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2020年3月15日 (日)

「ゼンメルワイスの闘い」④ 18世紀に多くの病院が建設された

  

今日は令和2年3月15日。

 

前記事に引き続き、

 「手洗いの疫学とゼンメルワイスの闘い

(玉城英彦著/講談社/2017年)より引用します。

                 

前記事で「ブダ」と「ペスト」が合併して

「ブダペスト」が誕生したことを書きました。

その時に疑問に思ったことは、伝染病の「ペスト」との関係。

由来・語源辞典」に次のように書いてありました。

 

ラテン語で、伝染病を意味するpestisに由来する。

  

都市「ペスト」とは関係ないかな。

  

それでは本からの引用を続けます。

   

ヨーロッパでは18世紀に多くの病院が建設された。イギリス全土で

1736〜1799年の間に32の病院が開院され、ロンドンだけ

でも1719〜1745年の間に5つの病院が建築された。(中略)

18世紀には、この現象がヨーロッパ大陸にも浸透し、多くの病院

が開設された。

病院の急増は(中略)、18世紀に始まる工業化に伴って、多くの

人が地方から都市へ流入したことに関係している。都市部への人口

流入は都市の混雑をもたらし、生活環境や衛生状況の悪化へとつな

がって、結果として病気が流行し、傷害が増加するようになった。

そこで、病院の必要性が年々大きくなっていった。と同時に、貧し

い人々に対する社会や個人の責任感の高まりが、これらの人々のた

めに病院を建設しようという気運となった。

当時、裕福な人は自宅で治療を受けるのがふつうであったが、ロン

ドンのような大都市では、貧困者が増え、彼らは金持ちのような選

択肢はなかった。このような背景から、大都市では病院の建設ラッ

シュが始まったともいえる。

(60〜61p)

   

そうかと思って読みました。

昔は病院はなかったわけです。

病院に行くのではなく、医者を呼びに行っていたんです。

日本には養生所というのもありましたが、

おそらく数は少なかったのではないでしょうか。

大河ドラマ「麒麟がくる」でも、患者が動かず、

医者を呼びに行っていました。

  

  

「チャンスは準備されたものに微笑む」といわれるように、この丹

念な、そして地味な仕事を通じてチャンスをつかまえる心の準備が

できていたように思う。チャンスはとつぜん訪れるものではない。

入念な準備をしている者にのみ訪れる。本著は、チャンスを逃さな

かったゼンメルワイスの物語でもある。

(63p)

  

再び著者の人生訓が登場。

自分にもこれから何かチャンスが来るだろうか?

どんなチャンスが来るのだろうか?

やはり死ぬまで何かチャンスはあると信じて、

これは自分にとってプラスであると思うことを、

日々積み重ねていきたいですね。

このブログもそのひとつ。

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