2020年2月 5日 (水)

「西に沈んだ太陽を取りに行く話」はどの落語か判明

今日は令和2年2月5日。

  

この記事の続き。☟

ここでも道草 「君が地球を守る必要は・・・」② 「西に沈んだ太陽を取りに行く話」はどの落語?(2020年1月31日投稿)

 

「西に沈んだ太陽を取りに行く話」はどの落語?

 

前進しました。

きっかけはこの記事を、久々のサークルで提示したことです。

サークルのメンバーがネットで調べて、

落語の名前を教えてくれました。

「太陽」です。 

このサイトに載っていました。

weblio辞書 太陽とは何?

その部分を引用します。

  

『太陽』(落語)

信心を勧められた与太郎が、早起きして朝日を拝む。

朝日はどんどん昇って行くので、与太郎は西の方へ追いかける。

日が暮れてしまっても、与太郎は西へ走り続ける。

夜明けになり、後ろ(=東)から朝日が昇って来る。

与太郎はふり返って、「ああ、行き過ぎてしまった」。

  

 

追いかけたのは与太郎さんだったのですね。 

落語の名前がわかったら、次は、「太陽」という話を

実際に聴いてみたい、あるいは全文読んでみたいと思いました。

昨日、地元市の中央図書館に行き、調査を実行しました。

 

その図書館には貸出CDがあり、落語もたくさんありました。

これだけあれば、きっとあるぞと思いました。

一つ一つ見ましたが、「太陽」はありませんでした。

次は図書を探しました。

落語コーナーにあった本を見ました。

中には落語事典のみたいな本もありましたが、

「太陽」は見つけることができませんでした。

  

 

地元市内には他に4つの図書館があります。

ネットでその4つの図書館にある本も検索できます。

キーワードに「落語」「太陽」を打ち込んで検索。

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出てきた本は2冊。

 

「十代目柳家小三治」(平凡社)

落語界の至宝・柳家小三治。最後の名人が考える「落語」とはなにか?

インタビューやルポ、弟子が語る素顔などを通して、

十代目柳家小三治の至芸の秘密、人生の来歴まで、

貴重なビジュアルと共に徹底的に解き明かす。

  

  

「落語への招待」(平凡社)

落語には、日本人の真実が程よく描かれていて、

教えられることも多く面白い。

東京、そして上方を代表する落語家とその十八番を紹介し、

落語の楽しさを伝える。

  

 

なぜこの2冊が出てきたのかは、ネットでは不明でした。

予約しました。

「十代目柳家小三治」がさっそく届いたと連絡があったので、

取りに行ってきました。

本を見て、なぜ「落語」「太陽」で引っかかったのか、

すぐにわかりました。

じらします。

ジャーン!

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中身をさっと見たところ、落語「太陽」の記述はありませんでした。

  

  

落語「太陽」の調査は続きます。

何か情報があったら教えてください。

2021年度から中学校で「がん教育」が始まる/がんと共存できる時代

  

今日は令和2年2月5日。

  

2月4日朝日新聞朝刊の記事です。

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2月5日は「世界対がんデー」なる日でした。

したがって、上の記事だけではなくて、朝刊には

がんに関するいろいろな記事がありました。

その中で注目したのがこの記事。☟

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8か月も休職していると、学校情報に疎くなっています。

2021年度から中学校で「がん教育」が始まるのですね。

私はがんに関心が高く、ブログでも何回か記事にしてきました。

その「がん」を生徒にどう教えるのか。

これは大きなテーマになりますです。

  

  

手元にある資料の中から、先日1年前の「天声人語」が出てきました。

がんに関する内容でした。

記事にしようとして取っておいてそのままになったのでしょうか。

いい機会です。ここに書きうつします。

いずれ「がん教育」の教材になるかもしれません。

  

2019年2月8日朝日新聞朝刊「天声人語」より

  

公開中の映画「がんになる前に知っておくこと」を見て。何年

か前のわが健康診断 を思い出す。胃に「影」が見つかった。

まさか自分が。再検査の結果を聞くまで、家族にあきれられる

ほど動揺した▼「がんが疑われて動揺しない人はいません」と

この映画を企画した上原拓治さん(45)。義妹を3年前、が

んで失った。自分には無縁な病気。そう思うから不安に陥る。

がんについて一からわかる映画を目指し、三宅流(ながる)監

督(44)とともに、医師や看護師、患者ら15人に取材。病

気と向き合う手立てを丹念に拾った▼助からない病の代表では?

