今日は4月10日。
元同僚の先生から聞いた話を載せておきたいです。
北条氏政が汁かけ飯を食べるシーンが、
大河ドラマ「真田丸」では出てきます。
私は知りませんでしたが、あれは逸話に基づいていたのですね。
どのような逸話なのかをyoutubeで見ることができます↓
映像が始まって3分35秒後くらいから聞き書きしてみます。
北条氏政といえば、軍記物に見られる
「汁かけ飯」の逸話が有名である。
小田原北条氏3代当主の氏康とその嫡男の氏政が、
小田原城内で一緒に食事を取っていた時のことである。
氏政は飯に汁をかけて食べようとするのだが、
かける分量をうまく見積もれず、
食べてはかけてを繰り返していた。
それを見た氏康が
「飯にかける汁の量も測れんとは、
わしの代で当家も終わりか」
と嘆いたという話である。
自分が食べる飯の(汁の)適量もわからないのに、
どうして戦の采配や政治がうまくできるのかという意味です。
氏康に比べて、はるかに器の小さい氏康を現すエピソードです。
長期展望に欠ける氏政を揶揄した話だが、
よく考えれば、氏政の慎重さを物語っている逸話でもある。
では大河ドラマの第何話で汁かけ飯が出たかというと・・・
第1話から出ていました。
そして2月28日放映の「真田丸⑧調略」でも登場。
その映像はここでも見られます↓
最初の汁かけ飯のシーンが第1話。
2回目のシーンが第8話ですね。
聞き書きしてみました。
旧武田領を攻めた時の話です。
<北条家臣 板部岡江雪斎>
この勢いをもってすれば、上杉はおろか
徳川も、ものの数ではありますまい。
<北条氏政>
先を急ぐな。
食べる分だけ汁をかける。
少しずつ、少しずつ。
わしの食べ方じゃ。
北条の国盗り。
ゆっくり味わおうじゃないか。
以上です。
三谷幸喜さんの解釈でできた台詞です。
「国盗り」という言葉も懐かしい。
かつての大河ドラマ「国盗り物語」を思い出します。
勉強になったぞ。
今日は4月10日。
「山が笑った日」をずっと記録してきました。
今年も意識していました。
4月早々の4月2日に山を見て、
一度は「今日がそうかな」と思いましたが、
少し「まだかな」と思う気持ちがありました。
しかし、”春の嵐”がやってきた4月7日の翌朝、
「今日こそ、山が笑った」と断言できました。
やはり雨が降った後が、山の見栄えが良く、
「山が笑った」と断言しやすくなるとあらためて思いました。
毎年恒例の一覧です↓
平成17年 4月21日
平成18年 4月21日
平成19年 特定できず
平成20年 4月19日
平成21年 4月10日
平成22年 4月14日
平成23年 4月18日
平成24年 4月16日
平成25年 4月 8日
平成26年 4月10日
平成27年 4月11日
平成28年 4月 8日
季節ごとの表現も毎年復習のために書いておきます。
春・・・山笑う
夏・・・山滴る(したたる)
秋・・・山装う/山粧う(よそおう)
冬・・・山眠る
「山が笑った」状態の写真を撮っていないので、
今日は撮っておこうと思います。
ナシの花の写真も撮ろうと思います。
5日にはまだ満開ではありませんでした↓
今日は4月10日。
花の写真を今回も載せたいです。
多くの花は2013年頃にこのブログに載せていましたが、
この花は初登場です。
4月5日の撮影です。
つる性の植物でした。
こんな花です。
何て名前の植物なのだろう?
そんな時には、いつもの「花カメラ」です。
投稿したら、10分間で6人が答を届けてくれました。
「アケビ」の花でした。
珍しい!
山の中に生えているものだと思い込んでいたら、
けっこう街中で見ることができました。
そしたら、4月7日にもアケビの花を見つけました。
朝の登校指導で、校区でアケビの花にお目にかかりました。
”春の嵐”の中の撮影でした。
私はこれで2か所アケビがある場所を確保しました。
10月には実ができていないかチェックしてみよう。
今日は4月7日。
やらねばならないことがあるけど、
今朝、もう1本道草します。
↑2016年3月29日撮影
↑2016年4月5日撮影
「ナガミヒナゲシ」です。
この花は線路と一緒に撮りたくなる花です。
なぜか?
