「PL学園最強世代」からの引用その1.清水哲さんからの言葉
今日は2月5日。
清原和博元プロ野球選手が覚せい剤を所持していた疑いで逮捕。
2月2日の晩に、このニュースが流れました。
驚きましたが、「やっぱり」という気持ちもありました。
逮捕が大きなきっかけになって、
覚せい剤から縁が切れればいいと思います。
清原元選手の2年後輩のPL学園高校球児だった方の本を読みました。
「PL学園最強世代 あるキャッチャーの人生を追って」
(伊藤敬司・矢崎良一著/講談社)
ALS患者の伊藤敬司さんの本です。
※参考:ここでも道草 ALS患者伊藤敬司さんのことを知る(2015年11月30日投稿)
この本からの引用。
病気の人間は、人の言葉に敏感になる。
医者や健常者の何気なく口にした言葉にも、
その裏にある意思を忖度し、ときには深読みしてしまうものだ。(32p)
「忖度」が読めませんでした。
「そんたく」でした。
意味は「他人の心を推し量る(おしはかる)こと」
「病気の人間は、人の言葉に敏感になる」
大事な教訓だと思う。病人に接する時には気をつけたい。
自分が病人になったら、きっと実感するだろうな。
母校PL学園の先輩方は、
甲子園やその後の野球界で実績を残された方はもちろんのこと、
人間として素晴らしい方が数多くいらっしゃる。
その中の一人に、清水哲さんがいる。
(中略)
同志社大学に進学し野球を続けていたが、
85年秋、盗塁で二塁にヘッドスライディングをした際に、
ベースカバーに入った野手と接触し首の骨を骨折。
首から下の神経が麻痺する大怪我を負い、
その後、車椅子での生活を余儀なくされた。
現在は不自由な身体で書籍の執筆や講演活動など、
多方面でご活躍されている。(中略)
清水さんには、心が折れそうになった時、
心のこもったメッセージをいただき、
何度も助けていただいた。その中の一部を紹介したい。
≪障害を持って生きるということは、それだけで大変で、
辛い、苦しいこと。
まして全面介護ともなると、介護する側の負担にもなる。
それは同時に、介護を受ける側の「心の負担」にもなる。
やっぱり、先のことを考えたりすると不安に負ける。
「早く死んだほうが楽や」とも思う。
だけど、応援してくださる方がおられる限り、
それは口に出来ない。
「なんでこんなことになったんだろう?」と、そう思うよな?
そうかといって、一人で死ねるか?
俺らに出来るのは、好きとか嫌いに関係なく、”生きる”こと。
それが、介護をしてくださる方、心配してくださる方、
応援してくださる方に対して出来ることやと思う。
自分の運命を恨んでもどうにもならない。
お迎えが来るまで生きよう!
辛い時には泣けばいい。楽しい時には笑えばいい。
伊藤が生きた証は絶対に無駄にはならない。
伊藤には娘がおるやろ。
今はわからないけど、大きくなった時に、
お父さんの偉大さがわかると思うよ。
ファイトや! 清水哲≫
(73~76p)
この人のことは聞いたことがありました。
「俺らに出来るのは、好きとか嫌いに関係なく、”生きる”こと。」
「自分の運命を恨んでもどうにもならない。
お迎えが来るまで生きよう!」
同じ全面介護の清水さんの言葉は、
伊藤さんの中にじわっと入っていったことでしょう。
清水さんのホームページを見てみました。
伊藤敬司さんが亡くなった日の記事。
「PLの後輩が亡くなりました。本当に辛かったと思います。
特に死が迫ってくる恐怖は恐ろしかった事と思います。
後輩は本当に良く頑張りました。ご冥福をお祈りします。」(2015年10月8日)
清水さんは桑田さん、清原さんの1年上。伊藤さんの3年上です。
(つづく)
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