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2019年9月

2019年9月 7日 (土)

井上智さんの本より/卒業制作動画「ディスレクシア Dyslexia」

 

今日は令和元年9月7日。

  

前投稿に引き続き、「夢見た自分を取り戻す

(井上智著/エンパワメント研究所)より引用します。

  

井上さんは、大学の卒業制作で動画を作ることになります。

  

オレしかできない表現で、ディスレクシアについて

知ってもらえるものを作りたい。

そう考えて「ディスレクシアについての啓発動画」の

計画を作った。

そこには、「見えない障害を、見える動画にすることで、

社会の理解を広げるものを作りたい」と書いた。

(97p)

  

自分が「伝える側」に立ったとき、

「かわいそう」を強調しなくても伝わるものが

作りたいと思った。

これを見たかつてのオレのような子どもたちが、

今のオレのような大人たちが、

つらいことを思い出して切なくなるのではなく、

明るい気持ちになってほしいと願った。

(99p)

  

この動画の中で、大阪医科大学LDセンターの

竹田契一先生が登場しているそうです。

  

なかでも、竹田先生の「Learning Difference、

学び方が違うんです」という言葉が胸を打った。

ディスレクシアだと分かったころ、「LD=学習障害」

という言葉が大嫌いだった。

だって「学習の障害」って、

「頭が悪い」って言われているようで、

みじめでたまらなかったんだ。

そりゃ、学習にたくさん支障が出る。

でも、どうしてもこの言葉は、受け入れられなかった。

でも、LDが「Learning Difference」なら、

心から「そのとおり!!」と言える。

みんなと同じ方法では学びにくいことだって、

引け目に感じなくていいと思える。

だって、「Learning Difference」学び方が違うんだ。

オレたちはオレたちの学び方で学んでいいんだよ。

というか、そうでないと学べないんだよ。

(102~103p)

そして、どうしても入れたかった「識字率99%の日本、

僕らはどっちなんだ」という問いかけ。

きっと99%にカウントされているんだろう。

まったく読めないわけでも、まったく書けないわけでも

ないんだから。

でも、日本は「読めて書けること」が当たり前の社会。

すべてはそれを前提に進んでいく。

その中で、オレたちはその前提に立てずにいたんだ。

それをICTは救ってくれる。「方法」はあるんだ!

(104p)

  

  

たくさんの人の力を借りながら、

オレの卒業制作動画「ディスレクシア Dyslexia」は

完成した。

5分4秒この時間に、思いをぎゅっと詰め込んだ。

(110p)


YouTube: ディスレクシア「Dyslexia」

Photo

☝ 「明るい気持ちになってほしい」という願いが感じられた

映像でした。

  

つづく

井上智さんの本より/「子どもたちの進む先は、こんなに柔軟なんだ!」

今日は令和元年9月7日。

  

夏に井上賞子先生の話を聞きました。

ここでも道草 20190809報告1 これぞ”特別支援” 井上賞子先生(2019年8月11日投稿)

井上賞子先生の旦那さんである

井上智さんの本を読みました。

71e7ukexezl 「夢見た自分を取り戻す」(井上智著/エンパワメント研究所)

ディスレクシアである井上智さんが、

50代で大学に挑戦したお話が中心の本です。

  

引用します。

  

大阪芸術大学短期大学部通信教育部の特修生に

出願するにあたり、次のことを事務局に申し込みました。

  

・自分にはディスレクシアという障害があり、

 紙媒体での読み書きがとても厳しいということ。

・障害に関しては、診断書の提出も可能だということ。

・しかし、理解の力には問題はなく、ICTを活用することで

 学習は可能であるということ。

・具体的には、レポートやテストにおいて、パソコンの使用を

 許可してほしいこと。

・スクーリングの際は、板書の撮影や携帯へのメモを

 認めてほしいということ。 

(42p)

  

  

井上さんは、電話でお願いしたら、「学内で検討してから回答」

ということになります。2日後。

  

かかってきた!!!

