« 2024年10月 | メイン | 2024年12月 »

2024年11月

2024年11月 5日 (火)

通算9600本目の投稿 メイワンが開業したのは日曜日

  

今日は令和6年11月5日。

  

9月21日に、浜松市で、

大学時代の仲間と飲み会。

毎年、会場が豊橋市・浜松市と入れ替わります。

今年は浜松市の順番でした。

  

Img_7924

浜松駅の駅ビルのことを、「MAY  ONE」と言うそうです。

「単純だよ。5月1日に開業だから、MAY ONE」と、

浜松市の人が教えてくれました。

そうなんだ。まあ、響きがいい名前だからいいのかな。

どんな人が名づけたのかな。

  

Wikipedia メイワン

このサイトによると、開業日は1988年5月1日。

昭和63年。ギリギリ昭和だったのですね。

何曜日か?

こういうのもネットで調べることができます。

日曜日でした。

まだ週休2日制は浸透していなくて、

土曜日は半ドン。

朝からの集客を望むなら、日曜日が良かったと推測します。

  

5月1日は、正式にはMay the firstだそうです。

  

2018年に開業30周年記念の催しをやっています。

当時の展示物。

Img_8262

フーちゃんのカメラウォッチング 浜松駅ビル・メイワン30年 パネルで振り返る企画展  

2024年11月 4日 (月)

Tパズルを授業で始めたきっかけ/新城市作手「ちょうじゃ屋」

   

今日は令和6年11月4日。

  

前記事の続き。

このサイトに注目。

torito. 知恵の板

   

ここにTパズルのことが説明されています。

引用します。

  

Tパズルはわずか4片でTの形を作るもので、簡単のように見えるが、

やってみるとけっこう手こずる。傑作の一つといってよい。スローカ

ム、ボタマンズの本によれば、現在知られている最も古いものは、

1903年に出ているとのことである。 

  

少なくとも、1903年からの歴史がある遊びのようです。 

  

昔からTパズルは知っていましたが、

教材で使い始めたのは、きっかけがありました。  

  

話は少し遡って、9月8日。

奥さんと新城市作手の「ちょうじょ屋」というお店に初めて行きました。

おはぎを食べさせてくれるお店と聞いて、

行ってみるかとなって出かけました。

駐車場は狭かったけど、前を通り過ぎて少し行ったところ

道端に車をとめました。スペースが十分ありました。

おはぎは売り切れだったので、ぜんざいを注文。

Img_7800

美味しかったです。

ぜんざいが好き、小豆が好きなんだよなあ。

年齢が上がるごとに、好きになってきていると思います。

  

Img_7797

Img_7807

Img_7808

Img_7802

Img_7799

ここまでが店内の様子。

次は外観を撮影。

Img_7809

Img_7811

Img_7812

人里離れた場所にあり、背面には人造湖。外の景色もいいです。

自転車やバイクのツーリング客が多いのかなと、

他のお客さんと店長さんとの会話から想像しました。

  

  

この「ちゃうじゃ屋」の机の上に、Tパズルはありました。

Img_7798

Img_7806


珍しく挑戦。

Img_7804

Img_7805

Img_7801

やり始めは、こんな微妙な形のピースで出来っこないと

正直思いました。

でもね、縦横で使いたいものを斜めにしたり、

今まで貼り付けたことのない場所に合体をしたりすると、

急にできるんですね。

新しい発想が浮かぶことの楽しさを体験できると思いました。

  

授業で空いた時間にやるべきだと思い、

さっそくネットで注文しました。

  

2学期時間を見つけては、よくやっています。

購入したのはこれ。

Img_8261

楽天

  

課題は100シルエットがあります。

一番進んでいる子はどんどん進み、25まで来ました。

しかし、25でストップ。

このシルエットです。

Img_8034

子どもも私も今のところできません。

誰か教えてください。










  

西尾市岩瀬文庫にあった「清少納言知恵板」

   

今日は令和6年11月4日。

   

