2020年3月17日 (火)

「星ちりばめたる旗」④ 442連隊の勉強につながった

  

今日は令和2年3月17日。

  

前記事に引き続き、

星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

より引用します。

  

  

まわりを有刺鉄線の柵で囲まれ、監視塔からは、戦闘装備に身を固

め、自動小銃を手にした兵士が24時間、人々に銃口を向けている。

どこからどう見ても、ここは明らかに強制収容所であり、無実の日

系人を犯罪者に仕立て上げ、社会から隔離している「監獄」---

ケンはそう名づけているーーーに違いない。仲間たちのなかには「

日系人専用の刑務所」と呼んでいる人もいるし、「人種差別刑務所」

と呼んでいる人もいる。

去年の7月、バスを降りて、初めてこの地を踏んだときの絶望感を、

ケンは思い出す。「湖ないね」と言った、末っ子のハンナの不思議

そうな表情が浮かんでくる。

トゥーリレイク。その名の通り、この土地にはもともと巨大な湖が

あった。水辺には、ネイティブアメリカンが生活用具に加工して使

っていた「トゥーリ」という名の葦が生い茂り、あたりには、さま

ざまな水鳥の棲息する沼地や、野生動物の暮らす豊かな森が広がっ

ていたという。かれこれ20年ほど前に、政府はこの湖を買い上げ

て、水を抜いてしまった。ニューディール事業の一環として、ここ

に3500エーカーの農地を開発しようとしたらしい。しかし、な

んらかの事情が発生し、放置された。水を抜かれ、荒れ果てたまま

捨て置かれた土地に築かれたのが、トゥーリレイク収容所だった。

隣の部屋で暮らしている男からそのような話を聞かされたとき、あ

まりの皮肉に、ケンは顔を歪めて笑い出してしまった。

「国から放棄された土地に、国から見捨てられた日系人を集めたっ

てことか。僕らの家や財産を抜き取って」

冬の厳しさは想像を絶するものだが、夏の猛暑もまた、限界を超え

ていた。

猛暑を和らげるはすの風でさえも、牙を剥いて襲いかかってきた。

あたりの砂塵を巻き上げながら、バラックとバラックのあいだを吹

き抜けていく強風は、さながら砂嵐のようだった。薄い壁の節や割

れ目を通して、砂塵は容赦なく部屋のなかまで吹き込んでくる。何

度シャワーを浴びても、体じゅうがざらざらする。細かい砂の粒子

が目に入ってくるため、眼球は充血して真っ赤になった。突風が吹

いているとき外に出ると、無数の砂粒が皮膚に当たって、針で刺さ

れているように痛かった。

(274p)

  

たくさん引用しましたが、

この本で描かれている在米日系人の収容所は、

ここまでひどかったのかと思えるものでした。

戦争が起これば、世界各地でひどいことは起こっていたのです。

  

  