「がんイコール死というのは30年も前の古いイメージ。いま

はがんと共存できる時代です」。専門医が力を込める。▼怖く

てしかたがない時は?「患者の恐怖を医学は解決できません。

」。医師が限界を率直に語る。何より頼りになるのは経験者の

生の声だ。患者たちはピア(仲間)サポートの部屋で不安をは

き出す▼治療に納得できない場合は?「医者はどうしても生存

率にこだわる。ですが優先されるべきは患者の生きがい」自身

もがんと闘う意思が答える。好例として挙げられたのは舌がん

の落語家。「高座に上がりたいから舌は切らない」と外科手術

を断った▼あせらず、あわてず、あきらめずーー。経営やスポ

ーツの哲学としてしばしば聞く心構えがそのままあてはまるで

はないか。生涯で2人に1人ががんを経験する時代、この病気

と付き合う「知恵袋」のような映画である。

  

 

「立川談志を聴け」③ 「立て板に水どころじゃない」語り

今日は令和2年2月5日。

  

昨日の立春の日の記事。

「立川談志を聴け」について書き、「立春」「立川」で

ともに「立」の字。何か縁起がいいように思えました。

今回も昨日に聞き続き、

 「立川談志を聴け」(山本益博著/小学館文庫プレジデントセレクト)

より引用します。

 

  

山本益博さんと元木昌彦さんの対談シーン。

  

元木:私が早稲田に入学したあとで(談志)師匠のひとり会を

  紀伊國屋で聴いていますが、「三方ヶ原軍記」を聴いてび

  っくりした。あの滑舌の良さはすごいと。

山本:三十代、四十代の、ああいう立て板に水どころじゃない

  くらいに流れるような、聴いていてこんなに気持ちがいい

  のかというほどでした。

(139p)

  

「立て板に水どころじゃない」語りは、前記事に載せた

動画後半の合戦シーンで味わうことができます。

「矢がカーン(やかん)」が出るまでまくしたてています。

  

  

山本:やはり落語というのは、他の芸能でもそうなんだけど、

  ファンになるとか贔屓(ひいき)をもたないと面白くない

  んです。落語を聴くのにただ落語だけを聴いてちゃダメな

  んですよ。小三治が好きだ、小朝が好きだというふに、だ

  れかを贔屓にしてそこから入っていくから、本当の世界が

  見えてくるんじゃないですか。それなのに全部均一に見て

  たら、残念ながら落語の本当の面白いところがわからない。

(147~148p)

  

私は落語が好きですが、趣味かというとそこまでは

至ってはいません。ここにあるように贔屓がありません。

落語のお話の楽しさに目が向いています。

  

  

談志師匠の高座での口癖は「新聞で信用できるのは、日付ぐれ

えだ」で、人間が書くのだから、いつも真実が記されていると

思ってはいけない。右からも左からもさらに斜めや裏からも事

実をよく見つめなくてはいけないと言っていた。

(209p)

  

「新聞で信用できるのは、日付ぐれえだ」は楽しい。

うまいねえ。

 

  

落語は「噺」とか「咄」とも呼ばれてきたが、談志師匠の高座

はまさしく「いま、はじめて思いついたようにしゃべる」「口

から出まかせ」に見せる至芸だったとも言えようか。

(210p)  

  

昨日、「やかん」を聴いてみて、確かにそうだなあと思いました。

  

以上で「立川談志を聴け」からの引用は終了です。

  

2020年2月 4日 (火)

「立川談志を聴け」② 太陽が沈む時”ジュッ”と音がする

  

今日は令和2年2月4日。

  

前記事に引き続き、

立川談志を聴け」(山本益博著/小学館文庫プレジデントセレクト)

