« 2016年8月9日 | メイン | 2016年8月12日 »

2016年8月11日

2016年8月11日 (木)

8月8日 大給城址の写真 その3

 

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き大給城で撮った写真を載せていきます。

今回がラスト。

  

Epson693  

①「Ⅱの曲輪」にある石碑

Rimg9734

Rimg9693_2  

石碑には少々古い字体で「明治天皇碑」とありました。

どういう石碑なのでしょう?

事前の調べによると、「Ⅱの曲輪」が標高で最も高い場所です。

「Ⅰの曲輪(主郭)」よりも高いです。

大給山の頂上付近にあるこの石碑については、また調べよう。

 

Rimg9738

 

Rimg9740  

Rimg9742  

⑤「水の曲輪」ゾーンに移ります

しっかりした石塁が築かれています。

Rimg9748  

Rimg9749  

他にも石塁の写真を撮りました↓

Rimg9761  

戦国時代に積んだ石塁?

積んだ人たちの姿をいろいろ想像しました。

この日は私一人でしたが、

その時はこの場所は人がにぎやかだっただろうなと思いました。

  

Rimg9755  

Rimg9757  

⑨大給城の北、下の方から上を見上げました。

Rimg9758  

両側に崖、そして土塁・石塁群。

そして城からの攻撃。

見上げると攻めるのが嫌になってしまう景色でした。

  

⑩この道の先には石塁があるとのこと。調べました。

Rimg9764  

⑪ありました!資料通りでした。

Rimg9765

Rimg9766  

以上、やぶ蚊と闘いながらの城址見学でした。

最後に見納めで⑫の写真を撮りました。

Rimg9767

堀切によって細くなった道。

東から攻めるのも難しそうでした。

  

以上です。

古宮城、大給城。

お城の勉強の楽しみ方が少しわかってきた気がします。

8月8日 大給城址の写真 その2

  

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き大給城で撮った写真を載せていきます。

  

Epson692  

①「Ⅰの曲輪(主郭)」から見た石塁

Rimg9700_2  

Rimg9701_2  

立派な石柱がありました。

Rimg9703_2  

背面にこの石柱のできた年が刻まれていました。

字が少々古くさいなあとは思いましたが、

予想以上に古い石柱でした。

Rimg9718

「大正五年一二月」とあります。

けっこう以前から大事にされていた場所なんですね。

  

いよいよ物見岩です。

「英雄の選択」を見てから、

この岩からの景色を楽しみたいと思っていました。

 

Rimg9706_2

④物見岩

Rimg9707_2 

物見岩には穴が開いています。

Rimg9708_2

Rimg9710  

では物見岩からの景色

Rimg9712

Rimg9713

住宅街。後でこの住宅街の路上から、大給山を撮影しました。

  

Rimg9716

  

主郭から南の方へ下りてみました。

⑥館があったと思われる場所。

草ぼうぼうでした。

Rimg9729  

ここから主郭に向かうジグザグの登り道を歩きます。

Rimg9730  

Rimg9731  

Rimg9732左下から右上の道。これを登ると主郭

(トイレが見えている。そこが主郭)

 

このジグザグの登り道は、なかなか効果的です。

敵は簡単には主郭に迫れません。

巨石もゴロゴロしていて、

それが防御の役目をしていると感じました。

実際に大給城にやってきて歩き、

巨石、石塁、土塁、崖、堀切などは

すごく効果的だと思いました。

それは、古宮城址に行った時にも感じたことです。

城からの攻撃を受けながら、城に侵入することは

非常に難しかったと思います。

  

⑩再び主郭全体

Rimg9733   

つづく

8月8日 大給城址の写真 その1

  

今日は8月11日。

  

今晩は8月8日に行った「大給城(おぎゅうじょう)址」のことを書きます。

大給城址の位置については以前の投稿で地図で示しました。

ここでも道草 大給城に行ってみたくなりました(2016年7月22日投稿)

私は岡崎を北上して、巴川沿いの道を走り、

国道301号線に入って東に向いました。

大給城址に向かう道はわかるかなと気にしていたら、

次のような案内と石碑がありました。

 

Rimg9667_2

Rimg9668_3

石碑には「大給城趾とふれあいの道/開通碑/交通安全/

昭和52年4月8日完工」とありました。

まあこれがあればわかりやすいと思って、

301号線を右折しました。

  

しかし、ここからが難しかった。

  

途中で駐車場があったけど、通り過ぎていくと、

「大給城」の看板があり、それにつられてどんどん進んでいくと、

細い道をS字カーブで上がって行くことになり、

少々危なっかしい思いもして、

何と民家に入って行く道になってしまいました。

もう一度駐車場のあるところまで戻って、確認しました。

  