書きたいことはたくさんあるけど、

それらを全て書くのは、

なかなか難しい。

例えば、2月23日に、西尾市岩瀬文庫に行きましたが、

そのことを書こうと思いつつ、もう8ヶ月以上が経っています。

西尾市岩瀬文庫のことをまとめて書こうと思うのが

いかんのかなと思うようになりました。

まとめて書こうと思うから、それには時間がかかる。

今はだめだ。後に回そうと思って、月日が経ってしまいます。

まとめて書くのをよして、

今はこれのことを書こうと、かい摘んで書くのがいいのでしょうか。

  

あっちからこのこと、こっちからこのこと、

向こうからこのこと、と言う感じで、

書き溜めて行くのがいいのでしょうか。

  

そこで、今回は、西尾市岩瀬文庫での話にします。

こんなものを見ました。

  

Img_4043

「7枚のピースを全て使って出題された形を作ってみよう!」

 

これは現在、授業でやっている4枚のピースを使って、

出題されたシルエットを作る「Tパズル」と同じ発想。

「清少納言知恵板(せいしょうなごんちえのいた)」という名前が

なぜかついています。

江戸時代の遊びだったようです。

このネーミングはなぜでしょう。

写真を続けます。

Img_4044

Img_4045

実際に7つのピースが2組置かれていて、

実際に挑戦できます。

青色のファイルに、清少納言知恵板のコピーが挟んであります。

問題があって、

Img_4047

Img_4048

  

Wikipedia 清少納言知恵の板

このサイトにからの引用・転載です。

Img_8259

7枚のピースは、こうやって正方形に収まります。

まずはこれがすごいですね。

ここからいろいろな形が生まれます。

  

空間情報クラブ 清少納言知恵の板|数学パズル

なぜ、「清少納言」なのか?

このサイトには次のように書いてありました。

  

ちなみに名称の由来は、『枕の草子』で有名な平安時代の作家であり

歌人でもあった清少納言が実際にこの知恵の板を作ったり遊んでいた

からではなく、聡明で知恵のある女性の代名詞として使われたと考え

られています。

江戸の人々は、いにしえの人に憧れながらチャレンジして楽しんでい

たのでしょう。

  

なるほどです。

江戸時代に清少納言がどう思われていたのかわかるお話です。

似たパズルは、西洋や中国にもありますが、

1742年に出版された、上でも示した、

「清少納言知恵の板」は最も古いものだそうです。

やるね、日本人。

  

このサイトで、ピースを使ったパズルの歴史がわかります。

torito 知恵の板

  

「清少納言知恵の板」と同じく、正方形を7つのピースにして、

指示された図形を作るパズルで有名なのが「タングラム」です。

正方形の切り方が違います。

Img_8260

説明文を引用します。

  

知恵の板の代表であるタングラム[3]は、中国で生まれた。中国語で

はこれを七巧図と言う。それがいつごろからあったものかは、全くわ

かっていない。今から4,000年以上前にタンの発明したものだという

話を時折り本で見かけるが、これはサム・ロイドがでっち上げたヨタ

話で信ずるに足りない。

現在確認されている中国での最も古い文献は、嘉慶18(1813)年の

桑下客の序文のある『七巧図合璧』である。しかし、「合璧」という

のは合本という意味であるから,それより前にも本があったことが推

測される。

いずれにしても、この本以降タングラムが流行して、パターン集が次々

に刊行された。一方、この遊びはいち早くヨーロッパに伝えられて流

行し、西洋で新しいパターンが続々と作られて、19世紀後半にはすっ

かり西洋に定着してしまった。今では西洋のものだと言ってもよいほ

どで、西洋で本もたくさん出ており、セットも絶えず売られている。
  

そうなんですね。

今はTパズルを通級教室に来る子どもたちとやっていますが、

そのルーツは、どうやら「清少納言知恵の板」「タングラム」の

ようです。

   

「torito 知恵の板」では、「Tパズル」についても書かれています。

次の記事で書きます。

再び佐奈川河川敷/お目当てはフクラスズメノ幼虫・アカタテハの蛹

   

今日は令和6年11月5日。

  

昨日、床屋に行き、東三河ふるさと公園に行き、

もう1ヶ所、出かけました。

豊川市の佐奈川河川敷です。

Img_8694

前回、ハラビロカマキリを探しに来たのは、

10月17日でした。

ここでも道草 ハラビロカマキリを見つけたい/佐奈川の河川敷を歩く(2024年10月17日投稿)

