2025年2月 3日 (月)

2月1日にMYサン生ジョッキが届きました

   

今日は令和7年2月3日。

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ここでも道草 久々のビールのシール集めを始めます/MYサン生ジョッキ(2024年9月12日投稿)

この記事で、シールを集めて「MYサン生ジョッキ」をもらうと

宣言しました。

必要なシールを集めて、11月16日に応募しました。

ジョッキが届くのは、およそ3ヶ月後と聞きました。

気長に待とうと思いました。

  

2月に入った1日(土)。

ジョッキのことをふと思い出して、

「そろそろジョッキが届くかもしれないね」と

奥さんに朝、話しかけていました。

そしてら、昼過ぎに届きました。

「朝、話したばかりだ」とビックリ。

ジョッキは思ったより大きく、500ml用でした。

長年(おそらく20年以上)使っているジョッキは、

350ml用で、それに慣れているため、大きく感じました。

  

昔はあった生大(ナマダイ)。大きかった。

レギュラーになっている生中(ナマチュウ)ジョッキは、

350ml以上。おそらく500mlは届いていないと思います。

家でも店でも慣れているのは、生中サイズ。

  

そのためか、MYサン生ジョッキにいっぱいまでついだ

ビールは、とても量が多いと感じました。

20年以上使っているジョッキだと、

500mlは、すぐに終わってしまう感じ。

でもMYサン生ジョッキは飲むのが辛かった。

不思議な感覚でした。

  

写真を載せます。

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「MITIKUSA」なの?

なんで名前にしなかったの?

と家族に言われました。

 

「道草/MITIKUSA」は私にとって大事な言葉ですから、

選んだのが・・・・第2の理由。

やっぱりこうやってブログに載せて、記録に残したかったので、

実名はやめました。見せびらかしたかったのです。

これが第1の理由。

ブログでのペンネームは「いっぱい道草」

この名前を使いました。

  

明日の朝、氷ができているか?/透明な丸氷を作るキット届く

   

今日は令和7年2月3日。

 

今年は今日が立春。

天気予報によると、この地域は明日から2月9日(日)まで

寒波の影響を受けるそうです。

そして2月8日(土)は雪が降る可能性があるそうです。

6日間の寒さ。

先日書いた「冬来たりなば、春遠からじ」を念頭に置いて、

乗り切りたいです。

  

今日の通級指導教室は、4人の子どもが来ました。

4人の子に提案したのは、容器に水を汲んで、

校舎の外壁の下に置いておくこと。

その場所は、日陰の時間が多く、寒い場所。

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明日の朝の寒さで、氷ができるかもしれないのです。

「明日の朝、ここに来てください。

自分が水を入れた容器にできた氷は、あなたのもの。

見たり、触ったり、自由です。

氷を持ち歩くこと、友だちに見せびらかすのもOK。

でも、誰かの背中に入れることはダメですよ」

と言いました。

  

この冬、まだ戸外で氷を見ていません。

この寒波で、氷をしっかり味わわせてくれると、

寒波にお礼を言っちゃうけどなあ。

   

  

前記事に書いた、自宅で丸い氷を作る話。

今日、キットが届きました。

これです。

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アマゾンです。

他の同様の商品よりもお手頃の値段だったし、

コメントもまあまあだったので注文しました。

作ってみたいと思っています。

  

この動画を見てください。


YouTube: 自宅で簡単に綺麗な丸氷が出来てしまった!#shorts #ウイスキー #バリうま

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ジュエルアイスDUOというキット。

これは2万円近い価格でした。

ただ透明な丸氷を子どもに見せたい私には高価です。

何より氷割りしてお酒を飲みません。

もちろん職業は教師であって、バーテンダーでもありません。

将来、バーテンダーをやることもないでしょう。

1555円のキットで十分です。

明日から大寒波/氷の勉強/透明な氷が見たい

   

今日は令和7年2月3日。

  

