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2019年7月22日

2019年7月22日 (月)

「英雄たちの選択 人見絹枝」その5/人見絹枝の活躍 IOCを動かす

   

今日は令和元年7月22日。

 

前投稿に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

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オリンピックの種目に女子陸上を加えるために、

アリス・ミリアが中心になって開催している万国女子オリンピック。

その第2回大会が、スウェーデンのイエーテボリで行われました。

1926年(大正15年)8月でした。

 

ナレーター:欧米を中心に10か国から、

  92人の女子選手が集まった。

  人見絹枝は東洋から参加したたった1人の選手だった。

  初めての海外での大会。

  外国人と競う未知の世界。

  この大舞台で、人見は驚くべき活躍を見せる。

  100ヤード走、3位。

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  円盤投げは2位。

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  立ち幅跳びと走り幅跳びでは、見事、金メダルを獲得。

  走り幅跳びでは世界新記録だった。

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  東洋から来たヒロインに、ヨーロッパの観客は沸いた。

  人見は総合優勝という快挙を達成し、

  オールラウンダー、万能選手として尊敬を集めた。

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女子でもできることを証明したいミリアにとって、

人見絹枝の活躍は貴重なものでした。

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国際オリンピック委員会(IOC)の委員たちを

説得します。

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委員たちはついに動きます。

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ナレーター:男たちもようやく重い腰を上げた。

  当時の議論の様子が残されている。

  2年後(1928年)のアムステルダムオリンピックでの

  女子陸上競技の採用をめぐり、欧米17か国の代表たちは

  意見を戦わせた。

  強硬な反対派はフィンランド代表。

フィンランド代表:私は、女子の参加には反対だ。

  女性が笑い者になるだけだ。

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◇◇代表:男性にとって、持久力は先祖から受け継いだものだが、

  女性はそうはいかない。

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ナレーター:これにノルウェー代表が反論した。

ノルウェー代表:いや、男性にとって良いことは、

  人類のもう半分に当たる女性にも良いことではないのか。

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□□□代表:1回だけでも、女子種目をやってみてはどうか。

  その出来を見て、この先オリンピックで実施するか決めればいい。

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ナレーター:人見絹枝の(万国女子オリンピックでの)活躍。

  それは男性たちの懸念を振り払う見事なものだった。

  この成果に、女子陸上選手のオリンピック参加が決定的になった。  

   

   

アムステルダムオリンピックの種目に、女子陸上競技が加わったのには、

このようないきさつがあったのですね。

英雄たちの選択」でよくわかりました。

まだ書き留めたいことがありますが、今晩はあきらめました。

もう寝ます。

ありがたいことに、腰痛はおさまりました。

幸せです。

「英雄たちの選択 人見絹枝」その4/女性だけのオリンピックがあった

  

今日は令和元年7月22日。

 

前投稿に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

聞き書きしていきます。

オリンピックの種目に女子陸上が加わるまでの話です。

      

ナレーター:1896年に始まった近代オリンピックは、

  あくまでも男性のものだった。

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  女性が参加できたのは、テニスやアーチェリーなど、

  男性が女性らしいと認めた競技のみ。

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  男たちは、陸上競技は女性には過酷すぎると参加を

  許さなかった。

  そこに異議を唱えたのは、女性の権利向上のために

  活動していたフランス人のアリス・ミリアであった。

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  ミリアは国際オリンピック委員会に

  陸上競技の女性参加を認めるように働きかけていた。

  

働きかけのひとつとして、ミリアは万国女子オリンピック

開いていました。

  

ナレーター:オリンピック史を研究する來田享子さん。

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  ミリアが万国女子オリンピックを開催した意図を語る。

來田:純粋に女性たちが、国際大会で競技する場がなかったんですね。

  とにかくそれを求めていた。

  さらに、スポーツというのは、女性には過激すぎるというふうに、

  男性たちに言われるが、いや、これは自分たちにもできると

  証明するかけひきのツールとして、

  ミニオリンピックの体(てい)をとることによって、

  IOC(国際オリンピック委員会)に見せる役割を

  もたせたかった。  

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ミリアが中心になって開催している万国女子オリンピック。

第2回は1926年(大正15年)8月にスウェーデンで開催されました。

そこに人見絹枝は参加しました。

そのことは次の記事で書きます。

 

 

万国女子オリンピックなるものがあったことは、

この番組で初めて知りました。

  

上に載せた写真の中で、

立ち高跳びをしているものがあります。

近代オリンピックが始まった頃にはどのような種目があったのか

この映像で興味をもちました。

また調べたいです。

今晩は、人見絹枝さん特集。

「英雄たちの選択 人見絹枝」その3/再び使われた映像 初登場の笑顔

  

今日は令和元年7月22日。

 

前投稿に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

人見絹枝がスパイクを磨く映像。☟

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人見絹枝が新聞社に就職して働いている映像。☟

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この2つの映像には見覚えがありました。

2004年放映の「その時歴史は動いた」で

使われた映像でした。

2016年放映の「英雄たちの選択」で

再び使われたのです。

思えば、このことに気がつく人はそうはいないと思います。

私みたいに、連日「その時歴史は動いた」「英雄たちの選択」を

見たから、気がついたのです。

普通に見ている人たちには、12年間のブランクがあるから、

きっとこんな細かいことまで覚えていないと思います。

 

そうそう、「英雄たちの選択」でも、この笑顔の映像は

登場しました。☟

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いい笑顔です。

いだてん紀行」「その時歴史が動いた」に引き続き

3回目の登場です。

英雄たちの選択」では、この笑顔もよかったです。☟

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スポーツマンらしい笑顔です。初登場。

つづく

「英雄たちの選択 人見絹枝」その2/姪御が語る人見絹枝

  