再びやってきたのは、2つの目的がありました。

前回やって来た後の調べで分かったことを、

確認したり、採取したりすることです。

①フクラスズメの体を左右に振る威嚇を、映像に撮ること。

②アカタテハの蛹を手に入れること。

 

その結果は・・・・

①はどうにかなりました。

いきなり威嚇しているシーンから始まります。

上半身を使って、盛んに動きます。


YouTube: 2024年11月3日 フクラスズメの幼虫 体を左右にゆすって威嚇

相手はびっくりするでしょうね。

  

これは上半身の頭部だけを揺する

小刻みな威嚇です。


YouTube: 2024年11月3日 フクラスズメの幼虫の威嚇行動 その2

  

しかし、河川敷に生えるカラムシはたくさんあり、

フクラスズメの幼虫は大きくなって、あちこちにいて、

カラムシの葉っぱを食べていました。

異様な景色でしたね。

  

②も同時に探しましたが、見つかりませんでした。

Img_8695

葉っぱの家の中を覗かせてもらいました。

Img_8700

まだ幼虫の姿でした。

蛹になるのは、もう少し後でしょうか。

またしばらくしたら、来ようと思います。

  

参考:Σこんちゅーぶ つまむと激しく暴れるアカタテハ垂蛹

このサイトによると、カラムシに次のように

蛹ができます。

Img_8258

この写真を頭に入れて探そう。

電子回覧板で、住宅街で育つアケビの写真を掲載

   

今日は令和6年11月4日。

  

今日は久々の本宮山登山の予定。

絶好の登山日和。

皆さん、山でお会いしましょう。

  

電子回覧板「結ネット」で、

「お宅の草花載せちゃいました」シリーズをやっています。

町内会を歩いて、庭にある気になった草花を写真に撮って

載せています。

庭に入って撮影するのは、不法侵入ですが、

道路からの撮影ならいいかなと思って、

どんどん撮っています。

本当は春から思いついており、やりたいと思っていましたが、

前例なきことなので、少し慎重になりました。

夏から始めましたが、撮影者にもいろいろ気づきがあって、

楽しいシリーズです。

    

最近、すごく驚いたのが、アケビです。

こんな平場の住宅街の庭で、アケビを見たのは貴重です。

Img_8254

10月22日の撮影です。

  

豊川市でも、山の方の勤務をしていた時に、

道端にあったアケビを食べていました。

毎年、同じところにできるので、

季節が巡ってくると、なっているかな?と

見に行っていました。

黒い種も出さずに飲み込んでいたので、

食後に、喉に辛みがしばらく残った覚えがあります。

でも道端にあるものを、美味しく食べる体験は、

魅力的でした。

  

旧音羽町のJA産直に行った時に、

アケビを見かけたので、購入しました。

Img_8642

Img_8644

Img_8646

Img_8647

奥さんは、種を出すのが面倒だと、1個しか食べず。

娘は、見かけにひき気味で、食べず。

写真のアケビのほとんどは、私が食べました。

もちろん種は出さずに。

久々にアケビを堪能。喉の辛みも味わいました。

  

ブログで「アケビ」を検索すると、

かつて記事にしたことがありました。

読んでみると、当時が思い出されます。

花はどんな花だったかなと思っていたら、

過去の自分は、写真付きで記事にしていました。

ここでも道草 3年ぶりに花がマイブーム/アケビ(2016年4月10日投稿)

この記事に載せた写真です。

Img_8255

Img_8256


これがアケビの花です。

覚えておいて、来年の4月には、町内会で撮影したいですね。

  

  


YouTube: あけびは外の皮が美味しい♥お薦めの食べ方


この動画によると、アケビの皮を天ぷらで食べるのは

美味しいそうです。

フキノトウの天ぷらが好きな人には、

お薦めとのこと。

はい、フキノトウの天ぷら大好きです。

Img_8257

すでに皮は捨ててしまったので、もったいなかったな。

まだ産直で売っていると思うので、実行するか。





  


  

