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2019年9月

2019年9月10日 (火)

心の糧になるような記事を探して載せていきたい

  

今日は令和元年9月10日。

  

以前読んだ本「日本一心を揺るがす新聞の社説2

(水谷もりひと著/ごま書房新社)から引用します。

  

カー用品の専門店「イエローハット」の創業者で、

「日本を美しくする会」の鍵山秀三郎さんは、

新聞・社会面の暗いニュースは読まないそうだ。

理由は、「そういう記事を読んでも、

それが後々の自分の人生に何か参考になるとは思えないから」

(中略)

やっぱりタダで観れる民放の番組も、

わざわざお金を払って読む新聞も、

情報は受け手がきちんと取捨選択して、

本当に必要な情報を得たいものである。

とは言っても、我々凡人の心の中には、

他人の不幸を「おもしろい」「覗きたい」と思う心理がある。

だから、鍵山さんのように「いつも心をきれいに」

「いつも身の回りをきれいに」と心掛けていないと、

ついつい他人の不幸やプライバシーを酒の肴にして

会話を弾ませてしまいがちだ。

(中略)

「暗いニュースは読まない」という鍵山さんも、

たとえ小さくても心が温まる記事に目が止まると、

切り抜いて保存しているという。

「そういう記事は繰り返し読んでも心にほのぼのとした

感動を与えてくれます」

改めて、人生に役立つ情報というのは、

探そうとする意思がないと出合えないものだと思った。

受信機としての機能を持つ私たちの感性は

常に磨いておくことが大事だ。 (後略)

  

 

今、こうやって引用していて思い出した記事がありました。

このブログに載せました。

探します。

  

ありました。1分で見つかりました。

これが検索できるブログの良さです。

ここでも道草 「誠実」な2人の警察官の行動を記した記事(2018年7月18日投稿)

この記事は、忘れてはいけないものだと思います。

心の糧になる、何回でも読むべき記事だと思います。

  

新聞の切り抜きとは違うけど、

このブログに、後に読んでも自分の心の糧になる

記事(文章)を見つけ、載せていきたいです。

2019年9月 9日 (月)

20190904報告 長者峰~悪沢山~見晴台

  

今日は9月9日。

  

山に行ってきました。

3代目の登山靴で初めて登りました。

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登山仲間のKさん、Sさんと3人で登りました。

  

場所はここ。☟  長野県平谷村です。

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長者峰まで自動車で上がりました。

国道からの登り口には、この看板があります。☟

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長者峰すぐ下にある駐車場で、登山準備。☟

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駐車場から見た大川入山 ☟ 体力が戻ったら、また登りたい山です。

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いよいよ出発です。

目標は見晴台まで。

最近運動不測の私に合わせてくれたコースです。

長者峰頂上のの展望台。☟

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☟ 展望台からの景色。中央の一番高い山が茶臼山。

愛知県で一番高い山。

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茶臼山のアップ。その右奥にある凸は、おそらく明神山。☟

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平谷の街を見下ろします。☟

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登山道に咲いていた花。☟

花の名前が分かったら、順に写真の下に名前を書き込みます。

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☝ アケボノソウ

  

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☝ ジシバリ(イワニガナ)?  

 

いい空でした。☟

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高嶺への登りです。☟

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頂上です。☟

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これ以後は、クマザサとの闘いが多かったです。

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悪沢山頂上。☟

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登山道にあったキノコ。☟ 迫力がありました。

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またクマザサ。

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クマザサを抜けてゆき見台。

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すかさずクマザサ。

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クマザサを抜けて上悪沢山。

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上悪沢山からの景色。☟ 雲がいい。

しかし、この後、雲がどんどん増えました。

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少し歩いて、見晴台。ゴールです。

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見晴台から見ることができたこのキレイな山は、

恩田大川入山のようです。☟

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見晴台を後にします。

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雲がどんどん増えてきて、ゴロゴロと鳴り始めたので、

下山は急ピッチでした。

少し降られただけですみました。

平谷村にある温泉に入って出た時には、しっかりと雨でした。

  

約4時間、山の中にいました。

やっぱり山の中を、全身汗びっしょりになって、

登ったり下ったりするのは、気持ちがよかった。

フィトンチッドもしっかり吸ってきました。

※関連:ここでも道草 病院の待合室で「チコちゃん」の本に出合う/森のニオイ(2019年8月22日投稿)

月に1回、一緒に山に登ることになりました。

ありがたい。

自分の病気には効果ありの登山ですからね。

 

 

「健康診断 戦艦大和」その4/貴重な一週間献立表

 

今日は令和元年9月9日。

  

前記事の続きで、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

  

今回は戦艦大和の食事について。

    