17歳以上の二世男子のためには、特別な登録所が設置された。そ

こには、陸軍から派遣された下級将校と思しき徴兵面接官が詰めて

いた。

この特別な登録所で、ケンはきょうの午後、登録を済ませた。

登録のために用意された質問は28個。収容所内で物議を醸してい

たのは、最後のふたつ、第27番と第28番である。

「あなたは、アメリカ合衆国軍隊に入隊し、命令に従ってどこへで

も行く意志がありますか?」

ケンは、面接官の目をまっすぐに見つめて「イエス」と答えた。

「けっこうだ」

「あなたは、アメリカ合衆国に忠誠を誓い、日本の天皇、他の外国

や政府の勢力や組織のための、いかなる形の忠誠も服従も拒否し、

合衆国のために、内外の敵からの攻撃に対して、勇敢に戦う意志が

ありますか?」

視線を逸らさずケンは「イエス」と答えた。

「非常にけっこうだ」

ふたつの質問に「イエス、イエス」と答えた二世男子には、収容所

を出て、しかるべき場所でしかるべき訓練を受けたあと、日系人だ

けで構成されている陸軍戦闘団に入り、戦場へと向かう道が用意さ

れていた。

アメリカ合衆国への忠誠の道。

それは、死と隣り合わせになった道でもある。「おまえらは敵性外

国人だ」と一方的に決めつけ、収容所へ放り込んでおいて、今度は

「アメリカのために戦え」か。多くの二世男子と同様、憤懣やるか

たない気持ちを抱きながらも、ケンはこの道を選んだ。「日系アメ

リカ人は、日本との戦いには参加しない。敵味方の区別がつかなく

なるから。きみたちに赴いてもらいたいのは、ヨーロッパ戦線だ。

きみたちの倒すべき敵はナチスドイツだ」という陸軍側の説明を信

じて。

(277~278p)

  

ケンは陸軍第422連隊戦闘団に入ります。

またまた昔の勉強とつながります。

ここでも道草 「驚きももの木20世紀」その3/442連隊の精神(2018年2月4日投稿)

「星ちりばめたる旗」を読む③ 4選されたフランクリン・ルーズベルト

  

今日は令和2年3月17日。

  

前記時に引き続き、

「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

より引用します。

  

 

アメリカへの帰国を3日後に控えたその日、幹三郎と佳乃は夫婦水入

らずで、備中松山城を訪れた。備中高梁駅の北にそびえる臥牛山(が

ぎゅうざん)の南の峰、小松山の山頂に築かれた、日本一の高度を誇

る山城である。

(152p)

  

今まで2回、このお城について書きました。

前回はここ。☟

ここでも道草 備中松山城で殺人事件の死体発見(2019年2月19日投稿)

その都度復習して、知識を固めていきたいです。

  

 

原子爆弾は、ニューメキシコ州にあるロスアラモス国立研究所で設計、

製造され、1945年7月16日、ニューメキシコ州ソコロの南東に

位置する巨大軍事施設、ホワイトサイズ・ミサイル実験場ーー当時の

名称は「ホワイトサイズ性能試験場」--で実験された。これが、人

類の歴史が始まって以来、初の核実験、コードネーム「トリニティ」

である。この実験は成功し、原子爆弾はそれから1か月足らずののち

に広島と長崎に投下され、何十万人という民間人の命を一瞬に奪うこ

とになる。

(188~189p)

  

「ホワイトサイズ」という地名はあまり聞いたことがありません。

調べました。

Wikipedia ホワイトサイズ・ミサイル実験場

HIS ホワイトサイズ国定公園

 

HISのサイトには次のように書いてあります。

写真も転載。

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アメリカのニューメキシコ州の荒野に忽然と現れる純白の砂漠、それ

がホワイトサイズ国定公園です。

(中略)

広大な砂漠はアメリカ軍のミサイル実験場になっており、国定公園と

して指定されているのはこの実験場の敷地内。

 

実験場>国定公園なんですね。

また後日調べてみたいです。

  

 

アメリカ大統領は、中国びいき、日本嫌いで知られるフランクリン・

ルーズベルト。大統領の任期は最長二期、合計八年という不文律を破

って、彼は来年の初頭から、三期目の任務に就くことがほぼ確実視さ

れている。つまり昨今の日本とアメリカは、いつ戦争が始まってもお

かしくない、一触即発の状態にあると言っていい。

(197p)

   

フランクリン・ルーズベルトは、

1933年3月4日から大統領となります。

そして1940年に3選され、

1944年に4選もされた大統領でした。

戦時・有事を理由に大統領選に出馬して選ばれたようです。

※参考:Wikipedia

  

これまでの長きにわたって、執拗に、病的なまでの排日運動を推し進め

てきた各種団体、マスコミにとって、真珠湾攻撃ほど、運動の正当性を

示してくれた出来事はなかった。反日思想、人種差別主義を標榜する新

聞は、こぞって書き立てた。

<われわれは国内に卑劣な敵国民を住まわせている>

<毒蛇はどこで孵化しても、毒蛇である>

卑劣な敵国民とは、幹三郎と佳乃のような、アメリカ国籍を持たない日

系一世をさしていた。そもそも国籍を与えようとしなかったのはアメリ

カだったということを、人々は忘れてしまっていた。三国同盟国のうち

二国、ドイツとイタリアからの移民には与えられていた国籍が、日本人

だけには与えられていなかったという事実を。

毒蛇とは、アメリカで生まれ、アメリカ国籍を有する日系二世を指して

いた。真珠湾攻撃に半ば便乗するような格好で、この際、一世だけでな

くて二世をも排除してしまおうとする機運が高まっていたのである。

(217~218p)

