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2019年7月23日

2019年7月23日 (火)

「英雄たちの選択 人見絹枝」その8/チャンスをつかむ可能性が高い人

 

今日は令和元年7月23日。

  

前投稿に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

脳科学者中野信子さんの発言を聞き書きします。

  

中野:けっこう真面目に実験している人もいて、 

  例えば宝くじの当たり率を調べると、

  自分が運がいいと思っている人と、

  運が悪いと思っている人の当たり率というのは、

  変わらないんです。

  つまり、ランダムで決まるものは平等なんですけど、

  チャンスをつかむ能力に関してはどうかという実験を

  やってみると、自分が運がいいと思っている人の方が、

  チャンスをつかむ可能性が高いんです。

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  運がいいと思っている人の性格傾向はどういう傾向化というと、

  経験への開放性が高い人、外向性が高い人です。

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  彼女(人見絹枝)は、すごくそういう人でしたね。

  

残りの人生、いろいろなチャンスはつかみたいですね。

経験への開放性が高い人、外向性が高い人」

何歳になっても心掛けたいです。

  

 

中野:おそらく(人見絹枝が800mを)走り切ることが

  できたのは、精神力というのは無視できないと思います。

  人間の身体は、試合の時だけ、競技の時だけでなく、

  何十年も使わなければならない身体なので、

  全力を出し切らないように、脳がブレーキをかけています。

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  この時の彼女は、全力を出し切るように

  自分で自分を仕向けてしまっていて・・

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磯田道史:リミッターみたいなのがはずれるんですね。

中野:そう、半ば自殺行為ようなことをして走っているような、

  極限状態ですよね。

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  その極限状態で得た銀メダルだったなと考えると、

  切ないような気分になりますね。

 

人が全力を出せない理由が、なるほどと思いました。

人見絹枝さんは、全力を出しすぎてしまったのかもしれません。

病魔に打ち勝つ力まで、

陸上にエネルギーを使ってしまったように思えます。

 

 

以上で「英雄たちの選択 目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」の読み物化完了。

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、

人見絹枝さんの話をしてくれたおかげで、

いい勉強ができました。

 

「英雄たちの選択 人見絹枝」その7/オリンピック後の人見絹枝の3年間

  

今日は令和元年7月23日。

  

歴史秘話ヒストリア」でも、人見絹枝さんを扱っていました。

2012年7月4日放映の「歴史秘話ヒストリア

“なでしこジャパン”はここから始まった!〜人見絹枝〜」です。 

運よく録画してないかなあと思って調べましたが、

当時の自分は関心がなかったのか、あるいは見逃したかで、

録画してありませんでした。残念。

 

でも番組を読み化してあるサイトがありました。

すごくありがたいです。

gooテレビ番組 歴史秘話ヒストリア

 

ここには、今まで見てきた番組では語られなかったことも

紹介されていました。

引用していきたいです。

  

アムステルダムオリンピック女子800メートルは

死のレースと呼ばれ、絹枝以外にも意識を失う女性が続出した。

オリンピック委員会は次の大会から

女子陸上を正式種目と認めたが、800メートルの結果を重く見て

中・長距離の採用を見送った。

800メートルが復活したのはローマオリンピックで、

マラソンはロサンゼルスオリンピックとなる。

  

アムステルダムオリンピックは1928年。

ローマオリンピックは1960年。

ロサンゼルスオリンピックは1984年。

そうだったのですね。その後を知ることができました。

少し前に疑問に思った

「なぜ女子のハードル走の距離は短いか」の疑問も

女子には無理という男性の発想なのでしょう。

ここでも道草 今回の道草の終点は、依田郁子さんの映像(2019年7月15日投稿)

  

 

「gooテレビ番組」からさらに引用します。

アムステルダムオリンピック以後、

亡くなるまでの3年間のことが詳しく描かれていました。

  

絹枝はアムステルダムから帰国した直後、

ミリアに次の大会で姿を見ることは出来ないと手紙を送った。

すると、ミリアから励ましを受け、

選手活動を続けることを決意した。

絹枝はチームで参加することを決め、

日本女子スポーツ連盟を動かして

全国から有望な少女たちを集めて6人チームを結成。

しかし、派遣費用は現在のお金で4000万円以上していたため、

絹枝たちは企業を回ったりアムステルダムオリンピックの

映画の入場料で寄付金を募ったが、返って借金を持ってしまった。

そこで、絹枝は全国の女学校に寄付金を募った。

遠征の資金が集まり、大阪駅から日本代表女子チームが

プラハに向けて出発した。絹枝たちがプラハへ到着すると、

ミリヤと再会。9月6日に第3回女子オリンピックが開催され、

絹枝は体調を崩したが走り幅跳び1位など活躍。

日本女子チームは400メートルリレー決勝に進み、

4位入賞を果たした。

日本女子チームが帰国の途につくと、道中絹枝が倒れ肺結核と診断。

1931年8月に24歳の若さで亡くなった。

生前の絹枝は女子チームとして参加した

プラハ大会の方が思い入れがあり、

本覚寺には日の丸のワッペンとメダルが残されている。

  