〇昭和16年12月  日本の真珠湾攻撃をきっかけに

 始まった太平洋戦争。

 連合艦隊の旗艦として 大和は満を持して最前線へと向かった。

 当時 日本海軍の拠点があったトラック島に、

 同じ時期に造られた同型の姉妹艦 武蔵と共に停泊。

 ところが出番は 一向になかった。

 当時 西太平洋の島々では、米軍との激しい攻防戦が

 繰り広げられていた。

 その周辺は さんご礁の浅瀬が広がり

 巨大な大和は近づけなかった。

 大和と武蔵が トラック島に、停泊し続けること

 実に8か月。

 その快適な設備から 他の艦では、皮肉を込めて

 こう うわさをしていた。 ☟

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〇8カ月の間、大和の乗組員は厳しい訓練を受けていた。

 そんな乗組員の楽しみが「食事」だった。

〇大和の調理を担当していた乗組員が撮った写真。☟

 大和の内部を撮影した唯一の写真と言われている貴重な写真。

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☝ 戦艦大和でどのような食事が出されているかの、

正式な記録は残っていなかった。

しかし、戦争を生き残って、大和での食事メニューを思い出し

書き残した人がいた。清書は長女が行った。☟

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〇月曜日。すべて麦飯だった。

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〇戦時中とは思えないほど、食べ応えのある おかずが並ぶ。

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〇量的にもたっぷりあったらしい。

 1日の麦飯の量はこれくらい。☟

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〇献立表をもとに再現された食事。☟

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〇最も人気のあったメニューは?

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〇元乗組員の廣さん。☟

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〇一番人気はカレーライスだった。

 船上では、曜日がわからなくなりやすいので、

 毎週土曜日はカレーライスだった。 

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〇海軍は昔からメニューにカレーライスがあった。

 船で揺れてもこぼれないように、

 海軍がカレーに小麦粉を入れるようになったという説もある。

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〇現代の視点で・・・カレーに含まれるスパイスのひとつ、

 ターメリックには、認知症の予防になる成分がある。☟

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〇戦艦大和の中で、ラムネが作られ飲まれていた。

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〇このような小さなラムネ製造機が積まれていたと予想される。☟

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〇赤い部分の中身。☟

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☝ 瓶がセットされ、シロップ・炭酸水が入って、回転する。☟

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逆さになったところで、炭酸の圧力で、

ビー玉の栓がしまる。☟

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戦艦大和での食生活が見えてきました。

「健康診断 戦艦大和」その3/快適な設備「冷房」「ベット」「風呂」

 

今日は令和元年9月9日。

  

前記事の続きで、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

  

〇戦艦大和の設計者の一人、松本喜太郎が目指した理想。

 世界一の戦艦は

 「世界一快適で 乗組員が健康であること

 このような考え方で設計されたことを初めて知りました。

 今までは、戦艦大和の外から見えるものに注目していました。

 「世界一快適」を実現するための戦艦大和の快適装備として

 空調による冷房があった。

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〇冷房が 一般家庭に普及するのは、昭和40年代のこと。

 兵たちは 見たことすらない冷房装置に

 感激したという。

〇もともと 軍艦の弾薬庫には、

 高温になって自然発火することを防ぐために

 冷房装置が入っていた。

 大和では その能力を高め 艦内の大部分に

 冷気を供給できるようにした。

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〇戦艦大和の快適装備その2。「ベット」 

 他の軍艦では、ハンモックであったものが、

 大和ではベットが設置された。

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〇ハンモックと違って、ベットは、就寝中に寝がえりがうてる。

 それが安眠を可能にした。枕も硬めのものだった。

 これも、寝返りには向いていた。

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〇戦艦大和の快適装備その3。「風呂」

〇 ☟ これは他の軍艦の入浴映像。

 水が貴重な軍艦では 湯船に海水をためた海水風呂に

 入っていた。 通常は 1週間に1度の割合だった。

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〇大和では 水回りの設備を大幅に改善。

 3日に1度は、海水風呂に入ることができるようになった。

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〇塩水性の風呂は、今でも多くある。効能が高い風呂である。

 熱海の温泉もその種類の温泉。

 したがって、戦艦大和の風呂は、

 熱海温泉と同じようなものと考えらえる。

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〇ここで番組は、大和ミュージアムへ。

 そこに展示されている(海底に沈む大和からの)引き上げ品。

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〇展示品の中に、士官の浴室のタイルがあった。

 模様がほどこされ、セメントは非常に分厚い。☟

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〇展示品の中にはビールや酒の瓶もあった。

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〇大和には大量のお酒が積まれていた。

 アメリカの海軍は 一滴も 船にはアルコールを

 積んではいけないというルールがあったらしい。

 日本の軍艦はお酒を積んでいた。

 船内で何カ月も生活するため、いつも緊張していられない。

 飲んでいいという許可が出た時には、喜んで飲んでいた。

 例えば、赤道祭り。船が赤道を越える時は、赤道の神様に

 赤道を越える鍵をもらうという船独特のお祭りがあった。

 その時には どんちゃん騒ぎをしていた。☟

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つづく  

  