  

毒蛇はどこで孵化しても、毒蛇である」は

非常にきつい文章です。

実際にあったことなのでしょう。

知らないことを知ることができました。

「星ちりばめたる旗」を読む② 「せつない」という日本語

 

今日は令和2年3月17日。

  

前記事に引き続き、

「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

より引用します。

   

  

当時、私の気に入っていた言葉のひとつに「せつない」という日本

語があった。「アイム・サッド」でも「アイ・ミス・ユー」でも「

アイ・フィール・ブルー」でもない、曰く言い難い微妙な感情が「

せつない」という言葉で言い切れてしまう。好き、でもなく、愛し

ている、でもなく、でも恋しくてたまらない、というような気持ち。

彼に会って、楽しい時間を過ごしたあと、彼と別れるときにはいつ

も「私はせつない」と、日本語で思っていた。

(81p)

 

これも日系アメリカ人3世の思いです。

   

日系アメリカ人1世の大原幹三郎は、

マスクメロンづくりに挑戦していました。

  

サンダーストームに備えて材木で補強しておいた入り口の戸をあけ

て、幹三郎はハウス内に足を踏み入れた。その瞬間、もわっとした

南国の空気に包まれる。常夏の空気を胸いっぱい吸い込むと、微か

ではあるけれど、微妙に鋭い、神秘的な香りに鼻腔をくすぐられる。

「はぁ、ええ匂いじゃ」

思わず知らず、ひとりごとがこぼれ落ちる。

この匂いをいったい、何にたとえたらいいのか。いつ嗅いでも、幹

三郎にはわからない。書物を読んで知識を得た佳乃の話によれば「

マスクメロンの『マスク』には、麝香(じゃこう)という意味があ

るそうです」ということらしいが、そもそも麝香とは、どんな香り

なのか。

「それは、おまえらの、この香(かぐわ)しい匂いなんよなぁ」

天国の香りかもしれない、などと思いながら、幹三郎は腰を曲げ、

手塩にかけて育て上げた苗木たちに話しかける。

(93~94p)

   

この文章も、以前の知識と結びつきました。

私も麝香の香りがわかっていません。

参考:ここでも道草 日めくりより/「マスクメロン」の「マスク」の由来(2019年6月19日投稿)

      

    

玄関から前庭に張り出しているポーチで、大原佳乃は、お気に入り

の揺り椅子に腰を沈めて、お気に入りの江戸川乱歩を読んでいる。

好きな作家は、ほかにもいる。内田百閒、長谷川如是閑(にょぜか

ん)、谷崎潤一郎、稲垣足穂(たるほ)、佐藤春夫・・・・ほかに

もまだまだ。育児、家事、畑仕事の手伝い、近所づきあい。体がい

くつあっても、時間がどれだけあっても足りないと思えるほど忙し

い日常のなかで、わずかな暇を見つけては、佳乃は活字の世界ーー

海かもしれないーーに身を浸す。作家の言葉によって創られた、こ

の世に存在しない人間の、実際には存在しない人生の物語を読むこ

とによって、なぜ、こんなにも心が豊かになり、現実の人生まで生

き生きとするのか。佳乃には不思議でならない。

(104p)

   

昨日、中学校の図書館に入り、この本を開いたおかげで、

今朝まで私の頭の中は、20世紀初頭から太平洋戦争中の

在米日系人の生活に染まっていました。

  

  

裸一貫、ふんどし一丁でアメリカに渡ったのは1904年の春。弱

冠17歳だった日本男子が、苦行にも似た船旅の果てに、栄養不足

のために霞んだ視界にアメリカ大陸をとらえてから26年が過ぎ、

いわゆる棄民ーー国内におけ人口膨張を緩和するために、当時の日

本政府は主に地方の農村の男子を対象として、アメリカへの移民を

奨励していたーーに過ぎなかった男が、アメリカで成功した移民一

世となって家族を引き連れ、故国にもどってきたのである。これが

凱旋でなくてなんだろう。

(140~141p)

