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2020年10月25日

2020年10月25日 (日)

My古典 ミツカン「純玄米酢」

   

今日は令和2年10月25日。

  

この記事に関連したことを書きます。

ここでも道草 「思考の整理学」③ 時の試練(2020年10月25日 今日! 投稿 )

忘却の濾過槽をくぐり抜けたものが古典。

30年、50年が経過したもの。

作者自らが古典を作ることはできない。

 

そのようなことが書いてありました。

  

したがって、古典ではないけれど、

自分の中で30年以上忘却されずに、

続いているものを考えました。

「道草」というタイトルで発信してきたのは、

新任以来なので、30年以上です。

36年目ですね。

学級通信、社会科通信、そしてこのブログ。

  

  

もっと続いているものがあります。

高校生の時に、顔にニキビができて閉口しました。

クレアラシルなどを使いましたが改善されず。

何で聞いたか不明ですが、酢を飲むといいですよということで、

手ごろな値段のミツカンの「純玄米酢」を買って飲みました。

そしたら、驚き。

ニキビがなくなったのです!

それ以来、「純玄米酢」は身体にいいと信じこみ、

ほぼ毎日毎朝食後に飲み続けています。

 

高校何年生の時かは忘れましたが、高3としても、

もう40年以上が経ちます。

飲み続ける私もすごい?と思いますが、

商品がずっと販売されているのもすごいです。

10010004902106238539_1 楽天

昔は角ばった瓶(ビン)だったと思いますが、

今は丸っこい瓶です。

ラベルはずっとこのままだと思います。

ミツカンが愛知県に本社があるので、

愛知県のスーパーでは売っているのかな。

他県ではどうなんだろう。

まただれか教えてください。

  

11年前に、愛知県半田市にある

ミツカンの博物館「酢の里」に行っています。

ここでも道草 「味ぽん」の歴史/博物館「酢の里」(2009年12月5日投稿)

こういう過去の記事がすぐに検索できるのが、

ブログのいいところです。

この記事を読むと、「味ぽん」については書いてあるけど、

「純玄米酢」については書かれていません。

その時、ミツカンの人に、

「高校生の時から『純玄米酢』を飲んでいます」と言った覚えがあります。

  

 

昨日は近所のスーパーで、「純玄米酢」3本を購入しました。

(3商品10%割引券を使いました)

  

酢が身体にいいのだったら、

絶対に自分は酢の恩恵を受けていると思います。

  

ミツカンが販売を続けてくれるなら、

死ぬまで飲むと宣言したいです。

ミツカンの「純玄米酢」

my古典です。

 

 

「思考の整理学」④ 声を出してみると、頭が違った働きをする

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

声を出してみると、頭が違った働きをするかもしれない。ギリシャ

の哲学者が、逍遥、対話のうちに、思索を深めたのも偶然でないよ

うに思われる。沈思黙考は、しばしば、小さな袋小路の中に入り込

んでしまって、出られないことになりかねない。

声で考えるのは、現代人においても決して見棄てたことではなかろ

う。

書き上げた原稿を読みなおして、手を入れる。原稿は黙って書くが、

読み返しは、音読する。すくなくとも、声を出すつもりで読むーーー

これを建前にしている人が意外に多い。そして、もし、読みつかえ

るところがあれば、かならず問題がひそんでいる。再考してみなく

てはならない。沈黙の読み返しでは、たいていこういうところを見

のがしてしまう。

声は、目だけで見つめることのできない文章を穴を発見する。声は

思いのほか、賢明なのであろう。

前に『平家物語』の”頭がいい”ことが書いたが、やはり声によって

洗練されたものと思われる。

音読してみても、とどこおることがなくて、はなはだ流麗(りゅう

れい)である。おそらく、琵琶法師の声による無数の推敲を経て、

あのような結晶的純度に達したのであろう。声で考えることの大切

さを改めて考えさせられる。

(154~155p)  

   

このことを実感する時があります。

このブログの文章を声を出して読む機会があります。

「21の会」と呼ばれるサークルです。

その時に声を出して読むと、誤字・脱字に気がつくし、

これは伝わるように表現できていないなと感じることがあります。

そう思った時には、会が終わった時に修正します。

  

  

その他、「思考の整理学」には、アイデアが思い浮かぶ場所に

ついて書いたところもありました。

「三上」とは、「馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)」

「馬上」は今でいえば電車や自動車などの乗り物に乗っている時。

「厠上」はトイレ。

「三中」というのもあって、これは「無我夢中、散歩中、入浴中」

「無我夢中」は周りのことをすっかり忘れて、

そのことを考えている状態。

「入浴中」は賛成です。

最近思い浮かぶ時は、入浴中が多し。

  

  

「思考の整理学」③ 時の試練

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

「時の試練」という章に書かれた内容は特に興味深かったです。

  

いま、島田清次郎という小説家のことを知っているのは、近代文学

を専門にしている研究者くらいであろう。その『地上』(大正8年)