このブログに最初に載せたこの写真です↓
ここでも道草 雑草の鑑「ナガミヒナゲシ」(2008年5月17日撮影)
電車に花を切断されても、
それでも咲くナガミヒナゲシに感動したからです。
春を感じるものはいろいろありますが、
この花を見かけると春を感じ、線路を思い出します。
今年は写真を撮った3月29日の3日前ほどが初見日でした。
↑2016年4月5日撮影
「ナツグミ」です。
て名前だろうとと思って撮影しましたが、
3年前にすでに調べていました。
3年前の私はすごい!
ここでも道草 H25 4月の花々7 ナツグミ他(2013年4月20日投稿)
↑2016年4月5日撮影
「アネモネ」です。
な花の陰にある小さな花の方が形が良かったです。
今日は4月7日。
2013年の「ここでも道草」を見ると、
花の写真を投稿しています。
3年ぶりに花がマイブームになっているようです。
↑2016年3月30日撮影
「カロライナジャスミン」です。
※ここでも道草 H25 3月の花々44 カロライナジャスミン他(2013年4月9日投稿)
通勤路での写真。
この角は毎年黄色です。
↑2016年4月5日撮影
「アリウム‐トリケトラム」です。
庭がアリウム‐トリケトラムに占領されたような家でした。
同じ場所と思われる3年前の写真がありました。
※ここでも道草 H25 4月の花々2 アリウム‐トリケトラム(2013年4月13日投稿)
比較してみます。
↑2013年4月1日撮影
↑2016年4月5日撮影
黄色の矢印の部分が共通しているので同じ場所だと思います。
3年で確実にアリウム‐トリケトラムは増えいています。
今日は4月3日。
勤務校のクスノキが大量に葉っぱを落とし始めました。
新しい葉っぱが誕生し、古い葉っぱは落ちているのでしょう。
しかし、落ち葉は茶色になった古い葉っぱばかりと思いきや、
緑色の小さな葉っぱも落ちていました。
なぜ?
他の植物由来なのかな?
もう一度観察してみよう。
クスノキの葉っぱにはダニ部屋というのがあって、
そこに何匹かのダニがいるそうです。
↓このサイトで実際に見ることができます。
私もそのダニを顕微鏡で見てみたいなあ
今日は4月3日。
前投稿に引き続いて大河ドラマ「真田丸」のことを書きます。
1月14日放映の
「片岡愛之助の解明!歴史捜査 家康を瀬戸際まで追い詰めた男!
真田信繁と父・昌幸 智謀の系譜を追え!」より。
第一次上田合戦の様子を説明してくれていました。
ナレーターの説明を聞き書きします。
これは第一次上田合戦を記録した合戦図だ↓
真田軍は上田城に籠城。
対する徳川軍(赤)が出撃すると、
上田城から長男信幸率いる隊(青)が迎撃。
しばらく刃(やいば)を交えると、
信幸は上田城に退却する。
追いすがる徳川軍は、勢いに乗じ、上田城の城内まで突入。
二の丸まで攻め込んだ。
だが、これこそ昌幸が仕掛けた囮(おとり)作戦だった。
囮とは知らず城内まで攻め込んだ徳川軍。
真田軍の猛反撃で城外まで押し戻された徳川軍は、
正面の敵に集中していた。
その時、徳川軍は思いもよらぬ方向から攻撃を受ける。
突然、昌幸が潜ませていた伏兵が現れ、徳川軍の側面を攻撃。
徳川軍は大混乱となった。
昌幸が伏兵を潜ませていたのが、上田城の東北東、
5㎞先にある砥石城だった。
そこで砥石城跡を現場検証。
↓正面に見えるのが、砥石城があった山だ。
断崖が刃物を研ぐ砥石に似ていることから、
その名がついたと言われている。
なぜここに、昌幸は伏兵をしのばせたのか。
実際に登ってみた。
かなり急な斜面であることがわかる。
30分で頂上に到着。
砥石城跡からは、上田市内が一望できた。
上田城の様子も良く見えたのに相違ない。
つまり、砥石城の伏兵は、徳川軍に気づかれることなく、
ここから出撃のタイミングをうかがっていたのだ。
さらに、3倍の兵力を持ちながら大混乱に陥った徳川軍は、
上田城の東南東、神川(かんがわ)のほとりまで退却。
だが神川沿いには、昌幸が築いた千鳥がけの柵が造られていた。
退路を断たれた徳川軍は、身動きがとれなくなり、
さらに犠牲者を増やした。
その上ようやく神川にたどり着いた徳川の兵は、
今度は増水した川にのまれ、
溺死者は多数にのぼったと言われている。(中略)
徳川軍は、上田城の南東、11㎞離れた八重原まで敗走。
退却した徳川軍の陣城(じんじろ)の跡地を
歴史学者の平山優さんと現場検証をした。
ここが徳川軍の陣城があった鍋蓋曲輪(なべぶたくるわ)と