より引用します。

  

落語はそもそも”はなし”家と呼ばれ、噺とも咄とも書いてそれ

に当てた。つまり、いま思いついた言葉のようにしゃべる、口

から出まかせで話す、それが落語の話芸だった。

だから、噺はいつもファジーな状態でよいのだ。”完璧”を目指

そうとするから台詞も所作もすべて固定したくなってしまうの

であって、いつも揺れ動いているものなら、大切なことは何よ

り”即興”なのである。

高座はいつでも出たとこ勝負、観客との共同作業によって、は

じめて噺が成立するといってよい。これが談志の落語の特徴で

あり、危険をはらんだ魅力といえよう。

志ん朝の古典的様式美にのっとった、さながら役者の芝居がか

った長兵衛も見事だが、談志のあくまで人間のリアリティを追

究する脆(もろ)くて弱い長兵衛も、人間の真実の優しさにふ

れて素晴らしい。

(50~51p)

  

「長兵衛」は落語「文七元結」の登場人物。

実際に両者の「文七元結」を見て、比較してみたいです。

今の世の中、その気になればできます。

両者とも亡くなっているのに。

  

  

談志を知るには「やかん」がすごくいい。明治でも大正でもい

いから当時の速記本に出てくる「やかん」を並べてみると、い

かに談志のオリジナリティと独創性があるかがわかってもらえ

ていいかなと思う。

(136p)  

  

この本には、2つの「やかん」が掲載されています。

一つは「落語百選」(麻生芳伸編/ちくま文庫)に載ったもの。

伝統的な「やかん」

もう一つが立川談志さんの「やかん」

  

知ったかぶりのご隠居と八五郎の会話が楽しい。

特に面白かった談志さんの「やかん」の一部を引用します。

  