2019年9月 8日 (日)

「健康診断 戦艦大和」その2/3倍の広さの兵員室

 

今日は令和元年9月8日。

  

前記事の続きで、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

  

〇 ☟ 戦艦大和の乗組員だった石上さん。

 昭和17年(1942年)3月に大和に乗船した。

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〇石上さんが言うには、大和は大きくて島だと思ったとのこと。

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〇石上さんが言うには、トイレが個室で洋式で驚いたとのこと。

 従来の軍艦は ☟ のように個室ではなかった。

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〇戦艦大和はこのようなトイレだった。☟

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〇戦艦大和には誰でも使える売店があった。

 故郷に手紙を書くための便箋やタオルなどの生活用品、

 ようかんやお酒まで売っていた。 ☟

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〇当時最新の医療設備もあった。

 陸上の病院も顔負けの立派な手術室を完備。

 胃がんの摘出まで行うほど、本格的な外科治療が可能であった。

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〇戦艦大和の中央部分の船体断面図 ☟

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〇 ☝ 兵員室は 2段にわたって、大きくとられていた。

 駆逐艦などに比べて 1人当たりの面積が3倍も広くなった。

  

  

広さだけでなく、兵員室には、乗組員が快適にすごせる施設がありました。

それについては次の記事で書きます。

「健康診断 戦艦大和」その1/大和以前は、狭くて暑かった

 

今日は令和元年9月8日。

  

前記事で予告した通り、8月22日放映の

「偉人たちの健康診断 戦艦大和 男たちの“健康”」

の読み物化をしていきます。

電波ログテキストマイニングの聞き書きを利用して、

箇条書きでまとめていきます。

  

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〇戦艦大和が造られたのは広島県呉市。

 今でも、建造された時のままの骨組みを使った建物が残る。☟

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〇戦艦大和の全長は263m。

〇もし、戦艦大和がここに停泊していたとしたらということで、

 CGで映像化。☟

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〇戦艦大和が就役したのは、昭和16年(1941年)12月。

 その頃の写真。☟

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〇 ☝ 極秘だったため 国民には一切知らされずひっそりと

 行われた試運転。

  

〇戦艦大和の設計者の一人、松本喜太郎は 「最強の戦艦」には

 これまでとは異なる 「新しい設計思想」が必要だと考えた。

 「世界一快適で 乗組員が健康であること」

 それこそが 世界最強を目指した大和が掲げた理想だった。

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〇 ☟ 大和以前の軍艦で撮られた、兵の就寝時の写真。

 天井から 所狭しとハンモックが つるされている。

 軍艦は 基本的に兵器中心の構造で士官を除く

 多くの兵の居住スペースがなかった。

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〇 ☟ 軍艦の問題は 他にもあった。

 軍艦内は とても暑く兵が倒れるほどでした。

 軍艦の動力は ボイラーでした。

 大量の熱を発するボイラーを鉄の箱で囲っているために、

  熱がこもって暑かったのです。

 それに加え 赤道直下など南方地域に赴くことも多かった。

 例えるのならば、オーブンの中で暮らしているようなものでした。

 狭くて 暑くて 十分に眠れない軍艦。

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「世界一快適で 乗組員が健康であること」をめざして、

戦艦大和は設計されました。次の記事に続く。

 

 

 

読み物化をする前に「テキストマイニング」

 

今日は令和元年9月8日。

 

昨晩、またいい番組を見ました。

8月22日放映の「偉人たちの健康診断 

戦艦大和 男たちの“健康”」です。

  

この番組ついて調べていたら、面白いサイトに出合いました。

電波ログテキストマイニング

 

「テキストマイニング」は初めて聞く言葉。

Wikipediaには次のように書いてありました。

  

文字列を対象としたデータマイニングのことである。

通常の文章からなるデータを単語や文節で区切り、

それらの出現の頻度や共出現の相関、出現傾向、

時系列などを解析することで有用な情報を取り出す、

テキストデータの分析方法である。

 

この説明だけではまだよくわかりません。

でも上のサイトをみると、わかるような気がします。

番組中のすべての言葉が聞き書きされています。

1時間番組の全てです。

人力で聞き書きをされたのか、

それとも機器を使っての聞き書きでしょうか。

見事な聞き書きです。

その聞き書きデータを使って、”テキストマイニング”され、

「ワードクラウド」という形で、結果が示されています。☟

Photo こうやって、見える化するのが、”テキストマイニング”なのかなと

考えました。

番組を見た後だと、この「ワードクラウド」が

少し理解できます。

「乗組員」「健康」「食事」「カレー」などの大きな文字を見ると

この番組の大事なことを表現しているなと思います。

  