これが駐車場。

Rimg9669_3  

駐車場を過ぎて、少し登ったところにちゃんと看板がありました。

Rimg9670_3

↑自動車をとめて、奥に行きます。

Rimg9673_3

↑左手にこの看板があります。

「大給城址」が下向きの赤い矢印になっているのは、

道がこの後少し登ってすぐに下るところに、

城址への入口があることを示していたと、後で思いました。

  

これが入口です。

Rimg9674_4  

これを一度は見逃して、通り過ぎて危なっかしい体験をしました。

これから行く人は見逃さないようにしてください。

道路の右側にあります。

  

  

この日は暑い日でした。

山中でしたが、暑かったです。

それは想定内でしたが、油断していたのは、やぶ蚊。

ずっと身近にいて、攻撃してきました。

出直そうかと思うほど煩わしかったです。

目の付近を攻撃してきたのが一番厄介でした。

  

こんな道を進みました。

Rimg9675_3   

左に行くと「大給城址」の看板。

しかしまずは右に行きましょう。

Rimg9768

上の写真のように、右手の方から上がってきて、

看板の前で右に行くと、「松平乗元の墓」があります。

Rimg9677_3

Rimg9679_3

Rimg9680_4

Rimg9678_2  

まずはこちらを見ておいて、さあいよいよ大給城址です。

大給城址には東側から入って行くことになります。

  

前勉強をしておいたのは、実際に見る体験です。

ワクワクです。

※参考:ここでも道草 今日の午後、大給城に行く予定です(2016年8月8日投稿)

確かめましたよ。そしてたくさん写真を撮りました。

  

どこから撮影したものか、

できるだけ思い出して地図に落としました。

ベースになった地図は、城址に案内の地図を使わせてもらいました。

Epson691  

石碑

Rimg9683

①堀切

Rimg9684

②虎口

Rimg9685  

③ ②の反対側からの虎口

Rimg9688_2虎口の両側は櫓台になっているそうです。

  

④曲輪(くるわ)に入る虎口

Rimg9689_3 8月8日の投稿だと「Ⅲの曲輪」に入る場所。

虎口の左手には櫓台あり。

  

⑤「Ⅲの曲輪」

Rimg9690_4  

⑥「Ⅱの曲輪」から見た石塁

Rimg9694_3  

⑦石塁の左隅から「Ⅰの曲輪(主郭)」へ

Rimg9695_3 小さな建物(トイレです)の前を通ると主郭に入る。

ここが主郭の虎口です。

  

⑧「Ⅰの曲輪(主郭)」

Rimg9696_4

 

次の投稿につづく。

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その5/坪井直さんの証言

  

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

写真に写っている人たちが何をしているかという視点で

話が進みます。

  

Rimg9689_2

ナレーター:この人は、草履を脱ぎ、足に何かを塗っています。

Rimg9690_2   

  

Rimg9691

  足元には、四角い箱のようなものが転がっています。

  少し離れた場所で、見ていた人がいました。

  この男性↓が、今も健在でした。

Rimg9692_2

Rimg9694_2   

  

Rimg9695_2

  坪井直さん。90歳。

  人々は、やけどを負った体に、油を塗っていたのだと言います。

  坪井さんも、塗る順番を待っていました。

  足元に転がっていたのは、食用油の缶でした。

  やけどの応急処置に使うよう指導されていました。

  

坪井さん: 菜種油を持ってきたんですよ。

  食用油ならいいの、それで。

  ところが一人ずつ丁寧にできゃあせえわな。

  みんながぶいぶいぶいっと、どうでもいいやっと、

  手をつっこんだりする。すぐなくなる。

Rimg9696_3

  

ナレーター:坪井さんは当時20歳(はたち)。

  広島工業専門学校の学生。

Rimg9697

  将来、エンジニアになって、人の役に立ちたいと考えていました。

  被爆したのは、爆心地から1.2㎞の屋外。

  2人に1人が当日亡くなった距離です。

Rimg9698_2

  熱線で背中や顔に大やけどを負いました。

  耳の半分がちぎれました。

Rimg9699_2

  周りには、助けを求めながら炎にのまれる人、

  目玉が飛び出たまま歩く人。

  坪井さんは、治療してもらえる場所を探してさまよいます。

  3時間かけて、ようやくたどり着いたのが、御幸橋でした。

Rimg9700

Rimg9701  

  瀕死の状態で橋のたもとにたどり着いた時、

  周りを見て、死を意識したと言います。

   

Rimg9702

  (坪井さんの)目の前でうずくまる若い女性。

  裸の上半身は、 焼けただれていました。

Rimg9703

  人々の奥に見える足。

  油を塗る気力もなく、横たわったまま

  亡くなっていく人の姿だと言います。

Rimg9704

  その周りにも倒れた人が何人もいました。

   

坪井さん:もうどうしようもない。

  死ぬ者は死ぬというような状況。

  まあ、死の前のような雰囲気。

  