2024年11月 3日 (日)

初めて見た!ホソバトビケラの幼虫

   

今日は令和6年11月3日。

  

前記事の続き。

東三河ふるさと公園で、初めての昆虫を見ました。

ハリガネムシを探していて、水中を進む虫を見つけました。

これです。


YouTube: 2024年11月3日 ハリガネムシを探していたら、他の虫を発見  ホソバトビケラの幼虫

不思議な生き物でしょ。

家に帰って調べて、ホソバトビケラの幼虫と判明しました。

もっと接眼レンズを使って迫って撮影してみました。


YouTube: 2024年11月3日 ホソバトビケラの幼虫 小さいのが大きいのにぶつかった


YouTube: 2024年11月3日 ホソバトビケラの幼虫 大きな個体が進む

Img_8243

  

まだ正体がわからなかったので、ちょっとドキドキしましたが、

手でつかんで、虫かごの中に入れました。

2匹採取です。

  

自宅に帰って、いろいろ調べました。

トビケラという虫の幼虫のようです。

そうか、こういう昆虫が、水の中に住む水生昆虫。

この水生昆虫が、体の中にハリガネムシを入れてしまいます。

その間、ハリガネムシは休眠状態。

トビケラは、成虫になって、羽根が生えて、

空を飛ぶんですね。

それをカマキリが食べます。

カマキリの体内に入って、休眠から覚めたハリガネムシは、

カマキリの体内で大きくなります。

   

家で、トビケラの入った飼育箱の上から電灯にかざして、

飼育箱の下から、映像を撮影しました。

シルエットではあるのですが、砂などで作られた巣で

上から見えにくくなっていた実物体が、見ることができました。

左手で飼育箱。右手で撮影だったから、ちょっと揺れますが、

お許しを。


YouTube: 2024年11月3日 トビゲラの幼虫と思われます おそらくホソバドビゲラ

Img_8250

飼育箱の下から撮ったものです。

Img_8250_2

黄色の線で囲んだのが、幼虫です。

砂とかで家を作り、その中で過ごすのですね。

  

いろいろな生き物がいるなあと思いました。

  

2匹目のハリガネムシを採取/2つ目のミノムシ(ミノ)を発見

   

今日は令和6年11月3日。

  

今日は朝から豊川市御油にある床屋さんへ。

そのついでに、同じく御油にある東三河ふるさと公園へ。

10月21日に、ハリガネムシを捕獲した場所です。

期間が空いたので、またハリガネムシがいないかなと思って、

出向きました。

  

いました。

前回と同じところで泳いでいました。

Img_8663

管理棟の前の、水溜りです。

Img_8664

  

欲張りな私は、さらにハリガネムシがいないか探しました。

結局、見つからなかったのですが、他の収穫がありました。

  

10月21日に見つけたミノムシ(ミノ)は、

無事に同じところにぶら下がっていました。

今回も接写レンズを使っての撮影。

Img_8661

  

他の場所でも、ミノムシ(ミノ)を見かけました。

今回のは、ちょっと作りが悪いです。

虫に喰われた葉っぱを材料にしたのかな。

Img_8668

肉食ヨコヅナサシガメが、周りにウロウロしていて、

よい環境ではないなと思いました。

ここは動画を撮りました。


YouTube: 2024年11月3日 木の凹んだところに群れるヨコヅナサシガメ


YouTube: 2024年11月3日 今年見つけた2つ目のミノムシ(ミノ) 中身が心配/周囲にはヨコヅナサシガメが徘徊します

  

ヨコヅナサシガメは、集団越冬をします。

そろそろ集まる時期なのでしょうか。 

2匹目のハリガネムシ採取と、

2つ目のミノムシ(ミノ)を発見しました。  

2024年11月 2日 (土)

ハリガネムシ飼育10日間が経過

   

今日は令和6年11月2日。

  

教師で飼っているハリガネムシのことです。

東三河ふるさと公園で、ハリガネムシを捕まえたのは、

10月21日のことでした。

10月22日に学校に持って行き、

水槽に入れて飼育スタート。

と、言っても、餌はあげていません。

寄生虫のハリガネムシの餌は、ネットで調べてもわかりません。

  