天気予報によると、明日から寒くなるそうです。

最低気温が0度付近になる見込みです。

0度と言えば、です。

この冬は、まだ氷を見ていません。

雪が降っていたり、積もった景色は見ていますが、

氷を見ていません。

氷を見たいなあと思います。

  

そして、これは授業でもやってみたいことです。

今日の授業で、いろいろな入れ物に水を入れて、

校舎の陰に置いておこうと思います。

うまくいけば、明日の朝には凍っているかもしれません。

そんなことをやってみたいと思います。

  

氷で今までやったことのないこともやってみたいです。

透明な氷を作るという挑戦です。

昨日、透明な氷についてだいぶ時間を割いて勉強しました。

透明な氷にこだわっている職業はバーテンダーです。

バーテンダーの動画が勉強になりました。

そのうちの1本。


YouTube: 美味い酒を飲むために最高の氷を仕入れた!氷と焼酎とウイスキーとハイボール

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クラモト氷業の透明な氷を使ってジンとハイボールを

飲んでいるシーンです。この会社の氷がお薦めだそうです。

氷が透明なので、お酒を入れると氷が消えてしまいます。

  

クラモト氷業については、この動画を参考にしました。


YouTube: あまりの透明度についた呼び名は“ニンジャアイス” 創業100年の製氷メーカー「クラモト氷業」に密着

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純度が高く透明なので、アメリカでは「ニンジャアイス」と呼ばれます。

  

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純度が高いと、溶けるのが遅くなるそうです。

冷蔵庫で冷やすよりも、冷えると好評でした。

  

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氷を輸出するなんてことがあるのですね。

  

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純度が高く透明な氷は、お酒の味をそのままに、

見かけも絵になるので、バーテンダーの人たちは

クラモト氷業の氷を使うそうです。

  

いいなと思ったのは丸い氷。

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実際に見てみたいと思いました。

クラモト氷業に注文すれば届くそうです。

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う〜ん、ちょっと高いなあ。

  

調べていたら、精度がクラモト氷業には劣りますが、

家でも透明な丸氷が作れるキッドがありました。

次の記事で。

2025年2月 2日 (日)

本「ダイオキシンから身を守る法」を読む/1998年発刊

今日は令和7年2月2日。

  

この本を読みました。

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アマゾン

「ダイオキシンから身を守る法」(宮田秀明監修/成星出版)

  

1998年3月出版の本です。

翌年の1999年、政府はダイオキシン類対策特別措置法を

制定しています。国をあげて、ダイオキシン類を削減する活動が

始まりました。  

それまで、散々家の庭でゴミを燃やし、

学校でも焼却炉で年度末にゴミを燃やすのが恒例でした。

焚き火だって、へっちゃらにやってきたので、

なぜかこの頃から、その煙には猛毒ダイオキシンが含まれていて、

人類はだんだん蝕まれていると報じられるようになりました。

家ではゴミが燃やせなくなり、

学校にあった焼却炉は燃やせないどころか、

撤去されるようになりました。

あれよあれよという間だったように思います。

その頃、その直前に出版された本です。

  

昔と何が違うのかというと、

ビニールやプラスチックなどを燃やすことで

ダイオキシンが発生しているというのです。

そうか、人間が作り出して、便利だからと普及した

ビニール、プラスチックがいけないんだ・・・

世の中が発展すると善と悪があるんだな・・・

と、当時思ったかどうかも忘れました。

  

本から引用します。

  

また、家庭でゴミを燃やしても、ダイオキシンはでます。木や草など

の自然のものを燃やしたときにはダイオキシンの発生は少ないのです

が、人間がつくり出した合成化合物を燃やすと、大量に発生します。

以前はゴミを減らすために、燃えるもの"は家庭で燃やすように指導

した自治体もありました。しかし、結果的には高濃度のダイオキシン

汚染地区を生み出すことになってしまったのです。

燃えるものはなんでも燃やしてしまえばいいという考えはたいへんな

間違いです。自然のものを燃やしてもダイオキシンは発生しますし、

人工的につくられたものはさらに大量のダイオキシンを発生するので

す。 燃焼管理ができない小型簡焼却炉でゴミを燃やしたり、野焼き

することは、いますぐやめてください。

(58〜59p)