(八)「でも、地球は丸くて太陽の周りを廻っているんでしょ」

(隠)「バカが固まったな。オイ、しっかりしろよ、地球って

 なァ広いんだぞ。大きいんだよ。広大無辺なんだぞ。横浜か

 ら別府の方まで地球だぞ。お天道(てんど)様なんぞとくら

 べる奴があるか。太陽が地球の周りを廻ってるんだ」

「本当ですか」

「本当にも何にも、”日が昇る””日が沈む”ってのはあっち(天

 道)が動いてる証拠だろ。第一お前、天道なんてどのくらい

 の大きさだと思ってるんだ」

「・・・・まァ・・・・このくらい・・・・」

「そうだよ、朝日と夕陽の時にちょいと大きくなるだけで、あ

 とは、ここにあるお盆ぐらいのもんだ。そんなものと地球と

 一緒にする奴があるか。それに太陽ってのは間抜けなヤツだ。

 ピカピカ光ってて眩(まぶ)しいやい。昼間ァ明るいんだか

 らいらないんだ。夜出てこい。肝心な時に出てこねえ、間抜

 けなヤツだ、ありゃァ・・・」

「でもォ・・・」

「何が”でもォ”だ」

「ホラ先生、地球儀ってのがあるでしょう」

「あるよ、知ってるよ」

「あれで見ると地球は丸いでしょう」

「お前ネ、まさか文房具屋で売ってるもの(品物)なんぞ信用

 してるんじゃないだろうな・・・」

「・・・はァ・・・ねェ」

「何が”ねェ”だ。で、何だ」

「するとお天道さまは・・・・」

「東からでるだろ、で・・・・」

「”西に沈む”と・・・」

「そう」

「西のどこに沈むんです?」

「海だよ、西の海。(中略)」

「山に沈む時もありますよ」

「力の無い太陽は、時々海までいかないうちに山ン中に落っこ

 ちるのもいるが、ま、たいがいは海だ。海辺に行って太陽が

 沈む時、耳ィ澄まして聞いてると”ジュッ”て音がするよ」

「しますか」

「するよ。何度も聞いてるよ、俺は・・・」

「で、また次の日の朝、出てきますよ」

「新しいのがでてくるんだ」

「”新しい”のが、ですか?」

「そうさァ、海に沈んだら、太陽は”ジュッ”と消し炭みたいに・・・。

 お前太陽の燃えカスをみたことがないのか」

「ありません」

「だから妙なことを言い出すんだ、妙な奴らの言うことを信用

 するんだ。いいか、燃えてるもの(太陽)が海だぞ、水ン中

 に落ちりゃ、黒くなって消えちまう。それが次の日になると

 燃えて出てくるんだから、”新しいのが出てきた”と考えるの

 が、ごく正常、普通の人の考えだろうに・・・」

「で、また次の日も、出てきますけど」

「わからねえ奴だなァ、その次の日は早い話、三番目のが出て

 くるんだよ。順に順に出番を待ってるんだ」

「どういう風になってるんですかネ」

(191~195p)

  

読みながら笑ってしまったところです。

”ジュッ”がお気に入りです。

Youtubeで見ることができました。


YouTube: 【落語】立川談志 やかん

  

この動画の7分45秒あたりから、上記の「地球は丸い」

「太陽の方が動いている」話です。

授業で見せるならここからですね。

「立川談志を聴け」① 落語家の口調を写した速記本

 

今日は令和2年2月4日。

  

今度読んだのはこの本です。

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立川談志を聴け」(山本益博著/小学館文庫プレジデントセレクト)

  

  

引用していきます。

  

落語は口伝による伝承芸だから、音楽の楽譜に当たるような定

型の記録はない。師匠から弟子へ、先輩から後輩の落語家へ噺

が伝わるとき、教わる側に一切の裁量がまかされている。

そこで噺の骨子は忠実に伝わりながらも、そこに何らかの新し

い工夫なり省略なりが加わることとなる。これが落語という話

芸の最大の魅力でもあるのだ。

いまでは音声、映像による記録が容易に可能だが、それが出来

なかった明治の時代には、落語家の口調をそのまま写しとる速

記という形式が生まれた。この速記本のおかげで、明治・大正

の落語家の高座での噺の運びがかなり正確に知ることが出来る

のである。

(46p)

  

なるほどです。

レコードに録音できたのが明治12年。

※参考:ここでも道草 日めくりより/日本で最初にレコーディングした人物(2020年1月26日投稿)

明治時代に録音はそんなには普及しなかったことでしょう。

速記本を作成した人はすごいなあ。

落語ファンなら読みたかったでしょうね。

そして後の時代の人にはとても参考になります。

  

  

これはもう芝居であって、しゃべくりの舌耕芸ではない。映像

時代に対応し、噺の世界に演劇的リアリティを持ち込んだ、志

ん朝の独創的話芸といってよい。五代目圓生の高座が、上半身

の動きを最小限に抑え、すべては台詞優先で噺を聞かせようと

する舌耕芸の伝統にのっとった型であるのに対し、志ん朝のそ

れは、昔だったら邪道といわれかねないほどに噺を見せること

に重点を置いている。志ん朝の落語は、この芝居の所作を抜き

にしては成り立たない高座で、しかも、それを正統派のように

感じさせてしまうところが、志ん朝の芸の凄さなのではなかっ

たか。

(50p)

  

  

「志ん朝」というのは3代目古今亭志ん朝(1938~2001年)

大河ドラマ「いだてん」で準主役だった5代目古今亭志ん生の次男。

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こういう見方があるのですね。

なるほどです。

2020年立春の朝に思う

今日は令和2年2月4日。

立春の朝です。

立春は運勢が変わる日であると、以前占い師のおばあさんに

教えてもらいました。

昨年の日記を見ると、2月4日から自転車通勤をスタート。

2月8日に自転車事故を起こしています。

ここでも道草 自転車転倒で予想外の重症/不幸中の幸い(2019年2月10日投稿)

ここでも道草 現場に行きました/あの段差はどうにかしたいです(2019年2月10日投稿)

最悪のスタートだったので、

これからの1年は良くないかなという予感。

その予感は当たってしまいました。

6月にはへたばってしまってダウン。

休職となりました。

辞職まで真剣に考えた1年でした。

占い師のおばあさんに見てもらっていたら、

今までの1年はきっと良くない年だとし、

無理しないようにと言われていたことでしょう。 

  