「先日、お問い合わせいただいた件ですが・・・」に続いて、

「本学で、LDの方の支援を行った前例はありません」ときた。

やっぱりな。前例がないことは、ダメだろうな。

絶望的な気持ちになったところに間髪を入れず、

「前例はありませんが、学内で検討した結果、

ICT機器の活用で学べるというのであれば、

使用を許可します。」と言われた。

  

そのときの気持ちを、なんと言ったらいいんだろう。

うまくお礼が言えたのかさえ、定かではない。

そのくらい興奮した。

ただただ、頭をぺこぺこ下げていたことだけは覚えている。

  

「ICT機器の活用で学べるというのであれば、

使用を許可します」そうだよな。当たり前だよな。

オレにとってはメガネなんだ。

これがなければ学べないんだ。

本当は許しを請う種類のものではないはずなんだ。

  

でも、この回答がどれだけ貴重なものかも自分は知っている。

啓発活動をしていた日々、出会った子どもたちも

保護者の人も、口をそろえて言っていたのが、

「前例がないと許可してもらえない」だった。

時には現場の先生でさえ、「前例がないと学校の許可が出ない」

と頭を抱えていた。

 

あのさ、どっちかというと、「前例がない」ことの方が、

大問題なんだと思う。

それって、オレみたいな子をほっておいたってことやろ?

「これがあればできる」って分かっているのに、

取り上げてたってことやろ?

もちろん、それが分からなかった時代も、

それができる機器がなかった時代もあったことは分かってる。

でも、今は違う。

機器もある、「これがあれば学べる」と分かっている

ケースだってある。

それなのに「前例がないから」っていう理由で断られるって

本当におかしなことだと思う。

  

おかしいことのはずなのに、あまりにもそっちが多数派だから、

きっと今回も「前例がない」と断られるのが、怖かった。

だから、本当に「ICT機器の活用で学べるというのであれば、

使用を許可します」の一言に心躍った!

自分の選んだ大学を、入る前から誇りに思った!

  

子どもたちの進む先は、こんなに柔軟なんだ!

それがうれしくて、うれしくて、そこにたどり着く前に

力尽きてしまう子どもたちがたくさんいる現場が悲しくて・・・・。

たくさんの人に知ってほしいと思った。

大学は、1人ひとりの学び方を、

ちゃんと受け入れてくれる。あきらめないで。

そして、あきらめさせないで。

「前例」でなく、その子とその子の未来を見てほしい。

心からそう願わずにはいられなかった。

(43~45p) 

 

 

井上賞子先生がセミナーの中で「子どもたちの進む先は、

こんなに柔軟なんだ!」という言葉を使っていました。

この本のここにそのもとの言葉がありました。

言葉というより叫びかな。

前例がないからと言ってあきらめることなく、

あるいはあきらめさせることなく、とにかく動こう。

そう思わせてくれる井上智さんの体験であったし、

いい叫びだと思い、しっかり引用しました。

2019年9月 6日 (金)

「石狩平野」を楽しむ7/121年前の大水害

  

今日は令和元年9月6日。

  

前日の記事の続き。

本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)をついに読破しました。

52年前に発行された本。1ページに字がぎっしりの本。

40年前に四苦八苦して読んだ覚えのある本。

今回はじっくり読めました。

さらには、こうやってブログに引用する余裕もあり。

楽しんで、423pの小説を読み切りました。

  

  

明治31年9月5日にはじまって、

8日の午後に及んだこの暴風雨は、

明治2年北海道開府以来のものであった。

当然、その被害はかつてない悲惨な爪跡を刻んだ。

河川の氾濫はほとんど全道にわたり、

流失倒壊家屋2万5千余戸、

田畑の冠水流失5万8千余町歩、

死者は2百50余人に及んだ。

負傷者および道路、橋梁、堤防の破損流失、

排水溝の埋没、家畜の被害などは、

その正確な数を知ることすら不可能であった。

とりわけ石狩、夕張、十勝の各河川の流域が

深刻な被害地となった。  (339~340p)

  

この暴風雨は、この小説のクライマックスのように

描かれていました。

ヒロインの鶴代が恋する次郎が、

2人の間にできた子どもを救わんが為に、

命を落とす話でした。  

 

明治31年(1898年)の水害は、実際にあったものです。

北海道は相次ぐ台風で洪水被害 北海道の洪水対策のきっかけは118年前の台風被害

☝ ここに詳しく書いてありました。

「石狩平野」の中には書いてなかったと思いますが、

この暴風雨は台風だったようです。

 

引用します。

  