呼ばれる場所↓
かつて武田軍が鍋の蓋を置き忘れたことから、
この名がついたと言われ、
上空から見ると、楕円形であることがわかる。
この鍋蓋曲輪の立地から、徳川軍は軍勢を立て直し、
もう一度上田城を攻める気だったことがわかると言う。
平山:ここは上田小県(ちいさがた)方面にすぐに進出できるという
非常に地の利のいい場所にあります。
ここに徳川軍がいったん退却して
そしてもう一回上田方面に進出しようとしたと
考えられます。
だが、昌幸の知略がそれを許さなかった。
真田軍は徳川軍を追撃。
昌幸は尾野山城、長男信幸は丸子城に入り、
態勢を立て直す暇(いとま)も与えず、八重原を攻撃。
徳川軍は撤退を余儀なくされた。
国衆でありながら、戦国大名徳川の3倍を超える軍勢に勝利した
父、真田昌幸の智謀。
これが初陣になった可能性が高い信繁は、
その智謀をまさに目の当たりにしたと考えられるのだ。
以上で、第一次上田合戦の予習は修了。
30分遅れですが、録画してある大河ドラマ「真田丸」13話を
見ることにします。ああ、楽しみだ。
今日は4月3日。
今晩の大河ドラマ「真田丸」は第一次上田合戦が描かれます。
楽しみです。
Yahooニュースにこんなのがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160403-00000084-spnannex-ent
上記のニュースによると・・・・
1話まるまる使って、いかに城を守るかという
準備から実際の交戦を表現するという
「異例」の放送回になる。
何が異例なのか。
大河ドラマの合戦シーンというと平野で
大軍同士がぶつかり合う印象が強いが、
今回は違う。
城攻めと、それに対する守りを徹底的に描いた。
制作統括の屋敷陽太郎チーフ・プロデューサーは
「45分間ほとんど戦術だけでやった大河って
珍しいと思うんです」と話す。
そうなんですね。楽しみです。
さらに引用すると・・・・
7000人の徳川勢に対し、真田勢がわずか2000人の
手勢で撃退したという第一次上田合戦。
「防御する時の柵のちょっとした造作とかもこだわっていますね。
少ない人数が圧倒的に多い相手をどう倒すか、
ある種ゲリラ戦法ですよね。
それをいろいろな描き方をしたつもりです」
「予算と時間が許す限り、どう準備して、
どう戦ったかというのを描いたつもりです。
城をどう守るかという意味では、
これほど分かりやすく描いた大河はないんじゃないか。
僕自身記憶にないですね」と自信を見せる。
例えば、城下町の大通りに乱杭を打ち込むことによって
徳川勢の大軍の足並みが乱れ、
縦隊が次第に細く引き伸ばされる。
二の丸に入ると迷路のような造りで部隊はますます混乱する。
その途上で農民による石つぶてや熱湯攻撃、
鉄砲や弓矢の飛び道具を受け少しずつ勢いを失う、
といった具合だ。
ほらほら面白そうでしょ。
皆さん見ましょうよ。
録画しておいて、授業で上手に見せたいです。
次も「真田丸シリーズ」です。
今日は4月3日。
昨日は朝の5時に出発して登山。
戻ってきたのは午後5時5分前。ほぼ予定通り。
すぐに電車に乗って、飲み会に行きました。
同年代の4人の飲み会でした。
自分が幹事なので、ビールとウインナーのおいしい店にしました。
登山後のビールは格別でした。
今回うっかりクーポン券を使うのを忘れていました。
10%OFFになったのに、しまったなあ。
4人が同年代だったこともあって、
「残りの教員生活」「退職後」のことが話題になりました。
何事もなければ「残りは6年!」です。
私も少しは考えてきましたが、他のメンバーの話を聞いて
より深く考えることができました。
「残り6年!」
老け込みたくないと思いました。
今の自分の仕事上の関心事は
「特別支援教育」「タブレット端末」の2本に絞ることができます。
特別支援教育にかかわって4年、タブレット端末を購入してから3年。
だんだんわかってきたところです。
残り6年、この2本を頑張って、できたら最先端を行きたいです。
そしたら・・・・
「退職後」の再雇用で、この2本に関係する仕事をもらえるかもしれません。
つまり、得意な分野を作っておいて、
その分野の力を乞(こ)われて雇われたいです。
「得意分野を持つ特徴のある変わった先生」になって終えたいですね。
そんな夢が見えてきました。
とにかく6年間は老け込みたくない。
後ろに回りたくない。
自分の能力に疑いを持ちたくない。