「オールドルーキー」の歌詞の意味は、「過去を再利用しない」ということ?
今日は2月13日。
竹原ピストルさんの曲「オールドルーキー」の歌詞について
以前、記事を書きました。
※ここでも道草 昨晩から今朝にかけて触れた言葉その3/大晦日にたくさんの人が撃たれた(2018年1月11日投稿)
なかなか刺激的な歌詞です。
あらためて一部引用します。
積み上げてきたもので
勝負したって勝てねぇよ
積み上げてきたものと
勝負しなきゃ勝てねぇよ
(中略)
いやはや丸くなったよ。。
って笑ってりゃあ そりゃあ酒もやさしくなるさ
だけど俺はやめたんだ
そういうのをもうやめたんだ
オールドルーキー
何度でも立ち止まって
また何度でも走り始めればいい
必要なのは走り続けることじゃない
走り始め続けることだ (後略)
最近読んだ本に、共通した考えがある文章を発見したので、
ここに引用します。その本は
「すべての教育は『洗脳』である」(堀江貴文著/光文社新書)です。
【過去を再利用しない】
(中略)
自分が今までの努力で得てきたものを、なんとか未来にも活かしたい。
そこに費やしてきた時間を無駄にしたくない。
そういった未練とは潔く手を切ってほしいのである。
あくまでも、「今」あなたが何をしたいのかが出発点だからだ。
メルマガに寄せられる定番の質問に、こういったものがある。
「私は会計士の資格を持っています。
とりあえずこの資格を活かせることをやろうと思うのですが、
何かいいアイデアはないでしょうか」
自分は会計士だ。だから会計士の資格を活かせることをやる。
真っ当な発想に見えるかもしれないが、実はまったくなっていない。
なぜならここには、本人の「これがやりたい」という動機が
一切ないからだ。順序は常に「好き」「やりたい」という動機が
先でなければならない。
この相談者の「やりたいこと」に、会計士資格が活かせるのであれば
もちろんそれでもいい。
しかし、「とりあえず」を理由に何かを始めても、
同じことを「やりたくて」やっている人には絶対勝てない。
「大好きだからやりたい」と
「特別やりたいとは思っていない」の間にある壁は
想像以上に高いのだ。 (155~156p)
つまり、自分のやってきたことや、すでに持っているものから
「やること」を決めてはいけないのだ。 (中略)
もしかしたら「一見使えそうな」スキルや経験があなたにあるかもしれない。
でも、「これを素材として活かす事業でなきゃダメだ」と思っているのなら、
むしろ捨てた方がいい。
それは、あなたの本当の「やりたい」を妨げる持ち物だからだ。
(中略)
「過去を活かす」のは一見、「経験を無駄にしない」ことのように思える。
でも、それは錯覚だ。
過去は、ただ過ぎ去った時間でしかない。
「再利用できる資源」ではないのだから、それを無理に活かす必要はない。
過去を元手に決断すれば、その時点であなたの可能性は100分の1、
1000分の1に縮まってしまうだろう。 (157~158p)
「オールドルーキー」で、きっとこういうことかなと思ったことが、
堀江さんの文章を読んで、こういうことかとわかった気がします。
でも難しいなあ。
何か始める時には、「本当にやりたい」と思っているか、
過去の蓄積に頼っていないか、自問しなければならないと思う。
今やり始めようとしていることがあります。
情報に関する、動画教材に関することです。
さっそく自問しています。
過去の経験は参考にしています。
過去の経験から、こういうことをやりたいと思うようになりました。
過去の経験がなければ、思いつかないことです。
過去の蓄積の再利用はねらっていません。
「やってみたい」気持ちは確実にある。大丈夫。
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