でもそんな1年も、命は失わずに終えることが出来ました。

何はともあれ切り抜けました。

これまでの1年が「冬」だったなら、次は「春」です。

少しは運勢が良くなると考えたいです。

 

「冬」の期間に、「読書」と「登山」ができ、

長野市のボランティア体験もできました。

横浜や名古屋での研修も受けることが出来ました。

これらは「春」の期間の活動に活かしたい。

  

「冬」で仕事を休んで充電したと前向きに考えて

今日からの1年を頑張りたいです。

今日は出勤です。1月14日以来2日目。

教頭先生と再び復職プログラムの打ち合わせです。

2月中旬から毎日の勤務が始まる予定です。

その詳細が今日わかります。

  

生活のBGMはスピッツのアルバム「見っけ」です。

その中から1曲。


YouTube: スピッツ / 優しいあの子

  

いい1年にしたい。大事な今日。

  

2020年2月 3日 (月)

パラリンピック〈13〉 道下美里選手優勝/世界最古のパラ競技とは?

  

今日は令和2年2月3日。

  

今日(2月3日)朝日新聞朝刊の記事です。

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昨日行われた別府マラソンで、

道下美里選手が世界新で優勝しました。

(視覚障害の部 女子T12クラス)

歌がとっても上手な道下さん。

ここで記事にしました。☟

ここでも道草 パラリンピック〈3〉伴走ロープのニックネームは?(2019年10月14日投稿)

  

  

同じ新聞のテレビ欄の写真です。☟

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午後8時からNHKEテレで放映される

ハートネットTV」に注目しました。

 

世界最古のパラ競技? 心の格闘技?

何だろう?

  

調べました。

  

アーチェリーでした。

9 ハートネットTV

  

そうでした。

ここで記事にしました。☟

ここでも道草 パラリンピック〈5〉(2019年10月27日投稿)

ここでも道草 パラリンピック〈6〉(2019年10月28日投稿)

  

  

機会があるごとに、過去の記事を読み直して

理解を深めていきたいです。

「バナの戦争」⑤ 生きていくのに疲れちゃった/私たちは生き抜いた

 

今日は令和2年2月3日。

  

前記事に引き続き

バナの戦争」(バナ・アベド著/金井真弓訳/飛鳥新社)

より引用します。

   

【バナ】

もう疲れ切っちゃって、希望なんか持てなかった。生きていく

のに疲れちゃった。爆弾がわたしたちの上に落ちてきて、これ

以上生きなくてもよくなったら楽かもしれない。

(192p)

  

生きていくのに疲れちゃった」は辛い言葉です。

  

バナと家族は、チャーターされたバスで

命からがらアレッポを脱出することができました。

さらに飛行機でトルコに避難します。

  

 

【バナのお母さん】

バナ、あなたを守るためなら私はどんなことでもする。でも、

あなたは黙ってはだめ。あなたの声をあげさせないことこそ、

彼らの望みなのだから。この世の始まりから、平和の担い手を

黙らされようとしてきた。

でも、あなたを沈黙させようとする行為は、あなたのメッセー

ジがどれほど強力なものかを証明するだけ。あなたは世界を変

えられるし、彼らもそのことを知っている。だから私たちは口

をつぐまないし、平和しか望まない幼い少女を傷つけたがる卑

怯者に負けるつもりはない。罪のないシリアの人々や、戦争に

よって被害を受けているほかの国の人々のために、私たちは声

をあげ続けなければいけない。

私たちは、戦争がどれほどむごいものかを知っている。私たち

が声を発しなければ、だれがやるの?私たちは生き抜いた。そ

の奇跡に対するお返しは、ほかの人たちが生きられるように手

助けすること。

(218p)  

   

「私たちは生き抜いた」よかったです。

   

これが最後の引用。

 

【バナ】

難民キャンプで暮らさなければならない人がいるのはまちがっ

ている。いつもこわい思いをして暮らしている人や、友だちや

家族を助けられない人、ママが死ぬところを見てしまう人がい

るのも、ちゃんと飲める水や食べ物や家がない人がいるのもま

ちがってるわ。何かがまちがっているとわかっていたら、直さ

なくちゃね。どこの国に住んでいても、みんな助けあわなきゃ

だめなのよ。

(224p)

