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2016年8月11日 (木)

8月8日 大給城址の写真 その1

  

今日は8月11日。

  

今晩は8月8日に行った「大給城(おぎゅうじょう)址」のことを書きます。

大給城址の位置については以前の投稿で地図で示しました。

ここでも道草 大給城に行ってみたくなりました(2016年7月22日投稿)

私は岡崎を北上して、巴川沿いの道を走り、

国道301号線に入って東に向いました。

大給城址に向かう道はわかるかなと気にしていたら、

次のような案内と石碑がありました。

 

Rimg9667_2

Rimg9668_3

石碑には「大給城趾とふれあいの道/開通碑/交通安全/

昭和52年4月8日完工」とありました。

まあこれがあればわかりやすいと思って、

301号線を右折しました。

  

しかし、ここからが難しかった。

  

途中で駐車場があったけど、通り過ぎていくと、

「大給城」の看板があり、それにつられてどんどん進んでいくと、

細い道をS字カーブで上がって行くことになり、

少々危なっかしい思いもして、

何と民家に入って行く道になってしまいました。

もう一度駐車場のあるところまで戻って、確認しました。

  

これが駐車場。

Rimg9669_3  

駐車場を過ぎて、少し登ったところにちゃんと看板がありました。

Rimg9670_3

↑自動車をとめて、奥に行きます。

Rimg9673_3

↑左手にこの看板があります。

「大給城址」が下向きの赤い矢印になっているのは、

道がこの後少し登ってすぐに下るところに、

城址への入口があることを示していたと、後で思いました。

  

これが入口です。

Rimg9674_4  

これを一度は見逃して、通り過ぎて危なっかしい体験をしました。

これから行く人は見逃さないようにしてください。

道路の右側にあります。

  

  

この日は暑い日でした。

山中でしたが、暑かったです。

それは想定内でしたが、油断していたのは、やぶ蚊。

ずっと身近にいて、攻撃してきました。

出直そうかと思うほど煩わしかったです。

目の付近を攻撃してきたのが一番厄介でした。

  

こんな道を進みました。

Rimg9675_3   

左に行くと「大給城址」の看板。

しかしまずは右に行きましょう。

Rimg9768

上の写真のように、右手の方から上がってきて、

看板の前で右に行くと、「松平乗元の墓」があります。

Rimg9677_3

Rimg9679_3

Rimg9680_4

Rimg9678_2  

まずはこちらを見ておいて、さあいよいよ大給城址です。

大給城址には東側から入って行くことになります。

  

前勉強をしておいたのは、実際に見る体験です。

ワクワクです。

※参考:ここでも道草 今日の午後、大給城に行く予定です(2016年8月8日投稿)

確かめましたよ。そしてたくさん写真を撮りました。

  

どこから撮影したものか、

できるだけ思い出して地図に落としました。

ベースになった地図は、城址に案内の地図を使わせてもらいました。

Epson691  

石碑

Rimg9683

①堀切

Rimg9684

②虎口

Rimg9685  

③ ②の反対側からの虎口

Rimg9688_2虎口の両側は櫓台になっているそうです。

  

④曲輪(くるわ)に入る虎口

Rimg9689_3 8月8日の投稿だと「Ⅲの曲輪」に入る場所。

虎口の左手には櫓台あり。

  

⑤「Ⅲの曲輪」

Rimg9690_4  

⑥「Ⅱの曲輪」から見た石塁

Rimg9694_3  

⑦石塁の左隅から「Ⅰの曲輪(主郭)」へ

Rimg9695_3 小さな建物(トイレです)の前を通ると主郭に入る。

ここが主郭の虎口です。

  

⑧「Ⅰの曲輪(主郭)」

Rimg9696_4

 

次の投稿につづく。

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