奈川を歩いて、実際にどれほど水がない川なのか

確かめたくなりました。

それを実行したのが、2026年(令和8年)の初日の1月1日でした。

  

またその時のことを書きます。




  

2026年1月13日 (火)

20260111本宮山登山③ 峠の茶屋「紋屋」の跡地

   

今日は令和8年1月13日。

  

前記事に引き続き、1月11日の本宮山登山の報告。

  

頂上付近の駐車場の屋根付き休憩所で短い時間で昼食。

寒さのためにSさんが指が動かず、ザックのバックルや

上着のジッパーなどが握れないために操作できず。

風の中を歩いてきたので、体温が奪われたと思います。

  

それでは下山のこと。

  

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とにかく枝が横に伸びていて、その枝がとても太いくて立派。

バランスを心配してしまう木でした。

  

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天狗岩の展望台は、日当たりも良く風もなく、いい場所でした。

本宮山の頂上付近では、雪化粧した富士山が見られたが、

ここからでは見ることができませんでした。

今年は1月2日に引き続いて富士山が見ることができました。

  

ここから2年前とは違うコース。

昔、峠の茶屋「紋屋」があったところに出るコースです。

ここでは右側からの強風に閉口。

これまた冷たい風でした。

  

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この日、最も大きな鉄塔でした。

  

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こちらも藤蔓。

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巻いている蔓が太い。

左手に幹を持った時の親指方向に巻いているので、

この木はヤマフジです。

  

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この先はどうなっているのか。

こうなっています。

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くちゃくちゃです。

藤蔓は木にも巻きつくけど、自分自身や他の蔓にも巻きつきます・

 

ついに下山。

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ここが下山した場所。

特に表示はないです。

  

獣よけのフェンスを開閉して人間の世界に戻りました。

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この建物の右奥に、フェンスの入り口があります。

ここには昔、「峠の茶屋 紋屋」があったところとのこと。

この道の入り口で看板を見かけたことは頻繁にありましたが、

一度も訪れませんでした。

  

奥三河大好き 峠の茶店「紋屋」

このサイトで見ると、2009年にはあったようです。

写真を転載。

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ラベンダーのカフェだより 愛知県新城市下吉田〜峠の茶屋 紋屋〜

このサイトに耳寄り情報。

2017年5月16日に本宮山の麓から移転して

新城市でオープンしたことが書いてありました。

  

しかし閉店情報も見つけました。

中日新聞 古民家改修「峠の茶店」店じまい 新城で開業5年、皆に惜しまれ

2022年8月31日の記事。

引用します。

  

ゆったりとした時が過ごせると人気を集めた新城市下吉田の「峠の

茶店 紋屋」が二十八日、惜しまれながら店じまいした。森林に囲

まれた古民家を独力で改修した内藤正八郎さんが二年前に急死。

妻の光代さん(72)が一人で切り盛りしてきたが、「体力の限界」

と、開業五年余りでのれんを下ろすことにした。 (鈴木智重)

   

私が道沿いで看板を見たのは遠い昔。

すでに紋屋の歴史は動いており、

終焉を迎えていました。

      

  

今日の登山は、この近くでKさんの自動車に乗ったことで終了。

歩き終えたのは14時40分。

午前8時10分スタートだったので、6時間30分山の中でした。

あまり休憩しなかったので、この時間のほとんどは歩いていましたね。

  

以上で報告終了。








  

   
  

2026年1月12日 (月)

20260111本宮山登山②/屋床峰・馬の背平・国見岩

   

今日は令和8年1月12日。

  

前記事に引き続き、

1月11日に登った本宮山登山の報告です。

  

藤蔓の話。

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黄色の丸のところから伸び始めた藤蔓は、

木に巻き付く前にお互いが絡み合って上に伸びているようです。

蔓は蔓に巻きつくのは、勤務校の藤蔓でもよく見ました。

一部をアップにします。

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この巻き方は、左手で持った時の親指方向の巻き方。

つまり左巻き。

これは勤務校とは逆の巻き方なので、ヤマフジの可能性が高いです。

参考:ここでも道草 今回の敵は蔓性植物「フジ」(2026年1月8日投稿)

  

こんな道を歩きました。

風がとても強かったです。

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頂上までのコースでは、左側からの風がひどかったです。

北西の風ですね。

強風で冷たい風でした。

天気予報ではこの冬一番の寒気が来ると言ってました。

ピークは翌日(1月12日)でしたが、十分冷たかったです。

最初は薄着でしたが、どんどん重ね着しました。

  