   

そうです、出すゴミを減らすために、

家庭で燃やすことは推奨されていたんです。

それがガラッと変わってしまいました。

  

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こんな風景はなくなりましたね。

  

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(72p)

  

ダイオキシンは、食べ物を通して人間が摂取して、

それが体に蓄積して、体を蝕むと言われていました。

母乳にはたくさんのダイオキシンが含まれていて、

それが赤ちゃんに母乳を通して入ってしまうことが

とても心配されました。

   

この章では、日本をおおっている猛毒ダイオキシンの恐怖からのがれ

るために、わたしたちができる”身を守る法を考えてきました。

まず第1は「ダイオキシンを出さないようにする」ことでした。その

ためには、ダイオキシンのもととなる塩素をふくんだ人工物を使わな

い、もし使ったとしたら分別して“燃えないゴミ“として出して、決し

て家庭で燃やさないようにする。リサイクルできるものはリサイクル

して、ゴミを減らしていく。これらのことをわたしたちがすぐに実行

すれば、かならずダイオキシンは減るのです。

2番目は「体に取り入れるダイオキシンを少なくする」ということで

した。ダイオキシンは体内に取りこまれると、なかなか外に出ていき

ません。ですから、ダイオキシンをできるだけ取りこまないようにし

なければならないわけです。そのためには、ダイオキシンに汚染され

た食物をとらないことが必要です。

最後に、「体からダイオキシンを追い出す」にはどうしたらいいかに

ついてふれてきました。それは、食物繊維や葉緑素をバランスのよい

食事のなかでとるようにすることで実現できるのです。また、赤ちゃ

んを産んだばかりの人には、母乳をしぼりつづけることによってダイ

オキシンを体外へ排出する方法がかなり効果的です。

以上の3つの身を守る法"は、わたしたち1人ひとりができることなの

です。このことをみなさんがよく理解し、すぐに実行に移せば、いく

らダイオキシンが猛毒で人類にとって恐怖の対象だからといって、こ

わがる必要はありません。

わたしたちは自分たちで身を守ることができるのです。なす術がない

と思って、暗い気持ちになっている方、暗くなる必要なんてありませ

ん。あしたからではなくきょうから身を守るために行動しましょう。

そして、わたしたちの子孫のために少しでもよい環境を残すようにし

たいものです。

(162〜163p) 

  

こんなに言われていたダイオキシン。

現在はほとんどニュースとかには出てきません。

なぜ出なくなったのか。

気になっていました。

先日のYouTube動画で、武田邦彦さんが、ダイオキシンに触れました。

ダイオキシンはやはり毒です。

毒ですが、人類は火を扱ってきました。

もうずっと昔からです。

したがって、当初はダイオキシンの毒で死んだ人間もいたでしょうが、

長く火を扱った歴史のおかげで、人間は、人類は、

ダイオキシンの毒に耐性ができたのだそうです。

だから、人間にとって、ダイオキシンの毒は、

危険なものではないわけです。

この動画は、「トモダチTV 武田邦彦のホントの話。」なんですが、

どの日の放送だったか、探しましたが、見つかっていません。

  

そのことには触れていませんが、

ダイオキシンについて語った動画はここにもあります。


YouTube: 【武田邦彦】ダイオキシンの嘘と共通する温暖化の嘘【武田教授 youtube】

  

ダイオキシンの報道は2004年くらいからなくなりました。

報道が終わったら、ダイオキシン患者もいなくなりました。

  

ダイオキシンと温暖化。

ダイオキシンは今思えば「騒動」でした。

温暖化はどうなのだろう?