  

明治時代以降の日本の人口急増のため、

諸外国への移民が奨励されたようです。

今の日本にはない状態です。

  

  

つづく

読む本がない/「星ちりばめたる旗」を読む① アメリカは自由の新天地

  

今日は令和2年3月17日。

  

地元図書館が休館なため、読む本がない事態。

解決策がありました。

中学生には申し訳ありませんが、

勤務校の図書館です。

昨日、図書館に入りました。

本が次々誘ってきます。

「いいよ、この本」「面白いよ」

「全3巻、今なら読めるよ」

誘惑の声の中、選んだのは次の本でした。

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「星ちりばめたる旗」(小手鞠るい著/ポプラ社)

ここでも道草 「あんずの木の下で」/著者は小手鞠るいさん(2018年2月25日投稿) 

ここでも道草 「優しいライオン」からの引用1.「作家は人生で作品を書くべきだ」(2018年3月18日投稿) 

小手鞠るいさん、3冊目です。

今朝読み終えました。

第2次世界大戦中のアメリカでの日系人強制収容の話でした。

少しずつ引用していきます。

  

空港が近づいてきた。空の港。そう言い換えただけで、無味乾燥な

空港が途方もなくロマンチックな場所のように思えてくる。日本語

は不思議だ。日本語には、控えめで、でもしたたかに、何かを煙に

巻いてしまう力がある。学んでも学んでも、日本語は私の手のひら

から滑り落ちて、さらさら流れていく。水のようでもあり、風のよ

うでもある。

(20p)

   

これは日系アメリカ人3世の思いです。

日本語をこのように表現するのは、

日本語を客観的に見ることができる環境にある人でしょう。

     

   

 

一方、日本政府も海外への移民を奨励した。奨励には「遺棄」とい

う意図も隠されていた。政府の側からすれば、移民事業とはすなわ

ち棄民政策だった。貧しい農民は、国家から見放された捨て子たち

だったのである。

(25p)

日本がとった政策です。後により詳しく出てきます。

   

  

「ほら、ここにも書いてあるじゃろ。アメリカはな、外国から貧し

い移民をどんどん受け入れて、国をつくっていったんよ。『じゃが

いも飢饉』が起こって、大変な目に遭(お)うとったアイルランド

の農民は、百万人以上も、アメリカに渡ったんよ。つまりアメリカ

は農民の国、いうことじゃ。よう覚えとき、農民にとって、アメリ

カは自由の新天地なんよ」

(33p)

 

移民1世の幹三郎の兄、葉次郎の言葉。

アメリカは移民の国であると語っています。

幹三郎がアメリカに移住する時に、思い浮かべた言葉です。

しかし、実際は・・・・。

アイルランド移民には、こんな歴史があったのですね。

参考:Wikipedia ジャガイモ飢饉

昔、勉強をした覚えがうっすらあります。

    

    

1906年、サンフランシスコが大地震に見舞われたときには、校

舎が壊滅的な被害を受けたことを理由にして、サンフランシスコ教

育委員会は、市内の公立小学校に通う日本人生徒たちを全員、東洋

人学校に移す、と決議した。

移そうとしたのではなくて、隔離しようとしたのである。

(57p)

 

日本人への差別が露見した出来事なのですね。  

  

参考:Wikipedia サンフランシスコ地震

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2020年3月16日 (月)

読む本がない/「阿・吽(あ・うん)」4巻まで読む

今日は令和2年3月16日。

  

本をよく借りている地元図書館。

新型コロナウイルスの影響で、当初は今日まで休館でした。

ところが休館が延長されて3月31日までに延びてしまいました。

予約している本はすでに図書館に用意されているのに、

借りることができません。4冊も。

読む本がないという状況に陥りました。

  

我が家にマンガ本がありました。

「阿・吽(あ・うん)」(おかざき真里作/小学館)

2巻を再読し、3・4巻を読みました。

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このマンガでは、最澄、空海、桓武天皇、坂上田村麻呂等、

生き生きと、生臭く?描かれています。

桓武天皇と坂上田村麻呂が時代が同じとは知っていましたが、

最澄と空海も?

