「ゼンメルワイスの闘い」⑤ 歴史に名を残したゼンメルワイス
今日は令和2年3月15日。
前記事に引き続き、
「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い」
(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。
ウイーン総合病院(医学校)の教授や医師、医学生らは、死体解剖
や内診を通じて死体や生体の“何らかの未知の物質”に触れる機会が
多い。妊産婦を診察する時に、未知の物質で汚染された手がこれら
の婦人の生殖器(性器)に接触し、それが体内に吸収され、血流に
侵入している、とゼンメルワイスは確信した。
(102p)
まだ細菌が発見されていない時代。
この結論に至ったのは、すごいことなのだそうです。
彼(ゼンメルワイス)は、この有害な未知の物質が生きた“有機体”
(細菌)であることは知らなかった。
細菌の発見には、パスツールやコッホのような偉大ない細菌学者の
出現を待たなければならなかった。一方で、彼は、産褥熱の原因が
生きた細菌であることを知らなくても、産褥熱を予防することはで
きた。病気の予防・対策には真の原因の特定は必ずしも必要ではな
い、ということをゼンメルワイスの仕事は示している。
(中略)
彼は、産褥熱の原因本体の解明には関心がなかったのではないだろ
うか。というのは、「手洗い」で産褥熱はほぼ完全に予防できるの
で、その本体が何であろうがなかろうが、彼にとってはそれほど重
要なことではなかったのではないかと思われるのである。
(124p)
産褥熱の病因は1879年、ルイ・パスツールが発見したといわれ
る。ゼンメルハウスの発見から30数年が経っていた。パスツール
はその原因物質を、「数珠のような微生物(ストレプトコッカス・
ピオゲネス、化膿連鎖球菌)」として報告した。新しい時代の幕開
けであった。
ゼンメルワイスは、細菌学や外科学、産婦人科学の新しい時代の黎
明期に亡くなった。パスツールらは、ゼンメルワイスがはじめた闘
いを勝利へと導き、最終的に、戦勝の美酒に酔った。人は、それぞ
れの時代にそれぞれの役割を果たして、次の世代につながっていく。
不幸な死を遂げたゼンメルワイスであったが、その役割を立派に成
就した人として、彼は歴史に名を残した。
(125p)
ゼンメルハウスは確実に歴史に名を残し、
私の目に留まり、こうやって書き残しています。
手洗いが話題になると、何分かの1の可能性で、
ゼンメルワイスの名前が出ることでしょう。
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