8月8日 大給城址の写真 その1
今日は8月11日。
今晩は8月8日に行った「大給城(おぎゅうじょう)址」のことを書きます。
大給城址の位置については以前の投稿で地図で示しました。
※ここでも道草 大給城に行ってみたくなりました(2016年7月22日投稿)
私は岡崎を北上して、巴川沿いの道を走り、
国道301号線に入って東に向いました。
大給城址に向かう道はわかるかなと気にしていたら、
次のような案内と石碑がありました。
石碑には「大給城趾とふれあいの道/開通碑/交通安全/
昭和52年4月8日完工」とありました。
まあこれがあればわかりやすいと思って、
301号線を右折しました。
しかし、ここからが難しかった。
途中で駐車場があったけど、通り過ぎていくと、
「大給城」の看板があり、それにつられてどんどん進んでいくと、
細い道をS字カーブで上がって行くことになり、
少々危なっかしい思いもして、
何と民家に入って行く道になってしまいました。
もう一度駐車場のあるところまで戻って、確認しました。
これが駐車場。
駐車場を過ぎて、少し登ったところにちゃんと看板がありました。
↑自動車をとめて、奥に行きます。
↑左手にこの看板があります。
「大給城址」が下向きの赤い矢印になっているのは、
道がこの後少し登ってすぐに下るところに、
城址への入口があることを示していたと、後で思いました。
これが入口です。
これを一度は見逃して、通り過ぎて危なっかしい体験をしました。
これから行く人は見逃さないようにしてください。
道路の右側にあります。
この日は暑い日でした。
山中でしたが、暑かったです。
それは想定内でしたが、油断していたのは、やぶ蚊。
ずっと身近にいて、攻撃してきました。
出直そうかと思うほど煩わしかったです。
目の付近を攻撃してきたのが一番厄介でした。
こんな道を進みました。
左に行くと「大給城址」の看板。
しかしまずは右に行きましょう。
上の写真のように、右手の方から上がってきて、
看板の前で右に行くと、「松平乗元の墓」があります。
まずはこちらを見ておいて、さあいよいよ大給城址です。
大給城址には東側から入って行くことになります。
前勉強をしておいたのは、実際に見る体験です。
ワクワクです。
※参考:ここでも道草 今日の午後、大給城に行く予定です(2016年8月8日投稿)
確かめましたよ。そしてたくさん写真を撮りました。
どこから撮影したものか、
できるだけ思い出して地図に落としました。
ベースになった地図は、城址に案内の地図を使わせてもらいました。
石碑
①堀切
②虎口
③ ②の反対側からの虎口
④曲輪(くるわ)に入る虎口
虎口の左手には櫓台あり。
⑤「Ⅲの曲輪」
⑥「Ⅱの曲輪」から見た石塁
⑦石塁の左隅から「Ⅰの曲輪(主郭)」へ
ここが主郭の虎口です。
⑧「Ⅰの曲輪(主郭)」
次の投稿につづく。
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