ナレーター:坪井さんが見た光景を、

  取材でわかった人々の声とともに、再現します。

  

前投稿と同じように、映像を見てください↓

(24:30過ぎからスタートです)

  

Rimg9705

Rimg9706

これまた強烈な映像です。

黒い人影だったものが、白黒ではありますが、

さっと人間の姿になる瞬間はドキッとします。

そして動き出す。でもほとんど動けない。

動けないことが、その人の命が消えそうになっていることを

表現していました。

  

聞き書きに戻ります。

  

Rimg9707

ナレーター:坪井さんは手元にあった石で、 

  「坪井はここに死す」と地面に書きました。

坪井さん:俺は20歳でもう終わりかあ。

Rimg9708

  それは寂しかった。

  最後にね、もう誰も助けてもらえないと思っているんだから。

  「ここで死ぬ」と書いたんだからね。

  寂しいというか情けないというか・・・

  

ナレーター:人々が瀕死の状態でたどり着いた御幸橋。

  ここは生と死の境界となっていたのです。

Rimg9709

  

坪井さんは、オバマ大統領が広島で演説した時に、

その場にいました。

そしてオバマ大統領とも言葉を交わしていました。

ここでも道草 オバマ大統領と「核なき世界」(2016年6月20日投稿)

  

まだつづきはありますが、次の投稿から別のネタで書きます。

明日までこのネタはお休み。 

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その4/河内光子さんの証言つづき

  

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

河内光子さん:この辺じゃったと思うんですよ。

Rimg9688  

ナレーター:(写真では)河内さんの斜め前にいた

  この女性の姿です。(=河内さんが忘れられない光景)

Rimg9689   

 

Rimg9690

  走っているような姿勢。

Rimg9692

  黒っぽい何かを抱えています。

  

河内さん:黒く焦げたような、

  赤ちゃん抱いて、生きているのか、死んでいるのか、

  わからないんです。

  泣かないんです。

Rimg9693

  

ナレーター:黒焦げになった赤ちゃんを抱いていたのは、

  その子の姉のようでした。

  少女はどんな様子だったのだろう。

  

  話を聞くうちに、河内さんの記憶が鮮明になってきました。

  

河内さん:(枕を抱えながら)こうやって、何々ちゃんって。

  男か女かわからないんですけど。

Rimg9694  

  「起きてや 起きてや」って、揺すったり、

  こうしたりして(左手でたたく)、「起きてや」って

  叫びまくっていたんですよ。

Rimg9695

  

ナレーター:壊滅地帯から逃れてきた人々がどんな状態だったのか、

  私たちは、河内さんが見た光景を、

  コンピュータグラフィックスで映像化することにしました。

  証言を元に、少女の動きや声を再現していきます。

Rimg9696

Rimg9696_2  

  そして確認してもらいました。

    

ここで映像が出ました。

以前に紹介したここを見てください↓

(18:46辺りです)

Rimg9698

  

河内さん:かわいそうで、かわいそうで、

  でもどうしてあげるわけにもいきませんよ。

  忘れられんですね。

  死ぬるまでもっていくんでしょう、これ(この光景)を。

Rimg9699

  

  

コンピュータグラフィックスの再現映像は、

生々しくて心に残りました。

(まだまだつづく)

 

  

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その3/河内光子さんの証言

 

今日は8月11日。

  

前投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

Rimg9666_2

ナレーター:髪の毛はひどく縮れて、ボサボサになっています。

Rimg9668_2

  服は破け、肌は剥(む)き出しです。

Rimg9669_2

  人々の多くは裸足。

  着の身着のままで逃げてきたことがうかがえます。

  2枚の写真を並べてみると、

  同じ人物が写っていることに気づきました。

Rimg9670_2  

  セーラー服を着た女性です。

  左腕は服が破れ、血がにじんでいます。

  手は傷ついているようにも見えます。

    

  取材を続けると、この女性が今も健在であることがわかりました。

  河内光子(こうちみつこ)さん。83歳です。

  

Rimg9671_3

Rimg9672_2

  当時、広島女子高等学校の2年生。

  同級生と映画やおしゃれの話をするのが大好きな13歳でした。

   

  写っているのが自分だとわかった理由は、

  セーラー服の三角襟(えり)。

Rimg9673_2

  山口県に住むいとこからもらったものでした。

  背中にはけがを負っていました。

  

Rimg9674_3

河内さん:こうやったら(服を手で払ったら)、

  ガラスがいっぱい、みんなついているんです。破片が。

  血まみれですけどね、痛いという意識はなかったですね。

    

ナレーター:この時、河内さんは、友だちのケガのことで

  頭がいっぱいでした。隣に写っているのが友だちです。

Rimg9675_2   

  (友だちは)服が破れ、肌が露わになっています。

  橋にたどり着くまでに、何があったのか。

  