という作品が天下の話題になったのを知る人はもうほとんどなくな

ろうとしている。

島田清次郎は大正の文学青年から見て、まさに天才であった。それ

を疑うものはすくなかった。それがどうだろう。僅か60年にして、

ほぼ、完全に忘れられてしまった。当時としては、むしろ、夏目漱

石の文学について疑問をいだくものが多かった。批判もすくなくな

かった。それがいまでは国民文学として、近代文学において比肩(

ひけん)しうるものなしといわれるものになっている。

大正の中葉において、現在のことを予測し得たものはほとんどなか

ったと言ってよい。流行というのはそれくらい人の目をくるわすも

のである。

  

その時代にどんなに評判がよくても、後世まで残るかどうかは、

「時の試練」をくぐり抜けるかどうかというわけです。

  

  

”時の試練”とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということで

ある。風化作用は言いかえると、忘却にほかならない。古典は読者

の忘却の層をくぐり抜けたときに生れる。作者自らが古典を創り出

すことはできない。

忘却の濾過槽をくぐっているうちに、どこかへ消えてなくなってし

まうものがおびただしい。ほとんどがそういう運命にある。きわめ

て少数のものだけが、試練に耐えて、古典として再生する。持続的

な価値を持つものには、この忘却のふるいはどうしても避けて通る

ことのできない関所である。

この関所は、5年や10年という新しいものには作用しない。30

年、50年すると、はじめてその威力を発揮する。放っておいても

50年たってみれば、木は浮び、石は沈むようになっている。

(125p)

  

人間って、やっぱり忘れる生き物だと最近2つのことで思いました。

一つは長崎について。

原子爆弾で被爆したというと広島と長崎ですが、

私の中では長崎が少し忘れがちだということに最近気づきました。

そしてそれは私だけでなく、世間でも同じ傾向があると知りました。

まずは長崎のことを忘れ、そして広島のことも

忘れてしまうのでしょうか。

忘れてはいけないと思って、長崎のことを調べて、

先日記事にしました。

ここでも道草 長崎原子爆弾/炸裂地上空500mから俯瞰(2020年9月29日投稿)

   

もう一つは、「三浦和義」氏について。

先日「ロス疑惑」「三浦和義」という事件名、氏名に触れて、

どうだったけ?と思い出せませんでした。

Wikipedia

1981年に始まる三浦和義氏に関係する出来事を

「ロス疑惑」と言いました。

当時は連日マスコミで取り上げられました。

 

しかし、「ロス疑惑」の内容を思い出せず、

三浦和義氏が自殺したことにビックリしました。

当時はニュースで浴びるように触れたはずですが、

すっかり忘れていました。

  

  

この2つのことから

そんなことは忘れるはずがないようなことも、

人間は忘れるんだと思いました。

「時の試練」はなかなか厳しい関所です。

  

私の中で、30年、50年の時の試練を経て残っているものは

何があるだろうかと考えちゃいました。

「思考の整理学」② 人間の頭の役割「倉庫」「工場」

  

今日は令和2年10月25日。

  

前記事に引き続き、

「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)より

引用します。

  

学校が忘れるな、よく覚えろ、と命じるのは、それなりに理由があ

る。教室は知識を与える。知識をふやすのを目標にする。せっかく

与えたものを片端から、捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。

覚えているかどうか、そきどき試験をして調べる。覚えていなけれ

ば減点して警告する。点はいいにきまっているから、みんな知らず

知らずのうちに、忘れることをこわがるようになる。

教育程度が高くなれば、そして、頭がいいと言われるほど、知識を

たくさんもっている。つまり、忘れないでいるものが多い。頭の優

秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。それで

生き字引のような人間ができる。

ここで、われわれの頭を、どう考えるかが、問題である。

これまでの教育では、倉庫のようなものだと見てきた。知識をどん

どん蓄積する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさ

んのものが詰まっていればいるほど結構だとなる。

(中略)

倉庫としての頭にとって、忘却は敵である。博識は学問のある証拠

であった。ところが、こういう人間頭脳にとっておそるべき敵があ

らわれた。コンピューターである。これが倉庫として素晴らしい機

能をもっている。いったんいれたものは決して失わない。必要なと

きには、さっと、引き出すことができる。整理も完全である。

コンピューターの出現、普及にともなって、人間の頭を倉庫として

使うことに、疑問がわいてきた。コンピューター人間をこしらえて

いたのでは、本もののコンピューターにかなうわけがない。

(110p~111p) 

   

2007年の4月にこのブログを始めてから、

私の「記憶」はこのブログに多くを置いています。

ブログが「倉庫」代わりです。

外山さんが執筆したころのコンピューターに比べ、

現在のコンピューターは「倉庫」の機能が格段に

高まっていると思います。

容量が増え、あらゆるコンテンツを入れることができ、

検索も容易です。

 

  