これも騒動っぽくなってきたと感じています。  

  

  



  

2月早々「プルマン」「お亀堂」に行ってきました

    

今日は令和7年2月2日。

  

昨日行きましたよ、プルマン。

ここでも道草 1月4日は早すぎました/「プルマン」に行くのは2月(2025年1月14日投稿)

1月4日に行ったけど、

まだ開店していなかった喫茶店「プルマン」。

2月に行くと宣言していましたが、実行しました。

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今日は無事「OPEN」でした。

  

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ちょっと見えにくのですが、「2005」の表示があります。

2005年から営業が始まったようです。

  

さあ、いよいよ小倉トーストです。

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注文したのは、小倉トーストモーニング。

レギュラーモーニングが550円のところ、

プラス200円でした。

  

来ました、来ました。

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手前が私。向こう側が、奥さんが注文したレギュラーモーニング。

パンは、お店お任せなのだそうです。

  

小倉トーストのアップ。

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ちょっと物足りなさそうなかわいい小倉トーストでした。

質より量の傾向のある私ですが、

見た目以上にあんこたっぷりで、満足でした。

どういう仕組みなのか、あんこがパンの下まで浸透していて、

あんこをたっぷり味わうことができました。

よかったです。

  

店内の写真。

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メデューサに石にされた猫でしょうか。

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今年2軒目の喫茶店での小倉トーストでした。

こうやって毎月、最低1軒ずつ、小倉トーストを

楽しんでいきたいです。

  

もう皆さんはご存知のことだと思いますが、

紅茶を砂糖なしで注文する時には「ストレート」と

言うのですね。

コーヒーは、「ブラック」ですが、

紅茶はブラック色ではないですからね。

  

しかし!家に帰ってから調べて、新しいことを知りました。

ディルマ通信 ストレートティーってどんな紅茶?

このサイトから引用します。

  

ストレートティーとは、紅茶の茶葉をそのまま使っていれる紅茶で

す。茶葉にも茶液にも何も加えません。紅茶の味わいや香りをその

まま楽しめるのが特徴です。

紅茶の産地や種類ごとの違いを比べて飲むことができます。

ただし、砂糖を入れた状態でもストレートティーといいます。

  

そうなんですね。

喫茶店の未熟者なので、知らないことが多いです。

  

プルマンと背中合わせにあるお亀堂にも行ってきました。

これも1月14日の記事で宣言したことです。

ここは工場直販店です。 

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小倉バターあん巻を買って食べました。

あんこ三昧の日でした。

  

隣にお亀堂経営の古民家カフェがありました。

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お、国旗を立てる金具があるぞ。

懐かしい。

またここにも行くこともあるでしょうね。

あんこを楽しめそう。


  

「冬来たりなば、春遠からじ」/ヒメオドリコソウ発見

    

今日は令和7年2月2日。

今日は節分。明日は立春。

  

アレチヌスビトハギを撲滅するために、

ほぼ毎週通っている公園。

昨日、行ってきました。

アレチヌスビトハギは1本も発芽していませんでした。

まだオフシーズンのようです。

 

プロ野球のキャンプがスタートしました。

CBCの「ゴゴスマ」で、天気予報士澤朋宏さんが、

今の時期のことを微妙な表現をしていました。

「1年で一番寒いのは、1月28日、29日、30日あたり。

2月1日、2日あたりは、寒いけど、暖かい方に向かう兆候が

見られる」

そんな内容だったと思います。

たった数日の違いですが、本当か?と思うところと、

そうかもしれないなあと思うところがあります。

「1月の終わり」と「2月のはじめ」

月が違うのも大きな理由だと思います。

1月は容赦なく寒い月、2月は梅も咲き始め、春が混じる感じ。

もちろん年によって違うかもしれませんが、

もうじき64年生きてきた体験の積み重ねもあって、

沢さんの説は、否定できないものがあります。

なんせ、1年の太陽の動きは、とても正確ですからね。

  