昆虫に詳しいYouTuberのおーちゃんが、

番組内で、「水の中に入れておけば、3〜4ヶ月は生きます」と

言っていました。本当かな?と思うところがあるので、

実際に飼育して、いつまで生きるのか確かめたいです。

  

10月22日の写真です。

Img_8126

Img_8127

濾過器まで稼働している立派な水槽で、

ハリガネムシには、過ごしてもらっています。

  

飼育していてわかったのは、

ずっと狭いカマキリのお腹の中にいたのだから、

こうやって水中に出たからには、

上の写真のように、体を伸ばしているんだろうなと

思っていました。

水中で蠢(うごめ)くハリガネムシといえば、

そういうイメージでした。

  

ところが違いました。

ハリガネムシは、極力丸まろうとします。

丸まってじっとしています。

その方が、エネルギーを使わなくて済むからでしょうか。

交尾の相手に出会うまで、エネルギーをできるだけ使わないように

しているのでしょうか。

  

朝、教室に入って、水槽を覗くと、

必ず丸まっています。

  

10月25日はこんな感じでした。

Img_8179

  

昨日の朝は素晴らしかった!

Img_8234

どこにいるかわかりますよね。

他の黒い線と間違えないでくださいね。

濾過器のホースに、きれいに巻き付いていました。

  

もしおーちゃんが言うように、3ヶ月以上生きたなら、

飼っているからこそ見られる姿を、

ハリガネムシは、まだまだ見せてくれると思います。

楽しみです。

  

通級学級の子どもたちは、ほとんどの子どもが

ハリガネムシに触れました。

今年度の通級学級の目標である

「とっておきの体験・知識を子どもに与える」のための

一つの手立てです。

本「ナポレオンと東條英機」③ 白人の女性の参政権も1946年に認められたんだ

   

今日は令和6年11月2日。

  

2回前の記事の続きで、

「ナポレオンと東條英機」(武田邦彦著/ベスト新書)

から引用していきます。

11月1日に、返さないといけなかった本なので、

付箋を貼ったところをコピーして、

引用して行くことにしました。

     

「自国語に翻訳する」という画期的な行動

このような特殊な日本社会がヨーロッパ文明と接したとき、他のアジ

ア諸国と違い、日本の有識者は積極的にヨーロッパの学問や文化を日

本語に翻訳する」いう画期的な行動に出ました。

ほとんどの国民は外国語を読めなかったのですから、日本の常識では

外国の書物を翻訳するのは当然だと思うでしょうが、当然と思うこと

自体が「日本人が特殊である」ということを証明しています。

日本以外のアジア諸国は、ヨーロッパの学問や文化を吸収するために、

英語やドイツ語を自国語に翻訳せず、そのまま外国語で読んでいまし

た。その理由は、国の支配層しか外国語を読めませんので、彼らが欧

米の学問や文化を独占しようとしていたからです。

日本以外の国で「国家」という意識が全然ないとも言えませんが、か

なり弱いのです。特に支配層は、「同じ同胞」というより、「国民(

庶民)は自分たちが豊かになるためのもの」という意識があり、技能

や知識を独占していました。

(86p)

  

翻訳をして多くの人に読んでもらいたいなんて、

当たり前のことのように思えますが、

そんな発想のない国もあったのですね。

  