石狩川流域の開拓が始まったのは、

北海道の札幌に開拓使ができた明治4年以降です。

当初は石狩川の氾濫原である

広大な低湿地の土地利用が進められていました。

アイヌ語の曲がりくねった川という意味の「石狩川」は、

雪解け期や大雨期にはたびたび流路を変える暴れ川でした。

石狩川流域は、雪解け期や夏の大雨期には

氾濫をくりかえていた未開の原野で、

入植当時は洪水被害に悩まされていました。

しかし、高低差が少ない石狩川は、

広大な農地が得られる可能性を持った魅力的な川でした。

そして、明治政府の積極的な移民政策もあって、

明治30年には流域人口が30万人と増大しました。

しかし、今から118年前の明治31年(1898年)9月6日、

台風によって石狩平野の氾濫原である広大な低湿地の開拓が

大洪水によって大きな被害を受けています。

明治43年(1910年)から北海道で洪水対策が始まったのは、

この明治31年の台風被害がきっかけです。

  

  

くねった川の「石狩川」が、治水工事のため、

ショートカットされ、長さが短くなりました。

   

  

石狩川は全長268キロメートルで、全長367キロメートルの信濃川、

全長322キロメートルの利根川に次ぐ、日本三位の長さの川ですが、

明治27年の記録では石狩川の全長が364キロメートルと

信濃川に匹敵する長さの川でした。

しかし、その後の改修工事で川をショートカットしたため短くなり、

そのなごりが、今も多数残っている三日月湖です。

短くなった石狩川は、ときどき発生する大水害を乗り越え、

北海道が発展してきた証の一つです。

 

 

石狩川が日本一に匹敵する長さだったとはビックリ。

三日月湖のことなど知っていましたが、

この水害については知りませんでした。

(40年前に読んだ時には印象に残らず)

 

今からちょうど121年前の大水害の勉強ができました。

お米の使い道 「ぬか床」の乳酸菌はどこから?/「科捜研の女」にぬか漬け登場

 

今日は令和元年9月6日。

  

前記事の続きの内容。

「ぬか床」は乳酸菌に満たされると言います。

その乳酸菌はどこから来るのかと疑問に思いました。

調べました。

このサイトが勉強になりました。

あなたの知らないヨーグルトの世界 ぬか漬けの乳酸菌の量!その乳酸菌はどこから来るの?

 

興味深い文章を引用します。

 

米のぬかの部分には、自然界に生息する植物性乳酸菌が

存在しています。ぬか漬けの乳酸菌は米ぬかから

来ているのです!しかし、最初から乳酸菌豊富なぬか床に

なるわけではありません。仕込みたてぬか床で最初に

増殖するのは同じく米ぬかなどに付着している大腸菌です!

大腸菌がたくさんいると聞くと、食べたらお腹を

壊すんじゃないかと思うかもしれませんが、

食中毒を引き起こすのは、O-157のような一部の

病原性大腸菌だけなので、食べてもお腹を壊すことはありません。

やがて時間が経つと、段々と乳酸菌が増えてどんどん

乳酸を作り出します。そして、ぬか床はだんだん酸性になると、

酸性では生きていけない大腸菌は、だんだん減ってきて、

ぬか床の中は乳酸菌で満たされます

ここまでに約1ヶ月かかります。

更に、ぬか床に様々な野菜を漬け込んでいると、野菜の表面に

ついた他の乳酸菌酵母菌などがぬか床に混ざり、

様々な乳酸菌や酵母菌がたくさん存在する豊かな

ぬか床になっていきます。ここまでになるのは、

ぬか床を仕込んでから2ヵ月後くらいです。

本当に美味しくて健康的なぬか漬けになるまでには、

2ヵ月の辛抱が必要なのです。

  

  

ねえ、面白いことが書いてあるでしょ。

  

 

8月29日放映のドラマ「科捜研の女」は、

何と!ぬか漬けがしっかり関わる内容でした。

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“ぬか漬けの女神”として有名な料理研究家・森本雪絵(森口瑤子)が、

榊マリコ(沢口靖子)と蒲原勇樹(石井一彰)に、

自分が漬けたぬか漬けをご馳走するシーンの聞き書き。

  

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蒲原:ん!うまい!

榊:本当!