そこでようやく創造的人間ということが問題になってきた。コンピ

ューターのできないことをしなくては、というのである。

人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役をはたし続けなくてはなら

ないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す工場

でなくてはならない。倉庫なら、入れたものを紛失しないようにし

ておけばいいが、ものを作り出すには、そういう保存保管の能力だ

けではしかたがない。

 だいいち、工場にやたらなものが入っていては作業能率が悪い。

よけいなものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。そ

うかと言って、すべてのものをすててしまっては仕事にならない。

整理が大事になる。

倉庫にだって整理は必要だが、それはあるものを順序よく並べる整

理である。それに対して、工場内の整理は、作業のじゃまになるも

のを取り除く整理である。

この工場の整理に当たるのが、忘却である。人間の頭を倉庫として

見れば、危険視される忘却だが、工場として能率をよくしようと思

えば、どんどん忘れてやらなくてはいけない。

(111p~112p) 

人間の頭を「倉庫」「工場」に見立てる発想がいいです。

現在の学校は、この2兎を追わせているように思えます。

相変わらず「倉庫」であり、

「工場」の作り方を練習している状態かな。

「思考の整理学」① 朝飯前

  

今日は令和2年10月25日。

  

この本を読みました。

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「思考の整理学(ワイド版)」(外山滋比古著/筑摩書房)

 

この本は1983年、筑摩書房より「ちくまセミナー」として

刊行され1986年にちくま文庫として刊行されたものの

ワイド版だそうです。

巻末には「2017年1月25日初版第一刷発行」とありました。

外山さんは今年の7月30日に96歳で亡くなっています。

追悼記事を読んで、この本を読みたくなったと思います。

    

印象に残った文章を引用します。

  

どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい。夜、さん

ざんてこずって、うまく行かなかった仕事があるとする。これはダ

メ。明日にしよう、と思う。心のどこかで、「きょうできることは

あすに延ばすな」ということわざが頭をかすめる。それをおさえて

寝てしまう。

 朝になって、もう一度、挑んでみる。すると、どうだ。ゆうべは

あんなに手におえなかった問題が、するすると片づいてしまうでは

ないか。昨夜のことがまるで夢のようである。

(中略)

簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするため

に、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできて

しまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯

前と呼んだのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、

さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。

(23p~24p)

  

朝飯前に仕事が効率的になる体験はずっとしてきました。

午前4時に起きて仕事をする習慣はずっとしていました。

こんな記事を思い出しました。

ここでも道草 朝の4時から何をやっているんだ・・・(2007年8月7日投稿)

朝の4時から始まるニュースを見ていたら、

ジョージ・クルーニーのインタビューの様子が放映されていました。

視聴者に一言と言われてジョージ・クルーニーがこう言いました。

「4時から起きて、何をやっているんだ。寝なさい。」

笑えました。

でも当時は4時に起きて、ブログを書いたり、

学校の仕事をしていました。

  

  

この習慣が崩れたのが、この数カ月前のことです。

寝てから、なぜか午前1時半くらいに起きてしまいます。

そこで「起きたらすぐに動き出す」習性?で、

「森永 れん乳氷」をペロリ。

でも仕事に取り組めず、2度寝。

午前4時には起きられずに、6時過ぎに起きて大あわてで、

出勤の準備をする・・・そんな生活です。

午前4時に起きたとしても、眠たいのです。

何かやろうとしても手を出せずに、3度寝。

 

なぜ午前1時半に起きてしまうのか?

なぜ4時から活動できないのか?

心療内科で処方している薬のせいかな、

仕事のプレッシャーがこの頃強いので、心疲れている?

  

   

ところが、昨日から2日連続、

朝の4時前に快適に起きられました。

快調な朝です。

昨晩うとうと思ってうち始めたこの原稿は、

投稿欄に不具合が生じてうつことができませんでしたが、

今朝になってみると不具合は解消され、現在快適にうっています。

朝飯前で1本原稿が完成しそうです。

投稿欄も朝の方が調子がいいようです。

  

  

外山さんはこんなことも書いています。

  

おもしろいことに、朝の頭は楽天的であるらしい。前の晩に仕上げ

た文章があって、とてもこれではいけない。明日になってもう一度、

書き直しをしよう、などと思って寝る。一夜明けて、さっぱりした

頭で読み返してみると、まんざらでもないという気がしてくる。こ

れでよいことにしようと考えなおす。

感情的になって書いた手紙は、朝の頭で再考すると、落第するけれ

ども、すべてを拒むわけではない。いいところがあれば、素直に認

める大らかさもある。

(24p) 

  

これも実体験があります。

夜遅くにうったブログの記事は、感情的なものになりやすいです。

朝になって読み直すと、「こんなことをうったんだ」と別人になった

自分が客観的に見ることがあります。

でもそれはそれでいいかと思うのです。

  

  

ここまで、すごく快調にうてました。

朝飯前です。まもなく午前5時。

再び午前4時から朝食の7時までの3時間が有効に使えたら、

ちょっとぎりぎりの生活に余裕が生まれると思います。   

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楽餓鬼

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