「冬来たりなば、春遠からじ」

いい言葉です。

イギリスの詩人パーシー・シェリーの詩の日本語訳。

原文は、

"If winter comes, can spring be far behind? "

直訳すると、

「冬が来るなら、春はその遥かあとであろうか?」

う〜ん?です。

もう少し調べてみます。

同志社大学 冬来りなば春遠からじ

原文では?がついているけど、日本語訳には?が無いことに

触れています。

なぜか。上のサイトから一部引用。

「冬来りなば」は、現在形で「冬が来るなら」と訳すのが正解という

ことになります。それを踏まえた上でさらに疑問文に訳すと、「冬が

来るなら、春がはるかに遠いことがありえようか?」となります。こ

れを反語的に訳すと、「春遠からじ」(春は遠くないぞ・春は近いぞ)

となります。

  

わかったような、わからんような。

でも、訳者は、直訳せずに、

詩人が言わんとしたことを理解して、

この名訳を誕生させたのでしょう。

どなたの訳なのか、発見できませんでした。

  

人生、辛い時があっても、必ずいい時が来るという

前向きな心になれる言葉でもありますが、

自然現象的にも、あり得ることです。

水曜日から特に寒くなるとのこと。

「冬来たりなば、春遠からじ」が似合うタイミングです。

   

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ほぼ毎週通っている公園で、昨日発見した

ヒメオドリコソウの花。

春の野草です。

もう咲いていました。

やっぱり「春遠からじ」だと感じました。
 

  

  

2025年1月31日 (金)

78歳の現役オートレーサー鈴木章夫さん

 

 

今日は令和7年1月31日。

いよいよ令和7年の1月も最終日。

   

通級指導教室に来る子どもで、オートレース好きがいます。

その子のおじいさん、おばあさんがオートレース好きで、

その影響を受けたようです。

小学3年生の女の子です。

その子の推しは、青山周平選手。

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Auto Race.jp

現在40歳。脂の乗った選手と言えます。

2023年に最多勝を記録するなどしています。

  

その子は、通級教室にオートレースの新聞記事を持参。

中日スポーツの記事でした。

たくさんのレースがあって、誰が出走するかが書いてあります。

選手の名前の下には年齢があります。

  

私が興味を持ったのは、鈴木章夫選手。

年齢が78歳!

目を疑いました。

78歳で現役。

オートレースという体を使うスポーツで。

  

調べました。

Wikipedia 鈴木章夫

このサイトによると、1946年8月23日生まれ。

選手登録が1964年。私が3歳の時です。

つまり選手歴は60年余り。

所属は浜松オートレース場。

そもそもオートレースはいつ始まったのか。

これもWikipediaに載っていて、1949年でした。

ほぼオートレースの歴史とダブります。

  

身長は157.6cm。

そんなに大きくない。

その方がオートレースでは有利なのかな。

今年の1月6日に勝利して、最年長勝利記録を更新しています。

78歳136日。

次の写真は2022年のもの。

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Wikipediaでは鈴木章夫選手を「いぶし銀」と称しています。

年齢、成績からして「いぶし銀」は似合いそうです。

Domani いぶし銀

ここで「いぶし銀」の勉強ができます。

一部引用、写真も転載。

  

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いぶし銀とは、華やかさはないけれど、実力や魅力があることを示す

言葉です。(中略)

いぶし(燻し)とは、銀細工や銀のアクセサリーなどによく見られる

現象で、へこみや溝部分などが黒く変色していることを指します。意

図的にいぶしを作って銀をツヤのない灰色に変え、陰影を強調したり、

古びた感じを演出したりすることもあります。(中略)

いぶし銀という言葉を、自分に使うこともあまりありません。また、

若者や女性に使うこともあまりありません。明らかに派手ではなく、

本人も派手さがないことを自覚しているときに、「いぶし銀」という

言葉で実力や魅力を褒めるようにしてください。(後略)