蒲原:ぬか漬けって、こんなおいしいもんでしたっけ。

森本:刑事さん、ぬか漬けって、一口に言うけど、

  この世の中に、ただのぬか漬けなんてないのよ。

蒲原:どういう意味ですか。

森本:ぬか床は、同じ材料、同じ工程で作っても、

  みんな違う味になるから。

榊:そうか、ぬか漬けは発酵食だから。

森本:野菜や家、土地に付いた微生物や

  何よりも毎日かき混ぜるこの人の手に付いた

  微生物の種類によって、全く違うものに変化していくの。

榊:ということは、ぬか漬けで個人が特定できる。 

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閃(ひらめ)いた榊マリコは、科捜研のメンバーと

容疑者たちの漬けたぬか床のぬかの成分分析を始めます。

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そして、手に付いていた菌(常在菌と表現してしました)によって

真犯人を割り出しました。

Rimg2058  

  

「科捜研の女」の魅力は、ちょっとした知識が、

事件解決のキーになるところですね。

知識を楽しんでいる雰囲気があります。

知的なドラマなのです。

それがスムーズに見ることができる時と、

ちょっと出来すぎていると見えてしまう時がありますが・・・・。

この回はよかったですよ。

お米の使い道 「ぬか」→「ぬか床」

今日は令和元年9月6日。

  

8月22日に次の記事を書きました。

ここでも道草 北海道開拓と「お米」その3 屯田兵(夫)もやった米づくり(2019年8月22日投稿)

2018年12月15日放映

BS1スペシャル 北海道開拓 ~困難の果てに~」の

内容でした。

屯田兵は、米作りが許されていなかったけど、

屯田兵の一人、藤田貞元さんの粘り強い活動の結果、

米作りが始まったという話でした。

やはり、農民にとっては米作りは重要だったのです。

米作りは、食糧米を得るだけではなく、

他にも農民にとっては目的がありました。

その話をしてくれたのが、関秀志さんです。☟

Rimg2053  

Rimg2052

「食糧」「わら」「ぬか」の3つが目的。

さらにわかりやすく。☟

Rimg2051   

私にとってイメージがわかないのが「ぬか」です。

「ぬか」と「ぬか漬け」がつながっていません。

ぬかを使って、ぬか床を作って、その中に漬けて

ぬか漬けができるのですよね。

 

 

このような映像がありました。


YouTube: 簡単!ぬか漬けの方法

Photo

☝ 米ぬかの量と同量の水を入れます。

水にはあらかじめ塩を混ぜておきます。

塩分量は、米ぬかの量の13パーセントくらいだそうです。

Photo_2

☝ 米ぬかと水分をよく混ぜた後に、うま味をつけるために

出し昆布を入れておくといいそうです。

 

この映像を含むこのサイトが参考になります。☟

マルカワみそ 米ぬかから作るぬか床の作り方

一部引用します。  

  

ぬか床は1日1回は混ぜないといけません。

そして、野菜のヘタ等やクズ野菜などを入れて

床を慣らさせましょう。

何回か捨て漬けすると、美味しいぬか床が出来上がります。

自分だけのマイぬか床です。

愛情を持って接した分だけ美味しくなります。

注意!!ぬか床は20度以上になると酸っぱくなったり

傷んだりします。 美味しいぬか床を作るために

常に冷蔵保管をオススメします。

  

基本中の基本、「ぬか」が「ぬか床」になる過程は

わかりました。

よくこんな方法を発見したなあ。

  

次に興味をもったのは、ぬか床の乳酸菌はどこから?

調べたらわかりました。

 

そのことは次の記事に書きます。

  

  

 

 

 

2019年9月 5日 (木)

「石狩平野」を楽しむ 6/「盲縞」「単衣」「豆しぼり」「雪駄」「烏有」「五十集屋」

 

今日は令和元年9月5日。

  

前投稿の続き。

本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。

  

奥から倉吉が出てくるところであった。

盲縞(めくらじま)の木綿の単衣(ひとえ)に

幅細(はばほそ?)の帯を横結びにし、

肩に豆しぼりの手拭を無造作にのせて、

雪駄(せった)を突っかけた姿には・・・・・

(204p)

 

