山田五郎さん、二宮金次郎像を語る② 金次郎像の足を折った三河地震
今日は令和6年12月22日。
前記事の続き。
この動画に関したことです。
全国の小学校に二宮金次郎像がどんどん作られたのは
1928年(昭和4年)でした。
ここには、愛知県が絡んでいました。
この年に行われたこと。
昭和天皇即位御大典(ごたいてん)。
あちこちでお祝いの会や催しがありました。
名古屋では御大典奉祝(ほうしゅく)名古屋博覧会が行われました。
この博覧会に、岡崎市の石工(いしく)、長坂順治さんが、
石の二宮金次郎像を出品しました。
岡崎市は花崗岩がとてる場所で、江戸時代から石工品が有名。
日本三大石工品生産地に認定されています。
ちなみに三大石品生産地とは、岡崎市と
香川県の庵治、茨城県の真壁だそうです。
岡崎市の石工組合は、キャンペーンをはります。
出身小学校に二宮金次郎さんの像を寄贈しませんか。
最初は愛知県。
豊橋には金次郎像がありますよ。どうですか?と。
長坂さんは、東京から高村光雲の孫弟子を招いて、
二宮金次郎像を作っていました。
その二宮金次郎像が大ヒット。
愛知県だけでなく、全国で二宮金次郎像の寄贈ブームが起こりました。
ただこの写真の二宮金次郎像は足がありません。
この像は、1928年の岡崎市石工が作った最古の二宮金次郎像。
山田五郎さんは、やっぱり学校名を明かしていません。
でもネットでは、いろいろなサイトで紹介されています。
ここでは書いてしまいます。
愛知県立岡崎聾学校(西阿知和町)にあります。
Googleマップの地図で示します。
実は昨日近くを自動車で走っています。
情報が一日遅かったです。
なぜ足がないか。
実は、他にも足がない二宮金次郎像はあるそうです。
その理由は、地震で足が折れたからです。
歴史が絡んできます。
昭和20年1月13日の朝3時38分に起こった三河地震によって、
金次郎像の足が折れたのです。
折れた理由の一つに、石だったので、背負っているものが、
柴ではなく薪にしました。柴のように細かい細工は石ではできません。
その部分が重かったそうです。
重さを二本足では支えることができずに、折れたのだそうです。
これ以後、その反省で、足元に切り株を作って補強をしたりしたそうです。
なるほど。あの切り株は、三河地震での反省を生かしたものなのだそうです。
前芝小学校、牛久保小学校の二宮金次郎像の足元には、
切り株があります。
あの切り株は、三河地震以後に作り加えた可能性があるわけです。
山田五郎さんの調べてお話ししたことの一部を
記事にしてみました。
山田五郎さんは、12月6日が誕生日で、66歳。
ガンと闘病中。生き延びてほしいです。
知識を楽しく語るおじさん。
その能力が羨ましい方です。
岡崎市の石工についてまだ書きたいです。
次の記事です。
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