  

なるほどです。

 

 

2025年1月30日 (木)

本「南海トラフM9地震は起きない」⑥ 「プレート説」に反対していた藤田至則さん 

  

今日は令和7年1月30日。

  

前記事に引き続き、

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

 
明治時代に始まった日本の地質学は、緻密に日本列島の地層や岩石

を調査し、それを独自の理論に沿って組み立て、日本列島の歴史を

描き出すまでになっていました。

プレート説は、前述したとおり観測事実に基づかない一種のイデオ

ロギーです。

「プレート運動がある」と仮定すると、地球上の地震や火山、造山

運動といった各種の現象を統一的に説明することができたからです。

しかし、日本の地質学には既に独自のパラダイムがありました。こ

の点がプレート説が登場する前に支配的なパラダイムが存在しなか

った欧米の地質学とは大きな違いでした。

日本の地質学者がプレート説に懐疑的だったのは言うまでもありま

せん。「日本の地質構造はプレート説では説明がつかない」と主張

し続けました。

プレート説に反対の立場をとっていた代表的な論客こそが新潟大学

の藤田至則氏でした。

藤田氏は「地磁気異常の縞模様が見つかっていない海洋底もある」

として「プレート説を根底から支えている海洋底拡大モデルが成立

しない」との批判を続けていました。

プレート説を普及しようとする者にとって日本の地質学者は「目の

上のたんこぶ」以外の何ものでもありませんでした。

「プレート説は表層のことしか説明できない。地球内部のダイナミ

クスや地球史の全体像を説明できる枠組みになっていない」「プレ

ート説を支持する人たちから、納得のいく地球誕生説を聞いたこと

がない」などと耳の痛い批判を受けた地震学者が味方にしたのは当

時の世相でした。

日本ではこの話題(プレート説)で持ちきりとなり、プレート説を解

説する一般向けの本が次々と出版されました。

(76〜77p) 

  

プレート説は、なるほどと思うところがあるものなので、

これは本当に地球で起こっていることだと思いました。

でも研究をしてきた人たちには、納得できなかったのでしょう。

藤田至則さんのお名前は何と読むのか?

大正12年に生まれ、82歳で亡くなったことは分かりました。

平成17年になるのかな。

藤田至則先生のご逝去を悼む

このサイトでPDFの文章が読めます。

その文章から引用します。

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新潟に馴染みが深い、藤田至則先生が10月14日に食道癌のためにお亡

くなりになりました。享年82歳でした。

藤田至則先生は、大正12年千葉県山武郡鳴浜村(現成東町)でお生ま

れになり、東京青山師範学校、東京高等師範学校を経て、昭和23年に

東京文理科大学地質鉱物学科を卒業されました。

(中略)

先生は、常に野外における事実を何よりも大切にされ、それをもとに

しての仮説の発想と検証に全力を尽くされました。「地質学はフィー

ルドから。自分の目と頭で。フィールドが教師」、「本物の地質学で

ないと(社会で)役立たない」、「現場主義だ」など、折りにふれて

話されました。

  

こんな考え方の人が言うのだから、プレート説は危うい。

「南海トラフM9地震は起きない」の著者の一人、

角田史雄さんは、藤田さんの共著がありました。

角田さんは、藤田さんの研究を引き継いでいると予想されます。

  

名付けポン 至則

ここで読み方がわかりました。

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世の流れが「プレート説」なのに、

自分の研究を信じて異を唱えていた藤田さん。

なかなかできることではないです。

もし、プレート説が間違いとなったら、

それに反対していたこの藤田至則さんの名前が

クローズアップされるかもしれないなと思いました。  

 

本「南海トラフM9地震は起きない」⑤ 断層は地震の結果であって原因ではない

    

今日は令和7年1月30日。

  