 

まちがっていることが、直るような世の中になってほしいと

切に思います。しかし、国レベルでは非常に難しいことも、

昨年読んだ「シリア内戦」でも感じました。

どうにかならないのか。

みんな戦争はまちがっていると思っているはずなのに。

  

  

  

「バナの戦争」④ 世界が何もしてくれないことへの怒り

  

今日は令和2年2月3日。

  

前記事に引き続き

バナの戦争」(バナ・アベド著/金井真弓訳/飛鳥新社)

より引用します。

時間は有限なので、厳選して引用します。(これが難しい)

  

  

【バナのお母さん】

バナ、死についてあなたに説明しなければならないのは、母親

の務めの中でも一番つらいものだった。戦争が起こる前、あな

たは死のことをまだ知らなかったのに、突然、死がそこらじゅ

うに存在するようになったのだから。

(中略)

(バナの友人の)ヤスミンが(爆撃で)亡くなったとき、私の

中でも何かが変わった。あの後の残虐な数カ月、私たちが包囲

されたときも。恐れや苦悩とともに、私は怒りを覚えるように

なった。私たちだけが耐えなければならず、世界が何もしてく

れないことへの怒り。わが子を守れない無力な自分への怒り。

爆弾を落とすことや子どもが殺されることが許されている世界

への怒り。人には寛大で公平にやさしく接しなさいとあなたに

教えた私が、こんな世界しか与えてあげられないことへの怒り

を。

(139p) 

  

バナのお母さんの文章は、戦時下で大人が感じるであろうことが

書いてあります。したがって共感するところが多いです。

私もそう思うだろうなと思います。

特に「世界が何もしてくれないことへの怒り」はドキッとします。

  

【バナ】   

包囲や爆弾にすっかりうんざりだった。ずっとこわがり続けて、

人がけがしたり死んだりするのを見て、それでも希望をなくさ

ないようにするのは、本当に難しい。前みたいに幸せなときが

戻ってくるなんて思えなかったし、ますますひどくなるだけだ

った。

ママに聞いてみたの。シリアやアレッポの外にいる人たちは、

わたしたちに起こっていることを知っているのかなって。どう

して人を殺すのをやめなさいって、だれも政府に言わないの?

人には親切にして、助けてあげなきゃいけないのに。パパとマ

マはそう教えてくれた。だったら戦争をしていいはずがないわ。

こんなにたくさんの人や子どもたちが死ぬなんて、まちがって

る。

(159p) 

   

もっともな疑問だと思います。

一人一人ならどの人にも親切心などの優しい気持ちがあるけれども、

国レベルになると、思うようにいかない。

当然のことがそうならない。

  

  

バナは、ツイッターで自分たちのことを発信し始めます。

    

【バナ】   

毎日ツイッターで、アレッポがどんなにひどいことになってい

るか伝えた。こわい思いをしたらそのことを書いた。世界にス

テキなことを伝えるのも楽しかった。わたしの歯が抜けたとき

のこととかね。

ママは、英語でどう言ったらいいか、いっしょに考えてくれた。

わたしたちはたくさんの写真や動画も撮った。世界中の人に、

シリアで起こっていることを見てもらえるように。どんなひど

いか目で見ないと、みんながわたしたちの話を信じてくれない

かもしれないと思ったから。死体の山やぼろぼろになった建物

とかを、全部見ないと。

(163p) 

  

インターネットは力です。内戦中の現場から少女が様子を

伝えることができるのです。

  

【バナ】

すぐにメッセージが届き始めた。世界中の大人からも子どもか

らも。みんながわたしの話を聞いてくれているなんて、信じら

れない気分だったわ。しかもとても親切なメッセージを返して

くれたの。

(162p) 

 

よかったねとホッとした文章。

でも国レベルでの変化はなかなか起こりません。  

  

彼女はこんなものも見てしまいます。

  