う~ん、”テキストマイニング”の勉強は、

いずれまたするとして、

このサイトの聞き書きを利用させてもらって、

読み物化をしようと思います。

  

次の記事から。

 

落花生ではなくて枝豆でした

 

今日は令和元年9月8日。

  

ひとつ解決した話。

  

ここでも道草 落花生の”豆”知識 なぜ土の中で結実するか?(2019年8月24日投稿)

☝ 8月24日に、床屋に行く時に見かけた

畑に広く植えられた作物は何か?という疑問が解決しました。

  

昨日、その畑の中を通った時に、花を見つけて撮影しました。

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枝豆の花です。

以前、この花を撮影したことがあります。

ここでも道草 8月中・下旬の花々5/クロマメ(2012年9月22日投稿)

7年前のことでした。

 

My Tiny Flower Garden 枝豆・中生(なかて)の花も咲き出しました

☝ このサイトによると、枝豆の花の色は、白いのもあれば、

今回のように紫色の花もあるようです。

  

 

 

枝豆とわかったからには、今度はジャラジャラと

枝豆がなっている写真を撮りたいです。

  

 

「なんで幽霊には足がないの?」/全生庵の幽霊画

今日は令和元年9月8日。

  

今回は8月23日放映の「チコちゃんに叱られる」からです。

注目の疑問はこれ。☟

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「なんで幽霊には足がないの?」

実は私はこの正解を知っていました。

正解を先に見せてしまうと、これです。☟

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江戸時代の売れっ子画家、円山応挙(1733~1795)が、

幽霊画を依頼されたが、描けずに悩んでいました。

その時に、夢枕に亡くなった妻が立ったそうです。

その姿をそのまんま描いたのが、足の幽霊画の最初だったそうです。

その幽霊画は弘前市にあるお寺で見ることができるそうです。

番組スタッフは、「美の壺」スタッフから映像を借り、

その映像を流していました。☟

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足のない新しい幽霊画は人気となり、

たくさん描かれるようになりました。

(それまでの幽霊画には足があrました)

  

この番組の展開だと、きっと出るぞと期待した映像が流れました。☟

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そうです。

全生庵の幽霊画です!

8月に実際に見てきた幽霊画が映し出されました。

ここでも道草 20190810報告7 全生庵 幽霊画展(2019年8月13日投稿)

待ってました。

  

 

番組では、なぜ幽霊画がたくさん描かれたかについて触れていました。

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怪談噺の演出として、幽霊画が使われたそうです。

この夏は、幽霊画の勉強が充実しました。 

 

2019年9月 7日 (土)

井上智さんの本より/妻の一言/「そうか!」チャート

  

今日は令和元年9月7日。

  

前投稿に引き続き、「夢見た自分を取り戻す

(井上智著/エンパワメント研究所)より引用します。

  

井上智さんのことを先に知っていて、

8月に奥さんの井上賞子先生のセミナーに参加して、

初めてお話を聴きました。

「これぞ特別支援!」という実践をされていて、

驚きました。

  

「夢見た自分を取り戻す」の最後に、

「妻からの一言」と5pの文章が寄せられていました。

その中から引用します。

 

私は教師で、彼(智さん)の語る場所の多くは学校です。

リアルな彼の話を聞いていると、すぐそこに子ども時代の

智の姿が見えるようで、

「自分にできることはなかったのか」と思わずには

いられませんでした。

それは、「現代の学校」にも、40年以上前と同じ状況が

あるかもしれません。

「オレの時代は仕方がない。誰もディスレクシアなんて

知らなかったんだろう。でも、今は違うよな?

すべての教室で『特別支援教育』が行われているというなら、

全員見つけてもらえて、みんな自分の勉強の仕方を教えて

もらえるんやろ?」という彼の問いかけに

「そうだよ。安心して」と答えることはまだできずにいます。

(160~161p)

セミナーのラストでも、井上賞子先生は同じことを言っていました。

これだけの実践をしているにもかかわらずです。

智さんが言うように、まずは見つけることなのです。

その子が、定形の子と何が違うのかを見つけることが第一だけど、

それが難しい。

見つけたら、ICT機器など使って、学習を進めることができます。

 

井上賞子先生は、セミナーで

「そうか!」チャートというのを教えてくれました。

読み書きに課題のある児童・生徒の指導の助けになるサイトです。

見つけ方の参考になると思います。

  

いただいたパンフレットの写真です。☟

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読むこと・書くことが苦手な子どもの指導と支援チャート「そうか!」チャート 

  

特別支援教育の可能性を示してくれたセミナーでした。

    

井上夫妻の実践は、これからも見ていきたい。

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