七つの海を支配していたイギリスの海軍力は圧倒的でした。 清王朝と

の間に起こったアヘン戦争でも、戦闘が起こると清王朝の犠牲者が

2000人、イギリス軍は10人程度というぐらいの差があって、まとも

な戦闘とは言えないようなものでした。戦争の理由も今から考えると

とんでもないもので、「清王朝はイギリスが支那で販売している麻薬

のアヘンを禁止したからケシカラン!」というような理由でした。この

ような不当な戦争の理由はイギリス国内でも全員が賛成していたわけ

ではなく、特にアヘン戦争のときにはイギリスの代議士ウィリアム・

グラッドストンが国会で「醜悪な戦争」という演説をしています。

しかし、結局戦争が起こり、清王朝が敗北して、その結果麻薬のアヘ

ンを強制的に買わされ、支那の領土の一部がイギリスに割譲されると

いう酷いことが歴史的に起こっているのです。

日本で教えられる歴史では、白人が行ってきた醜悪なこと、暴虐行為

はほとんど伝えられていません。むしろ「イギリスは七つの海を支配

した」とやや輝かしいように伝えられますが、もちろん2000万人か

ら3000万人ぐらいしか人口がなかったイギリスが、数億人が住んで

いる「七つの海」を支配するには、暴虐の限りを尽くさないと支配で

きるものではなかったことも事実です。

イギリスの大きな植民地だったインドでは、有望なインドの若者が出

現するとイギリス軍が二列縦隊を作ってそのインドの若者の家に行っ

て、若者を引きずり出し、両手首を切り落とすということもありまし

た。インドに有望な若者が現れて、インドが発展し、インドの人たち

が「理由なくインドは植民地になって圧迫されている」ということを

知れば、反乱が起こり、数の力でイギリスが負けるのが予想されるか

らでした。

経済面でもイギリスは巧みな方法を用います。インドから輸入する香

料などを「ただ同然で買う」という悪辣(あくらつ)なことをしてい

ました。

当時インドの通貨はルピー、イギリスの通貨はポンドでしたが、イギ

リスはインドから香料などを輸入するとその代金としてポンドで支払

いをしていました。インド人はポンドを受け取っても国内で通用しま

せんし、当時はインド人が国外に出るということはほとんどなかった

ので、ポンドはまったく使い道がなく、その大半をイギリスのロンド

ンの銀行に預けました。

そして300年ほど経つと、イギリスはポンドの価値を切り下げます。

そうすると、たとえば100ルビーに対して1ポンドという比率だった

ものが、10ルピーで1ポンドに切り下げると、それまでインドが持っ

ていたポンドの貯金は実質的に10分の1になってしまいます。つまり、

イギリスは巧みな方法で植民地として圧迫したばかりか、インドの人

々をただ同然で働かさせたことになります。

(107〜109p)

   

有望なインドの若者が出現すると、両手首を切り落とす。

もちろん残酷なことですが、支配者にとっては、

先を見越しての有意義な手法だったのですね。

   

 

現代の社会では考えられないことが起こっていたのですが、そのほと

んどは闇に葬られています。アメリカでは一説に600万人と言われる

インディアンの虐殺が行われましたが、その大半はインディアンの持

っている土地を奪うためにインディアンを騙し、騙されたことに怒っ

て攻めてくるインディアンを逆襲して全滅させるというのが彼らの常

套手段でした(「インディアン」という用語は差別的だとして、現在

では主に「ネイティブ・アメリカン」と呼んでいますが、この新しい

用語も白人のアメリカ人が作ったものです。現在でもインディアンは

自分たちのことを「ネイティブ・アメリカン」ではなく「インディア

ン」と呼んでいますので、ここではそれによっています)。

また、アフリカから奴隷を連れて来るのも、「白人の秩序」から言え

ば何の問題もありませんでしたが、連れて来られる黒人側からみると

耐えられないことでした。奴隷船に乗ってアフリカに来たアメリカの

荒くれ男たちが、ライフルを片手にアフリカの西海岸に上陸し、男の

奴隷が必要だったら目についた家に押し入り、泣き叫ぶ家族を振り切

って男を拉致します。 女も同じでその家の男が抵抗したら即座にライ

フルで撃ち殺して女を連れ出すという方法だったのです。

さらに、アフリカからアメリカ大陸に奴隷を移送する奴隷船には「詰

めるだけ奴隷を積む」という方針でしたから、途中で嵐が来ると、満

載していた奴隷を「捨てる」という方法で沈没を免れていました。こ

のようなときに「殺して捨てる」のは手間がかかるので、20人ぐらい

の奴隷の手首を鎖でつなぎ、そのまま甲板から海に投げ捨てるという

殺害方法がとられました。

日本ではこのような歴史を知らない人が多いので、アメリカ人が偉そ

うなことを言うと、それをそのまま信じてしまう人がいるのですが、

アメリカ人を含めた白人 (人種的にはアーリア人と言ってよい)とい

う人たちは常に二面性があり、「まともなことを言うけれど、裏では

酷いことをする」というのが平気なのです。

(110〜111p)