調べました。Wikipediaで調べました。

  

桓武天皇(737~806年)

坂上田村麻呂(758~811年)

最澄(766/767~822年)

空海(774~835年) 

   

そうか、同じ時代を生きた人たちだったんだ。

社会科教師として情けないけど、今さら4人がつながりました。

「阿・吽」のおかげです。

   

各話の末尾に、豆知識風のカットがあり、

なかなかいいです。

 

2巻六話の末尾より。☟

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参考:ここでも道草 「ネコはいつ日本へ」その2/須恵器にネコの足跡(2019年3月26日投稿)

ネコの歴史の復習ができました。

 

  

  

2巻九話の末尾より。☟

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参考:ここでも道草 火が常に灯されている話/延暦寺の「不滅の法灯」(2018年9月17日投稿)

「不滅の法灯」の復習ができました。

 

    

昔の知識とつながるのが楽しい。

常磐線 9年ぶりに全線開通

   

今日は令和2年3月16日。

   

2月に福島県大熊町に行きましたが、

その大熊町に関するニュース2つに注目しました。

  

1つは3月6日です。

その日のNHKのニュース番組「ニュースウォッチ9」の

写真です。

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ピンク色に塗られている場所は、避難指示区域でした。

全域が、避難指示区域であった双葉町では、

初めて北東の一部と、双葉駅に向かう道が、

避難指示解除となりました。☟

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そして大熊町では、今まで避難指示解除されていた地域から、

大野駅に向かう道が新たに避難指示解除になりました。☟

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このように準備をしてきて、3月14日を迎えました。

3月15日の朝日新聞朝刊の記事です。

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双葉駅と大野駅に向かうか細い避難解除区域を見ると、

まだまだ復興は先ではあるなと思いますが、

そうまでして開通した常磐線が、地域の活性化に

つながればいいなと思います。

たった、2泊3日の滞在でしたが、福島県に行けたことは

改めていいことだったと思います。

新幹線で4時間の場所で起こっていることが、

身近に感じることができます。

2020年3月15日 (日)

「ゼンメルワイスの闘い」⑤ 歴史に名を残したゼンメルワイス

  

今日は令和2年3月15日。

   

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

   

  

ウイーン総合病院(医学校)の教授や医師、医学生らは、死体解剖

や内診を通じて死体や生体の“何らかの未知の物質”に触れる機会が

多い。妊産婦を診察する時に、未知の物質で汚染された手がこれら

の婦人の生殖器(性器)に接触し、それが体内に吸収され、血流に

侵入している、とゼンメルワイスは確信した。

(102p)

   

まだ細菌が発見されていない時代。

この結論に至ったのは、すごいことなのだそうです。

  

  

彼(ゼンメルワイス)は、この有害な未知の物質が生きた“有機体”

(細菌)であることは知らなかった。

細菌の発見には、パスツールやコッホのような偉大ない細菌学者の

出現を待たなければならなかった。一方で、彼は、産褥熱の原因が

生きた細菌であることを知らなくても、産褥熱を予防することはで

きた。病気の予防・対策には真の原因の特定は必ずしも必要ではな

い、ということをゼンメルワイスの仕事は示している。

(中略)

彼は、産褥熱の原因本体の解明には関心がなかったのではないだろ

うか。というのは、「手洗い」で産褥熱はほぼ完全に予防できるの

で、その本体が何であろうがなかろうが、彼にとってはそれほど重

要なことではなかったのではないかと思われるのである。

(124p)

  