前記事に引き続き、

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

    

地震は地下の岩盤が割れることで起きる現象です。落とした皿がいく

つに割れるかを予測することができないように、どのように岩盤が割

れて地震が起きるのかを予測するのは非常に困難です。

(82p)

  

この原則、覚えておこう。

  

戦後しばらくの間「断層は地震の結果」と教育されてきました。

規模の大きな地震が起きた後、震源地では時として数十kmにわたっ

て地表に亀裂が観測されます。この亀裂については「地震が起きた

結果の産物」、つまり、「地震が起きると地面にひびが入る」と考

えられていました。

しかしその後、考え方ががらりと変わりました。それは「この地表

の亀裂こそが地震の正体である。断層こそ地震の原因だ」という考

え方で、地表に入るこの亀裂を「地表地震断層」と呼び、地震はこ

の断層運動の結果だということになったのです。

この考え方の変化には、プレート説が大きな役割を果たしました。

運動を引き起こす力の源がプレートの運動によるものだ」と説明さ

れるようになったからです。

(84p)  

  

「活断層」はよく聞きます。

地震の巣と言われます。

これもプレート説から派生したものなのですね。

さらにこんな記述もあります。

 

地震の原因とされている活断層のほとんどが地下数十mぐらいで消え

てなくなることがわかっています。

これに対して、地震を発生させるのは地下数㎞より深いところにある

「震源断層」で日本には2000もの活断層がみつかっていますが、地

下5~30mの極浅発地震の震源断層につながっている活断層はほとん

どありません。

地下深部の割れ目である震源断層がそのままの形で地表の活断層につ

ながっているのは極めてまれなのです。

震源断層が地表の活断層につながってもいないのに、地表に近い活断

層が地下深くの震断層に影響を与えるとは到底思えません。

地下の震源断層のズレが地震の原因となり、その影響を受けてその上

の活断層がズレることはあっても、その逆はあり得ない。 つまり、

地表に現れている活断層は地震の原因ではないのです。

(86p) 

  

活断層は地震の原因ではない。

メディアはどうなっているんでしょう。

今でも活断層はニュースによく出てきます。

  

プレートが横から押す力では、長い時間をかけて固められた岩盤中の

古傷跡である断層をズレ動かすことは不可能ですが、岩盤が熱せられ

れば話は別です。

断層を固めていた「接着剤」的役割を果たしていた物質が熱で溶け、

しかも岩盤は熱で膨張して、四方八方に広がる引っ張り力が作用しま

す。 そのため断層面が開くのです。

堅く動かない断層が熱で生き返ってズレ動くと考えるゆえんです。

熊本地震以降、「活断層」が地震の原因のように言われていますが、

大地の裂け目(古傷跡)である活断層は、長い時間が経過するとくっ

ついてしまい、大きな圧力をかけてもびくともしないのです。

したがって、普段は動けない古傷跡である活断層は、地下の高温で

生き返ることはあっても、活断層が自ら地震を発生させることなど

できるはずがないのです。

地下の震源断層を動かせるのは熱の力です。 この点も、プレート説

のせいで過去の正しい考え方がねじ曲がってしまったことは残念で

なりません。

それとともに、過去の科学者たちが導いた正しい考え方が置き去り

にされて、日本全体がプレート説そのものを含めてねじ曲がった方

向に進んでしまっている状況が心配でなりません。

(87〜88p) 

  

活断層は、圧力では動かずに、高熱で動く。

これが基本かな。

「プレート説のせいで過去の正しい考え方がねじ曲がってしまった」

この後、世間は変わっていくのか。

みんなが信じていたプレート説は、

少しずつ変わっていくのか。

本「南海トラフM9地震は起きない」④ 大陸移動説を広めた「日本沈没」 

   

今日は令和7年1月30日。

  

1月19日の記事の続きで、

「南海トラフM9地震は起きない」

(角田史雄・藤和彦著/方丈社)