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私たちは右に行きました。本宮山を目指します。

左に行くと「床屋峰」とあります。

変わった名前だなと思いましたが、帰宅して調べて、

この名前が違っていることに気がつきました。

前記事に載せた地図には「屋床峰」とありました。

ヤマレコ 

このサイトに写真がありました。転載します。

Img_6284今回はスルーしたけど、いつかここにも行くことになるかな。

  

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標識をアップします。

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「山頂へ 右 500m

              左 1.3km」

「馬の背平」

私たちはこの500mを登りました。

  

ここから見える遠景。

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街が見え、雪山も見えます。

2年前も思ったけど、どこが見えるんでしょう。

西方向、岡崎方面だと思うのですが・・・

  

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2年前はこの階段を下りませんでしたが、今年は下りてみました。

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滑る斜面を四つん這いで登った覚えがあります。

  

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登り直していよいよ頂上です。
  

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頂上、正確にいうと頂上付近の駐車場に着いたのは、

午前11時30分でした。

3時間20分。

確か2年前とほぼ同じペースです。  

  


 

  


  

20260111本宮山登山/まだ決着がついていない西山・西蔵

    

今日は令和8年1月12日。

  

今日は午前中墓参りに行きました。

寒かったです。

日差しはありましたが、4℃でした。

墓地からは本宮山が見えましたが、雪が積もっていました。

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写真の右手を流れるのは牟呂用水です。

本宮山付近を切り取ってアップにします。

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昨日(1月11日)、私は仲間と本宮山に登りました。

その時に「明日はきっと雪が積もるぞ」という声がありました。

予想通り、本宮山は雪景色でした。

今日登っている人たちは、寒さには閉口しつつも、

雪を楽しんでいるんじゃないかなと思います。

ただ下山は滑るから怖い。

  

昨日登ったことを記録しておきたいです。

一緒に登ったKさんから頂いた地図を載せます。

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紫色の線のコースを反時計回りに歩きました。

ウォーキングセンターに集合して、登山口まで自動車。

下山後も自動車に乗ってウォーキングセンターに戻りました。

Kさんがあらかじめ下山した場所に自動車を置いて、

そこから自転車でウォーキングセンターに来てくれていました。

感謝。

  

宝地池横に駐車しました。

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ここに来たのは2年ぶりかな。

ここでも道草 20240114本宮山登山① 宝地池を出発 西蔵か西山か?(2024年1月14日投稿)

2年前の記事で上の写真の「頌徳碑」のことを書いています。

「頌徳」の読み方は「しょうとく」

すっかり忘れていました。

ここを出発したのは午前8時10分でした。

頂上までは2年前と同じコース。  

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朝日と宝地池です。

2年前もこの景色に感激して撮影しています。

  

今回、2年前と明らかに違うのは、

藤蔓に関心があることです。

今までたくさん見てきたフジですが、あまり撮影をしてきませんでした。

今回はさっそく撮影。

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フジの生命力を感じます。

誰も伐採しないんでしょうね。

この後どうなっちゃうんだろう。

  

第2東名をくぐってから登山口。

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ここからはしばらく急登。

  

少し登ったところで、第2東名のトンネルの入り口が見えました。

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地図から考えると、本宮トンネルの入り口と思えます。

鉄塔のあるところから宝地池が見えました。

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急登はきついけど、短時間で高さを稼げるのがいいです。

いつの間にか、自動車を停めた池が、すっと下に見えました。

落ち葉をたくさん踏んで歩いた登山でした。

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これから向かう本宮山の頂上が見える場所で撮影。

尾根をぐるっと回って、左手から頂上に向かいます。

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2年間の記事でも同じ場所からの撮影をして、記事に載せていました。

    

この繭はウスタビガのもの。

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11月ぐらいに羽化して、繭から出ていきます。

本来は木にぶら下がっている繭ですが、風で落ちたと思われます。

AIが成虫の画像を作成しますよと言ってくれたので、

頼みました。そしたらこんな画像を作成してくれました。

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ウスタビガは卵で越冬するので、この季節には

お目にかかることができない光景ではあります。

  

平らで広い場所に来ました。

西尾根平(にしおねだいら)と呼ばれる場所だそうです。

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Kさんがあらかじめ作ってきた標識を木にくくりつけていました。

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左に行くと「西山(西蔵)」とあります。

2年前を思い出します。

本宮山の西にある山は、西山なのか西蔵なのか?

  

昨年12月初めに登った方の写真をヤマレコで発見。

転載します。

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この標識を見ると、

まだ西山なのか西蔵なのか結論が出ていないようです。

続く


  
  


  

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