「石狩平野」を楽しむ 5/「三島通庸」「羈絆」「嫋々」「股肱」
今日は令和元年9月5日。
9月2日の記事の続き。
本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。
今日でおそらく読破できる予定です。あと50p。
明治15年11月には、福島県会議長河野広中を中心とする
福島自由党員らが、県令三島通庸の弾圧に抗して立上がった
福島事件が起こったし、翌16年には北越自由党の
高田事件があった。
さらに去年(明治17年)は、栃木県令を兼ねた三島通庸を
倒そうとして、武装蜂起した加浪山事件をはじめとして、
秩父騒動、飯田事件、名古屋事件等が続発した。 (138p)
自由民権論者が目の敵にしているのが、三島通庸(みちつね)。
1835年生まれ。1888年(明治21年)没。
☝ おなじみの写真です。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」では、
三島通庸の孫にあたる三島弥彦が活躍していました。
北海道という土地の特殊性に発想の基盤を置いた、
中央政府の羈絆(きはん)からもある程度自由な、
独自の性格と規模をもった新しい行政機構に
改められることは・・・(略) (143~144p)
「羈絆」は読めませんでした。
「羈」は「馬」と「革」が含まれ、
意味は「たづな」 なるほど。
今なら「手綱」と書きますね。
「羈絆」の意味は、「束縛」ぐらいの意味でしょう。
眼をやると、鶴代が葦の葉を唇にあてていた。
嫋々(じょうじょう)とした音色は、
そこからただよっていた。
「嫋々」も読めませんでした。
日本語表現インフォによると、意味は
「音程が低くて、長く響くさま。」でした。
耳にしたことがない言い方です。
鈴木理事官は昔から安田定則らとならんで、
自他ともに許す黒田の股肱(ここう)だから、
洋行の御相伴という幸運も当然であったが、・・・・
(203p)
「股肱」はまたまた読めず。
「股」は太もも。「肱」はひじ。
そして「股肱」の意味は、コトバンクによると、
「主君の手足となって働く、最も頼りになる家来や部下。」のこと。
52年前に発行された本。
半世紀経つと、言葉は変ってくるのだなあと、
この本を読んでいて思います。
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