から引用していきます。

   

これまで指摘した数々の難問を前に、最近、地震学者から開き直りと

も受けとれる発言が出てきています。「プレート説は理論かと言えば

少し微妙で、証明するとかそういうものではなくて、こういう考え方

に則ると、いろいろなことが説明できるのだ」と言い始めているので

す。「プレート説は提唱されてから50年以上が経っているが、地球表

層の構造と現象を理解する上で非常に優れたパラダイムだから、プレ

ートが動く原動力がわからなくてもいいのではないか」、こんな主張

もあるぐらいです。原因と結果という因果関係を無視するようでは、

近代科学とは言えません。科学的に実証されていない観念形態をイデ

オロギーと言いますが、今やプレート説も1つのイデオロギーに成り

下がってしまったようです。

イデオロギーの意義を否定するつもりはありません。しかし、人の生

き死にに直結する地震予知が依拠する理論がイデオロギー化している

のは大問題と言わざるを得ません。

(46〜47p)

  

プレート説は危うくなってきているのですね。

教科書も変わってくるのかな。

  

Img_0387

(55p)

    

地震は地下の熱いところに密集し、冷たいところでは起こらないの

です。

マントルトモグラフィという可視化技術の進歩で、地下が高温から

中温であることが、地震が発生する必要条件だということがわかっ

たのです。

この図を見ると、マントルの状態が均一でないこともわかります。

「マントルには対流がある」とされてきたのですが、 図を見る限

り、マントルはまるで「アリの巣」のように、熱い部分と冷たい

部分が入り組んでいます。このことからわかるのはマントル対流

自体が存在しないということです。

マントル対流の代わりに6000度の熱がスーパープリュームから放

出され、浅い層へ送られた熱は、表層の中で熱を通しやすい部分

(例えば大きな割れ目など)に沿って移動していると考えられます。

プレート説が正しければ、地球の表面を100㎞ほどの厚さのプレ

ートが覆っているはずです。

しかし、マントルトモグラフィの画像によれば、プレートとおぼ

しき 「冷たい固い岩石層」がとびとびの状態で分布しているだけ

です。このような状態ではプレートのぶつかり合いが起こること

はないでしょう。

(56〜57p)

そうかあ、マントル対流すら怪しいんだ。

熱は垂直に上がってきており、上がりやすく熱い場所と、

上がりにくく冷たい場所があるのですね。

そして熱が上がってくる場所が地震が多い場所なのです。

     

プレート説を解説する一般向けの本が次々と出版されるなか、日本

のプレート説の普及に決定的な役割を果たす小説が世に出ました。

その小説は小松左京氏のSF小説『日本沈没』(光文社カッパ・ノベ

ルス)です。

1973年3月に出版されたこの小説は大ベストセラーになりました。

地殻変動で日本が海に沈む物語は、石油危機の勃発により経済の高

度成長が終わり、将来に対する漠然たる不安が広がる当時の日本の

雰囲気に合致しました。『日本沈没』はテレビドラマや映画にもな

り、大ブームとなりました。

小説の主人公は地震学者の田所博士。データを集めて「直感とイマ

ジネーション」で将来を予測する姿に、多くの人々が魅了されたの

です。

当時東京大学教授だった竹内均氏が映画『日本沈没』の中でプレー

ト説を弁舌爽やかに説明していました。

この本や映画のおかげで「地震はプレートの衝突と沈み込みで起き

る」という考え方が、日本国内に一気に広まったことは間違いあり

ません。

「長いものには巻かれろ」 ではありませんが、地質学での研究報

告でも、プレート説による説明が増え始めました。

(78〜79p)  

  

これは自分も振り返ると納得できます。

「日本沈没」の起こしたブームはすごかったです。

海溝に沈んでいく日本をフィクションとは思わずに、

プレート説を信じた自分がいます。

竹内均先生もよく覚えています。

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