全国の女学校を回り、

講演を1年に200回こなしたりもしたそうです。

オリンピック後の3年間は、すごく大変だったのでしょう。

英雄たちの選択」の写真です。☟

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人見絹枝さんの母校には、亡くなった直後につくられた

デスマスクが保管されていました。

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24歳。早すぎるよなあ。

まだ現役の年です。どんな新記録が誕生していたか。

つづく

「英雄たちの選択 人見絹枝」その6/女子チームを率いて参加した第3回万国女子オリンピック

 

今日は令和元年7月23日。

 

前日に引き続き、2016年6月2日放映の「英雄たちの選択 

目指せ!”なでしこ”たちの祭典 

日本初の女子メダリスト 人見絹枝の決断」より。

  

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」を見た時に

疑問に思っていたことが、「英雄たちの選択」で

解決しました。

アムステルダムオリンピックで予選で敗退した直後に、

人見絹枝が、800mに出させて下さいと監督に直訴し、

結果、800mに参加して銀メダルを取ります。

そんなに急に出たいと言って参加できるものなのか、

疑問に思っていました。

英雄たちの選択」では、人見絹枝のセリフとして、

次のように表現している。

 

「唯一の女子代表の私は、すべての種目にエントリーしている。」

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全てにエントリーしているけど、出場するのは100mに絞って

練習してきたのです。

だから800mにも参加する資格があったのです。

 

  

その時歴史が動いた」を記事にまとめた時に、

オリンピック後の人見の夢が、女子チームを率いて

オリンピックに参加することだと書きました。

残念ながら、人見絹枝は24歳で亡くなり、

その夢は果たせませんでした。

しかし、女子チームを率いて国際大会に参加していました。

英雄たちの選択」で紹介されていました。

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ナレーター:人見絹枝のもとに、才能ある5人の少女たちが集まった。

  全員が10代の女学生たちであった。

  1930年9月6日。

  第3回万国女子オリンピックプラハ大会開幕。

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  人見絹枝を先頭に、6人の日本女子選手団が堂々と行進していた。

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  しかし、初めての世界大会で記録が振るわない選手たち。

  このままではいけない。

  人見絹枝は、自身の記録より、

  日本チームとして結果を残すことにこだわった。

  世界記録をもっていた200mを棄権し、

  チーム競技、400mリレーに賭けたのだ。

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  結果は見事4位入賞。人見絹枝の夢が実現した。

  

ずっと1人で戦って来た人見絹枝にとって、

第3回万国女子オリンピックは、

女子チームを率いての参加という夢を一つ実現した瞬間だったのです。

この大会のことは「この時歴史が動いた」では紹介されていなかったので、

ほっとしました。

  

つづく

シュークリームの日/気になったコンクリートの蓋の突起

  

今日は令和元年7月23日。

 

先日買ったシュークリームの袋に、

こんなシールが貼ってありました。

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毎月19日はシュークリームの日

そうだったんだ。

「19」が「ジューク」だから「シューク」に

なったようです。

  

またあのおいしいシュークリームが食べたいなあ。☟

ここでも道草 縁あっておいしいシュークリームを食べました(2019年5月12日投稿)

  

  

以前こんな写真を撮りました。

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小さな飲み屋さんなどの入った古い建物を、

重機が壊していました。

何ができるのだろうと思っていました。

  

  

数か月後に行ってみたら

コンビニができつつありました。

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ふと気になったものがありました。☟

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側溝は以前のままであり、

側溝のコンクリートの蓋の向こう側が、

コンビニの駐車場になるところです。

ここが気になりました。☟

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側溝の蓋の部分にあるこの突起。

駐車場ができても、側溝はそのままということは、

この突起は残るはずだよな。

そんなことを思って撮影しました。

  

  

1か月あまり後、再びその場所に行ってみました。

コンビニはオープンしていました。

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駐車場の端の側溝のところに行って蓋の突起を探しました。

あった!(左手側が駐車場)

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古い建物が壊されて、新しいコンビニができあがり、

周囲の雰囲気は変わりましたが、

足元のコンクリートの蓋の突起は

変わらず存在していました。

そんなことが楽しいなと思いました。

  

 

時々、突起は今はどうなっているかなと見ていきたいです。

しぶとく残りそうな気配があります。

最近の写真

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