「わたしの遺産」大賞/歩道橋ができた理由
今日は令和2年3月6日。
3月5日朝日新聞朝刊より。
第7回結果発表!(中略)
第7回「わたしの遺産」には7239作品のご応募をいただきました。
令和に入り初回の募集となった今回、さまざまな世代の方から寄せら
れた400文字の物語には、時代が移り変わる中でより強く未来に伝
えのこしたいと願う「人・モノ・コト」への思いが綴られていました。
新たな幕開けに、改めて感動と発見をくれたすべての応募作品の代表
として大賞3作品(中略)をご紹介いたします。
3つの大賞作品が、写真付き、選定委員のコメントつきで
紹介されていました。
そのうちの一つを転載します。
投稿者が元社会科教師であることが共通していて、
この文章に惹かれました。
何にでも歴史あり。歩道橋にもここに書いたような
歴史があり、それを書き残したわけです。
選定委員のコメントも興味を持ちました。
昭和40年代に各地で保津峡が次々に誕生した背景には、
交通事故による歩行者の死傷が増加したためなのですね。
4月25日は「歩道橋の日」です。
1963年のこの日、大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成した。
☝ ここにはこう書いてあけど、実は最も古い歩道橋は
愛知県にありました。
旧西枇杷島町(現在清須市に含まれる)にあった、
西枇杷島町横断歩道橋です。
こちらは1959年につくられました。
2010年に老朽化のため撤去されています。
つくられた理由は、やはり児童交通事故でした。
コメント