産褥熱の病因は1879年、ルイ・パスツールが発見したといわれ

る。ゼンメルハウスの発見から30数年が経っていた。パスツール

はその原因物質を、「数珠のような微生物(ストレプトコッカス・

ピオゲネス、化膿連鎖球菌)」として報告した。新しい時代の幕開

けであった。

ゼンメルワイスは、細菌学や外科学、産婦人科学の新しい時代の黎

明期に亡くなった。パスツールらは、ゼンメルワイスがはじめた闘

いを勝利へと導き、最終的に、戦勝の美酒に酔った。人は、それぞ

れの時代にそれぞれの役割を果たして、次の世代につながっていく。

不幸な死を遂げたゼンメルワイスであったが、その役割を立派に成

就した人として、彼は歴史に名を残した。

(125p)

  

   

ゼンメルハウスは確実に歴史に名を残し、

私の目に留まり、こうやって書き残しています。

手洗いが話題になると、何分かの1の可能性で、

ゼンメルワイスの名前が出ることでしょう。

「ゼンメルワイスの闘い」④ 18世紀に多くの病院が建設された

  

今日は令和2年3月15日。

 

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

                 

前記事で「ブダ」と「ペスト」が合併して

「ブダペスト」が誕生したことを書きました。

その時に疑問に思ったことは、伝染病の「ペスト」との関係。

由来・語源辞典」に次のように書いてありました。

 

ラテン語で、伝染病を意味するpestisに由来する。

  

都市「ペスト」とは関係ないかな。

  

それでは本からの引用を続けます。

   

ヨーロッパでは18世紀に多くの病院が建設された。イギリス全土で

1736〜1799年の間に32の病院が開院され、ロンドンだけ

でも1719〜1745年の間に5つの病院が建築された。(中略)

18世紀には、この現象がヨーロッパ大陸にも浸透し、多くの病院

が開設された。

病院の急増は(中略)、18世紀に始まる工業化に伴って、多くの

人が地方から都市へ流入したことに関係している。都市部への人口

流入は都市の混雑をもたらし、生活環境や衛生状況の悪化へとつな

がって、結果として病気が流行し、傷害が増加するようになった。

そこで、病院の必要性が年々大きくなっていった。と同時に、貧し

い人々に対する社会や個人の責任感の高まりが、これらの人々のた

めに病院を建設しようという気運となった。

当時、裕福な人は自宅で治療を受けるのがふつうであったが、ロン

ドンのような大都市では、貧困者が増え、彼らは金持ちのような選

択肢はなかった。このような背景から、大都市では病院の建設ラッ

シュが始まったともいえる。

(60〜61p)

   

そうかと思って読みました。

昔は病院はなかったわけです。

病院に行くのではなく、医者を呼びに行っていたんです。

日本には養生所というのもありましたが、

おそらく数は少なかったのではないでしょうか。

大河ドラマ「麒麟がくる」でも、患者が動かず、

医者を呼びに行っていました。

  

  

「チャンスは準備されたものに微笑む」といわれるように、この丹

念な、そして地味な仕事を通じてチャンスをつかまえる心の準備が

できていたように思う。チャンスはとつぜん訪れるものではない。

入念な準備をしている者にのみ訪れる。本著は、チャンスを逃さな

かったゼンメルワイスの物語でもある。

(63p)

  

再び著者の人生訓が登場。

自分にもこれから何かチャンスが来るだろうか?

どんなチャンスが来るのだろうか?

やはり死ぬまで何かチャンスはあると信じて、

これは自分にとってプラスであると思うことを、

日々積み重ねていきたいですね。

このブログもそのひとつ。

2020年3月14日 (土)

「ゼンメルワイスの闘い」③ 人間の誕生とともにあった産褥熱/ブダ

今日は令和2年3月14日。

  

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

  

  

産褥熱は前述のとおり、18世紀になって独立した病気と認めら

れたが、おそらく人間の誕生と同時に妊婦や赤ちゃんを苦しめて

いたと思われる。その証左に、医学の父ヒポクラテス(前460

頃~前375頃)の有名な全集の中にすでに産褥熱の記述がある。

母親になるということは、いつの時代でも、産む”苦しみ”に加え、

自分の生命と生まれてくる子どもの命を危険を冒して”守る”とい

う二重の大きな責務を負っている。19世紀以前には、母親の4

人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることなく、亡くなることも

珍しくなかった。古来日本では、産褥期での妊産婦の死亡を「産

後の肥立ちが悪く」亡くなったといわれていた。やせ細って、な

かなか体調が回復しない(肥らない)ことに由来するらしい。

(41~42p)

