「その時歴史が動いた・人見絹枝」その1/メダルは2000年に発見された
今日は令和元年7月20日。
さっそく見ました。
2004年8月18日放映「その時歴史が動いた
奇跡の銀メダル 人見絹枝 日本女子初メダル獲得の時」を
さっそく見ました。15年前に録画したのを見ました。
録画したということは、人見絹枝さんに関心はあったのです。
さっきは「さっそく」と書きましたが、
正しくは「やっと」見ましたですね。
やっぱり勉強になりました。
全ては無理ですが、できる限り書き留めておこうと思います。
司会者・ナレーターは松平定知アナウンサー。
何歳になられたのかな?
調べたら1944年(昭和19年)11月生まれ。74歳。
番組放映当時は59歳! 今の私と1歳違いだ。
ゲストは、「いだてん紀行」と同じでした。
有森裕子さん。
年齢を調べるのはやめました。
番組冒頭で銀メダルが紹介されました。
松平アナウンサーがこう言いました。
松平:今日の主人公(人見絹枝)、(メダルの)持ち主の
めいごさんが、4年前に家の中から見つけ出したもので
ございまして・・・
笑っちゃいました。
どこか見えるところに飾ってあったわけでなく、
しまい込まれていたのでしょうか。
「めいご」とは?
ここが引っ掛かったので調べました。
漢字だと「姪御」
意味は「他人の姪を敬っていう語」とありました。
なるほど。
引用:デジタル大辞泉
「姪」は自分の兄弟姉妹の娘のこと。
前記事の「いだてん紀行」では、
人見絹枝さんのお姉さんの孫が、メダルを紹介していました。
15年前のことだから、そのお孫さんのお母さんだと予想します。
紛失せずに発見されてよかったです。
有森裕子さんは人見絹枝さんと同郷で、
有森さんの祖母が、人見さんと同じ学校で、
人見さんが先輩だったそうです。
少しずついきましょう。
今回はここまで。
つづく
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