今日は令和元年7月22日。

 

前投稿に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

英雄たちの選択」に「姪御(めいご)」さんが登場しました。

その時歴史が動いた」で、銀メダルを家の中から

見つけ出した人として紹介された姪御さんだと思います。

ナレーターが「人見の姉の娘」と紹介していました。

※参考:ここでも道草 「その時歴史が動いた・人見絹枝」その1/メダルは2000年に発見された(2019年7月20日投稿)

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西美知子さんと言います。

 

ナレーター:幼い頃から、人見絹枝の様子を聞かされてきた。

西:とにかく、”おてんば”いうのは、おばあさんから聞いたけどね。

  水車踏んだり、川を飛び越えたり。

ナレーター:体格にも恵まれた人見。

  10代で身長は169cm。足のサイズ27cm。

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  日本人女性の平均身長が150cmという時代。

  人見は目をひく存在だった。

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西:農家では、女の人は背が高いということは、

  いいことではなかったんですよ。

  むしろ、気がひけるというか、

  小腰(こごし)をかがめて歩いてたというのを聞いた。

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  絹枝はそうじゃない。

  性格的にもそういうふうに考える人じゃなくって、

  もっと気丈で堂々と背を伸ばして生活していたと思う。

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  この庭球が出発点です。スポーツのね。

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ナレーター:1920年。高等女学校に入学した人見は、

  袴でもできると女学生の間で流行したテニスに熱中した。

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大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でも、

人見絹枝の初登場は、庭球コートでした。

 

  

今どきの中学生に「庭球」が通じないことが昨年度知りました。

テニス部のことを「庭球部」と呼んだら、

不可解な顔をされて気がつきました。

30代半ばの先生にも通じませんでした。

びっくり。

「庭球」は死語になりつつあるのでしょうか?

「庭球 死語」で検索したら次のサイトに行きつきました。

死語になったスポーツ用語

庭球にも触れていましたが、

ここで新しい言葉を知りました。引用します。

 

問・戦時中、球を打つと書いて「打球」と言われたスポーツは何? 

  

わかりますか?

「庭球」は知っていましたが、

「打球」は知りませんでした。

正解は・・・・

ゴルフです。

Golf1284012_1920 pixabay

つづく

「英雄たちの選択 人見絹枝」その1/銀メダルのもう片面

  

今日は令和元年7月22日。

  

腰痛がひどいので、奥さんに付き添ってもらい、

整形外科に行きました。

今回の腰痛は、一人では病院に行けませんでした。

お医者さんに診てもらいました。

心配した仙腸関節部分の痛みではなく、

第5腰椎の分離症と診断されました。

分離症はずっと患っているものです。

また来たか! 

だましだまし、死ぬまでお付き合いする症状です。

  

お医者さんから次のようなことを言われました。

うつ病のように精神を病んでいると、

通常ではそこまで痛いと思わないような症状でも

痛いと感じてしまうと。

なるほど。

そうかもしれません。

気持ちが前向きだと、傷口の治りもいいと聞いたことがあります。

逆に、気が弱っていると、症状は悪くなるわけです。

お医者さんの言葉が印象に残りました。

でも、今日の腰痛は本物でしたよ。

  

  

 

見ました。

2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 目指せ!

”なでしこ”たちの祭典 日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」を。

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またブログに書き留めたいことがありました。

今晩は、腰痛のことなど忘れるぐらいに集中して

この番組の読み物化をしていきたいです。

  

何と、番組冒頭で、人見絹枝さんの銀メダルの

裏側を見せてくれました。貴重です!

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聞き書きします。

磯田道史さんと渡邉佐和子アナの会話です。

  

渡邉:「第9回 オリンピック アムステルダム 1928」

  と書かれているんですね。

  その左には、勝利の女神のようなものが描かれています。

  そして、メダルのもう片面は、

  選手たちをモチーフにしているようですが、

  全員男性なんですね。

磯田:そうなんです。この図柄は、当時のオリンピックの考え方を

  象徴的に現わしているんですね。

  技や強さを競うのは男性。

  女性は勝者を讃える者としてしか出てこない。

  つまり女性は競技に参加できなかったんですね。

  これをこじ開けたのが、人見絹枝たち、だったわけです。

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なるほど、なるほどです。

磯田先生はさすが深い。

冒頭だけでいい勉強になりました。

このメダルの両面で、いい社会科の授業ができそうです。

  

つづく

  

  

今日は腰痛を治したい/便秘は克服できた?

今日は令和元年7月22日。

  

昨日、自動車で買い物に出かけた時に、

その乗り降りで、どうも腰を痛めたようです。

左側の腰と、左の足のつけ根が相当痛い。

この表裏の痛みは、かつて経験した痛み。

腰痛の中でも、厄介な仙腸関節の部分の腰痛です。

ここでも道草 今回の腰痛は辛い!/「仙骨」「腸骨」の語源(2017年10月25日投稿)

 

うつ病+便秘+腰痛となりました。

ただ、薬の副作用の便秘は克服しつつあります。

そもそもお医者さんが言うには、

4日便が出なければ便秘であって、

2日ほど便が出ないのは便秘ではないと言われました。

毎日快食快便の生活だったので、毎日”あれ”だけ出ていたものが

2日間も体の中にあることを思うことで、不調になったようです。

でも水分を多めにとったり、意識して体を動かしたりして、

毎日少しずつ出るようになってきました。

腸が薬に慣れてきたのでしょうか。

 

今日は腰痛を治したい。無理せず過ごす。

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