この短い文章のなかに、厄介な言葉が4つ。

盲縞」は、コトバンクによると、

「縦横とも紺染めの綿糸で織った無地の綿織物。」

写真を探しました。

D0133199_110124 永井百合子のいれこ日記

☝ このサイトに、次のように書いてありました。

 

「めくら縞」とは、木綿の平織りの反物で明治の庶民また

旦那衆の普段着などに流行した。

横糸に藍染めした糸を用い、いわゆる木綿の平織の意味で、

この縞模様は、あらかじめ計算して 織り出した縞柄ではなく、

“糸の染めむら”によって偶然にできる不規則な縞柄です。

  

う~ん、理解したつもり。

 

単衣」は裏地のない着物。対語は「袷(あわせ)」

豆しぼり

これは画像を見たらすぐにわかりました。

20140313_c264f7 激安ハッピショップ【粋な祭人】

これが豆しぼり手拭なのですね。

雪駄

聞いたことはある履物名ですが、これも写真を探しました。

51nscdszrql  

これだけ調べて、倉吉の姿がイメージできました。

 

  

  

   

焼失戸数八百八十七戸。

警察署、地方裁判所、区裁判所、区役所、銀行、

北海道毎日新聞社、創成、女子両小学校などをはじめとして、

目ぼしい官公建築物はほとんど烏有(うゆう)に帰した。 (279p)

  

「烏有」はコトバンクによると、

「すっかりなくなる。特に、火災で焼けることにいう。」

この時に描かれた火災は、明治24年5月4日の札幌の火災です。

次のサイトでも、この火災のことに触れていました。

北海道歴史探訪 札幌の大火

   

  

  

  

 

「鶴代は五十集(いさば)屋の店をやりたいらしいんですが・・・(略)」

(282p)

五十集屋や八百屋にも、なま物を扱うだけに、難しい点も

ないではなかったが、・・・・(略)   (288p)

 

「八百屋」は今でも使う言葉ですが、「五十集屋」は不明。

調べました。

秀・五十集屋によると「五十集」の意味は、

「漁場や魚市場、魚屋や魚の行商人のことを指す言葉」だそうです。

 

 

  

「石狩平野」を楽しむ 5/「三島通庸」「羈絆」「嫋々」「股肱」

 

今日は令和元年9月5日。

  

9月2日の記事の続き。

本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。

今日でおそらく読破できる予定です。あと50p。

  

明治15年11月には、福島県会議長河野広中を中心とする

福島自由党員らが、県令三島通庸の弾圧に抗して立上がった

福島事件が起こったし、翌16年には北越自由党の

高田事件があった。

さらに去年(明治17年)は、栃木県令を兼ねた三島通庸

倒そうとして、武装蜂起した加浪山事件をはじめとして、

秩父騒動、飯田事件、名古屋事件等が続発した。 (138p)

  

自由民権論者が目の敵にしているのが、三島通庸(みちつね)。

1835年生まれ。1888年(明治21年)没。

20d3df2c29caf747be0a86c0a500da2c Wikipedia

☝ おなじみの写真です。

  

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」では、

三島通庸の孫にあたる三島弥彦が活躍していました。

1894d8f1cc9978dbcd7a003e5501ff46 「いだてん」HP

  

  

   

  

北海道という土地の特殊性に発想の基盤を置いた、

中央政府の羈絆(きはん)からもある程度自由な、

独自の性格と規模をもった新しい行政機構に

改められることは・・・(略) (143~144p)

 

羈絆」は読めませんでした。

羈」は「馬」と「革」が含まれ、

意味は「たづな」 なるほど。

今なら「手綱」と書きますね。

羈絆」の意味は、「束縛」ぐらいの意味でしょう。

  

  

   

  

眼をやると、鶴代が葦の葉を唇にあてていた。

嫋々(じょうじょう)とした音色は、

そこからただよっていた。

 

「嫋々」も読めませんでした。

日本語表現インフォによると、意味は

「音程が低くて、長く響くさま。」でした。

耳にしたことがない言い方です。

  

  

  

鈴木理事官は昔から安田定則らとならんで、

自他ともに許す黒田の股肱(ここう)だから、

洋行の御相伴という幸運も当然であったが、・・・・

(203p)

 

股肱」はまたまた読めず。

「股」は太もも。「肱」はひじ。

そして「股肱」の意味は、コトバンクによると、

「主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下。」のこと。

  

  

 

 

52年前に発行された本。

半世紀経つと、言葉は変ってくるのだなあと、

この本を読んでいて思います。

2019年9月 4日 (水)

知らなかった!ミョウガ

今日は令和元年9月4日。

  

今日、初めてミョウガを掘りました。

登山仲間の家の庭で、

教えてもらって掘りました。

ミョウガって、地下茎から直接出た

つぼみを食べていたのですね。

知らなかった。

我が家の裏庭にもあるよ!