   

アーリア人の残酷性は、知っておかなければならないと、

武田先生の話を聞いたり、読んだりすると思います。

ほぼ日本人しか知らない私は、それがどの人間にも当てはまると

思ってしまいますが、そうではないのですね。

  

  

明治時代に入り、日本は白人諸国と接するようになりましたが、日本

人は「白人の正体」がわかっていたわけではありません。日露戦争を

開始するときに明治天皇が、「よもの海  みなはらからと 思ふ世に

など風のたちさわぐらむ」と謳っておられますが、当時の日本人が相

手にしていた白人の国家というのは、そんな世界の人がみな「同胞」

というような意識を持つ人たちではなかったのです。

つまり、白人の秩序というのは、白人の男性だけが世界を支配して良

く(白人女性の参政権は第二次世界大戦後の1946年に認められている)、

その他の人は「意見を持つだけでも不適切で、まして白人男性に刃向

かうなどとんでもないことだ」という意識でした。

具体的には、「白人以外の国家は国家として認めない」というのが第

一原則で、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルト

ガル、北欧などの西ヨーロッパの国がまずは優先、そこから少し離れ

たアメリカとロシアが同等の国という考えでした。

白人国家でもややアジアの血が入っている東ヨーロッパの国は、一段

下に見られていました。そのため東ヨーロッパは植民地をほとんど持

っていませんでしたが、植民地になるのは免れました。

(114〜115p)

  

白人の女性の参政権が、1946年に認められているのですね。

ビックリでした。もっと古い歴史があると思っていました。

それは「外国の方が進んでいるから」という先入観のためかな。

  

   

  

2024年11月 1日 (金)

たった2gの生き物トウキョウトガリネズミ

   

今日は令和6年11月1日。

  

さあ、11月。1年の中でも、やる気が出る月です。

気温がちょうどいいんですよね。

爽やかな空気が、やる気を出させてくれます。

  

最近、天秤ばかりを使った授業を始めています。

各種硬貨の重さを計ったり、

新500円玉の肉眼では見ることが難しい

細かい文字を解剖顕微鏡で見ています。

参考:ここでも道草 今は新500円玉を使った授業をやるタイミング(2023年9月13日投稿)

  

この授業で、2gがいかに軽いものなのか、

実感しています。

その2gの重さの生き物が、6月12日放映の「ダーウィンがきた!」で

登場し、注目しました。

トウキョウトガリネズミです。

  

このトウキョウトガリネズミ。

唾液に毒を含んでいて、噛まれた生き物は、

体が麻痺して動けなくなってしまいます。

そこで、トウキョウトガリネズミは、餌として食べます。

その時点では食べられなくても、

餌としての生き物は、麻痺している状態で死んでいません。

したがって、保存が効くというわけです。

「ダーウィンが来た!」では、バッタを噛むところが紹介されました。

その毒は、なんと蛇にも効きます。

次の動画は、蛇との戦いを映した動画です。


YouTube: ヘビよ、トガリネズミを侮るなかれ | ナショジオ

  

ヘビもトウキョウトガリネズミにも毒があります。

トウキョウトガリネズミの毒は蛇に通用するのかな。

そう思って見ました。

どうなったと思いますか。

よかったら見てみてください。

  

こんなトウキョウトガリネズミの赤ちゃんはもっと小さいよ。

この動画に注目。


YouTube: トウキョウトガリネズミ新生仔の成長記録:多摩動物公園


   

なぜ「トウキョウ」か?

所さんの目がテン!トウキョウトガリネズミは"間違いだらけ"の生き物!?

ここを読むと、トウキョウトガリネズミは、北海道に生息。

だから、本当は「ezo」と書くところを、

「edo」と書いてしまったために、江戸→東京となってしまったようです。

  


  

最近の写真

  • Img_5515
  • Img_5473
  • Img_5498
  • Img_5497
  • Img_3193
  • Img_3192
  • Img_5496
  • Img_5491
  • Img_5490
  • Img_5489
  • Img_3189
  • Img_3188

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