  8月6日の朝、河内さんたちは、戦地に行った大人の代わりに、

  働いていました。

  爆心地から1.6㎞の貯金局で仕事をしていた河内さん。

  午前8時15分、原爆が炸裂。

  秒速70mを越える猛烈な爆風に襲われます。

Rimg9676_2

Rimg9677_2  

河内さん:シャーって何か、窓いっぱいの火の塊みたいなのが

  入ってきたんです。

Rimg9679_2  

  狙われたっと思ったですね。

  「きたー」と叫んだのを覚えているんです。

  自分の身体が、持ったカードと一緒にフワ~と飛んだんです。

  わーっと思ったら気絶したんです。

  

Rimg9680_2

ナレーター:河内さんは吹き飛ばされ、壁にたたきつけられました。

  意識を取り戻して目にしたのは、

  内臓が飛び出た姿で息絶えていた女の子。

  その子を踏まないように外へ出ると、

  顔を血で染めた友だちがいました。

  

河内さん:友だちがね、私に抱きついてきたんです。

  「みっちゃん 頭が割れた」と言うんです。

  「ええ!」って言うて、(友だちは)血まみれでした。

  それで私に抱きついたから、私ここら(体前面)が血まみれです。

    

ナレーター:壊滅地帯で火災が確認された場所です。

Rimg9681  

  原爆投下とともに発生した火災は、徐々に広がっていきました。

  河内さんは、友だちと自宅をめざしますが、

  火災で近づけないと聞き、引き返します。

  通れる道を探しながらたどり着いたのが、御幸橋でした。

    

  投下から3時間後。何が起きたのかわからないまま、

  傷ついた体でここ(御幸橋)にいたのです。

  

  河内さんにとって忘れられない光景が写真に写っています。

  

  

この「忘れられない光景」については、次の投稿で。

  

  

  

「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その2/撮影者は松重美人さん

 

今日は8月11日。

  

8月9日・10日と東京に行ってきました。

いい2日間でした。

またこのブログに書くことが増えました。

他にも書きたいことが目白押し。

でも少しずつ書きとめていきたいです。

8月8日の投稿の続きで、昨年の8月6日放映の

「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」

の聞き書きをしていきます。

  

ナレーター:広島の新聞社(中国新聞社)に厳重に

  保管されているものがあります。

Rimg9666 ※よく見ると、箱のラベルに

「松重美人氏原爆写真オリジナルネガ」と印字されています。

  

ナレーター:原爆投下の3時間後に撮られた写真のネガです。

  投下直後の混乱の中、川で現像されたと言います。

Rimg9655

Rimg9667

  撮影したのは、新聞社のカメラマンだった松重美人(よしと)さん。

  爆心地から3㎞離れた自宅で被爆。

  カメラを持って街の中心部に向かう途中で、

  惨状を目の当たりにしました。

Rimg9668

Rimg9669

  当時、国民の戦意を削ぐような被害の写真は、

  撮影を禁じられていました。

  松重さんは、それに背いてシャッターを切ったのです。

 

松重さんの手記:目前に見る多くの負傷者の眼差しが、

  私に集中している。

  この惨状を写真にして多くの人に伝えてほしいと

  言われているように思えた。

  撮ることが酷(むご)いことか、撮ることが正当なのか、

  私は迷った。

Rimg9670

  

Rimg9671

ナレーター:1枚目の写真は、長い躊躇の後、

  伝えなければとシャッターを切りました。

  

Rimg9672

  10歩近づいて撮った2枚目。

  涙でファインダーが曇り、

  これ以上撮影することはできなかったと言います。

  

  

Rimg9673

  松重さんが写真を撮ったのは、

  「御幸橋(みゆきばし)」と呼ばれる橋の上です。

  当時から、街の中心部と郊外を結ぶ重要な橋でした。

  撮影された場所には、写真が掲げられています。

Rimg9674

Rimg9675

  そこに写る多くの人々。

  なぜここに集まっていたのか。

  

  原爆投下直後、広島を被った(おおった)きのこ雲。

Rimg9676

Rimg9677

Rimg9678  

  その下で、壊滅地帯となっていた2㎞圏内。

  御幸橋は、火災をかろうじて免れました。

Rimg9679   

  そのため、郊外に逃げようとした人が、

  ようやく立ち止まれた場所だったのです。

  カメラは、人々を橋の中ほどからとらえていました。

Rimg9680

Rimg9671_2

  (この写真の)右奥が爆心地です。

  写っている人たちはどんな状態だったのか?

(つづく)

最近の写真

  • Img_8997
  • Img_8977
  • Img_8975
  • Img_8967_2
  • Img_8967
  • Img_8919
  • Img_8965
  • Img_8969
  • Img_8910
  • Img_8900
  • Img_8898
  • Img_8966

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