【バナ】

一週間後にマルワのお父さんは見つかったけど、遅すぎた。爆

弾で死んだとき、人の体は建物と同じようにぺちゃんこになる。

建物と同じように灰色になる。ぐにゃぐにゃになったり、足と

か腕とか体の一部がちぎれたり、顔がとれてしまうときもある。

とても見ていられない。

けれど、わたしは思ったの。もし世界中の人が、そんなひどい

様子を見たら、ものすごくたくさんの人が一瞬で死んでいるの

を知ったら、わたしたちを助けてくれるかもしれないって。

(166p)

  

  

酷い光景です。

それを7~8歳で見てしまったのです。

  

  

つづく

「バナの戦争」③ もっとしっかり準備しておくべきだった

  

今日は令和2年2月3日。

  

前記事に引き続き

バナの戦争」(バナ・アベド著/金井真弓訳/飛鳥新社)

より引用します。

  

 

【バナのお母さん】

おそらく私たちは、もっとしっかり準備しておくべきだったの

よ。アレッポでの戦争に対する準備を。

何年も前に、この戦いの種はいくつもまかれていた。「アラブ

の春」が招いたほかの国での争いや混乱を、私たちは見てきた。

どこかで政権が倒れ、指導者たちが退けられたり殺されたりす

るさまを見てきた。でも、すいうことははるか遠くの話で、絶

対にシリアでは起こらないーーー手遅れになるまで、だれもが

そう信じていた。

(64p)

  

【バナのお母さん】

シリアで武力衝突が始まったーー2011年、ダルアで暴動が

起こり、政府軍によってティーンエイジャーたちが逮捕され、

むごたらしく殺害されたーーのは、学校でスプレーを使ってア

サド政権に反対する落書きをしたというのが理由だった。私た

ちは衝撃を受け、絶句したけれど、それでもまだ自分には関係

ないことだと思っていた。悲劇ではあっても、現実には思えな

い。他人の苦しみをそう感じるのと同じように。

(64~65p)

  

お母さんのこの正直な気持ちは、共感できます。

きっと私が同じ立場でもそう考えるだろうなと。

お母さんの話から、戦争前のシリアは

平和であったこともわかりました。

  

  

【バナのお母さん】

戦争が起こる前に心配していたあれこれを今思うと、私はわら

ってしまうわ。あなたがくしゃみをしたり、少しでも咳をした

りするたびに、あわててしまったのだから。

この子はお菓子を食べすぎているんじゃないかしら?テレビを

どれくらい見せていいの?そんなことが一番の心配の種になる

のだったら、どんなにいいか。

何か食べるものがあるのかを心配するのではなく、あなたが何

を食べているかを案じるならいいのに。あなたに銃弾や爆弾の

破片が当たることではなく、ちょっとした風邪のことを心配す

るのならいいのに。

(70~71p)

  

そう思うんだよなあ。日本では、子どものゲーム時間が

問題になっています。

  

  

【バナ】

うちの近くの公園に小さな観覧車が組み立てられていたので乗

りにいった。ちょっとだけだよ、とパパ。まだ長い時間、外に

いるのを不安に思っていたの。安全なときでも、そういう不安

を追いはらうって難しい。

(弟の)ヌールは観覧車を気に入ってくれなかった。一周目、

てっぺんまで着いたときに泣いていた。でも慣れてくると、観

覧車が好きになってくれた。

わたしたちは十分間、観覧車に乗って何周もした。ママとパパ

はわたしたちを見ながらニコニコして手をふり、写真をとって

くれた。

あまりにもつらいことをたくさん経験すると、楽しい時間に気

づきやすくなるし、幸せな気持ちもさらに増えるの。

その日、わたしたちはとても幸せだった。そもそも戦争がある

なんてことを、ほとんど忘れるくらいに。

(110~111p)

  

爆弾が降りそそぐ街で、観覧車を組み立てた人がいることに驚き。

ふだんならささいなことが楽しく幸せに感じると

7~8歳の少女が記しています。

本当はもっと大きくなってから感じることだと思います。

戦争が少女を急速に大人にしていると思いました。

  

  

つづく

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