「石狩平野」を楽しむ 6/「盲縞」「単衣」「豆しぼり」「雪駄」「烏有」「五十集屋」
今日は令和元年9月5日。
前投稿の続き。
本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。
奥から倉吉が出てくるところであった。
盲縞(めくらじま)の木綿の単衣(ひとえ)に
幅細(はばほそ?)の帯を横結びにし、
肩に豆しぼりの手拭を無造作にのせて、
雪駄(せった)を突っかけた姿には・・・・・
(204p)
この短い文章のなかに、厄介な言葉が4つ。
「盲縞」は、コトバンクによると、
「縦横とも紺染めの綿糸で織った無地の綿織物。」
写真を探しました。
☝ このサイトに、次のように書いてありました。
「めくら縞」とは、木綿の平織りの反物で明治の庶民また
旦那衆の普段着などに流行した。
横糸に藍染めした糸を用い、いわゆる木綿の平織の意味で、
この縞模様は、あらかじめ計算して 織り出した縞柄ではなく、
“糸の染めむら”によって偶然にできる不規則な縞柄です。
う~ん、理解したつもり。
「単衣」は裏地のない着物。対語は「袷(あわせ)」
「豆しぼり」
これは画像を見たらすぐにわかりました。
これが豆しぼり手拭なのですね。
「雪駄」
聞いたことはある履物名ですが、これも写真を探しました。
これだけ調べて、倉吉の姿がイメージできました。
焼失戸数八百八十七戸。
警察署、地方裁判所、区裁判所、区役所、銀行、
北海道毎日新聞社、創成、女子両小学校などをはじめとして、
目ぼしい官公建築物はほとんど烏有(うゆう)に帰した。 (279p)
「烏有」はコトバンクによると、
「すっかりなくなる。特に、火災で焼けることにいう。」
この時に描かれた火災は、明治24年5月4日の札幌の火災です。
次のサイトでも、この火災のことに触れていました。
「鶴代は五十集(いさば)屋の店をやりたいらしいんですが・・・(略)」
(282p)
五十集屋や八百屋にも、なま物を扱うだけに、難しい点も
ないではなかったが、・・・・(略) (288p)
「八百屋」は今でも使う言葉ですが、「五十集屋」は不明。
調べました。
秀・五十集屋によると「五十集」の意味は、
「漁場や魚市場、魚屋や魚の行商人のことを指す言葉」だそうです。
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