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2024年12月22日 (日)

山田五郎さん、二宮金次郎像を語る① 豊橋市の小学校にある最も古い金次郎像

    

今日は令和6年12月22日。

  

山田五郎さんの調べ方は深いなあと思った動画です。

二宮金次郎について調べるとなると、

ここまで調べるんだと思った動画です。

前後編2本です。


YouTube: 【山田五郎が解説!なぜ二宮金次郎は全国の小学校にいたのか?】あなたの学校はどんな二宮金次郎像だった?〜学校にある不思議な美術〜 実は草の根パブリックアート🎨だった!?【前編】


YouTube: 【日本中に作られた金次郎の謎】近年消えつつある二宮金次郎像 撤去すべき?残すべき?あなたの意見を是非コメント欄へ!民間の草の根パブリックアート🌱実は世界でも稀な芸術運動だった!【後編】山田五郎が解説

 

これを見ると、なぜ柴(または薪)を背負った二宮金次郎が

誕生したかを、細かく調べています。

文章化されたのはいつか、絵に描かれたのはいつか、

その絵の起源になったのはなにか、

さらに立体像として誕生したのはいつかなど、

探っています。

そうかそんなところから調べていくんだと感心しました。

そして地元の話になってきます。

 

地元の豊橋市前芝小学校の二宮金次郎像については、

1本目(前編)の23分50秒から紹介しています。

Img_8746

この動画では、前芝小学校の名前を伏せています。

学校は今もやっていて、勝手に入ることを防ぐためです。

写真の下にはこんな注意書きも。

Img_8747

すみません、私は何度もこのブログで学校名を書いてきたので、

書いてしまいます。

私のブログを見て、前芝小学校に像を見に行く人は、

小学校の活動の邪魔にならないように、

常識的にアプローチして、見に行くようにしてください。

  

小学校にある最も古い二宮金次郎像。

この像の特徴は、まずコンクリートであったこと。

そして魚籠(びく)を背負っていることです。

前芝小学校付近には山がなく、柴(薪)がなかったし、

漁村だったので、魚籠を背負っているのです。

Img_8748

この像を建てようと動いたのは加藤六蔵さん。

加藤さんは、二宮尊徳の考え方「報徳思想」を

重んじていた人でした。

当時の皇太子(後の昭和天皇)御成婚のお祝いで、

出身小学校に二宮金次郎像を寄付して、

子どもたちに、金次郎さんみたいに勉学を頑張りんよと

いう気持ちだったようです。

Img_8749

加藤六蔵さんの書生としていた藤原利平さんが、

上京して彫刻家として活躍していました。

そこで加藤さんが藤原利平さんに注文して作らせたのが、

この像でした。

1924年(大正13年)のことでした。

  

前芝小学校の二宮金次郎像については、

昨年も書きました。

ここでも道草 豊橋市立前芝小学校の二宮金次郎像(2023年12月7日投稿)

この時の情報に付け加えることができました。  

  

藤原利平さんが、牛久保小学校の二宮金次郎像を作ったのは、

昭和2年(1927年)。

金次郎像ブームが起こるのは、昭和3年(1928年)。

山田五郎さんの後編動画は、このブームのことを詳しく紹介していました。

次の記事で。

  

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