と、奥さんに言われてしまいました。

知らなかった。

夏から秋にかけてが旬とのこと。

明日は裏庭で観察しよう。

 

いい機会。ミョウガについて勉強。

次のサイトを読みました。

tenki.jp ミョウガを栽培しているのは日本だけ! 

Large  

まだまだ知らないことはたくさんあり。

 

2019年9月 3日 (火)

「リゲイン」ではなくて「アゲイン」/元気を再び!

今日は令和元年9月3日。

  

すでにネット上では、声が上がっていますが、

私もその仲間入り。

昨晩放映のドラマ「監察医 朝顔 第8話」は

笑っちゃいました。

義理のお父さん役の時任三郎さんに、

風間俊介さんが手渡したのが、 

リゲイン」ではなくて「アゲイン」!

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「元気を再び!」と書いてあります。

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思い出すなあ~「勇気のしるし

30年前になるのかな、シングルCDを買いました。

ミニCDで、聴くときには、専用アダプタにはめて聴きました。

今でも、屋根裏にあるんじゃないかなあ。

 

YoutubeでCMを見ることができました。


YouTube: 【懐かCM】 三共リゲイン CM総集編 -勇気のしるし篇- 【全15種】

時任三郎さんが若い!

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CMの懐かしい場面

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4

 

ドラマのワンシーンで、楽しめました。

今晩は夜ふかし。おやすみなさい。

「世界遺産 ウェールズの運河と奇跡の天空橋」④ 産業革命の技術で造られた水路橋

 

今日は令和元年9月3日。

  

前投稿に続きで、8月18日放映の

世界遺産 空飛ぶ船! 運河と奇跡の天空橋」より、

部分的に聞き書きをしていきます。

今回がラスト。

  

ナレーター:(スランゴスレン運河を造るのに)最大の難関は、

  長さ307メートル、深さ38メートルの谷越えです。

  この長さの水路橋を支えるには、高い橋脚がたくさん必要となり、

  莫大な費用がかかります。

  そこで、革命的な技術が導入されたのです。

  石の橋脚の上に、産業革命で生まれた強度の高い鉄を

  組み合わせました。

  全てを石で造るよりも大幅に軽量化。

  橋脚の数を減らすことができたのです。

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  大きな鉄板を作る技術はまだなかったので、

  何枚もの鉄板をつなぎました。

  そのための工夫を見ることができます。

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ピーター・ウェイクリンさん:橋の側面を見るとわかりますが、

  鉄板を隙間なくつなぎ合わせています。

  当時はまだ溶接技術がなかったので、

  1枚1枚正確に作り、ボルトで締めることで、

  きっちりとつないだのです。

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ナレーター:鉄板に縁(ふち)をつくり、

  縁どうしをボルトで締めます。

  ここに水の重さが加わることで、

  よりしっかりと、密着する構造でした。

  そして・・・

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ピーター・ウェイクリンさん:これが200年前、

  実際にはめられていたボルトです。

  根元にフランネル(毛織物)がついているのが

  わかりますか?

  これで、より完璧に水漏れを防いだのです。

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ナレーター:この地方、伝統の毛織物、フランネルを詰め物にして、

  密閉度を強化しました。

  高度な技術は、200年たった今も、変わらず機能しています。

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Rimg2153  

建造物をしっかり見ることで、歴史の勉強になるのです。

世界遺産って、そういう意味で重要ですよね。

 

産業革命の技術で水路橋はできました。

しかし、運河による物資の輸送は、

産業革命で登場した蒸気機関車にしだいに移ってきました。

でも、イギリス人は、レジャーで運河を楽しんでいます。

いい番組でした。

  

世界遺産 空飛ぶ船! 運河と奇跡の天空橋」の読み物化完了。

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