  

4人に1人が自分の赤ちゃんの顔を見ることができない時代。

今はそうではないことを幸せに思います。

医学の進歩のおかげです。

  

  

彼(ゼンメルワイス)は1818年7月1日ブダ(現在のブタベ

スト)に、ドイツ系商人の第5子(4男)として生をうけた。

(43p)

  

この文章でビックリしたのが、「ブダ」という都市があったこと。

「ペスト」という都市もあって、それが合わさって「ブタペスト」

になったことを知りました。

合併したのは1873年。Wikipedia ブダベスト

    

  

ゼンメルワイスは学生時代に、3人の先生の魅力に取りつかれて

おり、その指導ももとで研究の面白さをすでに学んでいた。そし

て何よりも彼らを尊敬していた。人の出会いによって私たちの人

生は大きく変わる。人生行路において何を学ぶかは重要であるが、

それ以上にその過程で”誰に会うか”ということがより重要である。

その誰かの一言は、何十冊の本の内容にも勝るものだ。ゼンメル

ワイスにとって、3人の恩師との出会いはまさに運命的なもので

あった。

(55p)

  

この本の中で、所々、著者の人生訓が顔を出します。

ここもその場面。

今があるのは、人と出会ってきた結果だと思います。

2020年3月13日 (金)

「ゼンメルワイスの闘い」② 世界手洗いの日/CDC

  

今日は令和2年3月13日。

  

昨日の記事に引き続いて、

手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

 
国際連合(国連)は、「国際衛生年」であった2008年から、

毎年10月15日を「世界手洗いの日:Globai Handwashing

Day」と定めた。今さら感がないでもないが、世界のリーダーた

ちが「世界手洗いの日」という特別の日を設定する背景には、感

染症予防に対する”手洗い”の重要性が再認識されてきていること

があると思われる。つまり、手洗いや衛生の効果は明らかである

が、個人のレベルでも政策のレベルにおいても、その重要性が認

識されず、行動としての優先度が低いことにも一因がある。

(15~16p)

  

この本を読んで、手洗いの歴史を知って、

手洗いの意識は確実に上がったと思います。

新型コロナウィルスが流行する今、

手洗いは重要な予防方法として励行されています。

本当に効果があることなのです。

やるべきです。

身近では、息子がまだできていないので、勧めよう。

  

  

特にここ40~50年、院内感染対策の重要性が強調され、医療

従事者のとくにその汚染した手が感染源となって院内感染を発生

させていることが知られるようになってきた。そこで特に重要な

役割を果たしたのが、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタに

あるアメリカ合衆国保健福祉課(HHS:Department of Health

Services)所管の感染症対策の総合研究所「CDC」(Centers

for Disease Control:アメリカ疾病予防管理センター)である。

その背景には、アメリカにおける耐性菌による院内感染の流行が

多発し、問題が深刻であったため、どこの国よりも先だって医療

従事者が問題認識を共有したことと無関係ではない。1981年

にCDCの院内感染プログラムは「院内感染予防対策のガイドライ

ン」と「病院環境対策のためのガイドライン」を発刊し、院内感

染予防対策を推し進めていった。

(20p)

  

 

現在の新型コロナウィルスのニュースで、

「CDC」についてよく耳にしていました。

その「CDC」が、この本に登場しました。

耐性菌による院内感染の流行がCDCを生んだのですね。

いい機会なので、Wikipediaを見ました。

  

次のように書いてありました。

  

1946年に創設され、

アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、

安全の保護を主導する立場にあるアメリカ合衆国連邦政府機関。

健康に関する信頼できる情報の提供と、健康の増進が主目的である。

結核など脅威となる疾病には、国内外を問わず駆けつけ、

調査・対策を講じる上で主導的な役割を果たしている。 

   

  

素晴らしいですね。

映画やドラマでも扱われているようです。

  

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楽餓鬼

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