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2018年9月26日 (水)

20180901報告その5 他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する

今日は9月25日。

  

前投稿の続きで、

9月1日に参加したキミヤーズ塾の報告です。

  

キミヤーズスタッフが、国語・算数の時間に、

それぞれのクラスで実践している教材・教具を

実演を交えて解説してくれる時間がありました。

  

「花びら学習」に興味をもちました。

中央に漢字を書いて、その漢字で見て思い浮かべることを

その周りにつなげて書いていくものです。

いきなり創作熟語が難しいと感じた時には、

このやり方がいいと説明してくれました。

出来上がった図は、漢字の意味を正しく説明するのではなく、

子どもの内にある漢字からいだくイメージの

「表現」になります。

  

 

赤木和重先生のお話より。

 

茶色が要項からの引用や聴いたことです。

※印は私の感想など。

  

最近、村上公也先生がよく怒っている。

学習規律や礼儀(返事「はい」)に嫌悪感を示している。

なぜか?不明。(村上先生は説明をする人ではない。)

ただ言えることは、教師が子どもを下に見て指導している。

子どもをコントロールしようとしている。

このことに村上先生は嫌悪感をもっているのではないか。

子どもに指導したことを対等(と考えている)の人間にしますか?

という自問。

  

※子どもを下に見ている。

 指導の時の言い方、やり方が、子どもを下に見ていないか。

 同等の人間に同じやり方ができるか?

 「教える」立場、「教えられる」立場はあると思うけど、

 それを上下感覚で指導することは、正直あると思います。

 でも感情的指導にならないようにしてはいきたい。

 子どものことを思い、どう言ったら気持ちよく浸透していくかを考え、

 指導にあたりたい。

  

 

・れっきとした子どもの人権侵害

 子どもの権利条約

 1:【人間としての尊重】

   子どもも1人の人間として尊重されなければならない。

   →他者の口に無理矢理ご飯を入れる行為の問題

 2:【子どもとして尊重】

   子どもの時期が、人間にとって特別な意味のある存在

   →一列歩行の問題(他:授業2分前に着席)

    特別支援学校小学部で、校舎周りを1列で黙って

    寄り道せずに歩く練習。実践意図は、社会に出て困らないように。 

   (子どもらしく遊ぶ・ブラブラする権利:31条)

   31条:締約国は、休憩および余暇についての児童の権利並びに

       児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を

       行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を

       認める。

 

※同等の人間に、無理やり口にご飯を入れることはしないでしょう。

 大人だったら、休憩時間が短ければ文句を言うでしょう。

 これらの指導は、疑問符のつく指導です。 

  

  

正しさが前面に出るときの先生の顔は、きつくなる。

優しさや面白さが出てこない。

(それがいいかどうかはまだ不明:赤木先生)

 

確かにそうなりやすいと実感あり。

赤木先生の用意された資料に、

赤木先生が書かれたコラムがありました。

これがまたいい。たっぷりここに書き留めます。

 

ある小学校5年生(通常学級)の授業をときどき見学するのですが、

 

そのクラスを訪れるのが楽しみです。

 

楽しみの理由の1つは作文。

 

掲示されている作文を読むのが楽しいのです。

 

生き生きしています。

  

文法や誤字など気にしないで

 

のびのび書いている様子が伝わってきます。

 

(実際、先生も、作文をみるとき、訂正や指摘は一切しないとのこと)

  

さて、ある思慮深い女の子の作文が目にとまりました。

  

大意を書くと、「担任の〇〇先生は変人だ。

 

〇〇先生以外にも、私の周りには変人がたくさんいる。

 

変人が多い分だけ、力や勇気をもらっているんだ」という内容。

 

え? 変人に力や勇気をもらう?・・・・

 

「変人」とか言わなさそうな子なのに、どうなってるの?

まさかの変人マニア? ドキっとしたのですが、

 

その担任の先生の様子を見ていると、

 

なんとなーく、文章の意味が見えてきました。

 

担任の先生はとてもユニークな方です。

  

社会の授業開始早々、1枚の写真(棚田の写真など)を見せて、

 

「これどう?』と子どもに問いかけるのみ。

 

「え、どうって言われても……」と固まるワタクシ。

 

それをよそに子どもたちは、自由にさまざまな意見を出します。

 

そして、子どもたちの意見を先生が拾いつつ、

  

授業が進んでいきます。 

 

子どもにとっても、見ている私にとっても、 

 

どこに話がいくか予想がつきません。 

  

予想がつかないのですが、不思議とそのなかから大事な問いが出てきて、

  

みんなで考えを深めていきます。とてもユニークな授業です。

 

ほかにも、「板書をそままうつさないこと。それは勉強ではない」

  

「本当に集中していたら姿勢なんて崩れる。

 

だから姿勢に気をつけすぎる必要はない」などユニークで、

 

でも本質的な哲学をもっておられます。

  

たしかに変人です。

 

こういう指導をするのは勇気がいることです。

 

他の先生と違うことをすれば、同僚や保護者のなかには

  

理解が難しい人がいたかもしれません。

  

でも、それでも自分の大事なことをまわりと調整しながらすすめていく。

  

そんな先生に、その子は魅かれたのだと思います。

  

他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。

 

それに、そんな先生だから、きっと子どもの突き抜けた表現や

  

「おかしな」表現も大事にしてくれる、

 

そういう温かさと信頼も感じているのでしょう。

(後略)

「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」

(全障研出版部)より

 

「それでも自分の大事なことを

 まわりと調整しながらすすめていく。」

 自分の理想をしっかり持っていて、 

 それを周りと調整しながらすすめていくこと。

 すごいなあ。でも、感心してばかりではだめです。

 今のうちにやっておかないと、もう引退だぞ。

 ちゃんと理想を目指してやっているかい?

 自問したくなった文章です。

 

 今日の1時間目は、通常学級での社会科。

 何か一つ、理想としていることをやろう。

 聴くときには鉛筆を持って聞く。

 そのためには、メモする価値のある話をしないといけない。

  

 「他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

  その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。」

 

 教師の行為は、子どもに波及します。

 予想外の子どもたちの表現を楽しみたいです。

  

  

以上で、9月1日のキミヤーズ塾の報告終了。 

9月1日はいい日でした。

また異文化体験ができました。

 

岡本太郎さんが、かつてフランスの芸術に感化されて

日本に戻ってきました。

そしたら、日本のわびさびの世界がつまらなかったようです。

しかし、縄文時代の土器や土偶を見て、

大喜びをしたそうです。

岡本太郎さんが縄文時代に夢中になったのは、

このような過程を経たからなのですね。

・・・この話、誰がされていたかな?

キミヤーズ塾で聞いた話です。

最後に思い出しました。

  

 

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